自由都市テティアを揺るがす大事件から数日。エリンたちはいつもの穏やかな日常へと戻っていた。
「エリンちゃん、いくよー!」
「はーい!」
呼びかける声にエリンは手を挙げて応える。
エリンがいるのは都市の外、6㎞程離れた場所にある岩場である。
自身の背丈よりもずっと大きな岩を見繕って、エリンはその陰に隠れていた。
「えーと……『水よ 霧散し 渦巻き ――維持』『稲妻よ 尖り 渦巻き ――纏え』」
その巨岩から50m程離れた位置に立ち魔法を唱えているのは、冒険者ギルドに所属する人間の魔法使いのネネロア。
くすんだ桃色の髪が特徴的な彼女は遺跡の探索を中心に活動する冒険者で、そこで見つかる過去の魔道具や書物などを持ち込み調査を依頼してくれる。
そのため魔法ギルドとも付き合いが深く、時折調査料代わりに、特魔課の仕事を受けてもらっている。
それは――新しい特認魔術の試し打ちである。
エリンが用意した
「『稲妻よ 奔り 貫け』――撃つよ!!」
合図を聞いてエリンが耳を塞いで屈みこんだ、直後。
凄まじい音と揺れがエリンを襲った。
「――――っ!?」
しばらくして揺れが収まったのを確認してからエリンが顔を上げる。
隠れていた巨岩から顔を出して覗くと……。
「うわぁ……」
エリンが隠れていたのと同程度の大きさの巨岩が、粉々に砕かれていた。
周囲の地面や岩もかなりの範囲が黒焦げになっており、魔術の威力が凄まじかったことを示している。
「すごい威力……」
「おーい、エリンちゃん、大丈夫ー?」
「はい、大丈夫です」
「さっすが上級っすね、ド派手な魔術だ」
小走りでネネロアと、相棒である黒い毛並の猫獣人のハヴォクが駆け寄ってくる。
2人共衣服の上から革鎧や装備を身に着けている冒険者の装い。
ハヴォクは前衛を務める
ネネロアもまたメイスを振るう魔法戦士で、雷の魔法を得意としている。
彼らは第3級となる『花芽』の冒険者であり、ネネロアは数は限られるが上級魔術の使用を許可されているのだ。
故に今回、新たな特認魔術として認められた《霧雷槍》の新呪文での試射をお願いしている。
「最初はなんで水魔法を混ぜるのかと思ったけど、なるほどね、こりゃ凄いわ」
「そうですね。元々雷魔法は詠唱中に放電が進んでしまって若干威力が弱まるのが課題で、これはむしろ増強することができるという触れ込みでしたが……事実のようですね」
念の為に同等級である上級の《稲妻槍》を事前に試しているが、同じ規模の巨岩を7割破壊するに留めていた。
呪文数は若干増えるが、魔力量的にはほぼ同等。
登録すれば呪文詠唱が不要な魔法輪を使うなら、利点しかない。
「これ、使えるようになるんだろ?」
「はい。次回の一斉更新からなので……来月ですね」
「そりゃあいい。遺跡調査が捗るね」
ネネロアが指を弾いて笑う。
彼女たちはずっと都市の東にある遺跡の調査に挑んでいると聞いた。そこの魔獣が手強く苦戦が続いているらしい。
今回の魔術で何かが変わるといいのだけれど。
「いいっすね。俺は上級魔法は使えないからなぁ……」
「1回なら使えるだろ。登録はしときなよ」
「つっても、使ってもぶっ倒れちまいますよ……ま、最終手段にはなりますか」
獣人であるハヴォクは魔力量が少なく、上級魔術となるとそう簡単には使えない。
本人も勉強は苦手だと言っていたので、自身が使う最低限の魔法の知識しか持っていないだろう。
そんな彼でも魔法を使用可能にする魔法輪は恐ろしい魔道具である。
なんてことを考えていたら、ネネロアに声を掛けられる。
「試射はこれで終わりだろ? 今日はここで解散でも大丈夫かい?」
「あ、はい。報告は私の方でやりますので大丈夫ですよ。報酬はギルドから支払われるんでしたよね?」
「そうそう。だから報告だけ、エリンちゃんに頼みたくてね」
ネネロアたちは何度も試射を依頼している間柄なので、特に問題はないとエリンは頷いた。
「でもそしたら、この後はこのまま都市の外に?」
「ああ。ギルドに頼まれて魔獣狩りをちょいとね」
「山奥から牙狼の群れが下りてきてるみたいなんすよ」
「……!! そうなんですか、群れが……」
魔獣が群れで下りてくるとなると、町単位で被害がでる恐れがある。
牙狼は大型の狼の魔獣で、名の通り分厚く鋭利な牙を持つ。鉄製のプレートを仕込んだ鎧も噛み砕くために、群れの危険度は相当に高い。
『花芽』であるネネロアの上級魔術を叩き込めば済むのだが、群れの数によっては2人でも危険な仕事になるだろう。
「そのまま北東に行ってくれりゃいいが、西側に来られたらどっかの集落が餌食になる可能性がある。その前に調べなきゃいけなくてね」
「それは急いで調査をしなければいけませんね……こちらは気にせず、行って下さい」
「悪いね、助かるよ」
狩人の生まれだったエリンには特にその重要さが分かる。
別の魔獣だが集落を襲われ、それが原因で妹が未だ寝たきり状態なのだから。
何か手伝えればいいのだが、それはエリンの仕事ではない。
何でも首を突っ込めた学院時代とは違うのだ。
「気をつけてくださいね」
「ああ。じゃあ、報告よろしくね!」
せめてそう告げて、エリンはネネロアたちと別れてギルドへと戻るのだった。
***
その翌日。
いつもの窓口業務に従事していたエリンの下に馴染みの顔がやってきた。
「エリンさん、こんにちは」
「アロナちゃん!」
笑顔で窓口まで駆け寄ってきたのは、先日の事件で知り合った常連客No.3のアロナちゃん。
父親のダックスと一緒にやってきたようで、そのまま窓口の前に座った。
「良かった。元気になったんだね」
「うん! お店が終わったから、お父さんと一緒に来たの」
「今は少し閉店を早めているんです。アロナと一緒に居たいので」
「……そうなんですね。アロナちゃん、良かったね」
「へへー」
あんな事件の後だ。元気そうに見えるアロナちゃんも心に傷が残っていてもなんら不思議ではない。
それを癒せるのは、大好きな家族と一緒に過ごす時間なのだろう。
「それでね! 今日は魔法陣を描いてきたの!」
そう言って、アロナが窓口の机に紙を広げた。
そこには拙い線と文字で描かれた魔法陣が描かれている。
常連客の中でも彼女は特殊で、勉強の成果を持ってきてその添削をしながら魔法について教える……というやりとりになっているのだ。
今日はエリンがその先生役である。
「どれどれ……あ、これ。【投射】の魔法陣だね」
「うん! お母さんの魔道具に使われてるんだよね?」
イクサンによってあわや消されそうになった、彼女の母親の記録を収めた魔道具・写影箱。その機構として組み込まれているのだが【投射】の魔法だ。
光によって特定の絵図を映し出す魔法で、何を投射させるかによって等級や難易度が上昇していく。
写影箱に使われるとなれば中級になるだろうから、アロナが習得できるのはまだまだ先だろう。
それでも――。
「あの魔法陣を覚えて、魔道具が壊れた時に直せるようになりたいなって」
「今回の事件を切っ掛けに、アロナは魔道具師になりたいようなんです」
「それはいいですね!」
アロナが夢をもって進めるようになったなら、それはとってもいいことだろう。
「でね? エリンお姉ちゃんにこれがちゃんと描けてるか、教えて欲しくて……」
「そういうことなら喜んで。えっと、これはね……」
機会があればマイラも紹介しよう。そう思って、エリンはアロナに魔法陣について教えていった。
「エリンお姉ちゃん、またね!」
「うん、気を付けて帰ってね」
そして1時間ほどが経って、アロナたちは帰っていった。
「アロナちゃん、元気になって良かったね」
「はい、本当に……」
後遺症もなかったそうで一安心である。
「しっかし、あのおじさんの相談からそんな大事件になるとはねー。ウチも一緒に手伝っておけばよかったよ」
「あなたがいても役に立たなかったでしょう?」
「いやいや、違うよタナさん。ウチがいたら巨大魔法陣にもっと早く気付けたかもしれないでしょ?」
「エリンがちゃんと気づいたから不要よ。それより装備がないんじゃ戦闘で足手まといでしょ、あなた」
「くっ……避難誘導くらいは役に立ったわい!」
「あははは……」
机で仕事をしながら、エリンを挟んでやり取りするふたりに苦笑いを浮かべていると、隣の窓口での対応を終えたランドルフが席へ戻ってきた。
「ランドさんも昨日はお疲れだったね」
「私は最後、少しだけ手伝っただけですよ」
「いえいえ、助かりました! ランドルフさんが来なかったら、どうなっていたか……」
ランドルフが奴の最後の足掻きを防いだからこそ、あの男を確保することができたのだ。
……そう、イクサンが生み出した魔法陣も、魔道具すらも彼はその右手で切り裂いてしまったのだ。何故か炎を宿した右手で。
「あの、ランドルフさん。その……右手は大丈夫なんですか?」
「右手……? ああ、問題ありませんよ」
毛におおわれた手をひらひらと振りながらランドルフは笑みを浮かべる。
「そういえばお話しておりませんでしたな」と、身体をこちらに向けて自身の胸をとん、と叩いた。
「私は魔力変換障害なのです」
人体における魔力変換の要所は3つ。呼吸器に核、そして右手だ。
その中でエリンが右手に問題がある様に、ランドルフは核に問題があった。
大気中の魔力を変換し、体内に取り込む役割を果たす器官である『核』。
彼の核には異常があり、本来分解して取り込む筈の魔力が変換できずに魔力の『原液』をそのまま体内に取り込んでしまうのだ。
海水で水分が補給できない様に、本来その濃すぎる原液は人体に毒であり、扱えない魔力が全身を巡り魔力経路を焼いてしまうのだ。
それは耐えがたい痛みを引き起こし、昔は激痛の果てに人が死ぬ、不治の病として恐れられた疾患であった。
今は医療技術も発展して痛みこそなくなっている様だが、それでも取り込んだ原液を扱うことはできず、魔力変換障害持ちは魔法が使えないのである。
狼獣人のランドルフ。彼はエリンともアズールとも違う理由で魔法が使えないのであった。
「そうだったんですね……あれ、でも右手から火を出してましたよね? あれは?」
「ああ、これですか」
彼の右手がいきなり発火する。
赤々と燃える炎を纏いながらも、ランドルフは涼しい顔だ。
「痛くないんですか……?」
「ええ。この炎は私を焼きません。手に直接触れているわけではなく、纏った魔力が燃えているんです」
事実、炎を消した彼の手は先ほどと変わらない綺麗なものであった。
毛の一つも燃えていない。
ランドルフはどうやってか、取り込んだ原液を使い炎を生み出しているのだ。
「そしてこの炎は魔力的にはかなり『粗い』様でしてね。魔法陣や弱い魔法なら壊すことができるのですよ」
上級魔法などの強力な、大量の魔力を込めた魔法は、時に相手の魔法や魔法陣を飲み込み破壊することがある。
繊細な魔法陣を、別の魔力で塗りつぶして無効化させているわけである。
エリンの蝕剣が魔法陣の式に余計な線を引くのに対し、彼の炎は、式そのものを基板ごと抉り取ってしまうのだ。
問答無用の魔法破壊能力である。
獣人由来の圧倒的膂力に加えて、相手の魔法を撃ち砕けるこの『濁炎』を使う彼は、対魔法戦闘において無類の近接戦闘力を誇る。
前をランドルフが、後ろをアズールが張ることで、特魔課はこれまでの違法魔道具を取り締まってきたのだ。
そして今、遠近両方に長けた遊撃――エリンが加わっている。
どんな魔法犯罪者だろうと対応できる戦力が集まってきていた……いや、衛兵ではないのだけれど。
「はぁー……それで魔法陣が壊れたんですね」
「そうそう。あの炎、ものによっちゃ上級魔法も切り裂いちゃうからね。そのせいでランドさんたまに魔法にそのまま突っ込んでくんだよ? 全くどんな身体能力してるんだか」
「代わりに私の魔力では魔道具も使えませんがね。不便な身体ですよ」
違法のものではない『普通』の魔道具は基本、体内で変換された魔力で扱う。そのせいでランドルフの魔力では濃すぎて直ぐに故障してしまうのだ。
そのため彼はギルド内で魔道具壊しと呼ばれ一部に恐れられているのだと、後日エリンは教えてもらった。
「え? じゃあお家とかどうされてるんですか? 料理とか洗濯とか……」
「そういった所は家の者に頼んでるので大丈夫ですよ」
「ランドさんの家、美人なお手伝いさんがいるんだよー。羨ましいねえ……」
「ほほう……?」
「ちょっと、アズール……エリンさんも、やめてください……なんですか? ちょっと、話しますから寄らないで……」
「――失礼。入るぞ」
そんな雑談を繰り広げていると、いつもの様にレチシアが執務室へと入ってきた。
ランドルフが助かった!と喜びの表情で見るのに首を傾げている。
「ん? どうした?」
「いえいえ、なんでもないですよ。それよりギルド長。今日はどうしたので?」
「ああ、ちょっとリセツに用があってね――出動ではないから落ち着くといい、エリン君」
咄嗟に立ち上がっていたエリンは制されて、腰を下ろした。
「すみません……」
「ふふ、先日のこともある。気が急くのも仕方がないさ。……それで、リセツは?」
「地下で修理中ですよー」
アズールがそう答えた。
我らが課長であるリセツは、週に数度この『修理』を頼まれて地下へと向かう。
まだなんの修理をしているのか教えてもらってはいないが、課の業務的には魔道具などを修理しているのだとエリンは思っている。
……リセツも魔法が使えない筈なのだけれど。
「ふむ、間が悪かったな……悪いが呼んでくれるか?」
「はいはーい」
そう言って、アズールは課長の席の後ろ側にある壁へと向かった。
そこには地下へと繋がる伝声管が設置されており、呼び鈴を鳴らしてから音声を伝える。
魔法を用いた通信装置もあるにはあるのだが、技術的にはまだまだ希少で、あっても魔石式ではないので特魔課には使えない。
「……ありゃ、反応ないですね。集中してるかな?」
「む、そうか……」
どうやら急ぎの用事らしい。
そのままレチシアが地下に向かいそうな気配だったので、エリンは自ら手を挙げた。
「そしたら、私が呼んできますよ」
「そうか? 助かる。人を待たせていてね。3階の第1応接室で待っていると伝えてくれないか」
「わかりました」
イクサンやアロナとの出会いを通して、魔道具に触れることが増えたエリン。折角の機会なので、リセツのやる魔道具の『修理』というものを見に行こうと思ったのだ。
魔法を使えないリセツがどうやっているのかも気になるし。
そのまま、エリンは地下へと向かう。
地下といいつつ、魔法ギルドの地下は室内ではない。
正確には石造りの地下空間が広がっており、そこに間仕切りや調度品などを設けて部屋として利用しているのだ。
試射を行う際に建物に火が燃え広がったりなどしないための措置らしいが、エリンからしたら元は別の用途で――それこそ埋もれていた遺跡の上にギルドを建てた様にしか思えない。
地下にはエリンたちが魔法の
大型の資材や音の大きな道具類を扱うために地下に置かれているのだが、リセツはここに呼ばれて修理を行っているようだ。
「失礼しまーす」
「おや、エリンさん。いらっしゃい」
地下内に建てられた小屋を覗くと、犬獣人のヌンボルトさんが笑みを浮かべて手を振ってくれる。この技術部の長であり、いつものほほんとした雰囲気を漂わせる好々爺である。
そんな彼だが長い焦げ茶色の毛並みに覆われたもふもふとした外見からは想像もつかない程に手先が器用で、暖房器具から職員の眼鏡までなんでも修理してくれる達人技師なのだ。
「リセツ課長はいますか?」
「ああ、それなら向こうの倉庫で作業をしているよ。何か御用かな」
「はい。急ぎの来客で、ギルド長がお呼びでして」
「そりゃ大変だ。修理はこちらで引き継ぐから、連れていくといい」
「ありがとうございます」
お礼を言って小屋を出ると、そのまま奥に広がる空間――倉庫へと向かう。
そこには資材や修理途中の魔道具などが置かれており、その一角に探していたリセツがいた。
「――――」
彼はエリンの胴体くらいの大きさをした箱型の装置の向こう側にしゃがみこんで作業をしている様だった。
あれはギルド証の刻印装置だろうか。最近1つ故障したとソフィアが嘆いていた筈だ。
「リセツ課長!」
「――あん? エリンか、どうした」
声をかけるが、作業に集中している彼は視線をこちらに向けずに応えた。
「レチシアギルド長がお呼びです。来客が来ているそうです」
「なに? あと少しなんだよ、待っててもらえ」
「急ぎの用みたいですよ。修理はヌンボルトさんが引き継ぐと言っていました」
「……ちっ、仕方ねえか」
そこまで言ってようやく諦めて腰を上げると、リセツはこちらへと歩いてきた。
「場所は?」
「3階の第1応接室です」
「そうか。ありがとな」
小走りで戻っていくリセツを笑みを浮かべて見送ってから、エリンは満を持して、修理中だという魔道具の方へと向かう。
さあ、一体どうやって修理をしているのか――。
「あれ?」
近づいて見れば、それはやはり魔法使いや魔道具師の身分を保証するギルド証の刻印をするための魔道具であった。
背面の一ヶ所が取り外され、中の機構が覗いている。そこには当然魔法陣の刻印があるのだが……。
「……道具がない?」
たった今まで作業をしていた筈だが、あるのは修理対象の魔道具だけ。修理に使うはずの道具がどこにも置かれてはいなかった。
通り過ぎていったリセツはいつもの手袋姿で、特に何か持ってはいなかったが……。
「まだ修理前だったのかな? でも、もうすぐ終わるって……あれ?」
疑問符を浮かべつつも、要件は済んだのだからとエリンも業務に戻っていった。
その、少し後。
課の部屋へと戻ってきたリセツが、皆を集めて言い放った。
「お前ら、出動だ。遺跡に調査に行くぞ」
「……へ?」
また新たな何かが始まるのだと、エリンは眼を瞬かせるのだった。