学院の卒業式から10数日後。
エリンは大陸中央に位置する中立国ハーヴェスの大都市、テティアに辿り着いた。
「――エリンちゃん、着いたよ!」
同行していた御者のおじさんに声を掛けられ、エリンは顔を上げる。
街の賑やかさに驚いてあちこち見て回っているうちに、目的地に着いていたらしい。
馬車の向こう側に立つ建造物を指差して、人懐こい笑みを浮かべた犬獣人のおじさんが教えてくれる。
「あれがお目当ての魔法ギルド支部さ。どうだ、でっけえだろう」
「わあ、本当ですね……あっ、すみません、わざわざ案内してくれて、ありがとうございました」
「何言ってんだ! 助けてもらったのはこっちだよ。じゃ、元気でな! 落ち着いたら店来てくれよ? たっぷりお礼させてくれ」
「はい、ありがとうございました!」
手を上げて去っていく、行商人だというおじさんにお辞儀をしてから、エリンは背後へと振り返った。
「……来てしまった」
学院長に渡された紙を片手に、エリンは目の前の建物を見上げる。
大陸各地の文化が交わるハーヴェスでも特有の、色鮮やかな煉瓦造りのこの建物がエリンの新たな職場となる魔法ギルド・テティア支部である。
羽を広げた蝶に例えられるこの世界の大陸。
その右羽のつけ根――中央部の東側に位置する都市テティアは、
南東部一帯を治める南東通商連合と、北東の小国群を繋ぐ大動脈の中間地点に位置するこの大都市は、年中人が行き交う交易地点として有名だ。
こうして見上げている今も、後ろでは荷をたっぷり積んだ馬車が何台も行き来している。
「流石は自由都市テティアのギルド支部だなぁ。……ここで働くんだ、私」
魔法が使えない自分が、魔法ギルドで働くことになるとは。
無理矢理言い渡された課題であり仕事だけれど。こうして眼の前に立って、ようやく実感が湧いてくる。
『奥』に合格するのが早いか、クビになるのが早いか。エリンにとっては勝負が始まるのである。
などと、意気込んでいたら結構な時間が経っていたようだ。
「――そこのでっけえ鞄の姉ちゃん、邪魔だよ! どいてくれ!」
「あっ、すみません」
「悪いね!」
入口へと駆け込んできた男性を慌てて避けて通す。
このギルドは都市の中心部、街を十字に結ぶ大通りに面している。
それ故に来客も多いのだろう。さっきから人の出入りが随分と激しい。
そんな中に立つエリンの出で立ちは、自身よりも大きい背嚢を背負った姿。こんなところに突っ立っていたら邪魔でしかないだろう。
「……入ろう」
時刻は夕方。窓口が閉まる頃に来いと言われていたが、まだその気配はない。
予定より少し早い時間に来てしまったようだが、仕方ない。
諦めのため息を吐いて、エリンはギルド内へ足を踏み出した。
取っ手のないスイングドアを開いて中へと入ると、思っていたよりも開けた空間が現れる。
2階まで吹き抜けのロビーには、横並びのカウンターがずらっと設置され、硝子で仕切られた各窓口にて書類やら物品やらを広げながら話をしている声が響く。
その手前にはベンチが並べられ、順番待ちだろう木札を持った客が何人も座っていた。
先ほど飛び込んでいった男性も無事にカウンター前に設置された木札を確保できたようで、ゆっくりとベンチに戻っているところであった。
「うわ、すごい人……」
ここは一般客用の依頼窓口だろう。
魔法に関する様々な相談事――仕事に必要な魔法の登録申請や、ギルド所属の魔法使いの派遣依頼、壊れた魔道具の修理依頼など、魔法のことならまずは魔法ギルドに行くのが当たり前となっている。
魔獣退治や護衛依頼は冒険者ギルド。
交易や商いに関しては流通ギルドと、この国では大抵の物事はギルドを経由して解決される。
今や世界各地に点在し人々の生活を支える各種ギルド。その発祥の地であるハーヴェスでは、人々の生活とギルドは切っても切れない関係にあるのだ。
その国で二番目の都市のギルドともなれば、この賑わいも納得である。
「ここで働くのかあ……大変そうだ」
だが、エリンとしてはむしろやる気が出てきた。
学院の生徒は数多の魔法に触れるが、その生活は学園内で完結していた。
魔法ぐる……魔法好きばかりの学院は良くも悪くも特殊な環境であり、このような市井で、生活に息づく魔法たちに触れることは滅多になかったのだ。
「なるほど、魔法が人々の生活にどのように使われているのかを現場で知ってこい、って課題なのね」
いきなり働けと言われた時はどうなるのかと思ったけど、ちゃんと自分のことを考えてくれていたんですね、学院長……!!
「……はっ、いけないけない。さっさと行かないと」
1人感激していたエリンだったが、我に返って首を横に振る。
こうやって1人で脳内会話をしているから、「お前はおかしな挙動をしている」とか「幽霊とか見える人?」なんて言われるのだ。
何より今のエリンは入口付近を塞ぐ邪魔な物体である。さっさと要件を済まそう。
並ぶ窓口の手前、太い柱をくり貫いたようにして作られた小さな窓口へとエリンは視線を向けた。
丁度この玄関ホールの中心辺りに位置しているそれは、初めてここに来た客用の案内窓口だろう。
間もなく窓口の閉じる時刻のためか、そこに待機しているお姉さんは暇そうだ。
どすどすとエリンが近づくと、見惚れてしまいそうな綺麗な笑顔でお辞儀をしてくれた。
胸につけられたプレートには『ソフィア』と書かれている。ソフィアさんか。この名前だと恐らくこのハーヴェス出身の人だろう。
「――本日はどのようなご用件でしょうか?」
「あのですね、私、こういう者でして……」
ちょっと握りつぶしてくしゃくしゃになっていた採用通知書をさっと伸ばしてから、ソフィアに手渡した。
「ええと、これは……あら」
手紙を受け取り眺めていたソフィアさんの目が、ほんの僅かにぎょっと見開かれたのをエリンは見逃さなかった。
しかも明らかに『特認魔術課』と書かれた辺りで。
「あの、何か……?」
「ああ、いえ、なんでもありません」
だが直ぐに笑みに切り替えて、ソフィアさんは顔を上げた。
「新人さんだったんですね。しかもユラリア魔法学院の卒業生の方。ようこそ、テティア支部へ」
……物凄く気になる反応をされたけど、眩しい営業スマイルを前にもう一度訊ねる勇気はエリンにはなかった。
大人しく用件を喋ることにしよう。
「ありがとうございます。それで、今日ここに来るようにと言われているんですが」
「はい。ギルド長がお待ちですよ。案内しますね。どうぞこちらへ」
「あっ、ありがとうございます……?」
ソフィアが窓口から出てきたが、受付はいいのだろうか。
……まあ、暇そうだったし良いのかな、と納得してから付いていく。
そのまま入口近くの大階段を上る――のではなく、並ぶ窓口の端から執務スペースへと繋がるスイングドアを通り抜ける。
「ギルド長のいる4階へは、奥からじゃないと行けないんですよ」
「なるほど。従業員用と来客用で区画を分けてるんですね」
「そうなの。来客区画では走ったり立ち話はしないようにしてくださいね」
「はい。気を付けます……!!」
学院でも教員しか入れない場所が数多くあった。
そのせいで通路や階段が迷宮化し、毎年遭難者が出るのもユラリアのお約束である。
エリンも何度か新入生救出任務を頼まれ、小銭稼ぎをしたものだ。
窓口の向こう側では多くの従業員が持ち込まれた書類や物品を取り扱っている。
働いているのは人間と獣人が半々くらい。獣人たちもぱっと見でも様々な種がいるようだ。流石は人の交わる地ハーヴェス。恐らく住民の多様さでは世界一だろう。
通り過ぎる人々に会釈をしながら執務スペースを通り抜けて、4階へと上がっていく。
先程まで見なかった慌ただしく通り過ぎていく従業員とすれ違いながら、最上階のギルド長室までたどり着いた。
「ギルド長。ソフィアです。新人のエリンさんをお連れしました」
「――ああ、入ってくれ」
部屋から聞こえてきたのは、凛とした女性の声。
てっきり学院長のような髭もじゃお爺さんを思い浮かべていたので驚いていたら、扉を開いたソフィアがどうぞ?と笑顔で促してきたので、恐る恐る中へと入っていった。
「……失礼します」
「おお! 君がエリン君か! よく来てくれた!」
ギルドの長のものにしては随分と手狭な部屋に見えた。
調度品は壁に並ぶ書棚と真鍮の装飾が美しい執務机が1つだけ。
必要最低限の物しか不要、という意思がはっきりと伝わるその部屋の奥。
執務机にいた銀髪の女性が勢いよく立ち上がると、こちらへと近づいてきた。
「きちんと時間通りだな。流石、優秀だ。私はこのギルドの長である、レチシアだ。これからよろしく頼むよ」
規則正しい足音に、スラっと伸びた背筋。そしてこちらを見つめる視線の鋭さ。
どれをとってもわかる。……この人、絶対に強い。
どこかの軍属か冒険者だったのだろう。その証か、右目には額から頬へと斜めに入った立派な古傷がある。
顎回りでばっさりと切りそろえられた短めの髪も、手入れの手間を嫌った長さに見える。
色素の薄い銀の瞳を笑みで隠して、新たな上司となるギルド長はエリンの肩に左手を置いた。
その力強さに、エリンは若干――いやかなり気圧されていた。
「は、はい、よろしくお願いします」
「ふむ? 大丈夫か? 元気がないようだが……」
「エリンさんはユラリアからいらしたのでしょう? 長旅だったのでは?」
「おお、確かにそうだったな。気が付かず悪かったな」
「あ、いえ。それくらい大したことでは……」
本当はビビッていただけだが、ソフィアさんのお陰で助かった。
だって
さっきまで戦場にいたんですか?と思うくらいに。
なんでこんな人が魔法ギルドの長をしているんだろう。南西の騎士国家連邦の騎士団長と言われた方がよっぽど信じられる。
とりあえず必死の笑みで誤魔化していると、レチシアがちらとエリンの背へと目を向ける。
「しかし、随分と大荷物だな? まさかそれを背負って移動してきたのか?」
「あはは……お金がなかったもので。徒歩で来ました」
実家が太い他の学生たちと違い、身一つで乗り込んでいたエリンは学費を払うために常に素寒貧であった。
マイラや学院長のお恵みがなければ人らしい生活は送れていなかっただろう。
今回も道中で困っていた行商人にたまたま出会って、護衛の代わりに食事などをもらってここまで来たエリンであった。
「徒歩……? ユラリアからここまで馬車でも10日はかかりますが……」
「ふはっ、流石はユラリアの卒業生だな。面白い!」
「あ、いえ、冗談ではなくて……」
「ではさっさと用を済ませて休まないとな。宿についてはもう聞いてるかな?」
「……はい。ギルドが用意してくれると聞いています」
レチシアギルド長はマイラと同じ、こちらを無視して話を続けるタイプの様だ。
こういった相手は6年間で慣れている。
無理してこちらの意見を言わず、向こうの好きに喋らせるのが得策であると、エリンは即座に切り替えた。
それが功を奏し、レチシアは満足気に頷く。
「要件が済んだらソフィアに言ってくれ。鍵と地図を渡そう」
「既に学院から届いていた荷物は運び込んでありますよ」
「……? 荷物、ですか?」
「はい。家具や日用品が届いてますよ」
そんなものを送った覚えはないのだけれど、と首を傾げる。
「心当たりはないか? なら、あの爺の餞別だろう。気にせず受け取るといい」
「学院長が……」
「代わりに落ち着いたら手紙を送ってやれ。あれで案外寂しがり屋なのだよ」
「……はい。ありがとうございます」
しばらく室内で寝袋生活を覚悟していたから、とっても助かる贈り物だ。
ありがとう、学院長。この課題を渡されたときはその髭全てを引っこ抜いてやろうと思ったが、止めておいてよかった、とエリンは心の中で感謝の礼を捧げたのだった。
「――さて、それでは本題に入ろうか」
ぱん、と手を打ってから、レチシアが告げる。
いよいよ本題だ。気を引き締めてかからねばと気合いを入れる。
「既に申し伝えている通り、君には明日から特認魔術課で働いてもらう」
「はい、承知しています」
「うむ、よろしく頼むよ。……時にエリン君。君は、特認魔術についてどれだけ知ってる?」
「あ、はい。それなんですが――」
エリンは卒業式の日に聞いた、友人からの言葉を思い出す。
エリン自身は全く知らなかったのだが、実家が魔道具工房であり、自身も工房に就職するマイラはよく知っていた。
『――特認魔術ってのはね、新発見の魔術の中で国がお墨付きを与えたものの事さ』
魔法には呪文を唱えて放つ詠唱魔法と、声でなく式――魔法陣を通して放つ陣式魔法の2つが存在している。
それぞれに利点と欠点を持つこの二大系統は競い合いながら研鑽と研究が続けられ、長い時をかけて基本とされる理論が既に固められつつある。
例えば学院の教本に載る初級魔法のラインナップは、もう数十年変わっていないと聞く。
それ故に、新魔法などの基礎研究は、極一部の――それこそ『奥』の魔法使いたち位しか行ってはいない。
代わりに、この2つの魔法を様々に組み合わせて複雑な現象を起こす魔術については、あらゆる魔法使いや学者によって日夜研究や開発が行われている。
例えば火属性魔法でいえば、球体の炎を飛ばす魔法である【火球】は遥か昔から使われ、揺るがぬ基礎魔法としての地位を確立している。
その詠唱はごく簡単。
『火よ 回り 飛べ』
この3単語だけだ。属性定義に、形状操作、動作指定――そこに改良の余地はない。
だがその【火球】を一度に大量行使する魔術《火球雨》や、風魔法を仕込んで放ってから一定時間後に爆発させる《火爆球》などの魔術に関しては、まだこれと定まった呪文は存在しない。単語の順番や選定など、無数の発展の可能性が存在しているのだ。
大陸全土で考えると日夜生み出される発明の数はあまりにも多く、その全てをいちいち理解するなんて出来るはずもない。あまつさえ普及させることは不可能だ。
そこで役に立つのが特認制度というわけである。
各地で編み出された新たな呪文や式――発明を国家機関に集約し、その中でも特別優れた極一部の魔術が『特認魔術』としてお墨付きを得て公表されるのだ。
研究者ではない冒険者や魔法使いたちは、この特認魔術を基準として覚え使用していくことになる。
特認として認められた魔術はそれこそ世界中に広められ、発明者は歴史に名を残すことになる。
魔法使いや学者ら発明者にとっては、最高峰の名誉といえるだろうし、新たな特認魔術――例えばより少ない魔力で発動できる同出力の大魔術なんてものが見つかれば、世界中がその恩恵に与れるのだ。
それはマイラ達が作る魔道具にも同じことがいえる。
魔道具とは魔法や魔術が込められた道具のこと。込められる魔術だけでなく、そのエネルギーを利用して稼働する機構も発明の対象となる。
彼女たちは新商品をつくっても、その国に認可されなければ、国外などへの大量生産を許されない場合があるのだという。
逆を言えば認可を受ければ、国の支援を受けて商売が行える。
彼女たち技術者にとっても重要なもののようだ。
『――特認魔術課ってのは、恐らく魔法ギルド内でその認可を行っている所だろうさ。だから必要なのは魔法の技術じゃなくて、あらゆる魔法に対する知識。アンタにはピッタリの職場じゃないか?』
なるほど、それはエリン向きの職場だ。
市井の魔法事情を知るだけでなく、未発見の新魔術を最前線で学び、何なら開発に関わることができるのだ。
学院内のあらゆる魔法書を読み耽っていたエリンにとっては最適の職場と言えるかもしれない。
ありがとう、学院長。あなたは学生想いの立派な教導者だと、エリンは涙を流して喜んだものである。
……とまあ、回想はここまでにして。
「――と、私が知っているのはここまでです」
マイラから教わった知識をレチシアに話すと、彼女は実に満足そうに頷いた。
「うん。素晴らしい回答だ。流石はユラリアの卒業生だな。あの爺も稀有な人材を寄越してくれたものだ。なあソフィア」
「ええと、そう、ですね……」
「ありがとうございます……!!」
なんとギルド長のお墨付きも貰えた。これは、マイラの言っていた通りで間違いなさそうだ。
ああ、楽しみだ。これから先、一体どんな魔術が待っているのか――。
「……ただ」
「……? ただ?」
不穏な言葉に首を傾げると、レチシアは笑みを浮かべて腕を組んだ。
何だろうか。隣のソフィアさんも含めて、視線がやや生温い気が……。
「君のその知識は、少し偏っている様だ。今話してくれたのは、あくまで王都の特認魔術機関のものだな」
「……というと?」
「唯のいち魔法ギルドでは、そんな重要なことはしないんだよ」
「……はい?」
「まあ、見た方が早いな。付いてこい」
そう言って、レチシアは颯爽と部屋を出て行ってしまった。
残ったのはエリンと、困ったように微笑むソフィアさんだけ。
「えーっと……とりあえず、行きましょうか」
「……ええ?」
これはひょっとして、ひょっとするのだろうか。
手紙に書ける呪詛って何があったっけと、エリンは記憶を掘り起こし始めるのだった。