レチシアとソフィアに連れられ、そのまま一つ下の階に向かった。
このギルドは大通りの交差点の角に存在しているために、道に沿って直角に折れ曲がった構造をしている。
道に面する方の壁には来客応対を行う各種執務室へ通じる扉が並び、反対側には休憩室や資料室といった職員用の部屋が割り当てられているようだった。
前を行く2人は廊下を奥へ奥へと進んでいき――遂には建物の西端へと到達した。
道側でも反対側でもなく、廊下の突き当りに取り付けられた質素な扉の上には、黒地に白文字で『特認魔術課』と書かれている。
「ここだ。今日からここが君の職場となる、本ギルドの特認魔術課だ。――入るぞ」
そう言うと、レチシアは躊躇なく扉を開けた。
仕事中では?という疑問も挟む余地なくあっさりと中へと入っていってしまった。
「こちら側は従業員用の出入り口ですから大丈夫ですよ。さ、どうぞ」
「あっ、はい」
背嚢を入口の外に置いてから、エリンも続いて中へと入った。
部屋に入って真っ先に見えたのは、壁一面の書棚と、その手前の机で作業をしている赤髪の女性の後ろ姿。
レチシアはその女性へと近づいていくと、声をかけた。
「アズール」
「おや、ギルド長。どうしたんで?」
「昨日話しただろう。例の新人を連れてきた。リセツは?」
「おおー、噂の! 課長は地下だよ。さっき急ぎの修理依頼が来ちゃったから、作業中じゃないかな?」
「ちっ、間の悪い……仕方ない、地下に連絡を頼む」
「はいはーい」
「……ここが、私の職場……」
入ってすぐの所で立ち尽くしたまま、エリンは部屋を見回していた。
部屋は左手側に広がる長方形をしており、うち半分が来客用の窓口となっているようだ。
窓口は2つ。
どちらも埋まっているらしく、やけに大きな背中の獣人男性と、スラっとした青髪の女性が来客の対応をしているところであった。
そして反対の右側――つまり部屋の一番奥には、ギルド長の使っていたものと同じ執務机が置かれていた。
今は空席のようだが、不在という課長の机なのだろう。
なんてことを観察していたら、レチシアがこちらへ手招きをしていた。
「エリン君、こちらへ」
「――はい!」
窓口よりこちら側、執務机と窓口の間には向かい合わせの机が2対置かれており、その一番手前に、先程からギルド長と話している赤髪の女性が座っていた。
「課長のリセツが不在のようでね。先に他の面々を紹介しよう。まずは彼女から。君の同僚となるアズールだ」
「よろしくー!」
元気よくそう言ったのは、アズールと呼ばれた人間の少女。
びしっと手を上げて挨拶する様子は元気いっぱいという感じで、言動から陽気さが溢れている。
癖毛なのか、もこもこの赤い長髪から覗くのは金の粉を散らした様な、透き通るように美しい紫色の瞳。
興味深そうにこちらをじっと覗き込むその瞳が、ほんの一瞬光って見えた。
「……?」
「ん? どしたの?」
「あっ、すみません。……エリンです。よろしくお願いします」
「うんうん、よろしく! いやー、やっとウチにも後輩ができるよー。来てくれて良かった!」
そう言って笑う彼女の机には大量の書類が積まれていた。
ちらと見た限りでは何かしらの魔法陣のようだ。
なんだなんだ。新魔術の審査は国家機関の仕事なんて言っていたが、ちゃんとあるじゃないか、とエリンの期待が再び膨らむ。
申請された新しい魔法式だろうか。気になる……と、視線がちらちらと動く。
その様子に苦笑いを浮かべながら、レチシアが口を開く。
「アズールは若いが優秀な査定官でね、いずれ君には彼女のサポートをお願いすることになるだろう」
査定官。マイラ曰く持ち込まれた新発明や…新呪文が
故に特認魔術課でも最も魔法や魔術に造詣が深い人が行う役職だ。
エリンと然程変わらない歳の様に見えるが、かなり優秀な人らしい。
「ふふふ、色々と手伝ってもらうよー」
「はい!」
「お、急に元気になった。流石学院の卒業生。魔法好きだねー」
「それは、もう……!!」
「いいねいいね。ならきっと、ここは気に入ると思うよ?」
そう言ってアズールはにっこりと人好きのしそうな笑みを浮かべた。
それを見て良かった、とエリンは安堵する。陽気な言動にびびっていたが、彼女は自分と同じ魔法好きの同士のようだ。
学院におけるエリンの交流手段は、基本的に魔法談義一本だった。それ故に友達が少なかったのだが、アズールとなら色々と話ができそうだ。
ちょっと怖いが話の早い
仕事内容以外で一番不安だった人間関係も、問題なさそうで一安心である。
……肝心の、一番大事な仕事内容が問題なのだけれど。
「特認魔術課は君の他に4名在籍している。不在の課長と、後はそこの2人。ランドルフとタナウだ」
そう言ってレチシアは窓口の応対をしている2人を指さした。
4人か、机の数からそうだとは思っていたが、一階の来客数を見た後だと随分と少なく思える。
そう思って窓口の方を見てみると、来客は応対中の2名だけ。
もうすぐ閉まる時間だからかな? なんて考えているエリンの耳に、今まで気にしていなった窓口の声が聞こえてくるのだが――。
「ですから、この呪文の申請は受け取れないんですよ。オットーさん」
「なんでじゃ! この儂の超遅滞呪文の素晴らしさが何故わからん!」
……うわ、何やら揉めてる?
向かって左側の窓口。おっきな身体を無理矢理シャツに押し込んだ様な大柄の獣人男性――ランドルフが応対しているのは、ローブ姿の白髪の人間男性。
どことなく感じる気品と、それ以上に香る面倒臭さを併せ持つそのご老人は、唾を飛ばしながら窓口の机を叩いて叫んでいる。
「あれ、常連のおじいちゃん。昔宮廷魔術師だったんだって。いつもああして、自作の呪文詠唱を持ってくるんだ」
「へえ、そうなんですね」
こそっとアズールが教えてくれる。
なるほど、魔法使いの方だったのか。服やお髭がやけに綺麗なのも、それなりの地位にいた証だろう。
引退した宮廷魔術師がまだ研鑽を続け、魔術の新呪文を編み出し続けてはこの課に持ち込んでいるのか。それは凄い。一体どんな呪文を――。
そう思って耳を傾けてみると。
「よいか、もう一度言うぞ。この儂が編み出した素晴らしい詠唱を」
「いえ、もうそれは聞きましたから……」
「いいから聞かんか!」
ごほん、と盛大な咳ばらいをしてから、そのご老人は机に広げていたらしい紙を手に取ると、目の前に広げて読み上げ始めた。
『――それは、30年ぶりに出会った友と向かったかつての仲間の墓参りの夜。随分と久しぶりで着けるのに手間取った篝火で、我等は夜通し語り合った。朝方、僅かに燃え残った火は、風を受けて小さく、目の前で頼りなさげに揺らめいている。だが、薄暗い視界を、確かに照らすのだ』
「……」
「……え?」
たっぷりと時間を使って、ご老人は謎の
静寂が室内を包み込む。……《静音》の魔術じゃないよね?
「――どうじゃ!?」
「ですから、何度読まれてもこの呪文は受け取れないんですって!」
「何故じゃ、完璧に発動するんじゃぞ!?」
「ええ、発動はしますよ。最低級の【灯】の魔法がね!?」
「……【灯】?」
――灯の魔法。それは魔術教本の一番最初に出てくる、基礎中の基礎の魔法。
その効果は至極単純。指先程の大きさの火を灯すだけ。
蝋燭の火と全く変わらない。寧ろその蝋燭をつけること位にしか使われない、最低級の魔法と言える。
その詠唱に必要な魔法は、僅か2単語。現状、世界で最も短い詠唱文としても知られている。
教材に載っていたのは――。
『火よ 留まれ』
――僅かこれだけ。
あんな長ったらしい詩を歌う必要なんてどこにもないし、今の時代に【灯】に改良を加えたところで何の意味もない。
つまりはあの元宮廷魔術師という老人は、全くの
「……なんですか、あれ」
「超遅滞魔法だって。あのおじいちゃんのオリジナル魔法だよ。……まあ、単純にとにかく長い呪文を持ってきてるだけなんだけど」
「……それに、何の意味が?」
「さあ? だから毎回否決してるんだけど、諦めなくてねー」
「……」
なるほど、常連というのは悪い意味の方だったらしい。
そもそもの話、魔法には本来詠唱も魔法陣も不要である。
発動に必要なのは、起こす現象のイメージを正確に思い描くこと。それができれば詠唱せずとも魔法は使えるのだ。
ただ、人の頭は忙しない。火を灯すという想像をしようとしても、聞こえてくる周囲の音に対する反応や、後でやらなきゃいけない作業への思考、さっき聞いて脳内で鳴り続ける言葉や音楽やらが無数に混在している。
それらが混ざって少しでもイメージが崩れれば、魔法は決して発動しない。
だから人は呪文詠唱などの作業を敢えて行うことで、イメージの刷り込みをしているのだ。
それ故に、魔法の呪文には広く知られ定着したイメージが必要だし、雑念なく唱えられるわかりやすさも必須になる。
お爺さんの唱えた詩は、そのどちらでもない。
というか、覚えられるかあんなもの。
……ま、まあ発明といったものにそういった人がいるのは仕方のないことだろう。
そう納得して、エリンはもう片方の窓口に目を向ける。
右の窓口。タナウと呼ばれた青髪の女性の方は、対面するお客さんも女性のようだった。
恰幅の良いお客の女性は何故かエプロン姿で、その前掛けも絵の具か何かの色がついている。
こちらは騒ぐことなく、提出された書類をタナウがじっくりと調べているようだった。
10枚近い紙束を一つ一つ眺めていた彼女が顔を上げ、とん、と机で叩いて整える。
「……どうかしら?」
「……ふむ、そうですね」
穏やかだけど力強さを感じる声で呟いて、タナウは手にしていた紙全てを女性へと突き出した。
「全て否決です。速やかにお持ち帰りください」
「ええー、またー!?」
「またです。というよりも、
「でもでも、最初は動いたのよー?」
いやんいやんと身体を振る女性に、タナウは「無理だ」と冷徹に言い放つ。
お客さん相手にいいのか?とは思うが、相手の方も何も気にしていないし、周りも特に反応しないので、きっといつも通りの事なのだろう。
「エリンちゃん、ほらこれ」
一緒になってその光景を眺めていたアズールが、机に置いていた紙を1枚手にとって渡してくれた。
「……? これは?」
「あの人が持ってきた魔法陣、これね」
そう言って手渡された紙を広げてみると、なんか、絵が描いてあった。
「……んん?」
なにかの間違いかと、じっくり見てみる。
魔法陣ではない。絵だ。
本来、魔法陣は円環の中に様々な文字や記号を描いて作り上げる。
それらは詠唱魔法の各単語の代わりとなり、より詳細に、細かく条件を指定することができる。
そのため如何に円内に精密に、簡潔に紋様を刻めるのが重要になってくるのだが――今手渡されたものは、そもそも円ですらなかった。
「……猫ですか? これ」
「そうだねー。飼ってる猫ちゃんの顔なんだって」
正円を崩した、角のない四角形みたいな輪郭に髭やら耳やらを追加して、ご丁寧に絵の具で模様まで塗られた猫の顔が書かれている。
独特の絵柄だが、味があって可愛いとは思う。
だが、どう頑張っても魔法陣には見えない。
「……これを持ってきたんですか?」
「そうだよ。いつもこんな感じ」
「……どうして?」
一体何がどうなったら、魔術課に自作の絵を持ち込むようになるのか。
全く持ってわからない。
「あの人、ポピアさんっていうんだけど、南西地区で料理屋を営んでるの」
「はあ」
安くて美味しくて評判なんだよ?と教えてくれるが、それなら尚更ここにいる理由がわからない。
「でね、それとは別に、趣味で油絵をやってるみたいでさ、前に絵を描いたら……魔法が発動しちゃったんだって」
「ええ……?」
たまたま描いた絵に魔法陣の要件を満たす部分があって、発動してしまったということだろうか。
だとしたらとんでもない確率だが……。
「それ以来、私の絵には魔法が宿ってる!ってここに持ち込んでくるのよ。何か新しい大発明になるんじゃないか!って。ウチが見た限り、1個も発動しなかったけどねー」
「な、なるほど……」
つまり右側のポピアさんは定期的に自分の絵を持ち込んでくる素敵なおば様ということだ。
「……理解したかな? これが、我がギルドの特認魔術課の日常業務だよ」
「……」
つい先ほど、レチシアに言われたことを思い出す。
『――君のその知識は、少し偏っている様だ。今話してくれたのは、あくまで王都の特認魔術機関のものだな』
――と。つまりは、だ。
世界各地に広まり、歴史に名を遺すような新魔法を査定・認可したり。
そこには至らなくても革新的な魔法や魔法具のアイデアと触れ合い知見を広げたり――。
それらはすべて、ここではあり得ないのだと、エリンはようやく悟るのだった。