私が魔法に出会い、心惹かれるようになったのはまだ物心ついたばかりの頃だった。
出会いは多分、この世界ではありきたりなきっかけ――命の危機を救われたのだ。
私の家は狩人の家系で、山間の小さな集落に身を寄せて狩りをしながら暮らしていた。
村で唯一の狩人だった父は、たった1人で魔獣と渡り合って皆を護る英雄であり、私の憧れだった。
「いい? カリン。今日は弓の特訓をしてくるから家で大人しくしてるのよ?」
「はーい。……お姉ちゃんも、お父さんも、狩りばっかりでつまんなーい」
「なに言ってるの。あなたは外に出たがらないだけでしょ」
「だって疲れるんだもーん。……いってらっしゃい」
そんな父に早く追いつこうと、私はようやく入ることを許された山の浅い部分で日々特訓をしていた。
特訓なんていっても、今思えば子供のお遊びだったけれど、それでも当時の私は真剣で、なにより未熟だった。
――だから、その魔獣の接近には全く気づかなかった。
「……あれ? 村が、燃えてる?」
大人より小さい体躯ながら太く硬く発達した腕を持ち、まともに殴られれば骨を折られて即死する危険がある。
1体でも危険な『奴ら』は山奥に群れをつくり、時折集団で人の集落を襲いに来る。
しかも狡賢い『奴ら』は狩りに出ていた父の不在を狙い、逆方向から数十体の群れでやってきた。
集落の危機。何より命の危機だった。
そこを救ってくれたのが、旅の魔法使いであった。
風のように舞い降りたその人は、あっという間に魔法で私を、集落を救い――たっぷり報酬をせびって帰っていった。
「お父さん、カリンは……」
「わからない。眠ったまま目を覚まさないんだ。医者も、原因不明だと」
家にいたために腕鬼に襲われた妹は、眠ったまま目を覚まさなかった。
息はしているが、起きることもない。
そして、全身が淡く光を帯びるという、不思議な奇病にかかってしまったのだ。
「もう、目を覚まさないの……?」
「……わからない。ただ、死なせはしない」
「うん……」
集落を救った魔法使いのおかげで、集落は困窮し、妹が罹った奇病の治療費は払えなくなった。
そう、よくある話だ。
まだ幼い
私が魔法学院に興味を持ったのは、それからだ。
魔法は稼げる。狩りなんかよりもずっと。
お金があれば、私が凄腕の魔法使いになれば、妹を治すことができるかもしれない。
何より狩りのし過ぎでどんどん
父には悪いが、ああはなりたくない。
「……行ってきます。お父さん、カリン」
私は父の許しを得て、魔法学院の入学を目指して家を出た。
コネもお金もない私にできるのは、文句のつけようがないくらい優秀な成績を叩きだすことだけ。
父に教わった狩りの技で日銭を稼いで、図書館に通ってひたすら知識を貪った。
そして、私はそれを成し遂げ、魔法学院への入学を果たす。まさか、自分が魔法が使えない体質だとは思わなかったけど。
でも、その過程で私は知ったのだ。
魔法を使うことができれば、『奥』に入ることができれば、眠り続ける妹を助けることができるかもしれない、と。
だから、私は絶対に『奥』に入らなければいけないのだ。
父や妹を、私の魔法で救うために。
***
特認魔術課との衝撃的な出会いから2日が経った。
エリンはあれから、リセツの言葉通り午前はランドルフとの窓口業務、午後はアズールと査定業務を行っていたのだが――。
「じゃからこの超遅滞呪文の価値が何故わからぬ!」
「ですから、たった3語で済む呪文をこの……とんでもない長文で読んだところで何とするのですか!」
まずは窓口業務。
翌日にもあの長文詩お爺さんはやってきて、ランドルフと1時間にわたる激闘が繰り広げられた。
どうやら本当に毎日のようにやってきてはこうして口論を繰り広げているらしい。
勿論、近くの工房等からの申請や、遺跡や魔獣の巣で見つけてきた魔道具の調査依頼などの通常業務もそれなりに持ち込まれるが、悲しいかな、そういった申請はあっという間に終わってしまう。
受け取って書類の不備を確認するだけだしね。
結果、時間をかけてごねる常連さんが窓口を独占することになる。
「あの、これどうしてこんなに長い呪文で【灯】が発動するんです? ここまで長いと別の魔法が発動しそうですけど」
「ちょっと、エリンさん……」
「おお、嬢ちゃん聞いてくれるか! これは詠唱に必要な単語の認識を如何に変じられるかの実験よ!」
「ほう、実験ですか」
「そうじゃ。詠唱呪文は術者らの共通認識によって意味を成す。ただ一言『火』といえば小さな、『猛火』といえば巨大な火を生み出す。そこは分かるな?」
「そうですね」
詠唱時に火を何と呼ぶかで、火属性魔法は階級が変わる。何故そうなのかといえば、そうと決まっていたからとしか言えないのだが、術者のイメージを固定するためといわれれば確かに一理あるのだろう。
同じ火力を生み出したいのに、『手のひらくらいの大きさの火』とか『小さい火』とかいちいち呼び方が変わったらかえって混乱してしまう。
「故に【灯】の魔法ならば『火よ』で発動するが、この文言をもっと長く、細かく指定してやれば魔法はもっと自在に、多彩に操れるようになるのではと思っての」
「なるほど……。ではこの『――それは、30年ぶりに……』ええと、長いので飛ばして、この『――僅かに燃え残った火』までが『火よ』の代わりという事ですか」
昨日オットー老が申請したあの詩で【灯】の魔法が発動することは、アズールによって確認済みだという。
つまりはこのオットー老の言う通り、このよくわからない長文の装飾が付いた『野営の翌朝に燃え残った火』は、本当に『火』の代わりを果たしているのだ。
呪文詠唱はいかに早く、短く終わらせるかが重要である。
そこをまさかその10倍を超える文字数で実現させるとは、時代の逆を行く大発明である。
そもそも魔術ではなく魔法を研究している人が市井にまだいるのかというところも驚きだ。
「凄い……!! これは火に関する表現ですけど、これを『形状』や『動作』に使えたら色んな事ができるようになりますね」
「そうじゃろう、そうじゃろう!」
『留まれ』なら【灯】になるし、『回り 飛べ』なら【火球】になる。
それがあの詩魔法なら「なんか色々飛び回った後留まる」みたいな奇術みたいな魔法が実現できそうだ。
「だからといってこの申請書は受け取れませんからね!?」
「何じゃと!? そこを何とか……嬢ちゃん!」
「あ、申請書は却下ですね。これ自体はただの【灯】なんで。それよりもっと話を……」
「つ、ぎ、のお客様がお待ちですので! お帰りください!」
「「えー」」
「どうしてエリンさんまで不満なんですか! ほら、帰った帰った!」
……うん、厄介な常連客ばかりで苦労している様だ。
常連として来ているのは初日に見たオットー老とポピアさんが
後は近所の幼年学校に通うアロナちゃんという少女もよく来るそうだ。
この特認魔術課は定期的に周囲の子供たちに魔法教室を行っており、彼女はそこの生徒である。
大体の子供が一般常識と仕事に必要な魔法の基礎だけ学んでいくのだが、アロナちゃんは呪文の組み合わせで起きる現象を自在に変えられる詠唱魔法の性質を気に入って、たまに家業の手伝い後にやってきては勉強の成果を見せに来るのだという。
本来窓口に来るのは申請のためなのだが、アロナの場合は課員が勉強を教えてあげるための口実になっているそうだ。
常連さんの中で唯一歓迎される来客なのだという。
近日中に教室が開かれるそうなので、会うのが楽しみである。
そしてもう1つの査定業務に関しては、地下にある射撃場で行われた。
物騒な名前だが、分厚い岩壁で周囲を覆った、魔法や魔道具の試射等を行うための場所である。
防音と、万が一魔法の余波を街に飛ばさない為に地下に作られているのだろう。
昼休憩を終えた後、エリンはアズールに連れられその地下階層へと足を踏み入れた。
「さてエリンちゃん。聞いての通り我々は魔法が一切使えません」
「はい」
「そんなウチらがどうやって魔法発動を確かめるか、分かるかね?」
「唱石と筆魔板ですよね?」
「なんだ、知ってるのか……」
何故か指し棒まで用意してきたアズールはがっくりと肩を落とす。
あの後知ったのだが、年齢でいえばアズールはエリンの1つ下であった。
彼女が18歳。エリンは19歳である。他の課員の年齢は不明だ。
寿命の長い妖精と、老いの進行が遅い獣人であるタナウとランドルフは見た目からでは年齢がわかりにくい。
リセツは30前後に見えるが、詳しくは聞いていない。
年が近いこともあり、彼女は随分と親しく接してくれるから新人のエリンにとってはありがたい。
「どちらも学院で使いますから……でも、ここにはあるんですね。学院でもかなり希少な物でしたけれど」
唱石は魔石に声を封じて再生する機能を持たせた石のことである。
呪文詠唱を録音することで、その魔法を発動させられるという代物で、要は魔法を1つだけ記録して発動できる魔道具である。
非常に高価であり、また呪文さえ詠唱できれば本来使えない魔法も発動できてしまうために、その管理はとても厳重だ。
筆魔板はそれの魔法陣版。どちらもユラリア魔法学院では重宝され、エリンが学院長に貸し与えられたのも(そして壊したのも)この筆魔板であった。
だからこそ、学院を出ると知った時はもう二度と使えないと絶望したのだが――。
「流石はテティアの魔法ギルドですね。どちらも完備ですか」
「そうそう。すごいよね。ウチもここだと色んな魔法が使えるから大喜びだよ。……まあ、その貴重な魔道具を使うのがコレなんだけどさ」
そう言ってアズールが出してきたのが、ポピアさんが持ってきた魔法陣……と主張する謎の絵画である。
筆魔板の話に、差し出された絵画10枚。それが意味することは――。
「まさか……」
「エリンちゃんには今から、こいつらの模写をしてもらいます。使ってたんだよね?」
「そんな!」
絵の模写を10枚。
それは魔法どころか、最早芸術の
「ふはは! これがウチらの通常業務なのだよ! 諦めな!」
それから業務終了まで絵の模写をさせられた。
魔法は勿論発動しなかった。
それが2日続いた、業務終了間近。
オットー老の詩魔法を確かめ戻ってきたエリンは、力を失くしたように机へと突っ伏し、腹の底から震える言葉を絞り出す。
「――ここ、窓際部署だあ……」
新しい魔法との出会い?
新進気鋭の研究者との語らい?
マイラに教わり、エリンが夢見ていたそんな素敵なものはここには一切なかった。
いや、オットー老の話は面白かったが、それも珍しいというだけ。
あれが『奥』に繋がる何かだとはとてもじゃないが思えない。
学院長、あなたはいったいなんのために私をここに……と、エリンは呻きながら脳内の呪詛リストを捲り続けていた。
「……おい、あいつ大丈夫か?」
「新人は必ずああなるんだねぇ。ウチと一緒だ」
「あなたの時は外に聞こえるくらい叫んでたから、まだましよ」
「まあ、ああ見えて仕事は確実ですし丁寧にこなしてくれてますよ。流石は魔法学院卒ですね」
課長席に集まった先輩方がひそひそと話をしている。
――聞こえてるんだけどなあ。
と、エリンは突っ伏しながら苦笑いを浮かべた。
まだここに来て3日、働き始めては2日だが、少なくとも対人関係は良好である。
アズールはもとより、ランドルフさんは優しく丁寧に仕事を教えてくれるし、一見怖そうなタナウさんも困っていたら「どうしたの?」と直ぐに話を聞いてくれる。
リセツ課長とはまだあまり会話ができていないけど、宣言通りに奢ってくれた昼食ではギルドの規則などを色々と教えてくれた。
……本当に、仕事内容以外は素晴らしい職場なんだけど、とエリンは小さく息を吐き出した。
「……よし!」
それでも、ここで頑張らなければ『奥』には行けないのだ。今は出来ることをしよう。
顔を振って意識を切り替えると、エリンは書架から書類を綴じたファイルを取り出した。
それは過去に申請された魔法や魔法具を記録し一覧化するリストである。
午後の査定を終えるたびに、その結果や補足、申送り事項などを記入していく。
今日はつい先ほど確認したオットー老の超遅滞魔法について記入し、その横に否決の判を押した。
後はそのまま戻すだけなのだが、エリンはその前に少し過去の記載事項を遡っていく。
過去にどんな魔法や魔道具が申請されたのかを知るためだ。
このリストには魔法の呪文や魔法具の図面は載せない。万が一リストが盗まれても利用できないようにするためだが、それ故にこれだけ見てもどんな魔法が提出されたのかは分からない。
それでも概要はわかるので、エリンは働き始めてから毎日、作業の合間にリストを遡っていた。
特認魔術についてはまだよく知らないため勉強しておきたいのと、もしかしたらこの魔術課から国家機関に引けを取らない革新的発明が提出されたことがないのか、前例を調べるために。
いや、そんなものがないことは薄々気が付いているのだけれど、それでもまだエリンはこの現実を受け止めきれずにいた。
「……あれ?」
そんな時、おかしな記述を見つけ手が止まる。
数ページほど遡ったところに、『承認』でも『否決』でも『保留』でもない記述が現れたのだ。
それは『封印』と真っ赤な判が押されており、その他仔細事項は記入がされていなかった。
唯一記載がある件名には『押収された魔道具』の文字。
他の項目の日付から、2週間前の案件らしいことが分かる。
「……封印?」
随分と物騒な文言であるが、残念ながらこのリストからは何の情報も得られない。
更に詳細が記された報告書も存在するが、それは記入した担当者と課長であるリセツのみが確認し、提出後は彼やギルド長ら上層部のみが入室できる書庫へと仕舞われる。
いくら皆が優しく親切でもその権限を認めてはくれないだろうから、諦めるしかない。
――でも、気になる。
わざわざ封印と記すとは、一体どんな魔道具だったのだろう。
むむむ、と考え込んでいたエリンの肩を、突如ぱんと叩かれた。
「エリンちゃん」
「わっ!?」
慌てて振り向くと、いつの間にかアズールが傍までやってきていた。
彼女は何やら怪しげな表情を浮かべて腕を組んでいる。
「ふっふっふっ、退屈そうだねえ」
「ええ? いえ、そんなことは……」
いきなりのその問いに思わず否定するエリン。
確かにリストに見入っていたが、一応は勉強であり、サボっていたと思われるのは心外である。
リセツに提出するための詳細な報告書も文面は大体考えてある。今からでも終業には余裕をもって間に合うのだと慌てるエリンに、アズールが表情を満面の笑みに変えると、告げた。
「そんなエリンちゃんに朗報です! 明日は朝から外回りだよ!」
「外回り、ですか……!?」
待ち望んだ変化の到来に、エリンはアズールの期待通りに思わず期待の声を上げてしまうのだった。