エデン条約編スタートです
終末の楽土
もし、この世界がほんの少しだけ、本当にほんの少しだけ今より優しかったら、暴力はいけないって言ったら暴力が無くなる世界に変わったのかな。
――またか、ラン。世界が優しくても、結局は変わんねえよ
――そうね。世界が優しくても、誰にでも優しい訳じゃないわ
――でも、ランの考え、私、嫌いじゃない
でも
私達を殺しておいて今更?
首から上を切断された姿、鋭利なものに全身が裁断された姿、全身が焼け爛れ崩れた人らしい姿を保っていない三つの人影がランを取り囲み責め立てる。
お前が殺した
お前が殺した
お前が殺した
お前が私達を殺した
ごめんなさい
ごめんなさい
ごめんなさい
お前が殺した
お前が殺した
お前が殺した
お前が殺した
お前が殺した
だから
――
ごめんなさい
――
ごめんなさい
――
ごめんなさい
――
ごめんなさい
――
――
隣人を
――
友人を
――
家族を
――
――
――
――
殺しに殺したお前が今更なにを躊躇う。
殺せ。
隣人を友人を家族を殺せ。
お前にはそれしか出来ない。
それ以外無い。
蹲るな。
殺せ。
その手で
その意思で
殺せ。
ほら、見てみろ。
お前の手は誰かの手を取れない。
見てみろ。お前の右手は銃が縛りつけられ、左手は銃弾で埋まってる。
お前の血潮は姉の命を吸った糸で、視線も家族の首を捻斬った鋏、そして吐く息は妹の身を焼き焦がした焔だ。
こんな化物が人と生きていられるものか。
――
――
――
嫌だ
――
嫌だ
――
嫌だ
――
嫌だ
殺さなくても、間違えても幸せになっていい。
誰かがそう言ってた。
だから嫌だ!
――
お前にはそれしか出来ない
――
お前にはそれ以外許されない
――
それがお前だ
――
お前には人殺ししか出来ない
――
嫌だ
嫌だ
嫌だ
嫌だ
――
家族を殺したお前に思考も、意思も許されない
お前はただ何も考えず、銃口を押し当て引き金を弾く装置でしかない
お前は人殺しだ
お前は人殺しだ
お前は人殺しだ
お前は人殺しだ
お前は人殺しだ
姉の首を斬り落とし、バラバラに引き斬り、妹を焼き殺した人殺しだ
ほら、聞こえるだろう
聞こえない筈がない
お前が殺した
お前が殺した
お前が殺した
お前が殺した家族の声が
違う! そんな事言ってない!
お前が殺した家族の怨嗟が
黙りなさい! この子に背負わせないで!
ほら、見てみろ
お前が幸せになっていい筈がない
違う、ラン幸せになっていい!
だから
――
ラン先輩
「…………っ?!」
飛び起きたランが目にしたのは、もう見慣れてしまった古く朽ちかけた木造の天井だった。
簡素な造りのベッドと粗末な布団、必要最低限な家具。そして、自身の罪の証拠である銃とランタンと、三つの凶器。
何処にもあの夢は溢れていない。
黒い靄が滲む視界と、足元から溢れてくる手。普段通りのランが見ている世界。
だが、ランはそれを自覚していない。意識的か無意識か、それとも他の理由が出来たのか。
ランはまだ現実を自覚せず、まだ大丈夫だと身支度を始める。
トリニティの制服に着て、ドア・ノッカーと大口径の銃弾を収めたホルスターを巻き付け、ベルトにランタンを通す。
そして、簡素な洗面台の鏡の前に立ち歯を磨き顔を洗い、濡れた顔でじっと鏡を見つめる。
「私は零場ラン、…… じゃない」
そう呟くと顔を拭き、部屋に戻り分厚いコートに袖を通す。ずっと昔、もう霞がかかり消えかけた記憶の中で、誰かに貰った名前。ランはあの日、ようやく自身を認識し、零場ランになった。
だが、その名前をくれた人も、愛してくれた家族も、もう誰も覚えていない。残るのは燃え尽きて欠片になったかすかな記憶だけ。
三つの凶器に目を向ける。
これはランの罪の証、親愛なる家族をその手で殺した証拠。明日も見えないあの場所で、愛してくれた家族を殺した証拠。
零場ランという殺人鬼が生まれた証。
間違えても幸せになっていい。誰かがそう言ってた。あのベルタ駐屯所での件から答えの出ない問いを、延々と繰り返し続けていた。
こんな人殺しでも幸せになっていいのだろうか。
もし、幸せになっていいなら、それはどんなものだろうか。
「……行ってきます。皆」
いってらっしゃい、ラン
その言葉に返す者は誰も居なかった。
あったのは三つの凶器が僅かに擦れる音だけだった。