トウマは転送ボタンを押した。
部屋が大きく振動し、整然と張り巡らされていた管が光を放ちはじめた。
やがて光につつまれ何も見えなくなると、レミリアたちの身体に強力なGが掛かる。
ーーッッ……これ転送……?
10秒も経たないうちに、強い光もGも消え去って、部屋は元の状態に戻った。
どこかに移動させられていたような感覚があったレミリアだが、周囲の景色に変わりはない。
ワードッグが恐る恐る口を開く。
「同じところ……だよな……さっきのはハッタリ、か?」
「みんなここにいて、外に出てみるわ」
「オイコラむやみにーー」
ワードッグの声を背中に、レミリアは真っ先に部屋から出る。
ーーッ!
すると、トウマたちの視界にいたレミリアが、ナイフを抜き扉の外へと身を躍らせ消えていった。
歪な呻き声と鈍い衝突音が響いてくる。
トウマたちは慌ててレミリアの後を追う。
レミリアの足元には、白衣に身を包んだ男が倒れていた。
男は暗い土気色で、頬や手の肉が欠け、所々骨が剥き出しになっている。
「なんだ、ただのゾンビかよ」
ワードッグが鼻息をついた。
悪魔が出現してからというもの、ゾンビはいたるところで見かけるようになった。
悪魔の犠牲になった人間の成れの果てである。
「ところでーーもっとヤバいところ想像してたが……ずいぶんまともだな。さっきの無茶に強い気も感じない。それでも、駅前の廃ビルじゃないことだけは確かだが」
そう言ってキョウイチは壁を小突いた。
トウマは相槌をうちながらパスカルの気を探っていたが、この建物からは、あの大きな気は感じられなかった。
「レミリア君……どうやらここには」
「みんな無事でよかったのよ、さあ行きましょう」
絶望に暮れ、自分を責めることなど、いくらでも、そしていつでも可能である。
そうすることも許されるだろう。
家族をすべて失ったのだから。
しかしレミリアは、転送した先で、パスカルの名を呼ぶのを我慢した。
実際には、転送後すぐ、パスカルの姿を目で探したのだが、頭を振って、パスカルのことを考えないように努めたのである。
レミリアは、この未曾有の惨事は自分だけではないと、心で何度も何度も唱えることによって、絶えず襲ってくる苦しみ悲しみに抵抗し、マリサの行方に専念していた。
棚に残っている資料を見るに、ここはなにかの研究施設のようである。
そして、それらの資料は、ある種の安堵感をもたらした。
ワードッグは茶化した調子で『魔界じゃなくて助かったぜ』と口にしたが、おそらく誰の胸にも、その恐ろしい可能性があったに違いない。
「おい来てみろ、こっちに下り階段がある」
キョウイチが声をあげる。
そして下に降りた先で、レミリアたちは驚くべき人物と再会した。
「やぁ、レミリア君」
「ッ!? スティーブン……ッッ」
いつか吉祥寺の病院で出会った、車椅子に乗った銀髪の男ーー。
ーーどうしてこんなところにいるの……いつのまに……。
いくつもの疑問がレミリアにわき起こる。
あのときトウマは院内のオートロックを解除した。
だから病院から脱出できたことはわかる。
しかしーーいったいどうやってここに来たのか。
なぜその状態でこれたのか。
なぜここにいるのか。
スティーブンはあのときと変わらない調子で、こちらと目を合わせることなく、独り言のように話しはじめた。
「ここは千駄ヶ谷にある瞬間移動装置ターミナルシステムを開発していた私の秘密研究所だ。……だが、ゴトウの手はここにも伸びていてね、ごらんのありさまだ。ところでどうだったかね? 私の瞬間移動装置の乗り心地は?」
「せ、千駄ヶ谷ッッ!? じゃあ……じゃあもしかして……いや、でもーー」
車椅子の男から告げられた言葉に、もっとも目を見開いたのはトウマだった。
もしここが本当に千駄ヶ谷ならば、新宿までは歩いて行ける。
マリサへの大きな手がかりを掴んだと、トウマの心に喜びが起きたが、それもつかの間。
やはり無理があるーー。
「てめえッ!」
犬歯を剥いたワードッグがスティーブンに鉄棍を振りかざした。
レミリアはワードッグの前に立った。
「話をさせてちょうだいっ」
「話は終わったんだよッ! そいつが言ったとおりだどけッ! てめえ前もコイツの肩を持ちやがったなッ!」
「持ってないでしょっ」
「持ってんじゃねえかコラァッ! コイツいまなんつったと思う!? 千駄ヶ谷だとッ!? やっぱトウマより俺の勘のが正しかったぜッ! いいか、こいつはクソ院長にドタマやられる前からやられてんだよッ! ほんもんのマッド野郎ってことだッ! どけやッ! てめえだってコイツを恨まなきゃいけねえはずだぜッ」
ワードッグはレミリアの肩を強く押しのける。
それでもレミリアは譲らなかった。
「いいから下がってッ! あなたの言うとおりかもしれない、けど、いまだから必要なのよっ」
「ーーああそうかい、てめえいつのまにそんなお行儀よくなったんだよ、笑えるぜ死ねクソが」
ワードッグはレミリアとスティーブンを睨みつけると、地面に唾を吐いて壁際にもたれた。
「私の悪魔召喚プログラムは使っているかね?」
スティーブンは自身の小型PCと向きあいながらレミリアにボソボソと言葉をかける。
「ーーええ」
「そうか、キミのハンドCOMPを私に見せてみたまえ」
「だれが見せるかくたばれ」
ワードッグが言葉を被せる。
レミリアはすこし黙考したあと、スティーブンの言うとおりにした。
ハンドCOMPを受けとったスティーブンは、自身の小型PCとケーブルでつなげ、忙しなくキーボードを叩きはじめる。
なにをするつもりなのか、たぶんいま聞いても答えないだろうと思ったレミリアは、そのまま見守ることにした。
ーーワードッグ、しばらく機嫌が悪くなるかしら。
ワードッグはスティーブンがすべての元凶と考えているらしいが、レミリアは少し懐疑的だった。
夢のこと、夢で会った人たちのこと、トウマ、キョウイチ、ユリコ、そして生贄にされかかっていたマリサ、公園で会った不思議な老人、その老人があのとき口にしていた言葉、突如あらわれた謎の施設、邪教の館ーー。
たとえば、これらすべての起因を、スティーブンが起こした事故とむすびつけるには、なにか引っかかりのようなものをレミリアは感じるのである。
ただーーそれとは別に、レミリアはスティーブンを最後まで恨みきれないでいた。
それは彼女が、無意識のうちにスティーブンという男に亡き父の幻影を見ていたからである。
レミリアが産まれる前に亡くなった父について、生前、母のリョウコはこんなことを言っていた。
『ーーあの人はとても身体が悪かった……いつもコンピュータばかり触ってたわ』
母リョウコに聞けば、父は極度の写真嫌いで一枚もないと言う。
レミリアには父の姿を知るすべはない。
しかしだからこそ、スティーブンに父の影が重なってしまったのかもしれなかった。
「ふむ…………ーーよし」
やがて作業を終えたスティーブンは、ハンドCOMPをレミリアに手渡した。
「……なにをしたの?」
「悪魔のストック数を2体増やした、これからさき6体では少なかろう。それとデビルアナライズプログラムを入れておいた、サーチした悪魔の能力を知ることが出来る、役立てたまえ。では失礼するよ」
スティーブンは車椅子を走らせ部屋の外に消えた。
舌打ちしてあとを追うワードッグだが、すぐに足を止めた。
そして地面を蹴りあげる。
「ーーえ? いないの?」
「ケッ、車椅子にニトロでも積んでんじゃねえのか。ーーチッ! あの野郎、やっぱ普通じゃねえじゃねえか」
「……」