研究所の外の光景にレミリアたちは息をのんだ。
空は赤みを帯びた鉛色の雲におおわれ、さまざまな人の顔をもつ巨大な魔鳥たちが、お経のような鳴き声や狂人じみた笑い声をあげながらビルの上空を蛇行ぎみに飛んでいる。
地上では、あちらこちらでゾンビや餓鬼がさまよい歩き、強い死臭がつねに鼻腔にまとわりついてくる。
呻き声や叫び声、銃火器の音など、被害や惨状、緊迫した空気は吉祥寺の比ではなかった。
レミリアたちは、転送装置が本物であり、自分たちが本当に千駄ヶ谷にいるという奇跡を忘れてしまうほど、変わり果てた東京にただただ言葉を失った。
「こんな姿になっちまったテメエ自身をさしおいて言うのもなんだが、まるで映画かテーマパークみてえだな」
「……」
「おい、なんだテメエその目は」
ワードッグがレミリアをジロリと横目で睨みつける。
「その目ってなによ」
「テメエ、いまなに考えた」
「ーーべつになにも」
「間を開けんじゃねえ引っ叩くぞ。着ぐるみとかなんとか考えてたろふざけんな死ね」
「おまえ自分でそれ言うかよ」
キョウイチが口をはさむ。
「まわりみてみろや。アレらにくらべたら俺は風船の束もっててもおかしくねえだろうがだれがマスコットだ死ねボケ」
ワードッグはそう言うと、伸びをしながらレミリアたちの先を歩いていく。
キョウイチは頭をかるく振ると、MP5マシンガンに弾の装填をしながら誰に言うでもなく口を開いた。
「にしても想像以上だな、いったいどうカタをつけるつもりなんだか」
新宿に近づくにつれ、物々しい空気はいっそう深くなり、装甲車や戦車がよく目立って、銃撃音が絶え間ない。
これらはクーデターを起こしたゴトウによるものだろうと一同は思ったが、なかには米兵らしき人たちを乗せたトラックも見かけた。
ーーマリサ、どうやって見つようかしら。
人探しがさらに困難になることは前もって覚悟はしていた。
しかし、いざ戒厳令下に置かれた新宿を目の前にすると、雲を掴むような途方もなさを感じずにはいられない。
吉祥寺では感じなかった、なにかとてつもない大きなうねりのなかに飲まれているような感覚がレミリアたちの胸に生まれていた。
「なんだぁ? こんなときに選挙活動か?」
新宿駅の東口が見えてきたときである。
前を歩いていたワードッグがレミリアたちのほうへふり返り言った。
駅前の東口広場に到着してみれば、アルタビルの大スクリーンに、軍服に身を包んだ角刈りの男が拳を振りあげ何やら演説をしている。
「あいつがゴトウなんだろ」
キョウイチはアゴで指して言った。
一同は広場に立ちどまりスクリーンを見あげ、ゴトウの演説に耳をかたむけた。
「私は戒厳司令官のゴトウである! 世界の文明は腐りきっている。それは大地ガイアからの搾取の上に成り立つ文明だからである。差別、貧困、戦いが世界を覆う今、我々は悪魔と呼ばれる古の神々を目覚めさせた。それは真の危機に備えるためである。ニッポン抹殺計画! この恐怖の陰謀を阻止せんがため、我々は古の神々の力を借りた。神々と人類が共存するユートピアを築き上げるために! 私は戒厳司令官のゴトウーー」
ゴトウの演説は繰り返し流されているようであった。
「こいつがイカれ野郎ということ以外なにも頭に入ってこねえんだが。トウマ、てめえわかるなら犬語で俺に教えてくれ。いったいコイツはなにを言ってやがるんだよ」
ワードッグが肩でトウマを小突くが、トウマはスクリーンを見つめたまま、顔をゆっくりと振るばかりである。
レミリアたちから見るに、ゴトウの演説は荒唐無稽で掴みどころのない内容にくわえ、そのスケールも突拍子もない。
レミリアなどは演説開始早々に興味をなくし、駅の出入り口の階段に向かっていった。
そして演説が一周したタイミングを見計らってトウマたちに声をかける。
「ねえっ、駅の地下には入れるみたい、行ってみましょう」
☆
新宿地下街の半数以上はシャッターがおりて営業停止状態だった。
外にくらべ血や臓腑の匂いはさらに濃く、焦げた匂いが鼻につく。
人の往来は少なかったが、閑散とはしていなかった。
店によっては避難所として開放しているところもあり、一般人はどこかしらの施設内にいるようである。
ここでも軍人の姿があり、街としての機能は保たれているようである。
「おい、あいつらは米軍だろ? きっと助けに来てくれてんだろうな」
ワードッグは地下街を我が物顔で闊歩する米兵たちに目をむけた。
「とてもそんなふうには見えんが。見ろよアイツらのつら、ただの呑んだくれだ」
キョウイチが突っぱねるような口調で言い放つ。
長い舌を出してヘラヘラと笑みを浮かべるワードッグを、とつぜんレミリアが蹴りとばした。
壁に叩きつけられ膝から崩れ落ちるワードッグの目の前で、レミリアが多数の火球にまかれる。
「ッ! なにしやがーーッ!?」
「ギャアゥアアアッ」
腰をおりまげ苦悶の叫びをあげるレミリア。
「おい女ッッ! ッッ!? ウワアーッ!」
レミリアにまとわりつく炎をふり払おうとしたのもつかの間、さきほどとは比べものにならない大きな炎がうねりをあげてワードッグにのしかかってくる。
ワードッグは避けきれず、たちまち火だるまになり地面に転がりまわった。
レミリアのほうはなんとか持ちこたえた。
炎をはらおうとするが、まるで粘着しているように身体にべったりとまとわりつき離れない。
耐えがたい熱さと呼吸困難。
一瞬で死が眼前に迫る。
一刻の猶予もない。
「ひゃーははー! 死ね死ね死ねー! オマエらまとめて地獄いきー!」
壁のような巨大な炎の向こう側。
魔術師のローブに身をつつんだパンプキンヘッドの魔物、ジャックランタンたちがレミリアたちを取りかこむように空中旋回している。
「グゥッッ……このやろッッ!」
左半身を炎に焼かれたままのキョウイチが仕返しと言わんばかりに波状型の火炎をはなった。
「ヒュー! あんちゃんやるゥ! でもムダムダ! ムダムダムダアア!」
ところがジャックランタンはキョウイチの火炎魔法を浴びてなお狂ったように笑いつづけ、さらに大きな炎を巻きおこしてくる。
「クッソッ! グゥォッ……」
キョウイチはムキになり二撃目を放とうしたが、身体にまとわりつく炎の痛みに我慢が出来なくなり、壁に身体をこすりつけ悶えはじめた。
「ーーアイツに炎は効かないんだッッ!」
トウマはそう叫びながら広範囲に念動魔法を発動させた。
その衝撃波で周囲の炎はいくぶんやわらぎ、ジャックランタンたちは空中でグルグルと回転しながら大きくのけぞった。
トウマが立てつづけに回復魔法を詠唱する。
レミリアは火だるまのまま動かなくなったワードッグの肩をかついで絶叫した。
「に、逃げないとッ!」
「はやく行ってくださいッ! ヤツらは僕がひきつけるッ!」
「みんなで逃げるのよバカッッッ!」
「みんな一緒だと逃げきれないッ! キョウイチくんッ、キミはレミリア君と一緒にッ」
トウマは回復魔法を中断すると、眉間にめいっぱい力をこめてふたたび念動魔法をはなった。
「トウマ受けとれッ! 行くぞレミリアッ! ワードッグが間に合わんッ!」
キョウイチはトウマにMP5マシンガンを投げわたす。
そしてレミリアと共にワードッグの肩をかついた。
レミリアは魔石を3つにぎりしめ力をこめる。
魔石がかがやきだすと、レミリアはそれをトウマに向かって投げつけた。
炎に巻かれひどい負傷をおっていたトウマの身体が治癒されていく。
「トウマッ、私たちは回復道場ってところに行くわッ! 邪教の館のとなりにあったところよッ! あなたもさっさと見切りをつけて必ずくるのいいわねッッ!」
レミリアは、キョウイチとワードッグに魔石を使い続けながら竜巻のような炎の中から抜けだす。
「にがすなーッ! いっけー!」
「させるかッッ!」
ジャックランタンたちは無邪気な声色でレミリアたちの背後に迫ろうとするが、ふたたびトウマの念動魔法によって吹っ飛ばされた。
さらにマシンガンの追撃が走る。
「ム、ムギギッ! オマエェェェ……オマエ絶対コロースッ!」
ジャックランタンたちは、よほどの怒りで頭に血がのぼったのか、得意の魔法を使わず体当たりでトウマに襲いかかっていった。
☆
「すべての傷つき苦しむ者に救いの手ーーむっ!?」
レミリアとキョウイチは回復道場になだれこんだ。
2人とも意識はほとんど残っていない。
炎の激痛と水に沈められているような息苦しさで狂い死にしそうであった。
レミリアは残された最後の力で財布を投げつけ倒れ込んだ。
☆
レミリアは目を覚ました。
「……」
ここはどこだろうとレミリアは思った。
すぐとなりで気配がする。
顔をかたむけると、ワードッグが横たわっていた。
「ワードッグ……ねえ……」
レミリアは上体を起こすとワードッグの身体をかるく揺さぶる。
しかし反応はない。
ーーたしか、私たち……ッ! そうだわ、私たちッ!
レミリアは起きあがりあたりを見わたす。
まるで神社の本殿のようなところだった。
「気がついたか」
背後から誰かの呼び声がした。
声のする方に身体を向けると、朱色の道着を身にまとった中年の男が正座している。
「あなたは……?」
「覚えておらぬのも無理はない。ここは回復道場だ」
「ーーそっか、たどりつけたのね……みんな、助かっ……た?」
彼女の弱々しく不安げな問いかけに、回復道場の主はしずかにうなずく。
レミリアは両手で顔を覆うと、深く息をついた。
「レミリア君、目が覚めたんですね」
道場の出入口からトウマとキョウイチが姿を見せる。
「トウマ! キョウイチ! ーーよかった……どうなることかと……」
レミリアはぺたんと横座りして突っ伏した。
そんな彼女のようすを、トウマはすこし茶目っ気のある表情で見つめている。
キョウイチは眉尻をさげ微笑していた。
「これを返そう」
道場の主がレミリアのそばに来て財布をさしだした。
「ーーそういえば、お代は?」
「患者の財布を勝手に開けるわけにはいかない、あらためていただこう、6530円だ」
「はい」
ーー安すぎる気がするけど、もしかして保険がきいてるの?
レミリアは疑問を心にしまったままお金を支払った。
道場の主はお金を受けとると、ワードッグに目を向け、
「いまは人の出入りが落ちついている。彼が目覚めるまで休んでいくといい」
と言った。
「ありがとうございます、じゃあワードッグが起きるまで。ーートウマ、キョウイチ」
トウマとキョウイチは道場にあがりこんだ。
キョウイチは立てひざをついて小さく舌打ちをした。
「やけに地下街が焦げくさかったわけだ。黒焦げの死体とか、おそらくアイツなんだろーーくそッ、あんなふざけたヤツにッ」
「アイツだけじゃありません。もう一体……かなり危険な悪魔が」
そう言うと、トウマは唇のはしを噛んだ。
「そんなやついたか?」
「僕がここに向かう途中です」
「あぁ」
「あぶなかった……終わったと思いました。氷の魔法を使ってくる悪魔です、動けなくなるところでした」
「炎のつぎは氷か、忙しいな。どんな奴だ」
「えっと、それが……あれは、なんて言えばいいか……」
トウマは微かに首を振った。
なにか言いあぐねているようすである。
「……? なんだ、言えよ」
歯切れの悪いトウマにキョウイチは眉根を寄せて先をうながす。
トウマはキョウイチとレミリアにチラリと目を配ると、前髪を耳にかけつつ口を開いた。
「手足のある小さい雪だるまみたいな……帽子と手袋してました」
しんとした沈黙が流れた。
トウマは気まずそうに視線を落とす。
レミリアは吐息のような笑みをこぼした。
そして自分の爪を見つめなが口を切る。
「こんな状況で笑うのどうかと思うけれど、まるでワードッグの言ってたとおりね」
「? なんか言ってたか?」
キョウイチが反応する。
「ほら、テーマパークとかマスコットとか。……さっきのあれ、どうみてもハロウィンの仮装だもの、そして今度はうごく雪だるまだって」
キョウイチは無言のままレミリアをまじまじと見た。
そして気の抜けたような顔で大きく首をふった。
「言ってる場合か、俺たち確実に殺されてたぜ? 生きてるのが不思議だぞ」
「ええ、本当にそう思う」
キョウイチの言葉に、レミリアははにかみうなずいた。
「あんなのがウヨウヨしてるってわけだ。トウマの女も、そんでオザワの野郎もーーどうやって探す?」
「正直、いまの私たちじゃ歩くのもままならないわね。油断してたつもりなんてなかったけどーー……ううん、やっぱり油断してた」
するとトウマが口をひらく。
「油断は否定しません、けど、このあたりをうろついている悪魔は強すぎる」
「完全な力不足か……ちくしょう」
キョウイチは拳を固めて床をたたく。
3人はしばらく黙りこんだ。
なんとか新宿までたどりついたが悪魔の手ごわさに立ち往生の状態である。
マリサやオザワを探しだすまえにこちらが死んでは元も子もない。
レミリアはため息をつくと、横座りから正座に体制をかえながら、静かな寝息を立てているワードッグに目をおとした。
ーー……? こんなの持ってたかしら……?
ワードッグの腰巻に二丁の小型斧が差してある。
ワードッグが斧を使っているのを見たことがなく、いつ手に入れたのかもわからない。
レミリアはなにげなく斧を手にとってみた。
片刃の小さな斧。
白く繊細な指をもつレミリアでも、何とか片手で握れるほどのサイズ感。
とはいえ斧である。
ズッシリとした刃の重量感は、いま愛用している小型ナイフにはない頼もしさがある。
切れ味は期待できそうにないが、勢いにまかせれば重みそのものが強力な武器になるだろう。
レミリアは両手に斧を持つと、手首を返したり、ゆっくり横に払ったりしてみた。
ーーふーん、どんなものかしら。
現状だと、速度を落とさず力任せに振りまわせるギリギリの重みだとレミリアは判断した。
「ちょっと言ってくる、ワードッグを見ててちょうだい」
レミリアは立ち上がり道場の出入口に向かった。
キョウイチが呼びとめる。
「おい、どこ行くんだ」
「地下街を歩きやすくしてみる。マリサとオザワを探すことすらままならないなんて、ここまで来た意味ないもの」
トウマが片眉をあげた。
「歩きやすく? ーーああ、さっきの悪魔を勧誘するんですね」
「ついでにお菓子もいただこうかしら」
「それは頼もしいですが、ひとりで行動する必要はないのでは?」
トウマは立ちあがった。
レミリアは背をむけたまま言葉を返す。
「ちょっと、ひとりでやってみたくって」
「バカな……僕たちなにもできずに死にかけたんです」
「わかってる。でもふたりはひとりで戦ってきたでしょ、私にはつねにあなたたちの誰かがいたもの。私にはそれが足枷になってる気がするの」
キョウイチも立ち上がりレミリアに言葉をかける。
「いいたいことはわかる。だがいまはヤバいと思うが。吉祥寺ならよかったかもな」
「いまの僕たちでは単独行動は無理だ。マリサを探しだすためにキミの力だって必要なんです」
トウマは語気を強めた。
「ーーそうよね、無謀だったわ」
レミリアはCOMPから、エコービルで仲魔にした妖精ゴブリンを召喚した。
ゴブリンはレミリアよりも頭ひとつぶんほど背丈が小さいが、頭部が非常に大きく3頭身ほどのシルエットである。
それだけに、尖った歯などは肉食獣のような迫力があった。
「おひとりがお望みだったはずだが、悪魔はべつか?」
キョウイチがからかうように言う。
レミリアは流し目を返した。
「いじわる、これは私にとって魔法だもの。ねぇゴブリン」
「ナンダ、サマナー」
呼ばれたゴブリンは黄色い目をレミリアにむけた。
「パワーをあげる魔法、タルカジャだったかしら? あの魔法を私に唱えて欲しいの」
ゴブリンは、攻撃補助専門魔術師といっていいほどの使い手である。
彼の魔術による戦闘力上昇は、現時点でパスカルをのぞくどの仲魔よりも強力であることを、レミリアたちは身をもって知った。
「ダッタラ、マセキヲヒャッコヨコセ、ソレカ、フクヲヌイデストリップーーアグワッ!」
言うことを素直に聞かず、悪態を吐くゴブリンの足めがけレミリアはナイフを投げた。
見事に的中しゴブリンはのたうちまわる。
「ほら、いらっしゃいなゴブリン、おのぞみどおり魔石をあげる」
ゴブリンは歯を剥き苦痛に顔を歪めながも、コロコロと転がりレミリアの足元まで向かっていく。
「ギギ……ヒ、ヒドイ、サマナー、ジョーク、ジョーク」
「すこしづつでいいわ? そのサマナーの顔色をみてジョークを言っていいときか分かるようになってね? いま私の気持ちは地獄なの」
レミリアはゴブリンの足に突き刺さった小型ナイフを抜くと、輝きはじめた魔石を足にあてる。
またたくまに傷がふさがっていく。
レミリアは無表情のまま、流れる血を丁寧にぬぐってあげた。
「コ、コレハコレデ、ワルクナイ」
「……」
刺し傷が治癒したゴブリンは、涙目のままタルカジャの詠唱をはじめる。
まもなく赤いオーラがレミリアの身体をつつんだ。
「カンリョウシタ。タルカジャ、一回デ、イイカ?」
「あと、もう一回。ーーすみません主さん、この子の魔力も回復おねがいします」
☆
いまだ目覚めないワードッグを回復道場にあずけ、レミリアたちは表にでた。
ざわめく声が漂いつつも、不穏なな静けさが満ちている広い地下空間。
さっきのことも手伝ってか、無味な石畳に、広告が貼られた四角い柱が等間隔でならぶ見知った景観が、この状況下ではレミリアたちの神経をより過敏にさせた。
天井の白い蛍光管は、煙や妖気、死体でよどんだ空気をいっそう濃密なものにしている。
あいかわらず絶え間のない銃弾音がこちらにまで反響している。
「ここから離れないで仲魔にしたいわね。とにかくアイツを確保しなくちゃ、鎖に繋がれてるのと同じだもの」
レミリアは耳打ちするようにして2人に伝えた。
キョウイチが声をおさえレミリアに話しかける。
「アイツがここを通るまで待つ気か? まあ、そのうち向こうからやってきそうではあるが」
「この場所で私たちが先に見つけるのが一番……ねえゴブリン」
呼ばれたゴブリンはレミリアの足元にやってくる。
そして片膝をつき、顔が地面につくほど背を丸めて見上げた。
「ナンダ」
「もうすこし離れて、魂胆バレてるのよ」
「ソモソモ、オレ、カクシテナイ、イイアクマ、セーフ」
「べつのゴブリンにたのもうかしら」
ゴブリンはカエルのように飛んで距離をあけた。
「ヨシ、ナンノヨウダ」
「単独で行動しているカボチャの悪魔をここまで連れてきて、余計なことは言ったらダメよ」
「サマナー、ザツ、ムチャイウナ」
「とにかくやってみてほしいのよ」
「オレ、ドウホウイガイ、ツレテコレナイ。ソレト、サマナー、オレトオマエ、タイトウ、ミクダスナ」
「命令ばかりで気分悪くしたのね。でもあなたには私の思い通りに動いて欲しいの。わたしたちの生きのびる確率が大きく変わる」
「オマエ、ジブンダケ、ラクスルコトバカリ」
「とにかくあなたには宝玉と魔石をいくつか渡しておく、どう使うかは任せるわ」
「サマナー、ゴウイン二、コトヲススメテモイダダダダッ!」
レミリアはゴブリンの尖った大耳を思いきりひねり上げた。
ゴブリンがつま先立ちになる。
「あなたさっき、欲望むき出しで私に言いたいこと言ってたじゃない。私にナイフで刺されても懲りずにスカートの中を覗こうとしてたじゃない。あの要領でやればどう? これがどういうことかわかる? あなたの素質を見込んでるということよ? それともできないっていうの? 同胞じゃない私にあんな大胆な行動とってたくせにね」
「アギギギ! ワ、ワカッタ、デモ、ド、ドウイエバイイ、ヒント、ヒント、チ、チギレルゥッ!」
レミリアはゴブリンの大耳に顔をよせ囁いた。
「たとえば私が主人ではなくて、あなたが狙ってる獲物だったら? とびきりの獲物がここにいるのよ、でもあなただけじゃ手こずりそうねーーさ、行ってらっしゃい」
煙たく霞んだ空気が流れるなかーー。
レミリアの眼差しに心を震わせたゴブリンは大人しく歩き去っていった。
☆
新宿地下街は、レミリアたちをおとなしく待ち伏せさせてはくれなかった。
仲魔のゴブリンがやってくるまでのあいだ、かつて人だった者たちーー若い女ゾンビのボディコニアン、元警官のゾンビコップーーや、新宿上空を飛んでいた魔鳥の一体、幽鬼おしちなどにからまれ
、レミリアたちは地下街をかけずりながらの撃退を余儀なくされた。
ただーージャックランタンと、トウマが語っていた雪だるまの悪魔ジャックフロストの2体とは戦いを避けつづけた。
地下街に出没する他の悪魔と比較しても、彼ら2体は頭ひとつ抜けて強力な攻撃魔術の使い手であった。
エコービルを徘徊していたコボルトやアンドラス、そしてゴブリンにも出くわしたが、同じ悪魔を仲魔にしている場合、彼らは敵意を解いて耳をかたむけてくれることが多い。
しかしーー。
そこまでたどり着ける者は皆無に等しい。
まず、仲魔ではない状態で交渉に持ちこむことが悪魔使いの第一歩だが、悪魔召喚プログラムを受けとったほとんどの者にとって、それは困難の極みである。
悪魔相手に、まともな会話や交渉など、成立しないのが通常なのだ。
たいていは失敗して殺される。
悪魔と一口に言えど様々だが、ほぼ共通するのは、彼ら彼女らは人の命をたやすく奪う。
マグネタイトを確保するためという理由は小さくないが、それでなくとも呼吸をするように人を殺す。
かりに契約までたどりついても、肉体や精神を乗っ取られ魂を奪われることがほとんど。
そもそも悪魔との契約は精神に深刻な悪影響をもたらし、ほぼすべての人間にとってデメリットでしかない。
結局、悪魔使いを目指す者の九割九部は悲惨な末路をたどることになる。
一方レミリアは、まるで前世の資質を引き継いでいると言わんばかりに悪魔との関係に非凡さを見出していた。
このさきーー。
トウマやキョウイチが、厳しい戦いを重ねるごとに魔術の才を大きく覚醒させていくように、レミリアも悪魔とのさまざまな関わりによって、彼ら彼女らを惹きつける天性の美貌と魅力をますます覚醒させていくことになる。
☆
「よっし! おいレミリア、起きろ」
「レミリア君、しっかりしてください、はやく回復道場に戻らないと」
夜魔インプの群れを、キョウイチの広範囲の火炎魔法が焼き尽くす。
トウマは、眠気まなこを擦り頭をふらつかせるレミリアの肩を揺さぶった。
「そうね……でもねむい……」
「いまのやつらの魔法です、全員眠らなくてよかった」
「わかるの……?」
「ええ」
「……そ」
ときに戦い、ときに身を隠し、ときに会話をしてやりすごしながら、レミリアたちは回復道場までもどってくる。
あたりを見わたす。
ゴブリンもお目当ての悪魔もいなかった。
キョウイチは歯をのぞかせた。
「いないな……まぁ俺たち、結構なあいだ戦ってたからな」
苦戦をしいられながらも、地下街の強力な悪魔たちとなんとか渡りあってきたことが、キョウイチをはじめとした3人に、少しの自信をもたらしていた。
「レミリア君……いまさらなんですが、僕たち間違って仲魔のゴブリンを倒してしまったなんてことは?」
「大丈夫、ありえないわ。なによりこれで確認できるもの」
レミリアはハンドCOMPに目を向けた。
キョウイチが話しかける。
「おまえには見分けがつくのか? 俺にはアイツらがどいつも同じに見える」
「そう?」
「あっーーレミリア君、あの2体」
トウマが指差す方向に視線をむけたレミリアの瞼がピクリと反応した。
「へぇ……これはビンゴ、やるじゃない」
「キミのゴブリンで間違いないですか?」
「うん、背後にまわりましょ」
「背後?」
「そうよ」
レミリアたちは回復道場の裏手にまわり彼らが通るのを息をひそめて待つ。
やがて彼らの後ろ姿をとらえると、レミリアは肩と腕をムチのようにしならせ、ジャックランタンの後頭部めがけ手斧を思いきり投げつけた。
「えぎゃっ!」
レミリアが投げた手斧は、橙色のゴツゴツとした後ろ頭に深々と刺さった。
浮遊していたジャックランタンは悲鳴をあげながら地べたに顔面を打ちつける。
レミリアは大きく跳躍し、ジャックランタンの後頭部に飛びのると、刺さっている手斧に片足をかけた。
「ゴブリン、たぶんタルカジャが切れてると思うの」
「サ、サマナー、ドコニイッテイタ、オレ、タイヘンダッタ、クロウシタ、アヤマレ」
レミリアは焼けた鉄のような目をしてジャックランタンの後頭部を見おろしたまま、やけに静かな口調でゴブリンに言葉を返した。
「ねえゴブリン。そういうのあとにしてくれない?」
「ヒッーー」
レミリアの雰囲気に、逆立つ髪の毛をワサッと震わせたゴブリンは、あわてて両手を前にだしタルカジャをとなえる。
レミリアは抑揚のない据わった声色でジャックランタンに言葉をかけた。
「ハッピーハロウィン。さっきは熱烈な歓迎をありがとう」
「な、なにを言ってるんだコンニャロ! あたまイッテんのかこのヤロー! ーーア、アアア! ヤ、ヤメテ踏まないで! あたまパックリいっちゃうぅーッ!」
「この頭のなか、どうなってるの? キャンディでも詰まってるのかしら?」
「レミリア君……勧誘は……?」
トウマがためらいがちに声をかける。
「コイツは私たちを殺しかけたカボチャ、やり返さないと気がすまない。仲魔にするのは別のカボチャにするわ」
「本当に……よくわかりますね」
「黒と白くらいハッキリと区別つくわ。意外と動物と同じ要領だったりしてね」
「は、はなせーッ! 悪魔違いだー! 気が狂ってるのかー! だ、だれかー!」
ジャックランタンは狂ったように叫び散らすものの、頭に刺さっている斧の動向に恐怖しているようで、満足に身体を動かすことができない。
「うそつき。だって私の目にはハッキリわかるもの。あなたがーーさっきの7体のうちの1体だって」
「ヌギッーーどけッ! はなせッ! 勝負だ! 堂々と勝負だ! おれの魔術でやっつけてやる!」
「勝負? そんなのに付き合ってあげないんだから。だってあなたはこのまま殺すもの、それで終わり」
レミリアは刃にかける足にジワジワと力を入れはじめた。
「ひぃ! お、おいヤメロッ! お、おいそこのオマエッ! よよよくもだましたなッ! なにが獲物だー! 悪魔のくせに人間の味方してるのかーッ!」
斧の刃がギリギリと食いこみ、抵抗する勇気のないジャックランタンは、三角にくり抜かれた空洞の目から涙をながし、いっそう強く喚いた。
「いい経験になったわ、さよなら」
レミリアは思いきり足をふみこんだ。
カボチャ頭がまっぷたつに割れ、ジャックランタンは衣服や手に持っていたランタンを残して姿を消した。
「ゴブリンよくやったわ。いまのもう一度やって欲しいの」
ところがゴブリンは咎めるような目つきでレミリアを見上げた。
「オマエ、オレガ、アブナイハシ、ワタッタコト、ワカッテナイ、オレ、オマエノ、ゲボクジャナイ、オマエナンカ、ナカマジャナイ、コロサレテシマエ」
「ーー……荒っぽいことばかり悪かったわ。そこまで嫌われたならもう契約を解く。お礼のつもりだけど謝礼になっちゃうわね。魔石と宝玉をもらってちょうだい。この世界で悪さしてほしくないけど……元気でね。短いつきあいだったけど助けられたわ」
レミリアは、いつか倒した悪魔が身につけていた布袋に、魔石と宝玉を豪快に入れはじめた。
目測でそれぞれ30個づつほど入っただろうか。
ボコボコと膨らんだ布袋をゴブリンにさしだす。
ゴブリンの視線がレミリアと袋のあいだを行ったり来たりする。
だがやがて、それらから背を向けると、ボソボソと言葉をもらした。
「ーーコンドハ、チャントココニイロ」
「あれだけ怒ってたのにやってくれるの? ーーあなた、いまどういう気持ち?」
「……」
「ゴブリンあのね、さっきも言ったけど、いまの私には、私のタイミングで私の意のまま動くゴブリンが必要なの。これは譲れないから、あなたがダメなら別のゴブリンにあたるつもり。あなたの言うとおりこれは対等な関係じゃない、仲魔じゃないわね。だから我慢ならないなら、無理せずこれを受け取って自由になってちょうだい。悪くない量だと思うけど」
「……シツコイ」
「そ、だったら今後ともよろしく」
ゴブリンが去っていくのを見計らって、キョウイチがレミリアに声をかけた。
「お前も、なかなかだな」
「いまは絶対に死ねないもの」
「ーーまた裏手で待つんだろ? 行こうぜ」
☆
「ウヒョー! たまんねー声! 楽しい歌だったぜぃ! よーし! おれになんのようだい? 愛しあいたいのかい?」
「…………仲魔に……なって欲しいのだけど…………」
ジャックランタンとの会話のなかで歌を聴かせてれしいと言われたレミリア。
はじめは強く拒否したものの、ジャックランタンはすがりつくようにして駄々を捏ねて何度も要求してくる。
幾度かの押し問答の末、これも仲魔にするためだとレミリアは折れた。
そしてトウマとキョウイチがうしろで見守るなか、レミリアは鼻っ柱と耳を真っ赤にして歌を聴かせたのである。
その後、いくつかの魔石とマグネタイトを渡したのち、ジャックランタンはご機嫌な様子で仲魔になった。
「ナー、そこのチョーベッピンのチョーかわい子ちゃんヨ、オイラにも歌ってくれヨ」
仲魔になったばかりのジャックランタンをリターンしたときである。
レミリアたちの耳に子供の声が入ってきた。
声のほうに視線を向ければ、紫のニット帽子をかぶった雪だるまの悪魔ジャックフロストが、人気ロックバンドの新曲ポスターが貼られた四角い柱から、まん丸の顔を半分のぞかせこちらを見つめている。
「……。やだ」
「なんでさー! いま歌ってたのにー!」
「それはね、仲魔になってくれる条件として歌っただけなの、仕方なくなの」
「じゃあオイラも仲魔になるよ。そういうことだろ?」
「……」
「オイラ見てたぜ? 姉ちゃんさー、さっきのヤツには歌と魔石とマグネタイトあげてたろ? でもオイラは歌だけでいいよ。そのかわりさー、オイラには2曲歌ってくれよなー」
ジャックフロストはトテトテとこちらにやってくると、レミリアのまん前で三角座りをした。
黒くて丸い目をレミリアに向け、置物のようにジッとしている。
「……なにしてるの」
「歌は座って聴きたいからサ」
「…………」
いま攻撃を仕掛ければ、たやすく倒せるだろうと考えてみたレミリア。
だが目の前のジャックフロストは、歌を聞くこと以外、なにも持ちあわせていないと言わんばかりの敵意のなさと無防備さである。
お目当ての悪魔が向こうから交渉を持ちかけきた。
間違いなくチャンス。
だがいくらチャンスと言えど、駅の地下街で歌を唄うことに抵抗と羞恥心があるレミリア。
さっき歌ったときも、『もう2度とこんな真似をするもんですか』と別の意味で生きた心地しなかった。
トウマとキョウイチが一言も言葉を発していないのも恥ずかしさに拍車をかけている。
「なにしてるんだヨ、歌ってくれヨ、オイラ待ってるだろ」
「あのねえ、プロでもない上手くもない私なんかの歌があなたにとって一体なんの得になるわけ? それよりも、魔石とか宝玉とか、なんだったらお金とかマグネタイトとかのほうが絶対役に立つでしょ? 私と一緒に戦うかどうか、それを歌で決めるなんてへんよ」
「だってアンタの歌がいいんだもん」
「……………………」
「は? おいよ、これどういう状況だ? てめえらなにしてんだ?」
ーーうわ、もうサイアク……こんなタイミングで……。
とつぜん背後でワードッグの声がした。
レミリアの瞳が真上に向く。
トウマが一段トーンを落としてワードッグに言葉をかけた。
「あの雪だるまの悪魔が、レミリア君が歌ってくれたら味方になるって言ってるんです」
するとワードッグは、なにか面白いオモチャを手に入れたとでも言うように、目を細め口角をグイと吊り上げた。
「なぁーにぃー? 歌うだけで仲魔になるだと? 金品の要求なしに仲魔になるなんざ一番理想的じゃねえかよ。なんでも平和的にいきたいもんだ、なあ?」
「もう目が覚めたの? 満足に休めてないでしょ、せっかくだからまだ寝てたらどう?」
レミリアがうしろのワードッグに言葉をかえした。
「だったら子守唄がわりに聴かせてもらうぜ」
ワードッグはレミリアの正面にまわると、壁際に身体をあずけ腕組みをした。
犬歯をのぞかせニタニタと薄ら笑いを浮かべている。
「姉ちゃん、オイラ待ってるだろー、イジワルかヨ」
「おいこら歌のねえちゃんよぉっ、犬とガキが行儀よくおすわりしてんだよこらぁ、放送事故やってんじゃねェぞこらぁ! ん? それともなにか? コイツやっちまう作戦か? だったらーー」
「ワードッグ君っっ!」
ジャックフロストの背後に迫ろうとしたワードッグをトウマが強い口調で呼びとめる。
「なんだよこら」
「僕たちは彼を味方につけないといけないんです」
「ほーーーう、だったら歌うしかねえなっ♪」
ワードッグは肩を揺すりながらふたたび壁際に身体をあずける。
トウマが遠慮しがちにレミリアに声をかけた。
「レミリア君……きみにしか頼れないなかで、こんな言いかたしたくありませんが……きみは彼に歌ってあげるべきです。おなじ悪魔でも話が通じないこともあるなか、彼を逃す手はありません。なにかあったら、僕たち対応できるようにしておきますから」
「おうそうだ、警護は俺たちに任せとけ。ーーさっ、ショーをはじめてくれ」
ーー嗚呼、うっとうしい。
レミリアは目を閉じ口を尖らせ息を強く吐く。
そして頑張って澄まし顔をつくり姿勢を整える。
「ゆーうーやーけのー」
「ストップストップ! 姉ちゃん! さっきとおなじ歌はやめてくれよォ! オイラ聴いてたんだからナ? オイラにお古聴かせるつもりかよォ」
「おいこらてめえっ! のっぴきならねぇときに恥ずかしがってハンパなことやってんじゃねえっ! 俺たちゃやらなきゃいけねえことがあんだろがこらぁっ! 気合い入れて別のやつ歌えやオラァ!」
ーーフゥゥゥゥゥ。
ワードッグが面白がってジャックフロストの肩をもちヤジを飛ばしてくる。
レミリアはとりあえず我慢することにした。
「あっ、そうだ! 姉ちゃんが着てる服! 姉ちゃんスクールのニンゲンだろ? オイラ知ってるんだ。スクールのニンゲンは色んな歌を習得するってさ。オイラ、その歌を聴いてみたいナ!」
「…………………。えーでるわぁーいすぅ、えーでるわぁーいすぅ、かぁーわぁいーいーはーなぁーよぉー」
しばらくのあいだ、新宿地下街のとある一帯にレミリアの歌声が響きわたる。
レミリアのそばにいたゴブリンが、やっかむような目をジャックフロストとレミリアに向けていた。