――ブライト家*1
カーテンの隙間を抜けて朝の日差しが部屋に差し込んでくる。
明るい光の筋が、ベッドで寝ているハルの、大人しい印象を抱かせる顔つきとは裏腹に、18歳という年齢相応に十分な膨らみのある胸元からのろのろと這い上がり、まだ子供っぽさを多分に残した柔らかな頬の輪郭を白く照らした。
「ん……まぶし…………」
閉じられた瞼が開き、空色の虹彩が現れる。
「ふわあああああああ~っ……」
上体を起こすと、大きく伸びをする。次いで、半覚醒状態で窓の外を眺めていると、澄んだ音色が外から聞こえてきた。自分の弟……ヨシュアの吹くハーモニカの音だと少し遅れて気付く。
「……ヨシュアはもう起きてるみたいだね」
星の在り処。妹のエステルも、ハル自身も大好きな曲だ。明るい旋律なのに何処か切ない。
「よし……私も早く支度しないと!」
今日はブライト家にとって特別な日。ヨシュアがブライト家に来てから5年が経っていた。
弟妹の2人も16歳。そして、16と言えば《
エステルとヨシュアの姉として、それから
「ひゅーひゅー! やるじゃない、ヨシュア」
「おはよう、エステル。ごめん。もしかして起こしちゃった?」
「ううん。ちょうど起きたところよ。でも、ヨシュアってば朝っぱらからキザなんだから~」
テラスから弟妹たちの会話が聞こえてくる。ハルは急いで着替えを済ますと、部屋を飛び出す。
「や~、お姉さん、思わず聞き惚れちゃったわ♡」
「なにがお姉さんだか……。僕と同い年のくせにさ」
「チッチッチッ、甘いわね。同い年でも、この家ではあたしの方が先輩なんだから」
「はいはい、良かったね」
「あ~、なんか投げやり」
ブライト家の姉弟たちは誰が決めたわけでもなく自然に仲良くなり、今では家族全員が互いを大事な存在だと思っている。特に次女のエステルと長男のヨシュアは歳が同じこともあり、姉弟の中では特に仲が良い。
そして、そんな2人の交流を満面の笑みで見守るのが、長女のハル・ブライトの日常だった。
「おはよう。エステル、ヨシュア。2人とも今日は随分と早いね」
「ハル姉!」
「ハル姉さん、おはよう」
朝の陽射しの中。ブライト家の三姉弟が顔を合わせる。3人とも、誰からともなく微笑み合う。
「……おーい。3人とも、おはよう」
「おはよー! もう朝御飯?」
「あ、父さん、おはよ!」
「おはよう父さん。朝食の用意、もうできたんだ?」
階下から3人を呼ぶ父の声に、三姉弟はそれぞれの言葉で応える。
「ああ、バッチリだぞ。3人とも、冷めないうちにとっとと降りてこい。母さんも待ってるぞ」
「はーい!」
「りょーかい!」
「すぐに行くよ」
三姉弟は返事をしながら階段を駆け下りると、そのまま1階のダイニングになだれ込む。
ダイニングのテーブルには5人分の朝食が既に並んでいた。赤いジャムを塗ったトーストとスクランブルエッグ。そしてサラダとミルクが食卓に並ぶ中、母のレナ・ブライトはハルと同じ薄い茶色の長い髪を背中に流し、落ち着いた色合いのエプロンに身を包んでいる。
父と母、家族5人での朝の団欒。ブライト家の朝は、いつもこうして賑やかに幕を開ける。
◇ ◇ ◇*2
「ごちそうさま~! うーん。おなかいっぱいになっちゃった」
「朝からよく食べるなあ……」
「いいじゃん。食う子と寝る子は良く育つよ♪」
「エステルの言うとおりだね。それに、今日はしっかり食べて気合いを入れてもらわないと」
朝食を終えたあと、エステルは牛乳を飲みながら、満足そうにおなかを擦っている。ヨシュアは呆れ顔だが、そんな彼女を注意するような素振りは見せない。その傍らでは、ハルが弟妹2人の会話に相槌を打ちながら、自分の分の食器を片付けている。
子供たちの会話にレナが苦笑いを浮かべる中、父のカシウス・ブライトが徐ろに口を開いた。
「エステル、ヨシュア。お前たち、今日はギルドで研修の仕上げがあるんだろう?」
「うん。今までのおさらいだけどね」
「それが終われば、あたしたちも父さんやハル姉と同じ『
父と姉の胸元を飾る
だが、エステルにとってはそれだけではない。
エステルたちの住むリベール王国は、大陸の西部の位置し、豊かな自然と伝統に育まれた、大陸でも有数の《
しかし、優れた技術は良いことばかりをもたらさない。リベール王国の
現在では《百日戦役》と歴史書に記録されているこの戦争は、十年前、エステルが6歳のときに起こった。リベール王国は、多大な犠牲を出しながらも帝国の侵略を辛うじて退けたのだが、このとき戦争を終わらせるための講和に大きな貢献をした組織があった。
それが大陸全土に支部を持つ
「もう、子供扱いさせないんだから!」
「フフン、まだまだ青いな」
「ふふ、青春って感じがするわね」
両親にからかわれたエステルが、プウッと頬を膨らませる。
「もう! 父さんも母さんも!」
「あはは……でも、お父さんの言うことももっともだよ。最初になれるのは《準遊撃士》。まだまだ若葉マークの見習いだからね。早く一人前になりたいのなら、経験と実績を積んで《正遊撃士》にならないと」
尚、当然のようにハルは正遊撃士の資格を取得している。16歳で準遊撃士となり、その年の内に正遊撃士へと昇格した彼女は、正遊撃士の資格取得の最年少記録唯一の保持者だったりする。
「むむっ、上等じゃない。見てなさいよ~。いっぱい功績を上げまくって、父さんやハル姉を追い越してやるんだから!」
「はっはっはっ。やれるもんならやってみろ」
「その日が来るのを楽しみに待ってるよ」
「むうううっ……。父さんもハル姉も、そうやってあたしのことを子供扱いしてー!」
「なに張り合ってるんだか……」
父と姉のからかいに、エステルはさらに頬を膨らませる。だが、当の2人は楽しそうに笑っているだけだ。その傍らでヨシュアが呆れ顔で首を振ると、エステルをなだめようと声をかける。
「エステル、油断は禁物だよ。今日は最後に試験だってあるんだからね」
「え゛。…………………………試験って、ナニ?」
「ま、まさか……覚えてないとか言わないよね? 研修が身に付いているかどうか確認するためのテストだよ。合格できなかったら補習だってシェラさんが言ってたじゃないか」
ヨシュアは笑顔を引きつらせると、エステルはハッとした顔になり、次の瞬間にはダラダラと冷や汗をかきながら明後日の方向を見つめる。
エステルの脳裏には、幼いときから慕っている女性
シェラザード・ハーヴェイ。《銀閃》の異名を持つ新進気鋭の正遊撃士で、父カシウスや姉のハルとも
「やっば~……カンペキに忘れてたわ……そう言えばシェラ姉がそんなこと言ってたような気も……まーでも、なんとかなるって☆」
「はあ、君って子は……ノンキというか、そそっかしいというか」
「まったくもって嘆かわしい。この楽天的な性格は、いったい誰に似たもんだろうな」
「し、失礼ね~。父さんほどじゃないってば!」
「ふふ、似たもの父娘ね」
弟と父のダブルツッコミに、エステルはムキになって反論する。
「けど、お父さん。これくらい前向きのほうが
「エステルの場合、前向きというより能天気なだけな気もするがな」
「またそんなこと言って~。あたしだってちゃんと考えてるんだからね!」
カシウスの言葉に頬を膨らませるエステルだが、それをカシウスが相手にする様子はない。ヨシュアも肩をすくめる。この一家の会話はいつもこんな調子なのだ。
「やれやれ。エステル、そろそろ町に行こう。ギルドでシェラさんが待ってるよ」
「ん、わかった。シェラ姉を待たせると怖いもんね」
ヨシュアに促され、エステルは席を立つ。と、そこで思い出したようにエステルが口を開く。
「あ、そうだ。今夜の献立、なにか買っておいたほうがいいものでもある?」
「そうね……。魚のフライにするから、いつも通りでお願いね」
「りょーかい! じゃあ、行ってくるね!」
「ああ、待った。私からも頼みがある。雑貨屋で『リベール通信』というニュース誌を買ってきてくれないか? 今日、最新号が入荷するはずなんだ」
早速、家を飛び出そうとしたエステルだったが、父の頼みに動きを止める。
「『リベール通信』?」
「ああ、これがその代金だ。残ったら小遣いにしていいぞ」
カシウスは財布から取り出した500ミラ硬貨をエステルに渡すとフッと笑う。
「ただし、無駄遣いはするなよ?」
「やった、ありがと!」
エステルは嬉しそうに顔を輝かせると、今度こそ家を飛び出して行った。
「それじゃあ、僕も行ってくるよ」
「おお、しっかりやれよ。シェラザードによろしくな」
「いってらっしゃい。気を付けて帰ってくるのよ?」
両親に見送られ、ヨシュアも家を出る。そして、弟妹たちのあとを追うように……
「じゃ、私も行ってくるね。2人の姉として、成長の記録をしっかりアルバムに残さないと。この日のために、ミレニアム製の最新型カメラを用意しておいたんだから」
「やれやれ。お前も、エステルに負けず劣らずの楽天家だな」
「ふふっ、そうかもね。でも、私は私なりに考えて行動しているつもりだよ」
5人の住むブライト家は、リベール王国・ロレント地方の地方都市ロレントの郊外にある。三姉弟は
これで一家の団欒はお開きだ。だが、子供たちが家を出ていくとすぐにカシウスとレナの2人も動き出し、それぞれ仕事へと向かうのだった。
TIPS:
リベール王国。
豊かな自然に囲まれたその国土はヴァレリア湖を囲むように5つの地方に分かれています。
各地方の中心都市であるロレント、ボース、ルーアン、ツァイス、そして王都グランセルは五大都市と呼ばれ、女王陛下の直轄地である王都を除いては、これらの都市の市長が地域の統括を兼務しています。