――ロレント地下水路*1
地下水路の中は薄暗く、水の流れが作り出す音だけが静かに響いている。薄暗いと言っても真っ暗ではなく、等間隔に設置された導力灯の灯りが通路を照らしている。エステルとヨシュアはその光を頼りに慎重に進んでいく。
しばらく進むと、通路の奥から魔獣の唸り声が聞こえてきた。やがて2人の前に現れたのは、ネズミのような見た目をした《ダーティーラッチュウ》という魔獣だった。
「……出たわね」
「エステル、背後を取られないように気を付けて」
「分かったわ!」
ネズミ型……とは言っても、本物のネズミとは身体の大きさが全然違う。大型犬ほどのサイズがある。獲物を捕らえるための長く硬い爪を生やし、引き裂くための大きな牙を持っている。
対するエステルの武器は身長ほどの長さの白木の杖だ。ヨシュアの方はダークと呼ばれる片刃の短剣を左右、両手に持っている。エステルとヨシュアは適度な距離を保ちながら、ジリジリと距離を詰めてくる2体のダーティーラッチュウの出方を窺っている。
キィイィィィィ!!
最初に攻撃を仕掛けたのは、エステルに狙いを定めた左側のダーティーラッチュウだった。エステルの細身を噛み砕かんと飛びかかるが、エステルは間一髪のところで後ろに飛び退く。攻撃が空振りに終わり、魔獣は勢い余って床に転がりながら壁に激突した。
ヨシュアの方はというと、左手のダークを身に引き付け、急所の首筋を狙ってきた魔獣の牙を刀身で受け止める。
ガツッ!
と、手に衝撃を感じる。身体ごとぶつけられたが、辛うじて牙も爪も当たっていない。
魔獣の真っ赤な口が、ヨシュアの顔から、ほんの小指二本ほど先にあった。臭い吐息を至近距離で感じる。牙から滴るよだれがはっきり見えた。開いた口腔から伸びる赤い舌も。その奥の喉がごくりと蠢くのも。
互いの視線が交差する。ヨシュアの琥珀色の瞳に映る魔獣は、まるで飢えた獣のようだ。
「疾ッ!」
そのまま右手でダークの刃を滑らせ、ダーティーラッチュウの首筋を斬りつける。硬い外皮と筋肉に覆われてはいたが、ヨシュアの一撃は魔獣の首筋から骨をも断ち切った。
「エステルは――」
「せいっ!」
意気衝天。魔獣が体勢を取り戻すよりも先に振りかぶった白木の杖を力任せに振り下ろした。その一振りは狙いを外すことなく、ダーティーラッチュウの頭部に直撃する。
ゴッ! 鈍い音とともに、魔獣の頭が床にめり込んだ。白目を剥き、泡を吹いている。エステルは白木の杖を魔獣から引き抜くと、一歩下がって距離を取り、警戒の表情で地に伏した魔獣の生死を確認する。
「うん、大丈夫そうね」
「そうだね。上手く急所に当たったみたいだ」
エステルの一撃で、ダーティーラッチュウは絶命していた。エステルは白木の杖を背中に背負い直し、ヨシュアは魔獣の死体を検める。魔獣が落とした素材を回収するためだ。ヨシュアは魔獣が落としたセピスを回収してポーチに仕舞うと、エステルに向き直る。
「それじゃあ、魔獣手帳に記録しようか」
「はーい」
エステルとヨシュアは魔獣手帳の空白のページに、ダーティーラッチュウの外見や特徴などを書き込んでいく。その作業が終わると同時に、再び魔獣の唸り声が通路の奥から聞こえてきた。2人は互いに視線を交わすと頷き合い、各々の武器を構え直す。
「エステル、相手によっては武器での攻撃が通用しないこともあるよ。アーツも使っていこう」
「りょーかい!」
エステルとヨシュアは再度戦闘態勢を取る。そして、羽ばたき音と共に姿を現したのは、《ガーフェイズ》――コウモリの群れだ。エステルとヨシュアは背中合わせに陣形を組むと、迫りくる魔獣の群れを迎え撃った。
◇ ◇ ◇*2
「……まだまだ未熟の域を出ないわね」
2人の奮闘を地上から見守っていたシェラザードが、ぽつりと感想を漏らした。エステルの戦いぶりは、シェラザードの目からすると実戦経験の少なさが窺える、まだまだ拙いものだった。しかし、16歳という彼女の若さを考慮すれば、十分に及第点と言えるだろう。
「そうだね。せめて、すれ違いざまに一撃を加えるくらいのことはしてほしいかな」
タブレット端末型の
「……それにしても、導力技術の進歩ってすごいわね。こんなものまで作れるなんて」
「安心と信頼のミレニアム社製だよ。社長からモニターを頼まれてね」
このタブレットには導力通信機能に加え、導力カメラ機能なども搭載されている。そのコンパクトな筐体から信じられないような性能を繰り出す最先端の
「ミレニアム社の総裁……クロスベルの《ビッグシスター》リオ・クロイスからねぇ」
「うん。リオとは昔からの長い付き合いだから、その縁もあってね」
ハルは、このミレニアム社の社長であるリオ・クロイスとは旧知の仲だ。以前、仕事でクロスベルを訪れた際に出会った縁である。それから何度も顔を合わせ、今では互いに情報を交換したり、物資や装備の融通をしたり、連絡を取り合う中だ。
クロスベル自治州に寄った際には必ず挨拶に行くのだが、ハルにとってはそれが楽しみでもあった。クロスベルは『魔都』などと言われているが、同時に経済交流の名所となっている。そして何よりも、多くの旧友が暮らしている。余裕ができれば、また会いに行こうとハルは考えていた。
「おっと、そろそろ2人が宝箱のところに着くみたいだよ」
「箱の中身を見たら失格だけど……エステル、きちんと我慢できるかしらね?」
「ヨシュアが一緒だから大丈夫だとは思うけど……」
ハルたちはそんな会話を交わしつつ、地下水路の探索を続けるエステルとヨシュアの様子をタブレットの画面越しに見守っていた。そして、2人の試験も終わりの時を迎えることになる。
◇ ◇ ◇*3
エステルとヨシュアは魔獣との遭遇を繰り返しながら、地下水路の奥へと進んでいた。魔獣の強さはまちまちだが、2人だけで戦っても十分に対処できる程度のものだった。
そして、ついに2人は目的の宝箱の前に辿り着く。その宝箱は見た目には何の変哲もない。とはいえ、すぐに開けることなく、まず周囲の安全を確認することにした。大したことのない魔獣ばかりとはいえ、先制攻撃で奇襲される可能性もゼロではないからだ。
「……周りに魔獣はいないみたいだね」
「これが目的の宝箱かー。この宝箱の中身を持ち帰ればいいのよね?」
「そうだね。宝箱の中身を回収して持ち帰る。それが今回の実技試験の内容だよ」
エステルは宝箱の蓋に手を掛ける。ヨシュアはその後ろで身構え、エステルの安全を確保する態勢を取っていた。いざという時に備えるその姿勢は、流石は遊撃士を志す者の行動だと言える。
「それじゃあ……開けるわよ?」
「……うん」
2人は緊張した面持ちで頷き合い、意を決して宝箱を開ける。すると、中から現れたのは――
「箱……?」
「箱だね……」
掌に収まるほどの小さな箱だった。宝箱の中に入っているからには、この小さな箱もれっきとした宝物の類なのだろうが……見る限りでは、どこにでもあるような小箱にしか見えない。
「ふ~ん、宝箱の中にまた箱がしまってあるなんて変ね。2つってとこも気になるし、う~ん、中には何が入ってるんだろ」
「エステル、今回の任務は捜索と回収だよ。対象の調査は任務に入ってなかったと思うけど」
ヨシュアがやんわりとエステルに注意する。今回の実技試験の目的は、地下水路の探索と宝箱に収められた宝物の回収だ。箱を勝手に開けてしまうのは、その任務の範疇ではない。
しかし、ヨシュアにたしなめられたエステルは、むぅっと頬を膨らませる。そのまま小箱から目線をヨシュアの方に移動させると、琥珀色の瞳をじっと見つめながら口を開いた。
「もう、ヨシュアってホントにお堅いんだから。仕事じゃなく純粋な好奇心の問題よ」
数秒の間が空いた。エステルはそわそわとした様子で、2つの小箱とヨシュアの顔を交互に見ている。遂に欲求を抑えきれなくなったエステルは、ヨシュアに対して問いかけた。
「……ねえ、誰も見てないし、ちょっと開けてもバレないわよね?」
「落第したいんだったら止めないけど……」
「ら、落第ぃ?」
エステルが素っ頓狂な声を上げる。一方、ヨシュアは落ち着いた様子で忠告を続ける。
「そういう可能性もあるってこと。もし、これが本当の仕事だったら、それは依頼者の持ち物だからね。非合法の物でもない限り、中身を確認する権利はないはずだよ」
「あ、それはそうかも……」
ヨシュアの正論に対してエステルは素直に頷いた。いくら興味があったとしても、それはあくまで好奇心の話であって、仕事を疎かにしていい理由にはならないのだ。それでもやはり興味津々といった様子のエステルを見て、ヨシュアは小さくため息を吐いて苦笑いする。
「どうしても気になるなら、あとでシェラさんにお願いしてみれば?」
確かに、試験官であるシェラザードならこの小箱の中身を知っているかもしれない。落第の危険を冒すよりも、そちらの方がよっぽど確実で安全だ。シェラザードに聞いてみて、それでも駄目なら諦めることにしよう。エステルはそう心に決めて宝箱の蓋を閉じた。
「……さて、それじゃ、帰り道も集中して行こう」
「オッケー!」
元気よく答えると、エステルは2つの小箱をポーチの中にしまい込む。それから、2人は来た道を引き返し、地上への帰路に就いた。地上に戻るまでが試験である。エステルとヨシュアは警戒を怠らず、地下水路を進んでいくのであった。
TIPS:
ダーティーラッチュウ。
ロレント地下水路に生息する夜行性の小型魔獣です。
【属性有効率】
地:100
水:100
火:100
風:100