座敷童の恋   作:quiet

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「あ、ああいうときは肩を叩いてください」

「すみません。死角から触られる方が怖いかと思って、気を遣ったつもりだったんですが」

 

 それでもどう考えてもあんな風に囁く必要はないと櫻子は強く思うけれど、図書室は静かにした方がいいかと思ってと言い返されれば、何も言えない。

 

 そんな風に、二人で歩く夕焼けの帰り道だった。

 

「何を読んでいたんですか?」

「目に付いた外国の小説です。それより肇さん、私が図書室にいるってよくわかりましたね」

「いや、いたらいいなと思って覗いただけです」

 

 夏の日は長く、夕方とは言っても、西の空にじわじわと紫の色が載り始めるばかり。

 

 行き交う人々はいまだ日中の熱を引きずって、額に、腕に、汗している。これから夜が来ることを忘れてしまったのか、誰も彼もが心なし活発で、駅近くの通り沿いにある店は、いつもよりも賑わって見える。

 

 その流れに逆らって、二人はバス停へと向かう。

 

「……会議、思ったより早く終わったんですね」

「ええ。おかげで帰りの時間も合いました」

「解決したんですか?」

「いやあ、無理ですよ。畔上さん、『誰がこれを出したか調べたい』とまで言うんですから。あれだけ広がって、流石にそれはすぐにはできません。ああいうのは頭じゃなくて、足で解くものです」

「じゃあ、どうなったんですか?」

 

 肇は肩を竦める。

 

「一時解散というところだそうです」

 そうして、彼は語ってくれた。

 

 出版社の編集部に行き、よくもまあこれで資料が管理できるものだというような書類の山に囲まれてきたこと。これまでに集めたという手紙を畔上がいくつも出しては、自分に検分させてきたこと。それがもちろん筆跡なんかバラバラで、ときには定規を使ってそれを隠そうとしたようなものまである。だというのに畔上は一つ一つを見せるたびに「これで何かわからないか」と何度も訊ねてくる。

 

 そんな話をしているうちに停留所に着いて、

 

「私、警察の分析官か何かだと思われてるんですかね」

 

 くすくすと櫻子は笑った。

 

「前のこともありますし、肇さんは何でも知っているように見えますから」

「うーむ。得体の知れなさがここに来て仇になりましたか」

「あ、自分で」

「自分の持つ印象の問題ですから、流石に自覚はありますよ。結構普通に過ごしているつもりなんですけどね」

 

 もしかして、とそのとき一瞬、櫻子は思った。

 気にしすぎかもしれない。けれどもしかしたら、自分だったらと、そう思ったから。

 

 見当違いならそれでもいいやと思って、

 

「ずっと一緒にいれば、普通の方に見えるんですけどね」

 

 慰めるつもりで言ってから、でも、櫻子は思った。

 普通の、という言い方はなかったかもしれない。面と向かって「普通の人だね」と言われるのは、ひょっとすると一般的にはあまり良い体験ではないかもしれない。

 

 ちら、と横目で反応を窺う。

 

 肇は、驚いたように目を丸くしていて、

 

「――櫻子さん、」

 

 それから、ふ、と頬を綻ばせた。

 

「それ、本当に思ってます?」

「…………」

 

 本当は、まあ、確かにそんな風には思っていない。

 これだけ一緒に住んでいて、生活の癖なんかもわかって、しかしなお思う。この人はちょっと不思議で、捉えどころのない人だなと。

 

「思ってますよ。もちろん。自分で言ったんですから」

「本当かなあ」

「な、何ですか」

 

 じり、と櫻子が後ずさる。

 

 するとちょうどそこにバスがやってきた。助かった、と櫻子は心の中だけで思う。肇もまた笑って、

 

「じゃあ、そういうことにしておきます」

 言って、バスに乗り込む。

 

 次に畔上が来たのも夜で、それから三日後のことだった。

 

 

 

 

「……どう思いますか、これを」

 これでは畔上が犯人探しに躍起になるのも無理はない、という持ち込み物だった。

 

 仕事を終えてからそのままやってきたらしい畔上は、最見屋の接客机の上に今、新たな証拠品を広げている。櫻子は彼女の斜向かいに座っていて、その隣には肇がいる。

 

 ううん、と彼も唸った。

 

「困りますね、これは流石に」

「ですよね!」

 

 広げられた証拠品は、新たな手紙。

 

 それも何と、十通近くある。

 

「昨日今日で来たんですか?」

「そうです。今朝、家を出る前に郵便受けを見て気付いて。それにこれ、見てください」

 

 畔上はそのうち、八枚ほどの封筒を手に取った。

 安っぽい、どこにでもあるような封筒だ。最見屋で子どもたちにこの間配ったのと同じ種類のもの。しかし決定的におかしな点が、確かにある。

 

「何も書いてないんですか」

 思わず櫻子が横から口を出すと、畔上は深く頷いた。

 

「差出人はともかく宛先がないってことは、つまりうちの郵便受けに直接入れたってことでしょう。私だけならともかく、うちには郁みたいな小さな子もいますし、気味が悪くて」

「なるほど。まあ、確かに仰る通りです。これ、うちでお預かりましょうか」

 

 言えば、彼女は驚いた顔をして、

 

「いいんですか?」

「ええ。郁くんに見せたくなくて持ち歩いているんでしょう。それなら一旦、うちで保管しておきますよ」

 

 どうもすみません、と頭を下げる。

 いえいえ困ったときは、と肇はその手紙を重ねて、自分の側に引き寄せる。

 

「私は引き続き、どこからこの手紙が始まったのかを探ってみるつもりです。明日は日曜で、時間もありますし」

「ですか。では私の方でも、何か手紙から得られる情報がないか探してみますよ。といって、これではお力になれるかわかりませんが」

「いえいえ。先日の、これは海の向こうでも流行っていた類型の一つだというお話は大変勉強になりました。日中は子どもたちもお世話になっていますし。前回の取材料とは別に、また調査料をお支払いしますね」

「いやいや。私も何も、専門の捜査官というわけではないですから」

「そうですか? ではあまり最見屋さんのご負担になってもいけませんし……今度、また出版関係の仕事をご紹介します。最近、出張先でちょっとした縁があって。そうだ、仕事帰りだからちょうど、」

 

 畔上はごそごそと膝の上で鞄を漁る。

 すると中から一冊の雑誌が現れて、

 

「骨董品を扱う雑誌なんですが、最近海外から入ってくる資料の扱いに困っているそうなんです。どうも前から資料の翻訳をしていた詳しい方が、老眼もあってなかなか思うようにいかなくなってきたらしくて。それでどなたか専門用語にも詳しい方がいればということだったんですが、いかがですか」

 

 肇はぱらぱらと資料を捲って、

 

「ああ、これなら問題ありませんよ。こっちは確かに、私の専門分野です」

「そうですか。じゃあ、私の方から今度そっちの関係の方に伝えておきます。しばらくすれば向こうから最見屋さんに連絡があると思うので、どうぞよしなに。しっかりした雑誌ですし悪い評判も聞きませんが、もし何か問題があるようなら、そのときは私に相談してください。仲立ちしますから」

 

 これはこれはと頭を下げる。

 そちらは参考にお持ちくださいと畔上は言って、立ち上がる。

 

「それでは、手紙の件も含めて、どうぞよろしくお願いしますね。夜分遅くに失礼しました」

 

 言って、彼女は去って行く。

 

 お見送りを終えて、櫻子は肇とともに最見屋の中に戻ってくる。

 二人は机の上の手紙の束と雑誌を見て、

 

「……仕事が、増えた」

「増えましたね」

 

 うーむ、と肇は首に手をやる。

 何か悩んでいるんだな、と櫻子は思った。

 

 

 

 

「そういえばそれって、実際のところ効き目はどうなんですか」

 何かその悩みを解くきっかけになればと思って、日曜、ひそっと櫻子は肇に語り掛けた。

 

 昼間。今日も今日とて子どもたちは最見屋に遊びに来ていた。

 今は肇が作った競技台で、ベーゴマ回しが大流行りしている。この間まではすごろく遊びに没頭していたと思ったら素早い変わり身で、子どもたちにとっての夏の過ぎ去る早さに、つい櫻子は思いを馳せてしまう。

 

 勝った負けたと盛り上がっているから、今ならその横で黙々と宿題を進めている郁たちにも、自分たちの声は届かないだろう。

 

「その『幸運の手紙』。本当に幸運は訪れるんですか」

「訪れないこともありません。卵の黄身が二つになるとか」

 

 すると、何とも反応に困ることを肇が言った。

 それはどうなんだろうと櫻子は思う。確かに効き目がないとは言えない。言えないが……。

 

「封筒代の方が高くつきそうですね」

「でしょう。多分、最初の頃はもうちょっと効き目があったと思うんですけどね。広がっていくうちに薄れて行ったんだと思います」

「え? じゃあ、最初にそれを出した人は妖の……何て言えばいいんでしょう。そういう、おまじないができる人だったんですか」

「でしょうね。妖の可能性もありますが、読み書きできるって奴は少ないし、できても今の子どもたちにまで伝わるようなものを書けるのは少ないから、どうかな」

 

 櫻子は驚いて、

 

「そこまでわかっているんですか。それなら畔上さんにそれをお伝え……できませんよね」

「迷信嫌いの方ですからねえ」

 

 すると今度は、うーんと悩むのは櫻子の方だった。

 

「迷信……というわけでもないんですけど。難しいですね」

「櫻子さんも、私の気持ちをわかってくれますか」

 

 わかった。

 

 思えば肇は大抵の場合、妖の品を扱うときは相手をなあなあのうちに丸め込んでしまう。妖が相手ならもちろん率直に話すけれど、直接に「これは妖に関わることで」と言ったのは、思えば幸多が相手のときくらいしかない。それ以外は「そういうものですから」で押し通してしまっているのだ。

 

 そうなると、こういう確固とした結果を伴わない途中経過を伝えるのは特に難しく、

 

「証拠を目の前に出せるわけじゃないですもんね。あの、前からちょっと思っていたんですが、」

「はい」

「もしかしてこのお店は人を相手に商いをするよりも、妖の方を相手にした方がやりやすいのでは……」

 

 思い切って言葉にしてみれば、深く深く、肇は頷いた。

 

「確かにそうなんですが、そうなると貨幣の収入がなくなってしまうんですよねえ。大体、妖は自分にまつわる品で対価に代えようとしますから」

「ああ……なるほど」

「お大尽のお得意様がついてくれればいいんですが、しかしそういう欲張りはすぐに破滅してしまうというのも世の常ですし」

 

 なかなか難しいところです、と肇は言う。

 なかなか難しいところですねえ、と櫻子も言った。

 

 そのまましばらく、子どもたちが遊ぶのを眺めていた。

 ぼんやりとした時間が流れている。いつも涼し気な空気が漂っている最見屋にも、徐々に昼の暑気が忍び寄ってくる。子どもたちもきっとそのうち、「暑い!」といつものように叫んでは、登川の方に駆けていくことだろう。

 

「しかし、」

 不意に、肇が言った。

 

「誰一人として店に来なかった頃から比べれば、今は大幅な進歩です。櫻子さんのおかげですね」

「え、いや」

 

 櫻子は両手を胸の前で、

 

「私は何も。いつも肇さんが頑張ってらっしゃるんじゃないですか」

「そうですか? いつも結局櫻子さんに何とかしてもらっているので、ちょっと私としては甲斐性なしなところを見せつけてしまっているかなと日々思っているんですが」

「いやいや」

「いやいやいや」

「櫻子ちゃーん。喉渇いたー」

 

 言っていると、幸多がいつの間にか勘定台の前に来ていた。

 

「なんかちょーだい。金ならある!」

「そういうの、今の子はどこで覚えてくるんだ?」

「学校で流行ってる」

「何を教えられてるんだ、学校で」

「幸多さん、飲み物は何がいいですか?」

「炭酸!」

 

 はいはい、と櫻子は立ち上がって、帳場の奥の氷箱へ向かう。瓶を一本取って戻ってくれば、幸多はすぐさまこの間の余りのお金を払って、

 

「お~……。つめたい……」

「ちゃんと帰ったら歯は磨くんだぞ。虫歯にならないようにな」

「あーい」

 

 瓶に頬ずりしながら、ベーゴマ大会に戻って行く。

 幸多はもう負けてしまったのか、それとも次の試合待ちなのか。櫻子はぼんやりと彼の手の中の青い瓶を見ながら考えて、

 

「瓶の中の手紙って、」

「え?」

「ご存じですか。肇さんは」

 

 ふと、思い出した。

 というと、と肇は、

 

「あれですか。瓶の中に手紙を入れて海に流すという」

「そうです。この間、図書室で読んでいた本の中に出てきて。素敵だなと思ったんですが、やっぱり実在するんですね。あ、別に、だから何だという話じゃないんですけど」

 

 何となく見ていたら思い出して、と櫻子は笑って言う。

 

「でも、もし瓶詰で『幸運の手紙』が届いたら大変ですよね。あれこそ宛名も差出人もありませんし、畔上さんも流石に海の向こうまでは追えないでしょうから」

「……櫻子さん」

「はい。何ですか」

「やっぱりいつも、あなたのおかげです」

 

 櫻子は、肇を見る。

 

 彼は優しく微笑んだ。

 

「もう一度畔上さんと話をしたら、それでこのお話は終わりです。説得の仕方を思い付きました」

 

 

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