座敷童の恋   作:quiet

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第七話 まつりまつれどまつるとき(上)


 

 

 大繁盛の前触れというのは、まあ、ない。

 だからその日も櫻子は、それがそうだとは全く思っていなかった。

 

「おや、自転車だ」

 隣に座って翻訳の仕事を続けていた肇が、窓の外を見て言った。

 

 昼過ぎのことだ。子どもたちの流行はベーゴマから再びすごろくに戻り、今日も今日とて勝った負けたに一喜一憂。一方でこの夏こつこつ手芸遊びを続けていた地道な子どもたちは、とうとう自分なりにぬいぐるみを形にするに至り、もう一個作ってみるか、それともこのあたりでまた別の遊びを見つけてみるかに悩み始めている。宿題はあらゆる意味で気にされなくなった。取り組んでいた子はもうとっくに終わらせて、取り組んでいない子はもう存在を忘れてしまったから。

 

 清書の一字を書き切って、少し遅れて櫻子も顔を上げる。

 

 見れば、知っている顔だ。彼女は颯爽と自転車を乗りこなし、店の庭先に入ってくる。降りる姿もなかなか堂に入ったものだけれど、自転車を停めるとき、「なんだあれは」と言いたげな仕草で後ろを何度も振り返る。

 

 やがて、店の中に入ってきた。

 

「こんにちはー。わっ、子どもがいっぱい」

「何者だー。名を名乗れー」

「武士もいるし」

 

 松波千枝。櫻子の通う料理教室の生徒だった。

 

 彼女は三田村幸多や他の子どもたちからの声掛け、好奇の視線をすり抜けると、帳場に座っていたこちらに向き直って、

 

「こんにちは。あの、春河先生。どこから訊いていいかわからないんですけど、とりあえず一個だけいいですか」

「うん。何?」

「庭の桜の木は何なんですか。今、夏ですけど」

 

 じっと千枝が外を見つめるから、櫻子もまた同じ方を見た。

 ここ最近、ずっと投げかけられてきた問いだ。子どもたちはもちろんのこと、その家族、ときにはところどころに張り出した広告のチラシを見てやってきた一見のお客。ほぼ全員が、この店に入ってきてまず最初にその疑問を口にする。

 

 櫻子はいつも苦笑して誤魔化す。けれど肇がいるときは、彼は必ず決まってこう答える。

 

「そういう気分なんでしょうね」

 

 すると大体、客は同じ反応をする。

 

「えぇ……」

 困惑するような、呆れたような顔と声。

 

 だから肇はいつものように、

 

「ま、いいじゃありませんか。この世に一本くらい、そういう桜があったって」

 

 にっこり笑って、誤魔化しにかかる。

 最初から苦笑して誤魔化すのと何も変わらないのではないかと櫻子は思う。

 

「……まあ、いいですけど。咲いてるものは咲いてるんですし」

 不服げながら、千枝はそれを飲み込んだ。

 

 ちらちらと背中の方も気にしていて、「なんで道具屋にこんなに子どもが集まってるんだろう」と不思議に思っているような、あるいは机の上を見て「どうして外国語の本がこんなに広げてあるんだろう」と訊きたがっているような、そんな素振りを見せつつ、

 

「今日はですね、宣伝に回ってるんですよ」

 彼女は用件を告げた。

 

「宣伝?」

 首を傾げれば、そうなんです、と鞄を漁る。

 

 紙束が入っているらしい。あれ上手く取れない、なんて彼女は指先で苦戦しながら、

 

「学校も夏休みだし、うちのお父さんも木曜になってから言い出すものだから、学校の友達のところまで自転車で巡る羽目になっちゃって」

「千枝さん、とうとう自転車買ったんだね」

「そうなんですよ! その自慢もしようと思ってたのに、お庭でびっくりしちゃって」

「すいすい乗れてたけど、練習したの? 格好良かったね」

「でしょー。最初あんな綱渡りみたいなの絶対無理って思ったんですけど……ちょ、全然取れないな。机、お借りしてもいいですか?」

 

 どうぞ、と答えて資料をどける。

 すみませんと千枝は鞄を置く。なるほど取りづらいわけだ、と櫻子はそれを見て思った。紙の幅がほとんど鞄と同じくらいで、口のところに引っ掛けて破いてしまいかねない。

 

 さっ、とようやく千枝が一枚を取り出した。

 こっちに向けてくれていたから、すぐにその文面が読み取れる。

 

「夏祭り?」

「そうです! さいはて町は今年、夏祭りを開催することになりました!」

 

 なんだなんだ、と子どもたちが『祭り』を聞きつけ騒ぎ出す。

 千枝はそのまま胸を張って、

 

「一応、うちの父が自治会の役員をやってまして」

「あら。お嬢様だ」

「そんな大層なものでもないんですけどね。最近は鉄道も通って、このあたりも人が増えてきたじゃないですか。それもあって、夏祭りを企画しているそうで。今日はその宣伝に来た……んですけど」

「ねー。これ出店ある?」

「射的ある?」

「どこでやるんですか?」

「よっちゃんも誘いにいこーぜ」

 

 わらわらと群がられるのを千枝は、はいはい一枚ね、とチラシを与えることで自分から引き離して、

 

「覿面みたいですね。来てよかったー。いつからこんな感じになってたんですか?」

「夏休みだからね」

「あ、なるほど。……なるほど? ちなみにこれ、お店に一枚張ってもらったりってできますか?」

「もちろん。いいですよね、肇さん」

 

 ぜひ、と肇も頷くから櫻子は早速それを受け取って、壁掛けの掲示板に磁石で貼り付ける。千枝はそれを見届けると、どうもです、と踵を返して、

 

「それじゃあ私、まだ色々回らなきゃいけないので。慌ただしくてすみませんが、これで」

「ちょっと待って、千枝さん」

「はい?」

 

 呼び止めて、氷箱から櫻子は瓶を取った。

 

「暑いから。倒れちゃわないように、飲み物だけでも」

「おわ、すみませ……って。これ売りものじゃないですか」

 

 払いますだの奢りだからだのそういうことをやって、それから千枝は再び自転車に跨ると、鹿のように風を切って走り去る。

 

 子どもたちは急に降って湧いた関心事に、すごろくを放り出してわいわいと賑やかに言葉を交わしていた。櫻子もまた、貰ったチラシをじっと見て、

 

「夏祭りですか。肇さんは、行ったことがありますか?」

「こっちに帰ってきてからは全く。……しかし、自治会主催ですか」

「何か?」

「春から色々ありましたが、ここが主催の自由市に出たのも今の状況の切っ掛けの一つじゃないですか」

 

 ああ、と櫻子が頷くと、

 

「良縁に恵まれるかもしれませんし、今度ちょっとこの自治会に顔を出しに行ってみませんか」

「そうですね。じゃあ、確か商店通りの八百屋さんが自治会員だったと思うので、今度いつ会合があるのか訊いてみますね」

「ええ。もしまだ間に合うようなら、二人で出店も出してみましょうか」

「いいですね。何にします?」

 

 うーん、と肇は悩んで、

 

「……焼きそばとか?」

 

 食べ物にしちゃうんですか、と櫻子は笑った。

 

 

 

 

「おや、最見さんに春河さんも。お揃いで」

「あれ、三田村さん」

「どうも。もしかして、夏祭りの説明会ですか」

 

 ええ、と薄く笑ったのは幸多の父、バス会社に勤務する三田村だった。

 

 場所はさいはて町の公民館。駅の方の、櫻子が通う料理教室の会場も提供する隣町のそれとは違って、こちらは空き家になった民家がそのまま利用されている。

 

 その庭の砂利道で、ちょうど三田村と出会う。

 物置小屋の軒下で水筒を傾けていた。彼は苦笑して、

 

「うちの会社も地域密着型ですからね。一つ噛ませてもらおうかということで、私が代表で説明会に。中で待っていようと思ったんですが、場所が奥の部屋だから風通しが悪くて。暑いのなんの」

「そうですか。てっきり煙草でも吸われるのかと」

 

 肇が言うと、三田村はちょっと驚いたように胸元を引っ張った。

 

「臭います?」

「時たま、香りがすることがあるので。あれ、やらないんですか」

「昔は吸ったんですがね。妻との結婚を機に、すっぱり」

 

 じゃあ他の人から移ったのかな、同僚がよく吸うのでそうかもしれません、と二人が話すところに櫻子は、

 

「そういえば、三田村さん。そろそろご家族がご実家からお戻りになられるとか」

「ええ」

 

 ぱっ、と三田村は明るく笑った。

 

「幸多から聞きましたか。そうなんです」

「おや、しかしそれじゃあ大変じゃありませんか。小さい子の世話に加えて、夏祭りのご担当までされるようでは」

「直接の担当は私ではなく後輩の、もっと活きの良いのがやるんです。基本的に私は困ったときのお守り役で。そういえば、今年の夏は重ね重ねありがとうございます。私も家にいないことが多いものだから、幸多も妻の実家に一緒に戻そうかと、一度は話し合っていたんですが」

 

 おかげさまで、と彼は頭を下げる。

 

「学校の友達と楽しく過ごせているようで。助かりました」

「いえいえ、我々は何も。かえって売上が伸びたくらいですよね」

「はい。子どもたちもみんな、良い子でいてくれてますから」

「いやはや、どうも。夏祭りの準備で足りないものがあればぜひ最見屋にと、後輩には言い含めておきますよ」

 

 笑って話していると、間もなく説明会の時間がやってくる。

 

 三人で移動した先は、公民館とは名ばかりに見える、至って普通の民家の奥座敷だ。居人のない建物に特有の寂しさが漂う大部屋で、座布団に並んで腰を下ろす。遅れてやってきた三田村の後輩に挨拶したり何だりとしているうち、部屋の前方から中年の男が現れる。

 

 あれ、と櫻子は思った。

 どことなく、覚えのある雰囲気をしている。

 

「えー。それじゃあお集まりいただきましたので、早速さいはて町自治会主催の夏祭りについて説明を始めたいと思います。一応最初にお訊ねしますが、自治会にすでに参加されている方は……ああ、結構です。まだまだそんなものですよね。では自己紹介から。自治会役員をしている松波です」

 

 やっぱりと思ったのは、その男が千枝に似ていたからだ。

 

 爽やかなようでいて、どことなく気の抜けたような明るさもある。はきはきと喋るところもやはり似ていて、彼は開催日と会場、現時点で予定されている演目、出店等々の形でさらに夏祭りに関わりたい場合の申請方法などを、立て板に水とばかりにすらすらと語った。

 

 その後、

 

「で、少し余計な話を。どうして今年になって急にこんなことをするようになったかという話です」

 

 彼はそう言って、説明会の参加者たちに笑いかけた。

 

「さいはて町は昔から住民の出入りが多い町です。自治会機能がほとんどないのもその名残で、ゆるゆるとやってきました。しかしまあ、隣町に駅が出来たのもあっていよいよ人口も増えてきたところです。だからこれを機会に自治会に全員入って地域一丸の運動を……なんて風土に馴染まない面倒なことをいきなり言ったりはしませんが、」

 

 ぱん、と手を打って、

 

「そろそろ一つくらい、地域の思い出になるような催しがあったって困るまいというのが、生まれも育ちもさいはて町の私としての意見です。ぜひ、奮ってご参加ください」

 

 

 

 

「最見屋? 聞いたことがあるような……」

 というのが、説明会を終えて挨拶に行った際の松波の反応だった。

 

「自治会主催の自由市に出店させていただいたので、その関係かもしれませんね」

 

 肇が言った。

 

「千枝さんからかもしれません。私、松波千枝さんと同じく、真鍋先生の料理教室に通っております春河と申します。千枝さんのお父様でいらっしゃいますよね」

 

 櫻子も言った。

 すると松波は、ああと大きく頷いて、

 

「春河先生。存じ上げてますよ。千枝が大層良くしていただいていると。すみません、挨拶にも行かないで」

「いえ、こちらこそ。大変仲良くさせていただいています」

「しかし、『最見屋』……最見屋か。やっぱり、そこ以外のどこかで聞いた気がするんだよなあ。昔からあるお店ですか」

「ええ。千年くらいはこちらにあるそうです」

 

 あんぐりと松波は口を開く。

 それから破顔一笑、

 

「それじゃあ大先輩だ! そうなると子どもの頃にどこかで聞いたことがあるのかもなあ。後で親父に訊いてみるか……いやどうも、このたびはよろしくお願いします」

 

 いえいえこちらこそ、と頭を下げ合う。

 

 説明会が終われば、参加者はだらりだらりと散っていった。いかにもこの町らしい、とここに越してきて日も浅いにもかかわらず櫻子は思ってしまう。どことなく繋がりが薄い……と言ってしまうと悪く聞こえるが、関係のさっぱりした人々が多いのだ。

 

 だから、松波を捕まえるのも簡単だった。

 これはどうもご丁寧にと話は始まって、

 

「どうですか、最見屋さんは。ご出店なんかはお考えには」

「そうですねえ。良い機会なので何かやってみたいとは思うところですが。ちょっと店で話してたのは、お面なんか良いんじゃないかと」

「おっ、定番だ。しかし、そちらの春河さんは料理の腕も相当立つと聞きますよ。それもなかなか勿体ないんじゃないんですか」

「そうなんです。それで今、揉めてるんですよ」

 

 いやいやそんなそんな、と櫻子としては謙遜するしかない。

 

 今は説明会終わりのほんの一時のことで、だから、さほど込み入った話をするような場ではない。すぐさまこの立ち話は終わりに向かい、実際、あと三秒も遅れてしまえばそのまま二人はこの場を後にすることになったはずである。

 

 けれど、その三秒の間に肇の舌が回った。

 

「まあ、うちには凄腕の料理人もいますが、本職は道具屋ですから。もし自治会さんも設営なんかでお困りのことがあれば、うちをお訪ねください。老舗ですからね。何でも出てきますよ」

 

 人目を憚る必要がなければ、櫻子も喝采を送りたくなるような営業文句だった。

 こう言われれば、後はもう単純だ。松波としてはこう返すしかない。

 

「それはありがたい。町の夏祭りですし、ぜひそのときは頼らせてもらいますよ」

 

 この後二人は、何食わぬ顔で微笑んで松波に別れを告げる。

 商店通りで買い物をして、家に帰って夕食の席につけば、「今日はちゃんと営業できましたね」なんてにこにこ笑って、とてもじゃないが店の経営陣が揃っているとは思えないような会話を暢気に交わす。

 

 暢気なことを言っている場合ではなくなったのは、次の日からだ。

 客が、いっぱい来た。

 

 


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