座敷童の恋   作:quiet

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第十一話 座敷童の恋(中)


 

 

「私、追い出されたんだよね。家から」

 あれは、エリカと知り合ってどのくらいが経ってからのことだったのだろう。

 

 季節だって覚えていないが、空が曇った日だった気はする。家族の出払った春河家の子ども部屋で、不意にエリカがそんなことを呟いた。

 

 すごく驚いた、気がする。

 

 その頃までは確か、エリカは自分の境遇について話したことがなかったから。海の向こうからこっちの国に渡ってきた経緯はもちろんのこと、家族構成だって知らない。一度は自分の家ではなくエリカの家の方に行って遊びたいと思っていたこともあったけれど、子どもは子どもでそうした『踏み込めなさ』を感じ取ることもあり、だから、それまでは訊かずにいたのだと思う。

 

 驚いて、それから慌てた。

 

 何か、エリカにとって重要なことを自分に打ち明けてくれたのはわかったから。きっと彼女は、自分以外の同級生に対してはこんなことを言うまい。教室でも、それから街中でも、このことを話題に上げはしないだろう。それが急にこうして呟いたのは、相手が自分であり、同時に「ここならいいか」と思ってくれたということ意味しているのではないか。そんな気がして、

 

「あ、そ、そうなんだ」

 毒にも薬にもならないような相槌を打つ。

 

 退屈そうに壁に寄り掛かっていたエリカは、それでまじまじと櫻子の方を見た。どうしよう、と櫻子は思っている。宿題を進めていたこの鉛筆を置いた方がいいのか。真剣に向き合った方がいいのか。それとも何気ない風に振る舞った方がいいのか。そんなことを迷っている。

 

 エリカが笑った。

 

「櫻子って、何でも顔に出るね」

「んぐ」

 

 それから、櫻子の頬を片手で挟み込む。

 もう、とその手を外すと、やっぱりおかしそうにくすくす笑った。

 

「別に、そんなに大したことじゃないよ。こっちで言うお家騒動ってやつ?」

「エリカって、そんな良いお家なの?」

「櫻子の方がよっぽど『良いお家』だと思うけど、そんな感じ。お金とか、後継者とか? そういうもので争ってて、私は……まあ、一時避難かな。お母さんの昔の友達が『こんなところにいない方がいい』『東の辺境なら誰も追わないはず』ってこっちに逃がしてくれた」

 

 そこで初めて、簡単に口にできる思いが見つかった。

 

「大丈夫なの? その、こっちにいて危なかったりしない?」

 

 驚いたようにエリカが、目を大きく開く。

 それからやっぱり、彼女は笑って、

 

「何。『危ないよ』『本当は毎日怖いよ』って言えば櫻子が守ってくれるの?」

「……う、うちに匿うくらいなら」

「そこまで弱っちくないから、安心しなさい。どうせいつか私、向こうに戻るつもりだし」

 

 驚くのは、再び櫻子の番だ。

 とうとうそこで鉛筆も手放して、

 

「戻るって、エリカ、引っ越しちゃうの?」

「そのうちね」

「だって、危ないんじゃ」

「逃げっぱなしは腹が立つでしょ。私は一生腹が立ったまま生きていけるほど、我慢強くもないし」

 

 そのうちかな、と彼女は目を逸らした。

 

「もうちょっと大人になって、力も強くなったら。そうしたら実家に戻る。お母さんと私のことを馬鹿にしてた奴ら、全員皆殺しにしてやる」

 

 吐き捨てるでもなく、淡々とエリカは言った。

 

 それは、学校の子どもたちが使うような言葉とは何か、色が違った。威勢が良いわけでもなければ、強い言葉で相手を脅したり、自分を興奮させたりするような言い方じゃない。『夏休みの宿題は明日まとめてやる』とか、『今日の帰りに本屋に行く』とか、その程度の声色。

 

 まさか本当にエリカがそんなことをすると思ったわけじゃない。

 けれど、櫻子は言った。

 

「殺しちゃダメだよ」

 

 真っ赤な瞳が、昼の薄闇の中で輝いている。

 

 ゆっくりと、エリカは覗き込んできた。

 

「櫻子ってさ」

「う、うん」

「妙な勇気だけはあるよね」

 

 妙って何、と櫻子は訊ねる。何でもない、とエリカははぐらかす。

 だけって何、と櫻子がさらに訊ねれば、そんなことより、とエリカは話をすり替えて、

 

「私のことより櫻子のことでしょ。私がいなくなったらどうするの。そんな内気で」

「う。……いつ頃行っちゃうの?」

「明日にしようかな」

「えーっ!」

 

 うそうそ、とエリカは笑う。もう、と櫻子は半ば本気で怒る。

 エリカが、手を伸ばす。

 

「櫻子」

 

 頭の上に、その手を置かれた。櫻子は毒気を抜かれて、ん、と返事をする。彼女の手が動く。

 

 真っ白い髪を、優しく撫でる。

 彼女は、笑って言った。

 

「幸せになりなね」

 

 

 

 

「あ、妖、なの」

 口をついて出たのは、やはりその疑問だった。

 

 目の前に立つエリカを見て、櫻子が連想できるのはその単語しかない。鳥のものとは見えない真っ黒な翼は、人が普通に持ち合わせているものではない。何かの装飾品には見えないし、それは口から覗く鋭い牙もそうだ。どちらもが、人間の姿とは異なっている。

 

 同じようなものを、もっと和やかな形で櫻子は何度も目にしている。

 たとえば驚きのために耳と尻尾を出した稲森だとか、酒に酔って腕を翼の形に戻してしまった鴉だとか、水の中を自在に泳ぎ回る登川の主だとか。

 

 人ではないのではないか、と。

 そのときは、思ってしまった。

 

「どうだろうね」

 エリカは肩を竦めて答えた。

 

「櫻子の言ってる『妖』って何? どういう言葉?」

「あ、えっと、」

 

 昔のような問いかけだった。

 まだエリカがこっちの国に来て間もなかった頃。彼女は流暢に言葉を話したけれど、それでもわからない単語がなかったわけではない。そういうときは堂々と、自分にこうして訊ねてきたのだ。

 

 あの頃は辞書を開いて、「間違いのないように」と答えを探していた。

 でも今は、手元に辞書はない。そしてきっと、辞書を引いてわかるような意味を訊かれているわけでもない。

 

「すごく、長生きだったり、」

 これから歩く地面を確かめるように、たどたどしく櫻子は言葉を選ぶ。

 

「人にはできないことができたり、普通の人じゃない――」

 姿になったり、と続けようとしたそのときのことだ。

 

 櫻子の視界に、白いものが映った。

 

 それは、伸びた髪だ。真っ白で、薄闇の中でもよく目立つ。そのたったの切れ端が、櫻子の喉から続きの言葉を奪ってしまった。

 

 そんなことを言ったら、自分だって。

 普通の人とは違う姿をしていると、散々言われてきたのではなかったか。

 

「…………」

 言葉を失った。

 

 急に、何もかもがわからなくなってしまった気がした。妖と人。今までは、自分の中ではごく自然にその区別をしていたつもりだった。肇は人、稲森は妖、三田村親子は人、登川の主と鴉、西ノ丸から遥々やってきた鬼――槐は妖。畔上親子も料理教室のみんなも人で、さいはて町に住んでいるのも人ばかり。

 

 そして自分のことも、『人』だと思っていたけれど。

 そんな風に簡単に割り振れるほど、自分は『普通の人』だっただろうか?

 

 じっと、エリカはこっちを見つめていた。

 

「そんなに深刻に悩んでほしかったわけじゃないんだけど」

 

 ばさり、と翼がはためいた。

 風が起こって、山の枝葉が揺れる。エリカはその羽の先に、指先でそっと触れる。

 

「普通の人と同じかどうかで言ったら、違うのかもね。グレイの一族には、特別な名前だって付いてるし」

「名前?」

「『吸血鬼』」

 

 名を口にすれば、真っ白な牙が輝いた。

 

「すごく長生きだっていうのもそうだしね。人の生き血を啜ればそれだけで寿命が十年や二十年は伸びる……らしいし。私はそういうの、興味ないからやらないよ。そんな真っ青にならなくても」

 

 なってないよ、と言い返せばよかった。

 なのに櫻子はそれよりも先に、自分の頬を手で押さえてしまっている。本当に真っ青になっていたらどうしようと思ってしまった。

 

 本当にそうなっていたら、エリカをどんな気持ちにさせてしまうだろうと、思ってしまった。

 

「高貴な一族だとか自分たちでは言ってたし、実際爵位なんかもあるんだけどね。でも、こうやって聞くと不気味でしょ」

「そんなこと、ないよ」

 

 かろうじて言えば、はいはい、とエリカは微笑む。

 

「それはどうもありがとう。まあ、だから櫻子の言う『妖』に私が当たるか当たらないかで言ったら、確かにそうなんじゃない? すごく長生きすることもできて、人にはできないこと……たとえば、」

 

 ひょい、と彼女は屈み込む。

 冬枯れの、しかし大ぶりの枝を一つ手に取った。真っ黒で仕立ての良い洋装と、打ち棄てられた木の枝との組み合わせは何とも不釣り合いで、しかしそんなことを彼女は気にしない。さっと手首を翻すと、枝はくるくると宙を舞う。

 

 その半ばを、彼女の手が水平に横切る。

 

 真っ二つになった。

 

「大して力なんか入れなくても、このくらいのことならできるし。だから、妖って言葉があるならそれでもいいんじゃない? 多分そうだと思うよ。で、」

 

 彼女はそこまでを、何でもないことのように言ってのけて、

 

「ここからは、ごめん。言い訳なんだけど」

 苦笑いして言うから、ようやく櫻子もいつもの調子で答えられた。

 

「う、うん。何?」

「さっき櫻子の婚約者の人に、すごい勢いで詰め寄っちゃったでしょ」

「――うん」

「あれ、こっちの名残。この間まで一族の後継者争い……私は別に後を継いだとは思ってないし、財産をそっくりそのまま奪い取っただけだと思ってるんだけど。そういうので結構血の気の多い生活しててさ。昔もそうだったけど、ますます攻撃的になっちゃって」

 

 言って彼女は、右手を立てた。

 

「ごめんね、ほんと。こっちの空気をこっちに持ち込んじゃった。櫻子があの人と気まずくなってないといいんだけど」

 

 その顔が、本当にいつも通りのもので。

 いつものあの、すぐに怒ったりなんだりするくせに、いつの間にか元の調子に戻って、誰より大人な立場に収まってしまうかつてのエリカそのもので、だから、櫻子は、

 

「大丈夫だよ。肇さん、気にしてないって言ってたから」

「あ、本当? やっぱり似たような人同士でくっつくのかな。櫻子も心広いもんね。私が何してもそんなに怒らない……ってわけじゃないけど、怒っても怖くないし」

「ちょっと、もう」

 

 合わせるように、つい笑ってしまう。そうしたらエリカも、どこか安心したように肩の力を抜く。

 

 こんなの見せかけだ、と櫻子は思う。

 

「追い掛けてきてもらって悪いんだけどさ、やっぱりちょっと気まずいわ」

 エリカは言った。

 

「だからちゃんと謝るのとかは、また別の機会にやらせてよ。まだしばらく海外を飛び回るつもりだからさ。店もあるんだし、住所が変わる予定もないでしょ? そうしたら旅先で見つけた好きそうなものとかお土産に送るから、それとお詫びの手紙で許して。欲しいものがあるんだったら、希望も聞くし」

 

 このままじゃ何も変わらない。

 表面上は確かに、エリカは元に戻っている。でも、それは最見屋から出ていったときとどれほど違ったものだろう。何も変わらない、と櫻子は思う。

 

 きっとエリカは、ちゃんと謝罪の手紙をくれる。ここまで追いかけてきて、追いつけたから。だから彼女は本当にお土産だって送ってくれるだろうし、もしかしたら、もう一度くらいは会うこともできるかもしれない。

 

 でも、それだけだ。

 

「じゃ。私、飛んで帰るから。いいでしょ。吸血鬼だからこういうのできちゃうんだよね」

 

 ばさりとエリカが羽をはためかせる。どこからそんな力が出ているのだろう。ふぉん、ふぉん、と風を切る音がして、彼女の足が地面から浮き上がる。

 

「元気でね」

 

 エリカは笑う。

 自分から目線を外した瞬間に、その笑みが消えたのを櫻子は見つける。

 

 ここで言わなきゃ、絶対に後悔すると思った。

 

「私っ、」

 

 びっくりするほど大きな声。

 目一杯の力を込めて、櫻子は叫んだ。

 

 

「私も、霊感あるよ!」

 

 

 エリカがもう一度振り向く。驚いた顔で、目を丸くしている。

 それから、もう一度彼女の靴が地面に着いた。

 

 

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