座敷童の恋   作:quiet

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 春というのは、ぽうっと暖かくなって、考えごとには良い時期である。だから櫻子はぼんやりと、その暖かさに任せるようにして、ずうっとあの日の続きに思いを巡らせていた。

 

 自分を押し込めて生きているのか。

 わからないから、今はこんな風にして、確かめてみている。

 

「どうでしたか。ちょうどさっき、ふたりが来ていたみたいですけど」

 

 真っ白な髪で、櫻子は最見屋の帳場に座っていた。

 隣には肇がいる。それなりに歩いてきて喉が渇いていたらしい。注いであげた麦茶を一息で飲んでしまって、それから湯気が立つような緑茶を一杯、湯呑になみなみ溜めて、少しずつ飲んでいる。

 

「全然、何も言われませんでした」

「似合うとも?」

「あ、いや」

 

 似合うとは言われたんですけど、と声は小さくなる。

 やっぱりそれは自分に自信がないからなんだろうか。櫻子は考えている。けれど、いつもと同じだ。その疑問に対する答えは、なかなか出てこない。

 

 心を知るのは、それが自分のものでも、すごく難しい。

 

 自分が周りからどう見えているかを知るのだって、もしかしたらそれよりも、ずっと。

 

「それより、」

 櫻子は、そう言って話を逸らしてしまう。

 

「どうだったんですか。山の、あの崖の方は。無事に立入禁止の柵は建てられたんですか」

「それが、なくなっていました」

「え?」

 

 その話題振りの理由を察してくれたのか、そうでもないのか。いずれにせよ、肇はもっと大きな驚きで前の話を塗り潰してくれた。

 

「なくなっていたって、何がですか?」

「崖自体がです。ちょっと予想はしていたんですけどね。やっぱりあれは『そういうこと』が起きるときだけに出てくるものみたいで、今となっては、どんなに歩いても綺麗さっぱり見当たりませんでした」

 

 肇は、今朝早くから出掛けていたのだ。理由は、先日エリカと一緒に落ちてしまったあの崖に、注意喚起の表示を施すため。

 

 だって、鬱蒼とした森の中にひょいっと突然に段差が出てくるだけで危ないのに、それが下まで真っ逆さまの深い谷になっているのだ。救出のときに下まで伸ばした縄の長さと言ったら、思わず崖の上で皆が顔を真っ青にするほどのものだったし、けろっと無傷で二人が戻ってきたときなんか、ほとんどの人が喜びよりも慄きの方を表情に出していたと思う。

 

 多少は街道との距離があるとはいえ、山のふもとのあたりにこんなものがあると知れば、住人としては不安で仕方がない。

 

 だからうっかりまた足を踏み外す誰かが出ないようにと有志が連れ立って、そこに看板を立てるなり、周囲に縄を張るなり、何かしら人が近付かないような仕掛けを置いてくるはずだった。

 

 けれど、

 

「実際に落ちた私だけじゃなく、助けに来てくれた松波さんたちも実物を見てますからね。ああでもないこうでもない、まさかあの大きな崖と谷が綺麗さっぱり消えるはずがないと、首を捻りながら周辺一帯を歩き通しですよ」

 

 そういう有様だった、ということらしい。

 なかなか疲れました、と肇が足を揉む。お疲れさまです、と櫻子はそれを労う。それで、と続けて、

 

「どうなったんですか」

「最終的には狐に化かされたのではないかという話になりまして」

 

 くす、と肇は笑った。

 

「それじゃあ稲森が可哀想なので、『狸かもしれません』と言って解散になりました」

 

 ふふ、と櫻子も笑ってしまうけれど、全然笑いごとではないような気もした。

 住んでいる家の近くに、突然崖が降って湧いてきて、落ちると二度と帰ってこられなくなる。それは、それなりに怖いことのように思える。

 

「そう頻繁に起こることでもありませんし、うちで何か別の手立てを考えておきましょう。要は、危なくなっているときに近付かなければいいだけの話ですから」

「そうですね。もし何か手伝えることがあれば、言ってください。山に行くときは、ついていくだけでも」

「そうですね。櫻子さんについてきてもらえるなら私も心が休まります。何をしても、絶対に助けてもらえますから」

 

 ね、と肇がこっちを見て微笑む。

 はい、ともちろん櫻子は答える。一度はできたことなのだ。二度目だって、きっと同じようにできる。

 

 そのことが、実は不思議でたまらない。

 

「そういえば、聞き忘れていました」

 肇が言った。

 

「さっき稲森と鴉とすれ違いましたけど、何を話されていたんですか」

「そうだ。肇さんが落ち着いてから話そうと思っていたんですが」

 

 言われて櫻子は、勘定台の上に置いた覚え書きの紙を手に取る。

 かくかくしかじか。稲森さんがまた妖から注文を受けたそうで、こういう品が最見屋にないかというお問い合わせだったんですが。

 

 ふむふむ、と肇は頷いて、

 

「いくつかは記憶にありますね。とりあえずそのあたりは後で持ってきてしまうとして、このへんはどうだったかな」

「台帳を捲って、探しておきましょうか」

「助かります。急ぎじゃないようですから、暇なときに二人でやりましょう」

 

 当たり前のようにそう言ってくれるから、嬉しくなる。

 その嬉しがっているところに、ちょっと不意打ち気味だった。

 

「こっちの『櫛』というのは?」

 肇が、覚え書きの二枚目を指差した。

 

 櫻子は説明に戸惑う。

 鴉がやって来て、自分のこの髪を見て、同じ色に染められる櫛を欲しがった。そのことを、どうやって自分の今の気持ちと折り合いを付けながら伝えようかと思って、

 

「もしかして、櫻子さんが今欲しいものですか」

 

 悩んでいたら、先にそんなことを言われた。

 

「だったら嬉しいんですが。いくらでもお贈りしますよ」

「ちっ、」

 

 違います、と櫻子は手を振って、

 

「これも注文書きですっ。鴉さんが、髪染めが欲しいと言っていて」

「おや、そうですか。残念だな」

「何がですか」

「だって、そろそろ櫻子さんはお誕生日でしょう。贈り物は何がいいかなと頭を悩ませていたところなんです」

 

 櫻子は驚いて、

 

「……よくご存じですね」

「でしょう。なかなか詳しいんです」

「お気遣いは嬉しいんですが、大丈夫ですよ」

「それは冬に私の誕生日を祝う前に言うべきでしたね。稲森もたまには良いことをします」

 

 う、と言葉に詰まる。確かに、稲森からその日を聞き出すや、これ幸いと誕生日にかこつけて自分がやりたい放題した記憶は残っている。だったら、と櫻子は考えた。もしかすると遠慮するよりも、協力した方がかえって肇は助かったりするのだろうか。実際、贈り物なんかはあらかじめ欲しいものがわかっていた方が祝うのがぐっと楽になる。

 

 じゃあ何を、と思い浮かべてみようとする。

 満ち足りていることに、気が付いた。

 

「鴉さんが、」

 

 その気持ちを櫻子は、どうやって扱えばいいかわからない。だから仕事を助けにして、やっぱり話題を変えてしまった。

 

「髪を染めてみたいと言っていたんです。それで、私の髪と同じような白色が良いそうで。そういう櫛があるならと……」

 

 作れたりしますか、と櫻子は訊ねる。ふーむ、と肇は腕を組んで宙を見た。

 

「櫛の形にするのは、鴉からならそれが一番作りやすいからというだけですからね。櫻子さんから色を借りるなら、櫛ではなくもっと別の形になると思います」

「できるんですか?」

「やってみないことにはわかりませんが、妖のものなら大抵は作れる自信がありますよ。だから人のものも、まあ、そう違いはないでしょう」

 

 そうなんですね、と櫻子は感心して言う。肇が口の端を上げて、少し嬉しそうにこっちを見る。

 

「あ、肇さん」

 そこで初めて、櫻子は気が付いた。

 

 肇は不思議そうな顔をしている。動かないで、と櫻子は言う。右手と左手だったら、左手の方が取りやすい。服の裾を少し捲って、彼女は細い腕を伸ばす。

 

 一枚の花びら。

 外から連れてきてしまったらしいそれを、彼の髪からそっと摘まみ出した。

 

 ああ、と肇は心当たりがあったらしい。指先に載った花びらに納得したように頷いて、でも、ちょっと恥ずかしそうな顔。珍しいことだったから、櫻子の顔には満面の笑みが浮かぶ。

 

 つい、そのまま言ってしまった。

 

「可愛い」

 

 肇の目が、僅かに開く。それでふと、櫻子は我に返る。変に踏み込みすぎてしまったか。いやでも、肇だってこのくらいのことはたまに言う。肇だけが許されて、自分だけが許されないということもないんじゃないかと思う。

 

「櫻子さん」

「は、はいっ」

 

 それでも、名前を呼ばれればちょっと背筋を正した。けれど肇は、今のやり取りをそこまで追及してくることはない。代わりに穏やかに振り向くようにして、窓の外を見た。

 

 

「桜の花が、満開になりましたね」

 

 

 多分それは、もっと前からのことだったのだと思う。

 

 来る日も来る日もあの庭木を見ていたから、櫻子にはわかる。残っている蕾を見つけては、まだだまだだと思い募っていた日々。けれどここ何日かは、その蕾の一つすら見つけられないような気がして、見上げることすらやめていた。

 

 それでも、春の風が吹けばわかってしまう。

 あの夢のように美しい桜は、今やあてどもない光のように舞うのだから。

 

「一つ」

 肇が言う。

 

「お願い事を、させてはもらえませんか」

 

 

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