もしかしたら、あそこから出てはいけなかったのかもしれない。
少女はそう思った。
そこは灰色の世界。
ただいたずらに、ガラクタな日々と記憶が積み重なる世界。
飽きてその世界から出てみた。
でも、そこでも積み重なる、ガラクタな日々。
ふと、気づいた。
今までと違う色のガラクタが積まれていた。
いつの間に?
しかし、少女はそれが他のガラクタと、どう違うかわからなかった。
じゃあ、もう少しだけ――
もう少しだけここに
-1.
イギリス・ロンドン南西部。
テムズ川沿いの林に隠すように建てられたボートハウスという名前の倉庫。傾いて倒れそうなほったて小屋。
腐って落ちそうな板張りの壁と床。光量不足で薄暗い部屋。西側に小さな窓が一つあって汚れているのか、曇りガラスなのかわからないが、とにかく外は見えない。
いつシーツを変えたのかわからない、汗くさそうな薄汚れたベッド。
大きめの木製の机の上にPCらしきものが5台にモニター2つ。
そこらじゅうにちらばる紙切れにはメモのような走り書き。文字なのか暗号なのかとにかく解読作業が必要なシロモノ。
ところ狭しとキャスター付き棚が転がる。ケーブルが床にとぐろを巻き、さらに壁を這う。床にはそのケーブルを隠すように散乱するお菓子の箱と食べカス。
キャスター付きの棚の上には、ぐちゃぐちゃに絡んだ色とりどりのケーブル、引き出しの中にはよくわからない工具や機械のパーツ、お菓子の空箱に無造作に突っ込まれたUSBメモリー、ラベルのないディスク類、たくさんの足の生えた虫のようなチップ、などなど…
とにかく利用用途のわからないものにとっては、がらくたの山、山、山。
ゴミ箱の中に入ってしまったような気分になる空間。
そこは、そんな場所。
ガツ!――男の顔面にゴツくて黒いブーツの底がめり込む。
「プギィ!」
豚のような鳴き声を上げながら、豚のように太った男が後ろ向きに転がる。棚の一つにぶつかって上に積まれた――男にとっては並べてあった――ガラクタが男に降り注ぐ。
男の顔に靴跡がくっきり。その幸薄い頭にケーブルのウィッグが装着される。不思議と似合っているのがおかしい。
「な、なんだ、このガキュ」
男が口を開けたところにズガ!と横殴りの蹴りが追加される。頬がひしゃげて、質量のある男の体がゴドンと音を立てながら横に転がった。
「あん、ガキだからどうかしたか?」
最後まで発音できなかったのに、相手に言葉が伝わっていた。
「ま、まてよ。なんだよ、いきなり、知らねえっていってるだろうが!」
男は蹴られた側の頬に手を当てて、鼻から血を垂らしながら凄むには少々迫力不足の顔で睨む。
迫力不足の顔――生え際がかなり後退した頭。不健康そうな細い髪の毛。表面積の大きな顔の中央に寄るように配置された、小さくてつぶらな瞳と小さな鼻、少しとがった乾いた唇――とまあ、どちらかと言えば愛嬌がある顔。
板張りの床をドカドカとブーツの厚い靴底で鳴らしながら歩き、男の前に立つ小柄な影。その後ろには大柄な黒いスーツの男たちが3人。
小柄な影――背の低い少女の姿。
少女はジャンパーのポケットに両手を突っ込んだままで男を見下ろす。ポケットの中には何が入っているのか、やけに膨らんでいた。
小振りで形のいいお尻をデニムのホットパンツでぴっちり覆い。その足には容姿に不釣り合いなほどバックルだらけの黒くてゴツい攻撃的なブーツを装備。
少女の頭の左側には長く赤い髪が垂れていた。それが鬱陶しいのか一度頭振って後ろに払う。
「だからさあ、これあんただろ?誰に頼まれた?」
少し高めの声。手に持っていた紙を男の目の前でぴらぴらと揺らしながら聞く。その顔はすごく退屈そう。
その紙には、上右下右上右下右と――カクカクと動く直線が描かれたグラフのようなモノが描かれていた。
「そ、そんなのどこにでもある無線の信号じゃねえかよ。知らねえよ。」
「あー…そうなんだ。そりゃ知らなかった。これ無線信号なんだあ。」
「あ…」
専門家特有の悪い癖、自分の知ってることは他人も当然知っていると思って喋る癖。
男が”口を滑らした。”そう思った瞬間にガンッ!サッカーボールを蹴るように、すらりと美しく突き出された少女の足――そのゴツいブーツのつま先が男の顔面にミシリとめり込む。後ろに転がりケーブルのウィッグが吹っ飛んで床にバラバラと散らばる。
「アガッ!」
男の前歯が折れて床の上に転がる。血が飛んで床に赤黒い点を打った。
「まままままて、まてよ。知ってたからなんだよお。俺なにもしてねえぞ。」
鼻と口から血を垂らしながら、”待ってくれ”と開いた両手を突き出した。男は必死に自分の関与を否定する。
「あー…じゃあ、人違いか…」
「へへへ、そ、そうだよ。俺、ここんとこ大人しいぜ。何にもしてねえよ。」
耳障りな気持ち悪い豚なで声。
男の名はグラウニー。たぶん偽名。年齢不詳見た目は30歳後半。
金さえ積めば、役所データの改竄、銀行口座の操作、カードのスニーク、サーバーダウン攻撃、国HPの攻撃、盗聴、信号の違法傍受、信号・パケット解析。とにかく、ハッキング、クラッキングなんでもやる。
腕は良いが性格も趣味も悪い。元は武偵という職業をしていたが違法行為がばれてライセンスは停止。
現在はその培った能力を悪用するだけのインテリ・マフィアを自称する無職。幼女に手を出したとかで当局に連行されたこともある、本物のクズ。
「何にもしてない…と」
視線をシミだらけの天井に移す少女。(きったねえ天井)脳内の感想は顔に出さない。
「ああ、してねえよ」
そう言いながら、へへへと卑下た笑いをするグラウニー。
耳障りで苛つきしか感じない声。少女はさきほどからポケットの中で握っていたモノを取り出し。グラウニーに向けると、指先に力を込める。毛ほどの躊躇もない、息でもするような自然な動作。
パァン――突然の銃声。
突き出していたグラウニーの右手が吹き飛ぶ。血しぶきが少女の体にぴしゃりとかかる。顔まで飛んだ血が、白い肌の上に奇妙な赤い点を撃つ。
芋虫のような指が、ぼとりと床に落ち赤いウジ虫になる。
「あががっっががあ、があああ、ああ…ちくしょう俺の手、手が…て、てめえ!」
グラウニーが右手を押さえてうずくまる。現実を認識できても、すぐに痛みが来るわけでもなく、恨み言をいう暇があった。
「あー悪りぃ、あんまりにもタリィんで、引き金引いちまったわ。」
非常識なまでの自分勝手なセリフ。少女は血塗れた顔を拭こうともせず、ニヘラと薄気味悪い笑顔を浮かべて言った。グラウニーは痛みで叫び出す前に恐怖を感じて、叫ぶことを忘れる。
「まー、いらないよな。なんにもしてないんだろ?あ、そっか。悪りぃ悪りぃ、それじゃあ自家発電できねえよなあ。あっはは。まあ、どっかの娼婦に遊んでもらえよ。なあ。」
少女とは思えないほどの下品な言葉遣い。
「て、てめ…ひぃ!」
少女はグラウニーの前にしゃがみ込むと、ゴリッと黒い鉄の塊をその額に押しつける。
「そーだ!クズな頭もいらないな?な?ついでに撃っとく?遠慮するな、弾代はサービスしてやるからさあ。」
名案とも言いたいように明るくシャキシャキと喋る。
生乾きの血のにおいのする顔を近づけて、大きい瞳――血の色の瞳がグラウニーの中身をのぞき込むように見つめる。
グラウニーは、その薄気味悪い瞳に本能的に恐怖する。
こいつイカれてる。
吹き飛ばされた右手を押さえながら必死に両足をばたつかせて、少しでも離れようともがく。近くの棚にぶつかり、ガラガラとガラクタが床に散らばった。
「ああ、それともナニでも吹っ飛ばす?どうせ、2次元とかロリでしか立たないんだろ?そんな役に立たないものぶら下げてる必要ないよな?くひひひ。」
口角をつり上げ、苦笑の混るバカにしきった下品なセリフを吐く少女。 必死に遠ざかろうとするグラウニーをその目だけが追う。銃口は下半身を狙っていた。
「おい、その辺にしとけ!」
見かねたのか、後ろに立つ男の中でも一番大柄な人物が止めようと声を出す。
「ああ?」
ダルそうな返事。面倒くさそうに振り返る少女。
「なんだ?呼んだか?」
その小さな肩越しに、スーツの男達を見つめた。幽鬼のように覇気のない、薄気味悪い血の色をした瞳で。
スーツの男達が顔をしかめる。男達の目、それはやっかいものや汚いものを見る目。
化け物を見るような目にムカついて睨む少女。
睨むあう少女とスーツの男達。
「わ、わかった話す!話すよ!」
血塗れの右手を押さえながらグラウニーが大声で割って入り、自己主張。その態度が『これ以上こんなイカレたヤツの相手はごめんだ。』と言っていた。
「なんだよ、まだ片手と両足と心臓と脳味噌、残ってんだろ?つまんないヤツだな。」
殺しても死ぬなとでも言いたいのか、自己中心かつ自分勝手な言い分。少女は気の抜けた顔で肩をすくめると、立ち上がって後ろに立つ男たちの方へと歩く。スーツの男たちは身構えながら少しだけ後ずさった。
「おら、あんたらのお仕事だよ。」
少女が男たちとは目も合わせずに言うと、男たちは少女を避けるようにしてグラウニーへと向う。
少女は男たちが目の前からいなくなると、持っていた黒い鉄の塊をガチャリとスライドさせ――撃鉄をあげた状態で止める。そのまま後ろに放り投げてから、再び歩き出す。
黒い鉄の塊が宙を舞いゴトンと音を立てて床に――グラウニーの前に落ちる。
グラウニーのつぶらな瞳に黒い虚空――銃口が映った。恐怖に近い嫌な予感。そして、落ちた衝撃でガシャ――無慈悲な拳銃の機械音とともに撃鉄が打ち込まれる。
パァン!という銃声とともに男の叫び声、続いて怒鳴り声が少女の背中に飛んできた。
少女は、全部無視してボートハウスの外に出る。
腐った小屋から出ても、何か腐ったような外気と風に包まれる。
どうせクズばっかで、腐ってんだからしょうがない。そんなあきらめに近い考えしか浮かんでこなかった。
テムズ川から運ばれる淀んだ風が少女の髪を揺らす。
何かに気づいたように空を見上げる。
曇り空。前に見たのも曇り空。最後に晴れた空を見たのはいつだろうか――思い出せない。
「まあいいか。」
テムズ川の水面をぼんやりと眺める。
なにも考えてないような日常風景。つい今さっき見ていた風景が嘘のよう。
見たくないものは見ない。知りたくないことは知らない。触りたくないものは触らない。でも、”欲しい”という欲求だけはぶくぶく膨らみ垂れ流し。そんな世界。
実際なにも考えちゃいないだろう。
ポケットに手を突っ込むとカサリと何かが手に当たった。
「ん?」
引っ張り出すとなにやら折り畳まれた白い紙。人差し指と親指でつまんでしばらく眺める。
なんだこりゃ?こんなもん持ってたか?
しばらく怪しそうな目つきで眺めてから、手に取って開いてみる。
「ふーん…あっそ。」
一目見てつまらなそうに言い放ち、白い紙をグシャグシャと丸るめる。
そのまま、投げようと思ったが、振りかぶったところで考え直しポケットに突っ込んだ。
「日本ね…」
テムズ川の水面に視線を戻すと、水鳥が飛び立とうとして羽ばたいていた。少女にはその姿が溺れてもがいているように思えた。
まるで、あたしだな――
少女はテムズ川に背を向けて歩き出す。
見たくないモノを見た。そう言いたげな背中だった。