――ゴン――
頭を壁に打ちつけてみる。
――ゴン――
拳銃を撃っても弾丸がめり込む程度。そんな程度では壊れない過剰な防御壁。そんなところに、頭を打ちつけても痛いだけで、壁にはヒビ一つ入らない。
そんなこと知ってる。
――ゴン――
あたし、どうしたいんだろう?
もう、やめたいのに――
何やってるんだろう、あたし。
――ゴン――
床に脱ぎ捨てられた東京武偵高校の制服。
踏みつけられたようにクシャクシャ。
無性に腹が立って、引き裂きたかったけど、皺になっただけ。
さすが武偵高の制服。
だから今は、ブラウス一枚、あとは下着だけ――どうせ一人だし、いいや。
――ゴち――
頭を壁に打ちつけるたびに響く乾いた音。それに湿った音が混じる。
あれ?なんだっけ?
ああ、そうか、あたし、殺さなきゃ。
――ゴち――
誰殺すんだっけ?
なんで殺すんだっけ?
あいつ――
――ゴちゅ――
なまぬるい液体が額から、鼻筋を通り、頬を通って流れてくる。
ゆっくり、ゆっくり。
そっか、”武偵”だからか
でも、他にも”武偵”いっぱいいるじゃない。
なんで、あいつなんだろう?
――ゴぢゅ――
なまぬるい液体が口元にたまり、そして顎へと。
舌を出して口元にたまったそれをすくうように舐めとる。
口の中に、塩分と鉄分の味が広がった。
まあいいや、”武偵”だもんね、しかたないよね――
神凪アリア。
あんた”武偵”だもんね。だから――あたし、あんた殺さなきゃ。
――ゴちゅん――
ぽたり、ぽたりと床に水滴が落ちる音。
いつだっけ?
まあ、いっか、いつでも。
そのうち思い出すし。
――ゴぢュん――
あれ?
あたし、どうしたいんだっけ?
あたし、どうすればいいんだっけ?
ねえ――
ねえ――どうすればいいの?
ねえ――
ねえ――誰か
――ゴッぐぢャ――
「ふいー、日本は寒い」
深夜、ちょうど0:00を過ぎた時刻。
腹が減ったので近くのコンビニまで物資調達に出た神凪アリア。
ワシャワシャとコンビニ袋を鳴らし、白い息を立ち上らせながら女子寮への家路を急ぐ。
イギリスだって当然寒いが、日本の寒さはまた違って厳しい。
まあ、結局どっちだって寒い。
寒いのは苦手だ、熱くなるようなハードなやつが欲しくなる。
暑いのも苦手だ、全裸で汗だくになるような、獣じみた激しいのが欲しくなる。
「ギブ・ミー セックス・アンド・ミール(直訳:ヤらせろ、喰わせろ)」
誰もいない、街灯と街路樹が淡々と続く道のど真ん中。
その容姿からはとても想像もできない、女性らしからぬ、かつ教育上よろしくないことを叫ぶ赤毛の少女。
夜空に向かって何かを掴もうとその手を伸ばす。
近所の子供連れの奥様が見たら、「あんなもの見ちゃいけません」と顔を背けて足を早めてすれ違うに違いない。
空を見上げれば、月が雲の間に見え隠れ、星なんてものは見えない。
この街で、肉眼で星が見えたのは1世紀ほど前の話。
もっとも1世紀前には今歩いている道も無く、ここは海の上だったはず。
せっかく土地を作ったのに、トチ狂った学校建てるとは何考えてるんだか。
アリアは”夜空にお願い”のポーズを解いて、再び歩き出す。
ようやく、視線の先に女子寮の明かりが見えた。
片道10分ぐらい――近いと思っていたコンビニが意外に遠いことが判明。
――パシャン――
突然、ガラスの割れる音がして街灯が一つ消えた。
アリアは静かに歩みを止め、様子をうかがう。
次々に破壊音がして街灯が消えていく。
どう考えても、自然現象じゃない。誰かが街灯を割って消している。
銃声は聞こえてこない。サイレンサーでもつけているのか、それともスリング・ショットか何かか。
やがて音がしなくなり、アリアは暗闇の中にぽつんと一人立ち尽くしていた。月もそれ以上見たくないと言うのか、その姿は雲にすっぽりと覆われ光を地上に照らすことを拒否する。
夜の街中。全く明かりが無いわけではないが、かなり暗い。
誰かが暗闇の中で息を潜めて自分を見つめている――獲物を狙うものの視線と気配。
目を細め、じっと周囲を警戒する。
自分の周りの空間に、細く長い線を張り巡るイメージ。
カッ――5時の方向――アスファルトに堅いものがぶつかるような音が微かにした。
膝の力を抜いてかがむ。腕に引っかけたコンビニ袋がシャワッっと音を立てた。
ブン――頭上を重たいものが風を切って通過。髪がふわりと風に流れる。
しゃがんだ姿勢で道路に手をつき、背後に向けて脚払いを放つ。
だが、得られたのは、気持ちいいぐらいのスカッとした空気を蹴る感覚だけ。避けられた。
暗闇の中を影の固まりが自分に向かって飛んでくる。
後方回転。でんぐり返りで、ごろりと道路の上を転がり避けた。
飛んできたのものがわからないので、必要以上のオーバーアクション。
格好悪いが、贅沢を言ってる場合じゃない。
細長い――刀剣の類か?
だったら少しは光りそうだが、黒く塗りつぶしているのだろうか。
立ち上がると、目の前の薄暗い暗闇に人影が立っていた。
帽子らしきものをかぶり。顔は――暗視ゴーグルか?――とにかく大きなメガネのようなものかけていて、よくわからない。服装は黒一色。体格は着膨れているようで、男とも女とも言えそうだ。
何かを手に持っているが、何を持っているのか判別ができない。
棒か、短剣か――さきほどの感覚だと棍棒だが、鞘に納めた刀剣という可能性もある。
「誰だ、てめえ?」
人影が返事をするようにゆらりと動く。
ひゅん――風切る音がして、小さな黒い固まりが飛んできた。
アリアは身体を傾けて避ける。その一瞬で間合いをつめ、目の前に人影が迫ってきた。
背後でコツンという固くて小さいものが落ちる音。
アリアの横っ腹に蹴り。
アリアはそれを腕で受け止め、脚を捕まえようと手を伸ばす――
が、すぐに引かれて足の感覚が消える。
その隙をとらえて人影が攻撃。
頭の上から棒のような黒い影――ブン――アリアは身体を横にずらしてかわす。しかし、肩にわずかに硬い感触が当たった。暗闇で距離感が狂っていた。
ブン!ブブン!――硬質な棒状のものが連続で飛んでくる。
アリアが避けようと、ガードをしようと、身体を動かすたびに、そこにできた隙を狙って打ち込んでくる。
直撃はないが、避け切れていなかった。アリアが、攻撃をかわすたびに、コンビニ袋がシャワシャワ音を立て、硬質な物体が身体をゴツゴツとかすめた。
こいつ、うまい!――つーか、痛てえ。
アリアは連撃を回避――後ろに大きく飛ぶ――目の前を黒い固まりが掠めるように通り過ぎた。
追って前に出る人影。アリアは着地と同時に地面を蹴って前に突っ込む。
虚をつかれた人影が一瞬ひるむ。アリアは人影を捕まえようと手を伸ばす。が――スカッ――身体を横に向けて避けられた。
げっ!?マズい!
そして、その判断通り――ドゴッ!アリアの頭に直撃――クリーンヒット。
目の前に火花が散って、一瞬意識が飛びそうになる。アスファルトにはたき落とされると、即座に前に転がって距離をとるアリア。
「――――ってえなあ!イキナリなんなんだテメエは!?」
少し離れたところで、頭を撫でながら立ち上がる。その瞳を赤く染めて闇の中に立つ人影を睨んだ。とても良い一撃が入ったので涙目。
アリアの雰囲気が変わったのが伝わったのか、すぐに次の攻撃してこない。人影は黙ったままで、暗闇の中で様子をうかがうようにじっとアリアを見ていた。
アリアと正体不明の人影の間に、冷たい夜色の風が吹きぬけ、街路樹を揺らしザワザワと音を立てる。
そして、そのとき――
「OH!シット!どうしたんだ?この辺真っ暗だぜ。」
「ほんとーどうしたのかな?何かあったのかなー。ねえ、ケンくんあたし、こわいよ――!(腕を絡める)」
「安心しな!ベイベー、俺がついてるぜ!(抱き寄せ)」
「きゃー、ケンくん頼もしいー!(抱きつき)」
「ジュンちゃんを守るためなら、マフィアも、遠山武偵も、怖くねえ、俺は無敵だぜ!(親指を立てて、白い歯キラン!)」
「きゃー、ケンくん、かっこいいー!(足をぱたぱた)」
ぴゅうと、違う意味の冷たい風が吹きぬける。
…………なに?あれ?
突然、男女――訂正――バカップルの(聞いてるほうがはずかしい)話し声。
アリアも人影も、その恥ずかしいイチャイチャぶりに呆れて動きを止めていた。
アリアが我に返り、同時に人影もぴくりと反応。
バカップルを無視して闘いを続けるかと思ったが、人影は静かに後ろに下がり闇の中に音もなく消えていった。
邪魔が入ったと判断したのだろう、素早い決断と行動。
消える間際、人影がこちらに向かって笑った気がした。
アリアは暗闇の中、人影の消えた辺りを見つめていた。
先ほど声を上げたバカップルが、くっつきながら不思議そうにそれを横目に通り過ぎていく。
持っていたのは棍棒の類だろう。しかし剣術をやってる奴の動きだった、もし本当に刀剣を使っていたら今頃――ー殴られた頭を撫でる。
撃ってはこなかったが、拳銃を持っていないとは言えない。
アリアは追わなかった。
相手の武器がわからなかったし、手の内もわからない。
深追いは危険だと判断。
「ったく、なんなんだよ」
襲撃してきた人影の気配が消え、バカップルらしきものの気配も消えて、アリアは緊張を解くと、吐き出すようにつぶやく。
気づいたように手にぶら下がっていたコンビニ袋を覗いて中身を確かめる。袋の中でいろいろと散らばっていたが、一応無事なのに安心すると小走りに女子寮――”東京武偵高校 第三女子寮”の中へと消えていった。
■ ■ ■
コンクリートむき出しの壁と天井。蛍光灯が青白い光が照放ち、フローリングの床がその冷たい光を反射していた。
どこか薄暗く寒い無機質な部屋。しかし、その光景に反して部屋はエアコンで暖められていた。
備え付けのエアコン、ソファーと小さなテーブル。それ以外の家具らしいものが見あたらず、生活感を感じることはできない。
フローリングの床に散乱する服とコンビニ袋が、この部屋の住人の生活態度を物語っていた。
第三女子寮 神凪 アリアの部屋。
寮に入ったばかりであることと、金欠なのでモノが無い(買えない)だけだった。それにあくまで仮住まいのつもりなので必要もなかった。
要らないものは要らない。ただそれだけ。
アリアは下着姿であぐらをかいて小さなテーブル前に座り、ノートPCを操作していた。傍らにはポップコーンの入った大きいカップと水の入った2リットルサイズのペットボトル。
ノートPCには携帯端末兼ゴーグルのスクラッチゴーグルが接続されており、そのノートPCの画面には、何かのデータらしき数字や文字がところ狭しと映し出され、せわしなくその姿を変え踊っていた。
カチャカチャと軽快にキーを叩く音が室内に響く。
ショーツとお揃いの色をした淡いピンクのブラジャー。右肩の紐が二の腕あたりまで垂れ下がって怠惰な彼女の性格をあらわしていた。
SFチックで庶民的に堕落したシュールな光景。
「あったく、痛いって――の!」
タンと少し強めにEnterキーを不機嫌そうにたたき込む。
先ほどの襲撃で受けた傷が痛む。といっても、頭に小さなコブができただけ。
ほとんど一方的に攻撃されて反撃していないので、非常にストレスフル、虫の居所が悪かった。
ポップコーンのカップに手を突っ込んで、鷲掴み。そのまま口に押し込むように入れるとぽりぽり、ワシャワシャかみ砕く。
「マッぴゅ」
ピッ、という音とともにゴーグルが反応してノートPCに命令を送る。
ノートPCの画面にウィンドウが開き、多角形の図形が現れて、区画ができ、道ができて線と面だけの街が構築される。
アリアは地図を眺めながら、ポップコーンを鷲掴み。
可愛い口を思い切り開口すると押し込み、パキパキ、モシュモシュ。
うんうん、キャラメルやハニーマスタードも悪くないけど、やっぱりスタンダードなソルトがお気に入り。
「ふぇみゅー」
ポップコーンが口から数個こぼれて床にぽとり落ちた。アリアは落ちた瞬間に拾って再び口に詰め込み、心の中でセーフ。でも、その行為自体が十分アウト。
そんな情けない主人の気持ちをくみ取ったのか、ポーンという音ともに、PCの画面にメニューが現れる。
マウスカーソルを動かしメニューを選ぶ――カチリとマウスのボタンを押し込んだ。
ノートPCから静かな駆動音がしてゴーグルからデータを読み込む、データが地図に赤色のポイントと水色のポイントとなって現れた。
今朝の爆弾騒ぎのとき取ったカカシ車の信号データを発信源を解析したもの。九郎の自転車騒ぎですっかり忘れていたのだ。
地図上に表示されている水色のポイントがアリアが破壊したカカシ車の位置。赤色のポイントがその発信元と思われる位置。
アリアは画面から視線をはずさずに、頭を傾けてグビグビとのどを鳴らしてペットボトルの水をあおる。
「ぷはっ!プレイス」
文字がパラパラと現れ、地名、建造物名、道路の名前が表示される。
(ジムナジウム…体育館?)
カップの中に手を突っ込んだまま、しばらくモニターを見ながら思案。
どう考えても、発信源が体育館であることに意味があるとは思えない。
「まあ、明日行ってみるか。おしまーい、しゃっとだーうん」
ピンポーン、というチャイムとともにノートPC上からウィンドウが一斉に消え、最後に0:54の時刻表示だけが残った。
アリアは立ち上がり一つ大きく伸びをすると、そのまま後ろに――ボスン――とソファーに倒れ込む。
「んー、現地協力者も手に入ったし…手伝ってもらおうかね、九郎クン」
本人の了承はもらっていない。
あいつは嫌な顔をしながら手伝うだろう。押しに弱そうだし。
そんな自分勝手な想像をする神凪アリア。しかし、その考えは少なからず当たっていた。可愛そうなのは未だそのことを知らない金山 九郎。
アリアは体を起こし、ポップコーンのカップに手を伸ばし、ポリポリ。
「んみゃー。おしゃけ欲しいなー。」
ペットボトルに手を伸ばして、中身を煽る。グビグビグビ。
酒は欲しいがコンビニの酒ではちょっと…。ということで、ペットボトルの水を飲んでいる。
日本の水道水は安全だと聞いたので、試しに蛇口を捻って飲んでみたが、あの独特な臭いが舌になじまなかった。
唇のまわりの食べカスを赤い舌を出してぺろりと舐めとる。
「あ…」
アリアは小さく声を上げた。
軽い塩味となめらかな唇の舌触り。そして、不意に思い出した――九郎との口づけ。人差し指を唇に軽く押し当ててなぞるーーあの感触を思い出す。
しかし、キスまでサービスしちゃって、あたしも若いねえ。
まあ、あのときは仕方ないけど。
再びゴロリとソファーに寝ころぶ。目の前に白に近い灰色。
また――曇り。灰色。
チリッ!――頭の中にノイズが走る。
頭の裏側から”それ”が、じわり湧き出てくる。
急いで他のことを考えようと、何かを探し逃げようとする。
しかし、間に合わず”それ”に引きずり込まれた。
それ――
記憶――要らないもの――でも捨てられないもの。
あの記憶。自分の記憶。ガラクタな記憶。
閉じこめられて、縛り付けられていた記憶。
そこがどこか知らない。
あたしは、変な服を着てベッドに縛り付けられていた。
何故?――こっちが聞きたい。
たぶん理由はあるのだろう。でも、あたしの所々欠けてしまった歯ぬけの記憶の中に、その理由に当たる物がない。
だけど、きっとそれはあたしの中にある。なぜなら、思い出すのが怖いからだ。
すごく――怖い。
あたしが一番怖いのは、他の誰でもない自分だ。
そこでいつも見ていた光景。
灰色――曇り空――正確にいうと灰色の天井。
見えたもの。
自分から出ているチューブやら、ケーブル。どこに延びていたのか知らない。
のっぺりとした顔のモニター、そしてカメラ、この二つがいつもあたしを見つめていた。
モニターには何を示すかわからないグラフや数値がひっきりなしにその姿を変えて、うるさく何かを喋っているようだった。
カメラはただひたすら沈黙して、あたしにその硬質で冷酷な視線を浴びせていた。
聞こえた音。
低くうなるような機械音。
床ずれ防止のためにベッドが動くときのモーター音。
ときどき無機質に響く誰かが歩く靴の音。
ただそれだけ。ひたすら、それだけ。
そんなもの見たくもないし、聞いていたくもない。
だから、天井を見ていた。
他に見る物がない、できることもない。よって、仕方がない。
だから、いつも曇り。
昼も夜も知識として知っていたが、そんなものはそこには無い。
そこは、そんなところだった。
あたしの中では、あってもなくても困らないそんな記憶。
ガラクタな記憶だが、今となっては少し意味のある記憶。
ピリリリリ――
携帯の着信音に、はっと気づく。
また、思い出していた。いい加減、要らないのに――捨てられない。
電話をかけてきた者に少しだけ感謝する。
うるさく催促する携帯に手を伸ばして、液晶に映る発信者の名前を見た。
なんだ、こいつか――
損した。感謝するんじゃなかった。
通話ボタンを押して。耳元に携帯を押しつける。
電話元の開口一番――甲高い怒鳴り声が右から左へと抜けた。
キーンという耳鳴りの余韻に浸る暇もなく、矢継ぎ早に怒鳴り声が飛んでくる。
音量が大きすぎて、何を言ってるのかさっぱりわからない。可聴域を越えた超音波ではないかとさえ思う。本当に人間に出せる声なのか疑わしい。
あ――うるせえ。
いつもいつも、うるせえなこいつは。
黙っているといつまでも怒鳴り声が飛んできそう。だから――
「うるせーぞ、神崎。」
アリアはその名を呼んだ。
自分と同じアリアの名を――親しみと憎しみを込めて。