「お、伊集院。こんな時間まで何してんだ」
玄関から校庭に出ようとすると、薄明かりの中に見知った後姿を見つけた。
「それはこちらの台詞だ。卒業式だというのに部活でもあるまい」
「それがその部活で」
伊集院は片眉を上げる。
「追い出し会はやっちゃったからって、花だけ渡してアッサリしたもんさ。先輩たちは先輩たちで集まったみたいだけど、俺たちはいつもどーり練習さ」
「熱心なことだね」
その言葉と共に皮肉な笑みを浮かべたが、いつもの事なので言葉どおりに取っておく。
「おう、ウチの鬼部長がハリキってるからな」
ふたり並んで、玄関から門へと歩く。
空には星もなく、街灯だけが灯っていた。
「で、伊集院は?」
「祖父の手伝いさ」
「手伝い?」
「理事長とは言え普段は他の業務で忙しくてね、学校に来る事も滅多にないんだ。こんな時ぐらいじゃないと雑務をこなす機会がないのさ」
「ふーん、理事長ってのも、大変なんだな」
「ひとつひとつはたいした内容じゃないがね。さすがに今回は量が……」
伊集院は何かに気づいたように言葉を止める。
足を止めて見上げたのは、伝説の樹だった。
「そういえば今日、だったんだよな」
卒業式の日にここで、女の子から告白して成立したカップルは永遠に幸せになれる。それは、学校の内外に知れ渡っている伝説だ。
「……ああ。今年もずいぶんと伝説にあやかろうとした生徒がいたらしいね」
「来年はお前も大変だろうな」
「えっ!?……僕?」
伊集院はひどく驚いた顔をした。
「なに言ってんだ。女の子たちがほっとかないだろ」
「……ああ、そういう事か」
そういう事もなにも、他にどーいう事があるというんだろう。
なぜか、伊集院は寂しそうに笑う。
「たぶん僕は、ここに来ることはないだろうね」
「なんでだよ、好きな相手がいないから? それとも相手が告白してくれなさそうとか? 一年後なんてどーなるか分かんないだろ」
「分かるさ」
伊集院は自嘲的に口の端を上げる。
自分のことでネガティブな言い方をするのがめずらしかった。
「なんだよ、いつものムダなくらいの自信はどうした。伊集院だったら、どんな相手でもホレさせてみせるぐらい言ってみせろよ」
「ふっ、そうだね」
伊集院は眉をよせて笑うだけだ。
なんだか調子がくるう。
「それとも告白したいヤツでも居るってのか」
「えっ……」
もちろん冗談のつもりだった。
伊集院が目を丸めて、俺を見上げるまでは。
「………………」
サアアッ、風が枝をなでる。
雲の切れ間から出た月が、伊集院を照らした。
金色に輝く髪、まつげ、瞳、が俺の目に飛び込んでくる。
「…………僕は……」
一度うつむき、もう一度俺を見つめた。
「……私が本当は女で、あなたを好きだと言ったら?」
「えっ……」
髪をほどく。
金糸がはらりと広がり、月の光をすべて受け止めるように輝く。
目には満月が浮かんでいた。
何十秒、何十分経っただろうか。
いや、時間なんて1秒たりとも動いていなかったかもしれない。
「……ぷっ」
伊集院はふいに笑い出す。
「……はは、……あーはっはっはっは。……冗談だよ、冗談に決まってるだろう。君がそんな答えを期待していたようだったから付き合ったまでさ」
笑いながらうつむき、くるりと背を向けて髪を結ぶ。
「さて、くだらぬ時間を過ごしてしまったな。僕はこれで失礼するよ」
帰ろうとする伊集院を、腕をつかんで止めた。
なぜかは分からない、そうしなければいけない気がした。
「な、何の真似だね!? 離したまえ!」
背を向けたままそう叫ぶ。
腕を引いて振り向かせる。
その目に……涙。
「あっ……」
反射的に抱きしめていた。
「ごめん」
その身体は細くて、やわらかくて……
「ごめん、気づかなくて」
「な、何を言っているのかね、冗談だと言ったろう」
「……ごめん」
「これだから……庶民は困るんだ」
「ごめん」
震える身体を抱きしめて、俺はあやまることしかできなかった。
ブブブ、と胸のあたりでなにかがうごめく。
「……僕だ」
俺から離れると、携帯電話を取り出す。
「いやなんでもない。大丈夫だ、いま行く。……すまない、車を待たせてあるのでこれで失礼させてもらう」
電話を切るといつもの声、いつもの表情で俺を見た。
その分、赤い瞳が痛々しくてもう一度抱き寄せる。
「あ……」
まつげの滴をすくい取る。
涙の起動を口で追った。
まぶたを、ほほを……唇を。
「………………………」
ゆっくりと唇を離すと、伊集院は顔をそらせてうつむく。
「く、車を待たせてあるので、これで失礼させてもらう」
さっきと同じセリフを言うと、小走りで駆けていく。
夜の校庭を跳ねる金糸の残像が、俺の心にいつまでもいつまでも残っていた。