「うーさむっっ」
刺すように冷たい風に首をすくめながら、コートのえりを押さえる。電車の中が暑いぐらいに感じられたのは、もう遠い昔の事のようだ。
「やっぱ車欲しいよなぁ」
親にねだってみたものの、口をそろえて「自分で買いなさい」と言われた。父親に至っては「んな金あったら俺にくれ」と付け足す始末だった。
はぁやっぱりバイトでどーにかするしかないか、などと考えながら早足で角を曲がる。あと少しで家だ。今の時間は母親が出てるので暖かいとは言えないだろうが、それでも待ちこがれた我が家が見える。
・・・その前の道路に女性が一人立っていた。
いや、それは特に気にすることではなかったのだが、その後ろ姿に見覚えがあるような気がした。しかもどうやら、立っているのは俺の家の辺りらしい。
彼女は道路を行ったり来たり、家に近づいたかと思うとまた戻る、を繰り返していた。
お客さんかな、と思いながらも声をかけるタイミングを見失い、帰ろうとする足も緩まないままその人の近くまで来てしまった。
彼女は家の門の前に立ち、玄関を見つめている。もう手をのばせば届くぐらいの距離にいたが、俺にはまったく気づいてないようだった。
俺は立ち止まり、声をかけるべきか悩んでいた。
かなりの長い金髪、それにわりと背が高い。やっぱり見覚えがある気がする。
「・・・そうよ、なんのためにここまで来たの」
彼女は小さくつぶやくと、顔を上げインターホンに手を延ばした。
・・・・その手は止まっている。
「きゃっ」
「うわっっ」
気づくと二人とも地面に座り込んでいた。
どうやら彼女が急に引き返そうとしたので、ぶつかってしまったらしい。
「ご、ごめんなさい」
「いや、大丈夫?」
彼女の腕をつかんで立ち上がらせると、やっと顔が見えた。
あれ、やっぱりどこかで・・・・・
「こ、小波君!?」
「へ?」
「い、いえ、すみませんでした。それじゃ!」
「ちょっと待って」
つかんだままの腕を引き留める。
「血が出てるじゃないか」
手のひらから血がにじんでいた。
「たいしたことありませんから」
「俺ん家ここだから手当するよ。・・・それに、家に用があったんじゃないかな」
「・・・・・・・・」
彼女は驚きと同時に困った表情を浮かべた。
外よりマシって程度に冷えきった居間に入り、ストーブを点ける。
「おじゃまします・・・」
「適当に座ってて、いま薬を・・・あ、その前に傷口洗わないと」
「いえ、もう血は止まったみたいですから」
「どれ?」
つかんだ手首はヒヤリと冷たかった。
「だめだよ、まだにじんてるじゃないか。えーと、救急箱は・・・・あ、そうだ台所はそっち・・・」
振り向くと、ケガした方の手を見つめて顔を赤くしていた。
「どうかした?」
「え・・・な、何ですか?」
「台所はとなりだから、そっちで傷口洗って」
「あ、はい」
戸惑いながらも、彼女は台所へ消えていった。
・・・やっぱり少し強引だったかな。
でもケガしてるのに放っとくのもなんだし、気になることもある。
どこかで彼女を見たはずだ・・・好雄じゃないけど、あんな美人一度見たら忘れないだろうに。
チチチチ・・・ボッ、とストーブが点く。ファンヒーターは暖かくなるのは速いが、点火に時間がかかるのは難点だ。
・・・そういえば、外を歩いて冷えきっていた俺よりもその手は冷たかった。いったいどのくらい、ああして立っていたのだろう。
「すみません、ありがとうございます」
ハンカチで手を拭きながら彼女が戻って来る。
「あ、そうだ救急箱救急箱・・・・」
いつもの位置にないと思ったらイスに乗っていた。親父だな、ったく。
居所のなさそうに立っている彼女をうながして、ソファーに座る。
「それじゃ手ぇ出して」
「・・・あの、一人で出来ます」
「右手ケガしてるのに?」
「あ・・・・」
自分の右手を見つめて黙ってしまった。
「・・・そうだよな、俺に触られるのなんて嫌だよね」
「そ、そんなこと!!・・・・・ない・・・です」
うつむきながら、そっとその手を差し出した。
なるべく触らないようにしながらもそうもいかず、手当をしながら時々触れる手はやっぱり冷たかった。
「本当にすみませんでした」
彼女は深々と頭を下げた。
「いや、俺のせいでもあるし。・・・ところで、こんな事聞いたら失礼かもしれないけど」
「なんでしょう?」
「俺のこと知ってるみたいだったけど、どこかで会ったっけ?」
「そ、それは、その・・・・・」
言葉を濁してうつむいてしまった。
やばい、もしかしてよく知ってる人だったか? 思い出せ思い出すんだ、確かにどこかで・・・・
彼女は顔を上げると、決心したようにまっすぐに俺を見つめた。
「私、伊集院です」
「ああ、そうか!」
「?」
「誰かと思ったら、伊集院の親戚かなんかか」
「・・・・い、いえ、そうじゃなくて」
「違うの?」
でも、そう思って見ると確かにあいつにそっくりだ。どうりで見覚えがあるはずだ。
彼女は大きく息を吸い込むと、胸に手を当てて言った。
「私、伊集院レイです」
「は?」
「私が、伊集院レイ本人なんです」
「ま・・・またまた~。確かに似てるけど、そーいう冗談は・・・」
「───じゃ、これならどうだい?」
ガタッッ、
俺はソファーの背に張り付いた。
彼女が手で髪を束ねたその姿、その声、それはまさしく・・・・
「い、伊集院!?」
『彼女』は目を合わせたまま、コクリとうなずいた。
そう、その顔その体つきはどう見ても女性にしか見えなかった。けれど、ここに居るのは伊集院で・・・その・・・・まさか・・・・・そんな・・・・
「に、ニューハーフ?」
「違います!!」
「伊集院家では、家の外では男として生活しなければいけない決まりがあって・・・・」
伊集院はゆっくりと,家の掟について教えてくれた。
「な、なんかマンガみたいだな」
俺はそれだけ答えるので精一杯だった。
「驚いたでしょう」
「そりゃ、まぁ・・・」
男だと思っていた同級生が実は女だったなんて、驚くなという方が無理だ。
長い金髪、琥珀色の瞳、長いまつげ、華奢な体・・・・・見慣れたパーツは確かに伊集院のものだ。けれどそれら全てが今は『女』だと肯定しているようだった。男だと信じていたのが不思議なくらいに。
「ごめんなさい」
「な、なな何が!?」
彼女は突然頭を下げる。
「騙していた事、それにずいぶん酷い事を言ったわ」
「や、やめてくれよ。仕方なかったんだろう。ひどい事言ったのは俺も同じなんだし」
「ううん、私、あなたに嫌われようと思って・・・」
「俺に?」
「あなたに嫌われることで偽りの自分を保とうと、自分に嘘をつこうとしてたの・・・」
瞳をそらせなかった。
「嫌われようと酷い事を言っても、あなたは変わらず私に接してくれた」
鼓動が速くなる。
「いつの間にか本当の自分が隠せなくなりそうだった、全てをさらけ出したかった。・・・私、ずっとあなたに・・・・・」
・・・俺に、何だろう?
「私・・・」
トゥルル、トゥルル・・・
「あ、ちょ、ちょっとゴメン」
何故かほっとしたような、残念なような気がしながら電話に向かう。
「はい。・・・なんだ好雄か。え、合コン? お前、また彼女にぶっ飛ばされるぞ。なに?俺のため? あーはいはい、考えとくよ。悪いけど今取り込んでるから、またな。ああ、そのうち遊び行くから」
受話器を置いて振り向くと、伊集院は静かに微笑んでいた。
「好雄君? いいわね仲が良くて」
「・・・そんなんじゃないさ」
高校の時には見ることなかった笑顔に、俺の心臓が跳ねる。
「羨ましいわ。私にはそんな風に話せる友達はいないもの」
笑顔に悲しみが混じる。
そういえばいつも一人だった。とりまきの女の子に囲まれることはあっても、特定の人間と話している姿は印象にない。
「そ、そんなもん、これから作ればいいだろ。俺とこうして話せるようになったんだし、すぐに出来るさ」
「・・・あなたは簡単にそう言うのよね」
それはとがめるというよりは、むしろ羨ましそうな口調だった。
「無理と思うような事でも、いつの間にか叶えてしまうの。私がどんなに憎まれ口を言っても。・・・その姿に救われた時もあったわ。そうね、友達作ってみようかな。あなたが言うなら出来そうな気がするわ」
彼女はにっこりと笑った。
さっきまでの綺麗な印象だけでなく、とても魅力的な笑顔だ。
俺はそれを見て、単純に「もったいない」と思った。
三年間一緒に過ごした同級生にこんな笑顔が隠されていたこと、それを見抜けなかったことに。
「いけない、もう帰らなきゃ」
「え」
外はもう暗くなっていた。冬は日が落ちるのが早い。
「ごめんなさい、長居してしまったわね」
「いや、そんな」
伊集院はコートを持って立ち上がる。
なにか言いたいことがある気がするのに、その言葉が浮かばない。
「その・・・そうだ、送って行くよ」
「ありがとう、でも車を待たせてあるから」
「そっか、そりゃ俺が送るより安全だ」
たいして実のある話もないまま、玄関先まで見送る。
言うべき言葉はなにひとつ出てこなかった。
「今日はありがとう。あなたに謝ることができて良かったわ」
「俺も、話せてうれしかったよ」
「それじゃ」
「伊集院!!・・・いや、伊集院さん」
彼女はクス、と笑う。
「いいのよ今まで通り伊集院、で」
その笑顔、本当にあの伊集院かと改めて思う。
たしかに顔はそのままなのだが、初めて見るその表情たちに俺はずっと戸惑いを隠せないでいた。
「あの、さっき・・・・」
そこまで言いかけて止まる。いったい俺は何を聞こうというのだ。
ずっと外をウロウロしていた理由?中断した話のつづき?
・・・何故かそれは聞いてはいけないような気がした。
不思議そうな顔をした伊集院に見つめられて、凍る気温の中で俺の頭だけは煙が出そうだった。
「そう、忘れる所だったわ」
クスッと笑いながら、コートのポケットに手をのばす。
そして見覚えのある封筒を差し出した。
「今年もクリスマスパーティーやるの。よかったら来てね」
・・・・そうだ、まだこれからだって会える。話す機会はあるんだ。
「それじゃ、失礼」
彼女は背を向け歩き出す。
「・・・俺、絶対行くから!」
背中に向かってそう宣言すると、彼女はくるりと振り向いた。
「せいぜい門前払いされないように、センスを磨くことだね。はーっはっはっは」
・・・・・・・・はい?
「はっ。ご、ごめんなさい。つい、条件反射で・・・・」
「は、ははは・・・・・」
俺はただ、力なく笑うしかなかった。