いちゃいちゃケンカ(?)してるだけ
「バレンタインのお返しをしたいのだが」
「あら私にももらえるの?」
検事局の廊下で出会い、用件を告げる御剣に冥は微笑む。
その反応に御剣は心の中でため息をついた。
『義理チョコ』だと言って渡した後で、『3倍……いえ、5倍返しというものがあるそうね』と念を押したのは誰なのだ、と。
「もちろんだとも」
御剣もそしらぬ顔で笑顔を返す。
「ただし、キミにはずいぶんと高価なチョコレートをもらったからな。それに見合うものとなると、職場で渡すのは少々都合が悪い。仕事が終わったらつき合ってもらえないだろうか」
「ええ、楽しみにしているわ」
去っていく御剣の背中を見て冥はほくそ笑む。
バレンタインデーの本来の意味から遠くなりかけたこの国の行事に参加するつもりなどなかったが、ホワイトデーというものを知って、それに乗ってみるのも悪くないと思った。
お返しを期待したのも確かだが、誕生日以外にも、あの気の回らない男が頭を悩ませて花なりバッグなりの売り場をうろつく様を想像する楽しみが増えるのも悪くはない。 『3倍返し』の話をした時の御剣の顔を思い浮かべただけでも、くだらない行事につき合った価値はあったと思った。
終業後のことを考えると、冥はついつい足取りが軽くなるのだった。
***
御剣の車を前にして、冥は眉をひそめる。
てっきりここでお返しを渡されて、軽く文句のひとつでも言いつつ喜んでやれば、それでいいと思っていた。
「ここには持ってこられなかったのだ」
仕方なく冥は助手席に乗り込む。
そんな大きなものなのか、あるいは人目を気にするものなのかと尋ねたところで、「もうすぐわかる」と御剣は言うだけだ。
車が着いたのは郊外にある店の前だった。どうやらレストランらしい。
御剣は助手席を開けて手を差し出す。
「キミの気に入りそうなモノが浮かばなくてな。食事ではどうだろうか」
「……味しだい、ね」
御剣は眉をよせて笑うと、冥をエスコートする。
そこは落ち着いた感じのレストランだった。控えめの照明で、席に着くとテーブルのロウソクに火が灯される。悪くない演出だ。
間もなく前菜が運ばれ、グラスには黄金色の液体が注がれる。
冥は軽くグラスをまわして香りを嗅ぐ。
「あら、ワインじゃないの?」
「この国でも、キミはまだ飲酒をユルされる年齢ではないだろう」
アメリカでもそれは建前だけではなく、父親から酒を与えられることは決してなかったし、彼女も素直にそれに従っていたのを御剣は知っている。
「冗談よ」
少し残念そうに口を結ぶが、そんな気分を吹き飛ばすほどぶどうジュースは充分に美味しいものだった。
フォークを持ち、オードブルに手をつけようとして冥はその動作を止めた。
シーフードに飾られていたのは花びらを模したものかと思ったが、その横にムースがハート型に盛られてあるところを見ると……
慌てて辺りを見回すと、他にも冥達と同じようにキャンドルに照らされた男女がうっとりとした様子で食事を楽しんでいる。
「これじゃまるで……!」
「どうかしたのか?」
問いかける御剣を軽くにらむと、冥は眉を寄せてうつむく。
『してやられた!』と思った。
ふたりで食事をすることは珍しいことではない。しかしこんな日に、恋人達ばかりの場所にいるふたりはどんな風に見えるだろうかと思うと体温が上がる。
顔を上げ、ヤケになって前菜を口に放り込む。
料理は文句のつけようがないところがまた腹立たしい。
御剣はそんな冥の様子を見ていた。
少しヘソを曲げたものの、食事が進むにつれて機嫌が良くなっていくのを見て微笑む。彼女がお返しを要求して嬉しそうにしていた意図に気付いて、「お返し」をしてやろうと思ったのがキッカケだったが、それを口実としてこういった時間をすごしたいと思ったのも事実だ。
「……どうだったろうか」
デザートを食べる冥に問いかける。
「そうね、悪くはなかったわ」
味に文句はない。だが、
「でもあなた、高価なチョコレートをもらうたびにこんなお返しをするつもり?」
一言くらい文句を言ってやらないと気が済まない。
御剣はやれやれと肩をすくめた。
「少なくとも、それに対して『5倍返し』などと要求する女性は他に思い当たらないからな」
「……!」
今日のところは冥の完敗だった。
くやしそうにうつむく冥を、御剣は暖かな目で見る。
『それに、そんな高価なチョコレートをキミ以外からもらうつもりはない』という言葉は飲みこんでおく。今は、まだ。