『地獄絵図』
それが今のDクラスの光景を風景画として残した時に名付けられるであろうタイトルだった。
「0ポイントとか意味分かんねーよ!! これからどうしろってんだよ!!」
「ど、どうしよう。どうせまた10万ポイント振り込まれると思ってたから私、昨日で残りのポイント使い切っちゃったよ」
「これから卒業まで小遣いゼロとか有り得ねー!!」
無収入が確定して今後の生活に絶望する者。
「Aクラスじゃないと進路の保証が無いってマジ? なら私達がこの学校に入学した意味無いじゃん」
「茶柱先生怖かった……わ、私達の事。実は嫌いだったのかな?」
「行きたい大学あるのに、これからどうすりゃいいんだよ」
理想の将来が閉ざされようとしている現状に項垂れる者。
「ふざけんなよ佐城のやつ!! あいつのせいで小遣い貰えなくなったじゃねえか!!」
「あのクソッタレの根暗野郎が!! 自分だけ大金稼いどいて、何で俺達がポイント貰えねーんだよ!? ズルだろ!? ズル!?」
「絶対にボコボコにして土下座させてやる!!」
そして今は居ない、たった一人で甘い蜜を啜ったらしいクラスメイトへ憤怒を爆発させるもの。
歴代最悪の不良品。そんな不名誉極まりない茶柱先生の表現は決して間違いでは無い。そんな残酷な真実をこれでもかと裏付けるような、悲しき醜態に痛ましい惨状。
そんな阿鼻叫喚の地獄絵図がDクラスを支配していた。
「ポイントよりもクラス分けの方が問題だろ……!! なんで、俺がこんな落ち零れの巣窟に配属されなきゃいけないんだ!!」
憤怒の表情で机を叩きつけたのは幸村だ。先程までは高円寺のあまりにスケールの違い過ぎる発言に怒りを雲散させていたように見えたが、腹の内に火種はまだ燻っていたのだろう。
真面目で大人しい優等生。そんな常からの評判では考えられない程の激しい怒気は周囲の人間が怯えを見せる程だった。
「皆!! 混乱する気持ちは判る!! でも今は一旦落ち着こう!!」
そんな中でも懸命に声を張り上げて前に出る男はやはり平田だ。リーダーシップを発揮してどうにかクラスをまとめ上げようとしている。
だがこの惨状を収めるのは至難の業であるようだ。
「はぁ!? 落ち着くって何だよ!? そもそもこっちはクラス分けの段階から納得いってねぇんだよ!!」
血走った目で平田に凄む幸村は完璧に正気を失っていた。
体育の成績ではワースト一位を獲得する幸村と文武両道の平田ではフィジカルの差は圧倒的である。仮にこのまま喧嘩沙汰になったとしても平田一人で難なく鎮圧出来るだろう。
きっとその程度の事、普段の幸村ならわざわざ思考するまでも無く悟っている筈の事だった。
だが目をギラつかせて殺意にも似た怒りを隠そうともしない幸村は、すっかり理性がトんでしまっているのだろう。
真っ赤に染まった眼球は視野狭窄に陥っているらしくズンズンと音立てる勢いで平田との距離を詰め寄り、そのまま目の前の青年の胸倉を掴み上げようと腕を振り上げた。
一部の女子生徒からか細い悲鳴の声が上がる。
すわ暴行事件発生か。と皆が身構える直前。
「幸村くん。落ち着いて、ね? 普段の冷静な君に戻って欲しいの」
するりと二人の間に入り込み、そっと幸村の右手を両手で包みこんだ天使の様な女子生徒。『櫛田 桔梗』の登場だった。
「く、櫛田!? いや、その……」
「平田君だって悔しい思いをしてる筈だよ。もちろん私だって……不良品だなんて茶柱先生に呼ばれて、ちょっと泣きそうになっちゃったし」
「えっ……いや、まあ。その、気持ちは分かるが」
今にも平田に殴り掛からんばかりの勢いを見せた幸村だったが、流石に相手が女子生徒。
しかもクラスのアイドルとしてどんな生徒にも分け隔てなく好かれる天使の様な存在のエントリーにすっかり出鼻を挫かれたのだろう。
しどろもどろになりながら、櫛田の両手に握られた自分の手に視線をやっては困った様な声を出している。
「……わ、悪かった。確かに今の俺は冷静じゃなかった。平田、櫛田。申し訳なかった」
「いいんだよ幸村君。僕だって必死に取り繕ってはいるけど、正直な話をすればかなりショックだったしね。ポイントの事もクラス分けの事も」
「良かったっ。二人が喧嘩にならなくて」
頭に昇った血は櫛田の活躍ですっかり戻ったのだろう。先程までとは別の意味で若干顔を赤くした幸村が頭を下げた事で、騒動は一先ずの収束を見せた。
だが混乱しているのは幸村だけでは無い。そこかしこで不安と怒りが込められた嘆きの声が嵐のように吹き荒れている。
「でもよぉ平田!! これからどうしろってんだよ!?」
「そもそもポイントが無くなった原因は貞子のせいなんだろ!? あいつを呼び出してポイント巻き上げちまおうぜ!!」
「自分一人だけ大金巻き上げてたとかマジで最低!! 見た目だけじゃなくて性格まで終わってるじゃん!! マジで死んで欲しい!!」
非難轟々とはこの事だ。先ほどの茶柱先生の教師らしからぬ密告が事実だとするならば、ここに居ない佐城は金額は兎も角として一人だけ収入を確保していた事になる。
娯楽に使える金もゼロ。食事に使える金もゼロ。何をするにも金がかかる。だが0ポイントの自分達は何も出来ない。
そんな状況で唯一人だけが抜け駆けして大金を持っていると分かれば当然、周囲の不満も募るに決まっている。
茶柱先生は佐城の秘密の暴露の後は、まるで取ってつけたように中間テストについて触れ「お前達が赤点を取らずに中間テストを乗り切れる方法はあると確信している。まあ、頑張れ」と他人事のような軽々しい台詞を残して退出してしまったので、詳しい話をこれ以上聞くことも出来ない。
クラスメイト達の怒りは当然のものだ。もしも佐城がノコノコと登校して来たならば、即刻私刑が始まってもおかしくない。そんな殺伐とした空気に満ちていた。
「今はここに居ない佐城君に愚痴を言っても仕方が無いだろう? もちろん僕だって彼に聞きたい事は沢山あるし、明日にでも僕や櫛田さんから話を聴いてみるよ。もちろん、穏便にね?」
「うん……佐城くんはあんまり人と関わるのが好きそうじゃなかったし。きっと、皆に情報を共有したくても勇気が出なくて出来なかっただけじゃないかな?」
平田と櫛田がどうにかフォローしながら場を纏めようとしている。
Dクラスの善良なるリーダーと皆の憧れであるアイドルの声もあり、どうにか即爆発しかねない程の騒ぎは徐々に落ち着きを見せ初めていた。
「そうは言ってもよー櫛田ちゃん!! 俺達が小遣い貰えなくなったのは全部サジョーのせいじゃんか!!」
とは言え、不満自体は当然燻っている。
特に10万ポイントをほんの一月で全て使い切ってしまった山内の怒りは相当に強かった。
「あいつが最初っから毎月10万ポイント貰えない事とか授業態度で貰える額が減る事とか、クラスのランクとか進路の保証がAクラスだけ。って皆に教えてくれてりゃよお!! 卒業までずーっと10万ポイント貰えてた筈なんだぜ!? そしたら俺達がAクラスなんだから進路だって安泰だったじゃねえか!! 全部サジョーの奴が悪いんだ!! だろ!? 寛治!!」
「き、気持ちは分かるけど取り敢えず落ち着けって春樹……ほら、櫛田ちゃんが困っちゃってるから」
普段から自分より容姿が劣っている(顔は見たこと無いらしいが少なくとも山内はそう思い込んでいる)上に、禄に友人が居ない寂しい奴。にも関わらず、何故か他クラスの女子生徒と交際関係にある佐城の事を山内は元々嫌っていた。
常日頃から募らせていた嫉妬に加わり、まともな生活を送れない危機感が爆発的な怒りとして山内の心の中で強烈な化学変化を起こしたようだ。
そのあまりの激昂ぶりについ先程まで一緒になって学校や佐城への不満を漏らしていた池が止めに入る程。
まあ、池は単純に山内の様子に眉を下げてしょんぼりとした表情を見せている櫛田からの好感度を気にして宥めているだけだろうが。
内心ではきっと山内と似たような感情を抱いているに違いない。
「確かにその可能性はあったかも知れない。でも今さら取り返しがつかない過去の話だよね。それよりも僕達が今考えなければいけないのは今後どうするか。つまり未来の事だよ」
「いい子ちゃんぶってんじゃねえよ平田!! どう考えてもサジョーの奴が全部悪いじゃねえか!!」
山内は癇癪を起こした様にしてひたすら佐城をなじっている。
佐城さえSシステムの裏側を共有していれば、今も。そしてこれからずっと、卒業するまで永遠に昨日までと同じ様な夢のような学生生活をおくれていた筈なのだ。
だから佐城が悪い。佐城こそが諸悪の根源だ。俺達は悪くない。全て佐城が悪いのだ。と。
山内は壊れたスピーカーのように同じ主張をひたすらに繰り返していた。
だが、仮に佐城が学校側の思惑をクラスメイトに共有したところで、果たして山内の主張通りに全てが上手くいった可能性などあったのだろうか?
「愚かね。そんなわけ有る筈が無いわ」
オレの心の内の疑問を読み取ったかのようなタイミングで、堀北が吐き捨てるように呟いた。
「堀北もそう思うか」
「当然でしょう」
内心の苛立ちをどうにか隠そうとしているのか、苦悶の表情のままに眉間を押さえながら堀北は持論を述べた。
「仮に佐城くんがSシステムの裏側についての情報をクラスに共有したところで、あんな愚かな人達が殊勝にも授業態度を改めるとは思えない。特にあなたのお友達の山内君なんて屁理屈を捏ねて逆上する姿が目に浮かぶようだわ」
「だよな……他には軽井沢や篠原みたいな気の強そうな女子も言う事なんか聞きそうも無い。佐城みたいな見るからに気弱なタイプとは相性が悪そうだ」
「考えるまでも無いでしょう。どうせ無意味よ」
堀北の鋭い瞳は騒ぎ立てる山内だけでなく、あいつに同調しようとしている複数の生徒達に向けられている。
彼等彼女等の共通点は皆、授業を無視して常日頃から騒ぎ立てていたところだ。
明らかに気弱な佐城がクラスメイトに注意喚起するだなんてハードルは相当に高い。
只でさえその不気味な見た目とおどろおどろしい厭世感のせいでクラス内のカーストは底辺扱いされている現状、山内や須藤。軽井沢や篠原が大人しく受け入れるとは考えづらい。
むしろ逆上してボコボコになるまで罵倒する姿がいとも簡単に想像できる。
「平田や櫛田は佐城がクラスでも孤立しないように、ちょいちょい声をかけていたみたいだったし。例えば、この二人を経由して呼び掛けて貰えれば多少は結果が違ったかも知れないな」
「どうだか。平田くんも櫛田さんも決して無能とは言えないけれど、病的なまでにお友達ごっこを強要する人間よ。現に小テストの成績はともかく、授業態度は褒められたものでは無かった筈」
「確かに平田も櫛田も誰かに話しかけられたら授業中でも雑談に加わってはいたな。苦笑いだったから楽しんでいたかは微妙だが」
Dクラス内でも影響力の強い平田や櫛田は当然の如く顔が広くて友人が多い。
故に授業中も周囲のクラスメイトの雑談に付き合ってしまっているシーンを良く見かけた。
本人達はやんわりと周りに授業は静かに聴くように促していたが、効果は見られなかった。
むしろ平田の彼女でもあり、櫛田にも勝るとも劣らない発言力を持つ軽井沢が積極的に私語雑談を繰り返していたので却って逆効果になっていたかも知れない。
「とは言え佐城君も佐城君よ。多少は頭が回るようだけど行動を起こさなければ何の意味も無い。単なる役立たずと変わらないわ」
「むしろオレからすれば学校側との交渉をしてポイントを引き出した程に行動力があった方が意外だな。佐城がそこまでアクティブに動ける奴だとは思わなかった」
「その決断力と行動力をどうしてクラスの改善に向けて使えなかったのかしら……全く、使えないわね」
「おいおい」
辛辣極まりない物言いは、いつもの堀北節だ。と流したいところだが、妙にいつもより棘が鋭く感じる。
やはり小テストで佐城に負けた事を根に持っているのか。それとも誰よりも先んじてSシステムの根幹を見抜いた意外すぎる実力に内心で嫉妬の炎でも燃やしているのだろうか。
「何かしら綾小路君。その不躾な瞳は」
「何でもありません」
報復が怖いからそんな事を軽々しく聞く事は出来ないが。今も何故かコンパス構えてるし。
と言うか何で高校生にもなってコンパスなんか常備してるんだよコイツ。高校数学の範囲で使う事ってそんなに無いと思うんだがな。
「佐城云々は本人が居ない以上は進展のしようが無いから仕方無いとして、だ。支給されるポイントがゼロ、っていうのは困ったもんだな。流石にこれからずっと無収入だと考えれば気が滅入ってくる」
「あなた、まさか貰ったポイントを全て散財したの?」
「いや、流石にそれは無い。まだ8万と少し位は残ってるけどさ。堀北、お前は?」
「綾小路くんと対して変わらないわ。それに、仮に今後一切のポイントが支給されなかったとしても学校敷地内には無料で購入できる商品や無料で使える施設がいくつもあるのだから問題なく生活を送れるわ」
「……普通の高校生はお前程ストイックには生きられないと思うがな」
「綾小路くんを含めたこのクラスの人間達の大半が意志薄弱で救いようも無く愚かなだけよ」
堀北の自制心が極まったような持論はともかくとして、山内や池のペースに釣られずに浪費しなくて良かったとオレは心から安堵していた。
ふと横目で友人達を見やれば山内は買ったばかりの携帯ゲーム機を博士の渾名で親しまれている外村に売りつけようと交渉しているし、池の方は宮本や伊集院にポイントを集りにいっている。
何と言うか、見ていて本当に哀しくなる光景だった。貧すれば鈍するとは正にこの事か。
「とは言え、ポイントなんて所詮は副産物よ。あくまで重要なのはクラス分け。あんな愚かな人達と同じクラスにまとめられるなんて、こんな屈辱……やっぱり私は納得できない」
「納得出来ない。って言ったって一体どうするつもりだよ。まさか職員室に乗り込んで責任者にでも抗議するつもりか?」
半ば冗談でオレがそう言うと、堀北は視線をオレから反らしてホワイトボードに固定した。その口は一文字に結ばれている。これ以上は話すつもりは無いようだった。
「みんな聞いて欲しい、特に須藤くん。クラスのランク付けや変動の可能性が茶柱先生から示唆された以上、きっと今後いくつかのタイミングでポイントを獲得できるチャンスはある筈だ。だからこそ僕達は……」
ふと気がつけば平田が再び教壇の上に立ちクラスの皆に向かって演説を始めていた。
要するにこれからは生活態度を見直してマイナス要素を潰していこうという話である。
須藤をあえて名指しにしたのも、遅刻欠席居眠り私語が最も多くて最も悪目立ちしていたのがあいつだったからだろう。
平田の真摯な語り口や櫛田のフォローの甲斐もあってか、どうにかクラスは怒りを押さえ、落ち着きを取り戻し、徐々に団結の気配すら見せ始めた……のだが。
「ざけんな!! ポイントが増える確証も無ぇのに上から目線でああだこうだ命令しやがって!! やりてぇならテメェらだけで勝手にやっとけ!!」
まあ、こうなる。須藤はこういう奴だからな。
女子の人気が圧倒的な上に文武両道という優等生の手本のような存在である平田への反感か。
それとも自分自身が一番クラスのマイナス要素である事を自覚した上でのやり場の無い怒りを発散する為の逆上だったのか。
結局、机を蹴り飛ばして咆哮した須藤は床を踏み鳴らすような乱暴な足取りで、そのまま教室を去ってしまった。
今日の授業はフケるつもりなのだろう。後で友人達のチャットルームを確認しておこう。
「ほんっと須藤くんって空気読めないよね。佐城くんだけじゃなくて須藤くんのせいでポイント減ったようなもんじゃない」
「あんなヤンキー丸出しの癖してプロのバスケットプレイヤー目指してるって本当? バカみたい」
「いっその事、そのまま退学してくれればクラスも平和になるのに……」
女子を中心に須藤への非難が殺到するのも無理は無い。
櫛田が女子を、池が男子をフォローしているが暫くは須藤へのヘイトが収まる事は無いだろう。
山内? あいつは気弱な沖谷に目をつけたのか、さっき博士に売り損ねたゲームを押し付けようとしている。しかも価格を5000ポイント上乗せしていた。
「これからどうなる事やら」
オレの口から漏れ出た言葉は我ながら他人事のようだった。いや事実、他人事なのかも知れない。
ポイントが支給されようがされまいが、クラスがAだろうがDだろうが、進路の保証が有ろうが無かろうが。
究極的に言えば『綾小路 清隆』にとっては全てどうでもいい事だからだ。
入学当初に想像していた平凡で平穏な学生生活とは温度差が酷い事になりそうなのは残念ではある。
だが先程の堀北の意見を引用すれば、別にポイントが貰えなければ生きていけないという訳でも無い。
ならまあ、別に。困る事でも無い。
オレが行動を起こす程の事でも無いのだ。
「何度も言わせないで。私は参加しない」
「ご、ごめん堀北さん。気分を害したなら謝るよ。もしも気が変わったら声をかけて欲しい」
「そんな可能性は万に一つも有り得ないわ。これ以上、無駄な時間を使わせないでちょうだい」
平田が主催するらしい放課後に行われるポイントを増やす為の対策会議への参加要請を冷淡な態度で切って捨てる堀北の言葉を聞き流しつつ。
オレは欠伸を噛み殺して、ぼんやりと窓の外を眺めていた。
事なかれ主義のオレは悪目立ちせずに。自由を謳歌さえ出来れば。
ただそれだけで、十分に幸福なのだから。
時はあっという間に過ぎて四限の数学が終わって昼休みへ。
学生達が最も活気づくてあろう癒しの時間にも関わらず、Dクラスの空気は相変わらず重苦しかった。
「はぁ……これからどうしよう?」
「平田くんは放課後に皆で対策を考えれば希望は見えてくる。って言ってたけどさ」
「正直難しいよね。いや、平田くんをディスってるわけじゃなくて」
「明日から自炊しなきゃ。私、料理なんてやった事無いのに」
茶葉先生の衝撃的な種明かしの余波のせいか、それとも平田の注意や櫛田の呼び掛けのおかげか。
授業態度自体は先日までのそれと打って変わって教師の声が最後列のオレの耳にもよく届く程には静かなものだったが、それもその筈。
授業を真面目に聴こう。という前向きな意識改革と言うよりも騒ぐ元気すら湧いてこない。というのが実情。
普段は真面目に授業を聴いて居た堀北ですら目線だけはホワイトボードに向いているものの、何処か注意力が散漫しているように見受けられた。
「菊池ー。今日は食堂へ行かねーのか?」
「ポイント残ってねーし。昼は抜く」
「無料の定食あったじゃん。確か、山菜定食?」
「前にネタで食ったらクソ不味かったから食いたくねー。部屋に帰ったら買い置きのカップ麺でも食うわ」
ポイントを殆ど残していない生徒はまあまあの数が居るらしく、気怠げに机に寝そべり始めた菊池の様に気力に欠けている人間は多い。
例外は朝のホームルームから引き続いて会議への参加要請をクラスメイト一人一人に聞いて回っている平田。
それから持ち前の明るさとコミュニケーション能力で周囲を元気づけている櫛田。
「長谷部さんと、佐倉さんだっけ? ちょっとイイ?」
クラス中の女子生徒からのポイントを借りようと声をかけているDクラスの女王『軽井沢 恵』だけだ。
「実は私、殆どポイント残ってなくてさ。今クラスの皆にカンパ頼んでるわけ。一人2000ポイントでいいからさ、お願いっ! 私たち友達じゃん」
「……随分といきなりな話だね、軽井沢さん。私達ってそんなに絡みあったっけ?」
「ひ、ひえぇ……」
お願いと言う体を取った女王様からの命令に長谷部は露骨に嫌そうな表情を。佐倉に至っては小さな悲鳴をあげながら震えすら見せている。
それもその筈。カーストトップの女子生徒様が二人に向ける笑顔はどこか威圧感があり、攻撃的ですらあった。
長谷部は基本的に群れない孤独体質。佐倉は佐城にも負けない程の気弱な少女。
つい最近になって二人で行動する場面をよく見かけるようになった元ぼっちコンビと軽井沢のカーストの差は比べるまでも無かった。
恐らくだが軽井沢の方もまさか断るだなんて事は有り得ない。とでも考えている事だろう。
「悪いんだけどさ、ちょっと無理。断らせて」
「え〜困った時はお互い様じゃん。それとも、何? もしかしてたけど長谷部さんってさ……」
軽井沢は長谷部からのまさかの返答が気に食わなかったのだろう。
歩幅一歩分。音が鳴りそうな勢いで長谷部との距離を詰めると意味深な溜めを作ってこう続けた。
「私のこと、嫌いだったりするわけ?」
……こっわ。端から横目で盗み見ているオレですらゾッとするような迫力が軽井沢の短い言葉には込められていた。
しかもいつの間には彼女に付き従うようにして佐藤や前園といった複数の女子が立っている。
もはや友人へのお願い。なんて可愛いものでは無く、どっからどう見ても立派なカツアゲだ。
長谷部は嫌そうだった表情を更に露骨にし、佐倉に至っては半泣きになってしまっている。
もうやめてあげてよぉ!! と、オレは思わず庇いたくなる衝動に駆られた。怖いから実行はしないが。
「はぁ……軽井沢さんが好き嫌いとかそういう問題じゃないってば。貸してあげたくても単純に無いものは貸せないってだけだし」
「はあ? 言ってる意味が分かんないんだけど」
「じゃあ自分で確認しなよ。ほら、私の端末」
ついに女王様の命令に屈するか。と思ったところで長谷部は何故か溜息をつきながら軽井沢に自身の端末を手渡した。
「え? どれどれ……って0ポイント!? 長谷部さん私より貧乏じゃん!!」
「えっマジ!? うわっ本当だ!! 長谷部さんって散財するタイプに見えないのに」
「これじゃあ確かに貸したくても無理よね」
騒ぎ出した軽井沢グループの声から察するに、なんと長谷部は山内や池と同様に手持ちのポイントを使い切ってしまったらしい。
驚きの声をあげる佐藤に同調するわけでは無いが、どちらかと言うと大人っぽくてクール系の女子である長谷部が考え無しに浪費するようには見えないので、オレとしても意外だった。
「ちなみに愛里も私と同じで残高は残って無いよ。愛里、軽井沢さんに端末見せてあげなよ」
「う、うん。ど、どうぞっ」
「佐倉さんの下の名前、何気に初めて知ったわ……うわーマジで佐倉さんまで0ポイントだわ。私の言えた事じゃないけど大丈夫なの?」
「え、えぇと……どう、でしょうか?」
「電気屋さんでお互い大きい買い物したばっかりだったからねぇ。本当にタイミング悪かったよ。まさかポイント入らないなんて思いもしなかったし」
「うわちゃ〜それは災難だったわね。んじゃ、私は別の人のところ行ってくるわ」
一言二言会話をしたかと思えば金が無い人間に用は無いらしい。軽井沢は軍団を引き連れて、颯爽と別の女子生徒へ集りに向かった。
「すっ凄いね!! 波瑠加ちゃん!! み、未来予知したみたいに佐城くんの言った通りに「ちょっと愛里!! その話はここじゃダメっ」
佐倉が何やら騒ぎ出そうとした瞬間、長谷部が焦った様子で彼女の口を急いで塞ぎに掛かった。
「ご、ごめんね波瑠加ちゃん。わ、私つい興奮しちゃってっ」
「気持ちは分かるけど静かに。取り敢えず続きはみやっちと合流してから」
「う、うん」
長谷部は焦った様子で周囲を窺うと、そのまま佐倉の腕を引いて教室の外へと出ていった。
何やら誰かと待ち合わせをしている様子。食堂にでも向かったのだろうか。
さて、先程の長谷部と佐倉のやり取りの中でオレは一つだけ気になった点がある。
聞き間違いで無ければ佐倉は先ほど佐城の名前を出した。そして彼女の様子と台詞から察するに、まるで軽井沢がクラスメイトからカツアゲする事を佐城が予言していたかのような物言いをしている。
そしてその事を長谷部と共有しており、長谷部の方は情報を隠そうとしている様子だった。
思い返してみれば長谷部は佐城と仲の良い唯一の生徒だった。
櫛田情報によれば水泳の見学席で二人仲良く談笑してる姿は不特定多数の人間に目撃されている。
教室の中でも時おり長谷部の方から佐城の机にわざわざ向かっては、何やら話しかけている姿も覚えがあった。
と言うか男子に人気のある長谷部に話しかけられる佐城の姿を見る度に山内が煩く騒ぐので嫌でも記憶に残っている。と言うのが正しいのだが。
クラス一の爆乳美少女(山内談)と仲が良く、他クラスには恋人がいる。そう考えてみれば佐城って意外とモテるタイプなのだろうか。
一度だけ話した事がある佐城の恋人も藤色の長髪が艶めかしい、堀北や櫛田に勝るとも劣らない可愛らしい女の子だった。
確か彼女の名前は……。
「失礼します」
そんな事を呑気に考えていた、正にその時である。
「Aクラスの神室っていうんですけど。ちょっとDクラスに用事があるから入ってもいい?」
紫色の髪をサイドテールに束ねた目つきの鋭い美少女。
佐城の恋人である『神室 真澄』が、噂をすれば影とばかりにDクラスに姿を現したのだった。
感想、高評価、一言コメント、誤字訂正。
ありがとうございます。
今後の展開について
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オッサン視点でストーリー重視
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他者視点重視。イベントの裏側を解説