「あっ、みつるぎ検事!」
道の向こうから女の子が手を振る。
風変わりな格好の少女は赤いスーツの男に駆け寄ると、風呂敷からカラフルな包みを取り出した。
「よかったー今日会えて。はいチョコ、あたしとはみちゃんからです!」
今日はバレンタインデーだ。女性から男性にチョコレートを渡して愛の告白をする日……と言うよりは、季節の行事としてとらえている者の方が多いだろう。
彼女、綾里真宵が渡したのも単なる義理チョコだと思われた。いやラッピングこそ可愛らしいが、いびつなオニギリのようなソレは、「単なる」と片付けるには異彩を放っていた。
御剣が礼を言って持っていた紙袋に入れようとすると、
「うひゃーモテますねえ、みつるぎ検事」
真宵がのぞき込んで声を上げる。
そこには華やかな包みがひしめいていた。
「仕事先でもらったものだ。すべて義理だよ」
眉を寄せて笑う御剣に、真宵は異議を唱える。
「わかってないなー。タダの義理なら、こーんな高そうなチョコあげたりしませんよ!」
包みを指差し、「コレひとつぶ三百円とかするやつですよ!」と息巻く。
「そういえば、これはずいぶんと世話になっている人からもらったものだな。キチンとお返しを考えなくては」
その異議をよく理解していないようで、彼の恋人は大変だろうな、と真宵はその友人の顔を思い浮かべる。
「でも、そんなにもらってヤキモチ焼かれませんか?」
御剣も恋人の顔を思い浮かべ、眉間のヒビを深める。
「いっそ、焼いてもらいたいのだがな」
「?」
「……いや、アメリカでバレンタインデーは男性から女性に贈り物をする日なのだよ」
「なあんだ。それで冥さんにイッショに作ろうって言ってもダメだったんだ」
紙袋からはみ出した物体に目をやる。
「もしかしてコレは手作り、なのだろうか」
「はい。トクベツなものを入れてあるんですよ!」
「トクベツ?」
真宵は意味ありげに笑った。
「ソレは食べるまでのお楽しみです。ちなみに、なるほどくんにビーフンを入れたら声を上げてよろこんでたんですよ」
(……………よろこんでいたのか、ソレは?)
御剣にわずかな不安が湧き出る。
「それじゃ、他に行くところがあるので」
そう言って背を向けた彼女の風呂敷には、丸いモノがひしめいているようだった。
チョコと言う名のびっくり箱が、たくさん配られるのだろう。
「あ」
くるりと振り返り、真宵は、
「食べるときに気をつけて下さいね」
最後に不安を煽ることを口にして去っていき、御剣はフクザツな面持ちで丸い物体を眺めるのだった。
***
「うおおー。毎年のことながらスゴイ量ッスね」
糸鋸刑事は執務室に入ってくるなり感嘆の声を上げる。部屋の一角にはプレゼントの小山が出来ていた。
若くして名声を持ち目鼻立ちも整っている御剣に、偶像的な感情が集まるのも無理からぬことだった。もっとも、元来人を寄せ付けない性格のため仕事以外で声をかけられることは少ないが、今日ばかりはチョコレートを押し付けるようにして去っていく女性が多く見られた。
「これだけあれば何週間……いや、何ヶ月も持ちそうッス!」
「……あいかわらず食生活はマズシイようだな、刑事」
「あ。コレも御剣検事にッス。交通課と会計課と広報課と……いろいろッス!」
「む、そうか」
両手に持っていた紙袋を渡される。確かめるまでもなく、チョコレートが入っているようだった。
「検事に渡してくれと頼まれたオカゲで、自分もチョコをもらえたッス。これでしばらくは食いつなげそうッス!」
義理チョコならぬおこぼれチョコだったが、糸鋸はバレンタインにチョコをもらえたということよりも、食べ物をもらえたことを喜んでいるようだ。
御剣が小山に紙袋を加えようとすると、
「あ、そうだ! ちょっと待ったッス!」
糸鋸は慌てて紙袋から、見覚えのあるオニギリ大の包みを取り出した。
「あったあった。さっき来る途中、オダンゴの女の子からもらったチョコを入れたまま忘れてたッス」
「キミも真宵くんからもらったのか?」
「検事もッスか? 御剣検事のにはナニが入ってたッスか?」
「いや、まだ開けてないのだが」
「自分は白くて長いものが入ってるって言ってたッスけど、なんなんスかねえ?」
(……ソーメン、か)
自分にも麺類が入ってるのかと、不安が蘇る。しかし、そうなると「気をつけて」と言われた意味がわからないが、何にしろトンでもないものが入っていることは想像に難くない。
「ところで、アメリカにはバレンタインってないんスか?」
糸鋸が口にした疑問に、またか、と思いつつ御剣は説明する。
「それで狩魔検事は、『この国にはくだらない習慣があるわね』なんて言ってたッスね。狩魔検事にチョコをもらえるとは思ってなかったッスけど、代わりにムチをもらってしまったッス」
「……それは災難だったな」
「でも自分、アメリカ人に生まれなくてよかったッス。世話になった人に配ってたらソーメンすら食べられなくなるッスからね」
御剣は大きくため息をつく。
「アメリカではあくまで好きな相手に贈るだけで『義理チョコ』のたぐいは存在しない。それよりもキミはホワイトデーの心配をするべきではないのかね」
「ああっそうッス! ヤバイッス!」
糸鋸は頭をかかえて歩き回る
ぴたり、と止まると深刻な顔で御剣を振り返る。。
「もらったチョコを返したら、ホワイトデーをやらなくてすむッスかね?」
「試してみるがいい。きっと来年はお返しなど考えずにすむだろう。もっとも、バレンタイン以外にも見向きはされなくなるだろうがな」
「うおおー。やっぱりソーメン抜きッスかー!?」
悩める糸鋸の横で、なぜか御剣もヒビを深めるのだった。
***
「ただいま」
「おかえりなさい」
家に帰ると、一足先に帰っていた冥が出迎える。
御剣はバラの花束を渡し、軽く口付けをした。
「愛している、メイ」
「ありがとう」
彼女は穏やかに微笑む。
「もうひとつ、バレンタインのプレゼントだ」
そう言って紙袋を差し出すと、冥は顔を輝かせて受け取った。花束の時よりよっぽど嬉しそうだという事実には気づかないフリをする。
彼がもらったチョコレートを冥に贈る。一人では食べきれないし彼女も喜ぶ、非常に合理的だ。合理的だが……冥からチョコをもらえないことはともかくとして、嫉妬すらされないことに御剣は寂しさを覚える。
冥は恋人相手にも甘えるどころか、愛情表現を滅多にしない女性だった。それは照れているだけだと付き合いの長い御剣は知っているが、時折「好きなのは自分だけではないか」とすら思う時があった。
「あら、日本に出店したばかりの店のチョコよ。……うん、本店と変わらない味ね」
ひとつひとつ評価をしながら取り出し、時折口に放りこみながらチョコレートを並べているのを微笑ましいと思うと同時に、バレンタインのプレゼントを受け取るのはチョコが欲しかっただけではないかと思えてくる。恋人たちが幸せになる日のはずなのに、どうしてこんな孤独な気持ちになるのだろうか、と御剣は彼女の背中を見つめる。
「……これもチョコ、なのかしら」
冥はいぶかしげな表情で、いびつな丸い物体を掌に乗せていた。
「待った!」
御剣は慌ててソレを取り上げる。
「……なんなの?」
「コレは真宵くんからもらったものなのだ」
「……綾里真宵から?」
冥の眉がぴくり、と動く。
「チョコは私にくれたのでしょう。ダレからもらおうと、もう関係ないのではなくて?」
「いやソレが、手作りとかで」
ぴくっ
「トクベツなものが入っているらしいのだ」
ぴくぴくっ
「そんなモノをメイに食べさせるわけには……ぬおおっ!」
ムチが飛び、御剣はギリギリのところでそれを避ける。
「なによ! あの娘だけ特別だっていうの!? 私がチョコを好きだからあげるなんて言っておいて、いらないものを処分したかっただけじゃない!」
「ま、待て、なにかゴカイを……」
「うるさいッ!」
「ぬおっ」
再び振われたムチは御剣を打ち、チョコが掌からこぼれる。
「あ」
それは床の上で、包装紙ごと真っ二つに割れた。
「な、なによ! 避けないのが悪いんでしょ!」
冥は御剣のせいにするが、彼はそれに反論するでもなく動きを止めて床を見つめていた。
「……レイジ?」
「くくっ……くく……はははははは!」
突然笑い出した御剣に、冥は目を見開く。
そして我に返ったようにして床をのぞき込む。そこには、割れたチョコレートと共に親指大の人形が転がっていた。
「……なんなの?」
「トノサマンのスペースバージョン、だ」
お菓子がついて売られているフィギュアで、その中でもレアと呼ばれるものだった。
「……くくっ、たしかにトクベツだな」
拾い上げて、状況が飲み込めない冥の掌に乗せる。
「成歩堂にはビーフンで、刑事にはソーメンが入っていたらしい。こんなものをキミに食べさせるわけにはいかないだろう」
呆気に取られてフィギュアを見つめていた冥は、頭を振って息を吐く。
「まったく、あのムスメは……」
「……くくっ」
「いい加減、笑い止みなさい」
フィギュアを突っ返すと、まだ肩を揺らせている男を睨む。
「いや、キミが嫉妬してくれるとはな」
「ダレが嫉妬なんかしたかしら! アナタが一度くれたものを取り上げるなんて、不躾なマネをしたから怒っただけよ!!」
「す、すまない」
ビシバシと放たれるムチを避けながら謝るが、顔が緩んだままでは冥の怒りは収まりそうになかった。
愛情表現をしない恋人が素直に妬くのを見て、どうして喜びを抑えられようか。それを誤魔化せているつもりなのが、また堪らなく愛しい。
「―――フン」
そのうち追い疲れた冥はチョコを拾い上げてソファーにどさり、と座る。すねたように御剣に背を向けて、チョコをひとかけら口に放り込んだ。
「そう言えば真宵くんが、メイをチョコ作りに誘って断られたと言っていたが、私にくれるつもりはなかったのだろうか」
顔をのぞき込むと、眉をひそめて御剣を睨みつける。
「アナタもお菓子業界の戦略に乗せられたいのかしら、御剣怜侍。それだけもらっておいて、まだ欲しいとでも言うつもり?」
メイの眼光などなんでもないように、御剣は微笑みを浮かべる。
「数など関係ない。いくつもらったとしても、キミからのチョコに敵うわけがないだろう」
「……お生憎さま。私はそんな戯言に付き合う気はないし、チョコレートだって用意してないわよ」
口をとがらせて、またチョコを放り込む。
しかし今は、そんな減らず口も照れ隠しだと確信していた。
御剣は彼女の横に座り、まっすぐ目を見つめる。
「それならモンダイない。チョコならあるだろう」
「レイジからもらったチョコを、またアナタに渡すって言うの? そんなのバカげて……んっ」
身体を抱き寄せ、唇を重ねる。
「……んんっ……ん……ッ!」
口の中で溶けそうになっていたチョコを、舌でなめ取る。
冥は必死に抵抗するが、腰に回された手はがっちりと身体を捕らえていて逃れられなかった。
腕の力が緩み、やっとのことで開放された冥は、再び御剣を睨みつける。顔が赤いのは怒りと抵抗のせいだろう。しかし睨まれた御剣は嬉しそうに舌なめずりをする。
「やっとメイからチョコをもらえたな」
「勝手にうばっておいて、もらえたもナニもないでしょうッ!!」
冥は肩を怒らせて異議を唱える。
贈り物だと言うには、ずいぶんと乱暴だ。
「ふむ、それもそうだな」
あっさりとそれを認められて、冥は拍子抜けした。やりたいようにやって気が済んだからか、と御剣の勝手に怒りを蘇えらせかけた所、
「ならばキミが差し出したモノなら構うまい。この国でも、プレゼントはチョコレートに限ったことではないからな」
冥はソファーに押し倒される。
「ちょっと御剣怜侍! ダレがナニを差し出しているですって!?」
「こうしてリボンまでかけているではないか」
冥の胸元に飾られているリボンを外す。
「な! ……レイジ!!」
そうして御剣は、甘い甘いプレゼントを受け取った。