ゼムリア大陸中央部、
自由都市圏から遥か東の領域・・・
荒涼とした大地と凶悪な魔獣の生息地を抜けた先に、それは存在した。
古代ゼムリア文明の遺跡とされる謎の建造物だ。
遺跡攻略に際し教団は大きな損害を被ったとされる。帰還した人数は当初の2割程だったという。
これには道中、七耀教会・星杯騎士団と衝突した事と、
古代遺物の回収と搬送作業中に多くの犠牲者が出たという報告があるが詳細不明。
回収された古代遺物は、しずく型の形状に七色の光彩を放つ未知の結晶体
以下、古代遺物を【虹の雫】と呼称
・・・・・・・・・
教団内の研究施設にて【虹の雫】の分析調査及び実験開始
様々なアプローチの結果、莫大なエネルギーを秘めている可能性が判明
結晶体からエネルギーを出力し利用する方法を模索・・・
導力機器との接続実験・・・失敗
【虹の雫】から照射された光線により実験室が爆散、実験に携わった者、全員の死亡を確認
人体との接触実験・・・失敗
死亡、欠損、損壊、死亡、錯乱、死亡、死亡、死亡
死亡、死亡、死亡、死亡、死亡・・・・・・・・・・
検体の違いによる反応の違いを観察するため実験を継続
・・・・・・・
・・・・・・・
・・・・・・・
【虹の雫】の加工又は破壊を目的としたアプローチを開始
既存のいかなる方法を用いても、傷ひとつがつけること叶わず。
死傷者が一定数を超過したためアプローチ終了
第○○次接続実験・・・失敗
D∴G教団○○支部が壊滅
実験開始直後【虹の雫】から七色の光が放出膨張、支部全体を包み込む半球状のドームを形成
ドーム内に存在した教団関係者9割強が消滅?・・・
光を浴びた者が一瞬で蒸発したとされるが詳細不明
ドームの展開から消失までの時間、僅か数秒で○○支部は壊滅したと推測
生存者・・・幼年期の検体、人格調整前の検体、教団とは無関係の出入り業者、近隣住民の被害は皆無
実験施設跡で虹の雫を発見、回収
導力機器との接続実験、これ以上は危険と判断、実験の中止を承認、再開時期は未定
人体との接触実験は引き続き継続・・・適合者未だ現れず・・・
【虹の雫】を特定危険遺物と認定
厳重に封印処理を施した後、隔離施設への安置が決定
・・・・・・・・・・
追記・・・
これはただのエネルギー結晶ではない
人を理解し、選別し、何かを待ちわびている
実験されていたのは我々の方だと気付くべきだった
無謀にも封印を破らんとする愚か者へ・・・
こいつは人をえり好みする。
精々、機嫌を損ねないよう丁重に扱うことだな。
【虹の雫】は・・・お前を見てるぞ。
◇
七耀歴○○○○年 〇月
過去に行われた【虹の雫】の実験記録を読んだ。
にわかに信じ難い情報の羅列に自然と口元が緩む。
【虹の雫】は想像以上に危険な代物だが、その力は本物だ。
永久封印指定だが何だが知らんが、隔離施設の奥で埋もれさせるにはあまりに惜しい。
こいつを研究しろと、俺の中の探求心が疼く。
明確に人を殺す力をもった危険遺物、それも災害級の被害をもたらす可能性がある。
そんなモノを研究したいだなんて狂気の沙汰だ。
だからこそ面白い!
自分は【虹の雫】が日の目を浴びる瞬間が見たいのだ。
それと探求心とは別に湧き上がるこの気持ち・・・
『これからの世界にはこいつの力が必要だ』と強く思ってしまう。
自分でもなぜそう思ったのか、わからない。
謎の使命感に駆られた俺は衝動のまま行動した。
ダメ元で行った上層部への直談判、反応は芳しくない。
大した権限のない中堅研究者の戯言など一蹴されてしまったのだろう。
半ば諦めていたところで、思いがけない吉報が届いた。
【虹の雫】の封印指定を解除、研究の責任者に俺が抜擢されたのだ。
上役の中に俺と同じ考えを持つ阿呆がいたらしい。
『君の情熱、確かに感じたよ。んん~~~感動したぁ!』
知の庭園からやって来たという男は俺の手を両手で握りブンブン上下させる。
完全にハイになった男に『はあ、そうっスか』としか返答できなかった。
人の事を言えた義理じゃないが、胡散臭い男だなぁ。
知の庭園へと研究場所を移した。
自分を招待した男曰く、ここでなら思う存分【虹の雫】が研究できるらしい。
『僕のことは主任と呼んでくれたまえ』
眼鏡をクイッとしながらバカが何か言ってるが、本名を名乗られても困るのでどうでもいい。
俺のやりたいようにやらせてくれるなら、上司が少々気持ち悪くても我慢する。
ま、よろしく頼みますよ主任。
◇
事前に知っていたが【虹の雫】は厄介な代物だった。
不用意に触ろうとした研究員の腕を捻じ曲げて折るとか・・・
とにかく、素手で触ってはいけないらしい。
驚いて銃器を向けてしまった警備兵にはレーザーのような光を発射して重症を負わせた。
自分を害しようとする者も許さないらしい。
死人が出なかっただけマシだと思う事にする。
【虹の雫】には迎撃能力あり、細心の注意を払って扱うとしよう。
『綺麗だな…』
何とか実験室に運び終えた俺は【虹の雫】をよく観察してみる。
なるほど、これは確かに虹の輝きだ。
これほどまでに美しい結晶体を俺は初めて見た。
宝石として売りに出したら、どれ程の値がつくか見当も付かない。
博物館や美術館に展示すれば大盛況間違いないしだと思う。
寝ていたところを起こしてすまない。
これから実験を再開するが、どうかお手柔らかにしてほしい。
傷つけるつもりはない、ただお前のことが知りたいんだ。
死人はなるべく出さない方向で頼む。
『よろしくな』
これから長い付き合いになるはずだ。
返事がない事は分かってたが挨拶をしておく。
【虹の雫】が一瞬だけキラリと輝いて見えた。
なんかぞんざいに『あーはいはい』と言われたような、気のせいだな。
◇
接触実験開始
とりあず素手で触るところからチャレンジだ。
ダメだった。
触れようとした検体が苦悶の声を上げながら、次々と医療施設に運ばれていく。
謎パワーで腕や脚の骨を曲げたり折られたり、
虹レーザーで撃ち抜かれること早数十回…タッチに成功した者は皆無だ。
未だに死人が出ていないのが逆にすごい。
コレって、わざと急所をはずしている?
俺のお願いを聞いてくれたのか、はたまた、過去の大量虐殺を反省したのかはわからない。
わからないが、無暗に人殺しをしなくなった点は評価したい。
『人をえり好みする、か……』
【虹の雫】の輝きが『もっとマシな人間を連れて来い』と、言っている気がした。
古代遺物の好みなんてわかんねぇよ!
とりあえず続けるしかない・・・
まだ子供の検体が実験に参加した時、反応に変化があった。
今までは問答無用に骨折りとレーザーをぶっぱして来たというのに、
子供が触れようと手をのばすと、空中を浮遊して逃げたのだ。
『飛べるんかい!』
この光景にはその場にいた全員でツッコミを入れてしまった。
自力で移動どころか空中浮遊までやってのけるとは、さすがはオーバーテクノロジーの塊である。
それでも追いかけて捕まえようとすると【虹の雫】は強烈な光を発生させた。
異常な光を諸に食らった検体は『ぎゃー!眩しいぃぃ』と叫んだ後、使い物にならなくなって退場した。
失明したとかではなく、一時的に目が眩んだだけですんだらしい。
大人には厳しく、子供には甘いのか?
過去の実験でも子供を見逃している記録がある。
「……ロリコンか?」
ピカッ!!
「目がァァァ!?目がぁぁ!!」
再び発生した虹色の閃光は俺の目を焼いた。
俺の呟きが気に入らなかったらしい。
そうだろうと思っていたが、身をもって理解した。
【虹の雫】には確固たる意思があり、人の言葉をちゃんと理解していると・・・
◇
実験で使う検体を子供に限定してみよう。
【虹の雫】は子供を攻撃しない、もしくはできないようプログラムされているのではないか?
俺の考えは即座に否定された。
今日一人目の実験で、容赦なくレーザーをお見舞された検体が出たのだ。
検体の年齢は10代前半の男児、適合者クラスのトップランカーだったはず。
性別か?男は嫌いか?ならば今度は女の子で実験して・・・
腕の関節が反対方向になった少女が医療施設送りになった。
性別は関係ないらしい。
何が気に入らない?顔か?面食いなのか?
その後の実験で容赦のない攻撃を受ける子供と、手加減をされる子供がいるという事がわかった。
何が違う?【虹の雫】は何を基準に手加減する相手と、しない相手を決めているのか?
共通点があるはずだ。検体の情報を調べてみよう。
・・・・・・・・・・
「わかったぞ…悪か、どうかだ…」
手酷い攻撃を受けた検体は、他の検体に暴行を働いたり訓練中の事故に見せかけて、殺人を行った容疑ある者ばかりだ。
大人とか子供とかではない。
そいつが善人か悪人かで手加減するかどうかを決めているのだ。
なぜその様なジャッジをしているか知らないが、これが【虹の雫】なりのルールなのだろう。
過去の大量虐殺で生存者がいたのも、このジャッジで攻撃対象外となったからだ。
「だったら…俺はアウトだな」
庭園で仕事をしている大人は皆、大なり小なり皆がクズだ。
後ろ暗い過去のある者、研究のため悪魔に魂を売った者、犯罪者、殺人狂、背信者・・・
まさにクズの見本市だ。
俺も例に漏れないクズなので、レーザーに体を貫かれる資格がある。
◇
【虹の雫】を保管庫から俺の研究室に移動させた。
この時すでに【虹の雫】の悪評が広まっており、保管庫の管理人が泣きながら受け入れ拒否を懇願して来たからだ。
あれよあれよという間に俺の研究室はリフォームされ、部屋の中心に円筒形のクリアケースが設置された。
もちろんケースは防護処理済みであり、部屋の中で爆弾が破裂しても壊れない程の耐久性があるらしい。
ケースの底にクッションを敷いてやり【虹の雫】を入れた、変わった形の小箱をそっと中に入れる。
この箱は霊視隔離ケージと呼ばれ、古代遺物の導力反応を抑えつつ、安全に保管できるよう開発されたものだ。
どうなるか観察していると、事前にロックを外しておいた蓋が持ち上がり中から【虹の雫】が姿を見せる。
そのままフワフワと浮かび上がりケースのちょうど真ん中あたりで停止した。
まるで、自分が一番よく見える位置はここだと言わんばかりの位置取り。好きにしたらいい。
やれやれ、研究室に趣味の悪いオブジェができてしまったな。
ある日の夜、ふと目が覚めてケースの方を見ると・・・
【虹の雫】は浮遊するのを止めてクッションに埋もれていた。
まさか寝てる?いや、そんなわけ、こいつマジで何!?
今より遥かに高度な文明を誇った人々は、どういう用途でこいつを造ったのだろうか?
心なしか穏やかに輝く【虹の雫】は寝息を立てているかのようだった。
◇
閃光を遮断するゴーグルを装着した検体が、浮遊して逃げ回る【虹の雫】の捕獲に成功!したかに見えた。
もう少しでキャッチというところで、検体の手が大きく弾かれたのだ。
惜しい!今のは惜しかった。
実験後の聞き取り調査では『静電気のメッチャ痛いやつ』と検体がコメントしていた。
バリヤでも張っているのか?もう何でありだな・・・
同じように触れる直前まで行く検体は多かったが、全て弾かれてしまう。
もう長いこと実験を続けているが、まともに接触できる者は現れない。
やはり危険を承知で導力機器との接続実験を試してみるか?
いい加減、結果を出さないと実験そのものが打ち切りになってしまう。
何かないのか?
この状況を打開してくれる、奇跡のような何か・・・
◇
主任が新しい検体を連れて来た。
身元不明の子供を買って来たのだという。
主任はポケットマネーで人身売買を行うキチガイだと判明。
次はどんな子供がやって来るか、くじ引き感覚で楽しいらしい。
趣味悪いとかいうレベルじゃねぇぞ!
『お金の使い道なんてどうせないからね~ははははw』
『ははは』じゃねーよ。
主任のキチガイっぷりは有名で、この庭園でも忌み嫌われている。
興味本位で子供を殺す狂人というのは本当だった。
俺を含む外道からも嫌われる。正真正銘のクサレ外道。
こんなのが幹部をやっている、知の庭園は長くないかもしれない。
主任のくじ引きは今回もハズレを引いたようだ。
小汚い身なりの瘦せっぽちの少女。
随分と小さいが?一体いくつだ?
どうでもいい、俺には関係ない事だ。
見るからに貧弱虚弱、あれでは廃棄処分されるのも時間の問題だろうな。
不憫な少女の顔をそっと伺う。
意外なことに、その目は死んでいなかった。
◇
スケルトンルーム、検体たちの休憩所と言われているが、実際は検体の様子を俺たち研究員が観察するために用意されたものだ。
ここで使えそうな検体を見繕う奴もいるらしいが、俺の目的は自販機のコーヒーだ。
観察というこちらの意図は検体にも伝わってるので利用者は少ない、見世物になりながら休憩はしたくないのだろう。
そんな人間動物園に毎日やってくる検体がいる。
休憩時間になるとお気に入りの冒険小説を読むためやって来るのだ。
定位置のクッションに座ると読書に夢中になる小さな検体、ページをめくるたび表情がコロコロ変わって面白い。
【検体番号5364】いつの間にか、その少女は研究者たちの間で噂になっていた。
少女はとても愛想が良かった。
大人を見ても嫌な顔をせず、可愛らしく微笑んでくれる。
目が合うだけでも微笑みを返してくれて、頭を撫でたりお菓子を恵むと物凄く喜ぶのだ。
陰鬱な空気が漂う庭園にしては非常にレアな存在であり、癒しを求めて彼女を観察しに来る者が後を断たない。
少女は勉強熱心で努力家だった。
教師からの覚えもよく、苦手だった戦闘訓練にも歯を食いしばってついて来た。
礼儀正しく、割り振られた労働にも一生懸命取り組む姿勢が健気で好感が持てる。
定期検査の時ははちょっと青い顔をしてビクついており、注射の前後で涙目になっているのも可愛いと評判だ。
食事前にはお祈りを欠かさず、作ってくれた人や配膳を担当する者にすら礼を言う。
そしてとにかく、何でもおしそうに食べるのだ。
小さな口でモグモグと咀嚼しながら満面の笑みを浮かべているのが印象的だ。
少女の食べっぷりに触発されたのか食堂の利用者が増え、売り上げが向上したとの報告もある。
そういうわけで、5364は大人からのウケが異常に良い検体であった。
それに反比例するように、他の検体、特に子供の検体からは爪弾きにされていたようだが。
本人はまったく気にしていないようで、いつも通り庭園で暮らしている。
「あの子が気に入ったかい?」
「別に…そんなんじゃない」
いつの間にか主任が隣に立っていた。
5634を観察していて反応できなかったとは言いたくない。
「僕もいい買い物をしたなぁ。君もそう思うだろ?」
「嘘だろ…あいつ、あの時の新入りか!?」
主任の言葉で思い出した。
5364は少し前に主任が買った検体だったのだ。
あの見るからに死相が出ていた少女が、今はのびのびと庭園で生活中だと・・・
確かに面影があるが、この短期間でこうも変わるものなのか?
血色の良い肌、清潔に整えらえた頭髪、動作や一つとっても別人に見える。
強い意志を宿す瞳だけが、少女があの時の新入りだと教えてくれた。
「どう?そっちの進捗は?」
「難儀してます。無垢な存在というのは庭園では希少なんでね…」
「無垢?はっはーん…そういうことかぁ」
何か良くない思いつきをした主任がキモいので、俺は足早に仕事へ戻った。
◇
主任の策略で5364が【虹の雫】と接触した。
今日ほどあの男をぶん殴ってやろうと思った事はない。
一歩間違えば重大な事故に繋がっていたはずだ。
実験中以外で起きた事故は始末書もので、事後処理が面倒なのは理解しているはずなのに、やってくれたな。
憤りつつも主任を殴れなかったのは、思いもよらぬ成果があったからだ。
5364は【虹の雫】にあろうことか素手で自由に触っていたのだ。
それどころか【虹の雫】は5364を気に入ってしまい、彼女のそばに自ら近づく始末。
俺が知の庭園に来てからの苦労は何だったのか?
とにかく、これは快挙だ!
5364の存在は俺の研究に光明を見出す鍵となる。
◇
5364が助手となった。
彼女はすこぶる優秀であり助手としてでなく、身の回りの世話を任せても申し分ない働きをしてくれる。
【虹の雫】の適合者でなくとも雇い入れたいぐらいだ。
下手に褒めると調子に乗るので、本人の前では言わないように気を付けよう。
実験の幅が広がり、研究の手伝いや見学を希望する職員も増えた。
これも全て5364の登場によるものだ。
彼女は【虹の雫】に簡単な命令を実行させることができた。
好きな地点に移動させたり、一緒にダンスを踊るような動きもしてみせる。
攻撃を命じたら普通にレーザーを出しそうなので、そういう事ができるとは5364には内緒である。
もっとも驚いたのは5364が壊れたオーブメントを起動させた事だ。
これにはさすがの主任も目を見開かんばかりに興奮していた。
実験前5364の戦術オーブメントを故障したものとすり替えておいたのだが、実験中に彼女は問題なくアーツを発動させたのだ。
手に握り込んだ【虹の雫】が5364の体を介してオーブメントに力を流し、故障個所を無視して起動したとしか考えられない。
まだまだ調査の必要があるが、これが本当なら、5364を媒介にすることで導力機器に【虹の雫】の力を伝達可能になるかもしれない。
導力砲や機甲兵に試したらどうなる?もしや、他の古代遺物にもそれが可能なのか?
頭の中に5364と【虹の雫】を用いた無限の可能性が広がっていく。
そこで俺はひとつの夢を見た、悪夢だったかもしれない。
虹の輝きを放つ兵器と化した少女が、戦場を蹂躙していく様を・・・
『クッ…クハハハハハwww』
『急に笑うな気持ち悪い』
主任が耳障りな声を出したので現実に引き戻される。
『これが笑わずにいられるか、ようやく僕は当たり引いたぞ!』
『当たりだと?』
『そうさ大当たりだ!彼女こそが最後の希望だ』
『いつも以上に頭おかしいな』
『これは、運命だ!そう全ては、このためにあったんだよ』
『俺にはわからん…アンタも、5364のことも…』
『いずれ君にもわかる』
ニヤニヤ顔の主任が不快だった。
俺も主任も、この知の庭園という場所も、全ては5364と【虹の雫】のために存在した?
さすがに話が飛躍しすぎだ。気持ち悪い。
◇
5364は名前を欲しがり、イリスと自身を命名した。
イリス【虹の雫】が発見された遺跡に刻まれた古代文字、何度も繰り返し登場する単語の一部だ。
意味はまったくわからない。
主任にウ○コ呼ばわりされたと、イリスが顔を歪めて怒っていたw
名前を獲得したイリスは今まで以上に精力的に働いた。
実験にも協力的でずっとはしゃいでいるように感じる。
彼女にとって名前とは、自分の存在証明を確立する記号なのだ。
イリスと呼ばれる度に嬉しそうに笑う姿は、上司の贔屓目を省いても可愛らしいものだ。
イリスと俺は上司と部下というだでなく、私生活でも上手くやっていけている。
それも全部イリスが偏屈な俺に合わせてくれるからだが、それを素直に認めるのは悔しく思う。
仕事の合間にイリスとコミュニケーションを取るのが当たり前になって久しい。
彼女は聞き上手であり、話し上手だ。
豊富な知識から様々な話題について来るだけでなく、絶妙な相槌とユーモア溢れる意見を返してくれる。
俺は東方文化が好きなので、そういう話をよくした。
イリスは冒険小説が好みらしく、おすすめの本を教えてくれたりした。
庭園に所属する前に旅行で巡った場所を紹介すると、目をキラキラさせて『自分も行きたい』と駄々をこねた。
ここを無事に出られる保証などない検体に、外の世界を語るのは酷だったかもしれない。
だがもし、全てが上手く行きイリスが卒業する日が来たのなら、助手として旅行に連れて行くのもいいだろう。
そんないつかを夢に見てしまった。
クズな大人が言う『いつか』など来るはずないと知っていたのに・・・
◇
イリスの存在が俺の中で大きくなりつつある。
情を移してはいけないとわかっていたが、既に手遅れだったようだ。
今ではもう、イリスの淹れてくれるお茶やコーヒーがないと落ち着かない。
『計画を早めよう』
いつもの実験を終えた俺に主任が話しかけて来た。
『早める?もう実験を次の段階に進めるのか?』
『次じゃない、最終段階まで進めてほしい』
『バカを言うな!』
イリスが壊れた導力銃から虹色の弾丸を発射したのは三日前の事だ。
【虹の雫】を持っている時に限り、イリスは自身の装備に虹色の光を付与する事に成功している。
色が付いただけでなく威力も上がっているようで、虹の弾丸は軍用車両のフレームと同等の装甲版を貫いていた。
近接武器に付与すれば斬撃や刺突の威力も向上するはずだ。
しかし、致命的な問題がある。
【虹の雫】から力を付与された武器やオーブメントは数回の使用後、必ず壊れる。
もうそれは見事に内部から破裂するように壊れてしまうのだ。
最初に銃器が破裂した時、イリスが軽傷を負ってしまったのは俺の落ち度だ。
今は装備の種類や大きさを変え、どのように強化されるのか等を調べている最中だというのに、
『専用装備はまだペーパープランだ。設計すらできていない』
『装備は要らない。そんなもの【虹の雫】は求めてないよ。少なくとも、今はね…』
最終段階、それはイリス専用の大型武装を造り【虹の雫】と共に運用する事だ。
専用装備は【虹の雫】からの力の付与に耐えれるだけのスペックを持ち、虹色に強化された攻撃を連続で叩き込めるはず。
現段階でそれは不可能だが、最終的には・・・
単騎で機甲兵を圧倒する人間を創り出す!
これが【虹の雫】を使った実験のゴール。
達人や超人と呼ばれるレベルの理から外れた人間は既に確認されているが、それを人為的に創り出し量産化までこぎ着けた例は未だにない。
イリスと【虹の雫】はその足掛かりとなる存在だ。
上手く事が運べばそれ以上の結果も望める。
【虹の雫】ならば、単騎で戦局をひっくり返す力が十二分にあるはず、機甲兵どころか一都市をまるごと滅ぼすことだって・・・
全ては机上の空論だ。そこまでたどり着くには、予算も資材も、何より時間が足りない。
庭園の持てる力を全て投入しても何年先になる事やら・・・
それなのに、主任は今それを実現させろと言っている。
遂にイカれた?イカれているのは元々か?
『装備もないのにどうやって』
『イリスに直接【虹の雫】を埋め込む』
『は?』
『イリスと【虹の雫】を融合させてひとつにするんだ』
こいつは何を言っているんだ?
融合?ひとつ?
イリスを・・・壊すつもりか?
『【虹の雫】が求めているのは器なんだよ。自身の受け皿となる無垢なる魂を持っ…がっ!?』
『二度というな!!』
俺は主任を力任せに殴りつけた。
何が器だ!
イリス以外は触れる事すらできなかったんだぞ。
いくら懐いているとはいえ、
あれだけのエネルギーを秘めた結晶を体内に埋め込まれて、無事でいられるはずがないだろ!
そんなことをされたらイリスは、イリスは、
『……っ…今まで散々やって来た事だろ?今更、何を躊躇する?』
『黙れ』
『あの子が特別かい?それが何だというんだ。生きる価値を与えてやらなければ、どうせあの子は死ぬ』
『……』
『善人のフリはやめろよドクター。君は僕と同じクズのはずだろう?』
『仮に成功したとして、イリスは…』
『人間ではなくなるだろうね。だが、彼女という存在は生きながらえる』
生きていればいいのか?
醜い化物や物言わぬ廃人になっても、心臓が動いていればそれでいいのか?
それが、イリスの望む生なのか?
イリス・・・俺は・・・
『少し考えさせてくれ……頼む…』
『いいとも。だが、残された時間は少ない。それだけは、肝に銘じておいてくれ』
主任は俺に殴られた頬を腫らしたまま立ち去った。
理解しがたい狂人っぷりだが、今日は特におかしかった。
何を焦っているんだ。
なあ主任、アンタもイリスの事を気に入っていると思ったのは、間違いだったか?
その日はイリスの顔をまともに見られなかった。
彼女の淹れてくれるお茶の味もよくわからない。
【虹の雫】との融合、この話をすればイリスはどう思うだろう?
俺と主任を外道だと罵るだろうか・・・きっと、怒るだろうなw
表面上はイリスといつも通りに過ごして、数日が経過した。
葛藤している俺を置き去りにして事態は進んでいく。
イリス、お前ともっと話をしておけばよかった・・・
◇
イリスが医療施設に運ばれて来た。
脱走して暴走した改造魔獣の群れに襲われたらしい。
最初に見た時、すぐイリスだと理解できないぐらい酷い有様だった。
全身ボロ雑巾のような無残な姿をしていて、まだ生きているのが不思議なぐらいだ。
傷が多過ぎて止血も縫合もどこから手をつけていいかわからない。
特に胸の傷が酷く、恐らく重要な血管や臓器を損傷している。
素人が見てもわかる。
これはもう助からない。
医療スタッフたちが治療をせず廃棄処分の段取りを始めている。
俺はそれを呆然としたまま見ていた。
まだ、生きてる。まだ、イリスは生きているんだぞ。
なのに・・・
彼らを責める権利は俺にはない。
俺だって運ばれて来たのがイリスでなければ、彼らと同じ対応をしていたからだ。
今まで何人も見殺しにして来た、クズ。
特別だと思った助手すら救えない、クズ。
立ち尽くすことしかできない、クズ。
やはり、俺はどうしようもないクズだった。
主任がやって来た。
イリスの姿を見るなり、何かを決意した顔で俺を見る。
『ドクター、手を貸してくれ』
『主任?……もう何をしても手遅れだ。イリスは助からない…』
『なればこそ、最後の賭けに打って出よう』
主任の言う賭けが何を示しているかすぐ理解した。
もうそれしかないのか、結局、全ては主任の望み通りに・・・
『アンタがやったのか?』
『改造魔獣の脱走は完全に事故だ。疑うのなら庭園内すべての監視ログを見るといい』
そんなもの主任の権限ならいくらでも改ざんできる。
だが、主任が故意にイリスを襲わせたのではないと思った。
そんな回りくどい事をするぐらいなら、この男はイリスに全てを話して頼み込む方法を選ぶだろうから。
『これも運命とでも言うつもりか?』
『そうだね。きっと、こうなるのは必然だったんだよ……ほら、あの子もそう言っている』
あの子?
振り返ると、開け放たれたままの出入り口から【虹の雫】フワフワと飛びながらやって来るところだった。
研究室に保管していたはずが、イリスの危機を察知して飛んで来たのか。
瀕死のイリスを前に【虹の雫】は弱々しい輝きを見せる。どことなく悲しそうだ。
『時間が惜しい今すぐ融合処置を始めよう』
『俺たちでか?まともな手術なんて久しくやってないぞ』
『技術畑出身の僕なんて完全に未経験さ。さっきから震えが止まらない』
まともな手術はできそうにないな。
そもそも、融合ってどこにどうやって?
人生初というか、下手すると人類初の試みを何の準備もなくやれという無茶振り。
だが、やるしかない!
こうしている間にも、イリスは生死の境をさまよっているのだから。
『胸部を切開する。そこに【虹の雫】を入れてみよう』
『そんなアバウトな。入れるっていうけど【虹の雫】は僕らの指示を聞くのかい?』
『知らねぇよ!俺だってテンパってんだ。他に方法があるなら言ってみ……』
その時だった。
【虹の雫】がイリスの胸部に着地したかと思うと、輝き出したのだ。
部屋全体が虹の光で埋め尽くされる。
一体何が?眩しいが、ちゃんと見届けなければ・・・
輝いたままの【虹の雫】は吸い込まれるように、イリスの体へと沈んでいった。
そうして今度は、イリスの全身が虹色に輝き出す。
さすがに目を開けていられなくなり、瞳を閉じてしまう。
そうしている間に全ては終わっていた。
『っ…どう、なった?』
『ドクター……見たまえ…』
『イリス!?………これは……イリス、なのか?』
光が収まり【虹の雫】も忽然と姿を消した。
残されたのは俺と主任、そして寝台に横たわるイリスらしき少女だ。
全身にあった傷は塞がり、致命傷を負った胸部も何事もなかったように綺麗な肌が見えている。
血色を取り戻した少女は穏やかな寝息を立てていた。
『成功、成功したんだよ!イリスは見事やり遂げてくれたんだ!』
主任が大騒ぎを始めた。
血走った目で唾を飛ばしながら『やったやった!』と部屋中を飛び跳ねてウザい。
何がそんなに楽しいんだ?
彼女の意思を聞かずに、俺たちはとんでもないことをしでかしたのに・・・
『喜べドクター!報われる、全てが報われるんだ。これで…』
変貌してしまったイリスに目を奪われた俺には、主任の妄言は聞こえなかった。
『これで、世界は救われる』
俺が救いたかったのは世界なんて大それたものじゃない。
小さなたったひとりの、かけがえのない助手だったのに・・・
俺は何がしたかったのだろう?
何をすればよかったのだろう?
胸を張って最善を尽くしたとは言えないし思えない。
イリス・・・どうか俺を許さないでくれ。
◇
イリスが一命を取り留めてからしばらく経過した。
彼女はあれからずっと昏睡状態で目を覚まさない。
変わってしまったイリスを人目に触れさせないよう、彼女を厳重隔離区域の一室に移送した。
点滴の針や栄養剤のチューブをイリスが受け付けなかったので、培養槽に浸けて経過観察をする事にした。
これなら彼女の肉体は清潔を保たれ必要な栄養も摂取されるだろう。
と言っても、今の彼女に食事やその他、人間の常識的かつ生理的なアレコレが必要かどうかは甚だ疑問であるが・・・
主任もちょくちょくイリスの様子を見に来る。
最近は忙しいらしく、三日に一度ぐらしか訪れない。
【虹の雫】が消失した件を上にどう報告したのかは不明だ。
それ以外にも懸案事項を抱えているらしく、少し瘦せたように見える。
なんだか、雰囲気も変わった気がする。
憑き物が落ちたというか、何かをやり遂げてしまい、思い残すことがないとでもいうような・・・
考え過ぎだな。
イリスが起きた時に備えて、もっとシャキッとしてほしい。
イリスがいつ起きるのかは誰にもわからない。
このまま目覚めない方が良いのではと思う事もある。
イリスが目覚めた時、何が起こるかわからないからだ。
そして、イリスが元のイリスだという保証はどこにもないのだ。
古代遺物と融合した人間がどうなるかは誰も知らないし教えてくれない。
外見だけ変化して、内面は変化していないなどと、そんな都合のよい事があれば嬉しいのだが。
多くは望まない、ただ、やはり、俺は一刻も早く彼女に目覚めてほしい。
例えそれが、俺の知っているイリスではなくなっていても、彼女に生きてほしいと切に願う。
◇
最近俺は読書を始めた。
読んでいるのは前にイリスに勧められた『赤毛のアドル冒険譚』のシリーズだ。
これが中々に面白く、休憩時間に少しづつ読み進めている。
イリスが目覚めた時、感想を語り合う事ができたら幸いだと思う。
イリスが本の事を忘れてしまっていた場合、今度は俺がお勧めしてやりたい。
スケルトンルーム、イリスが定位置にしていたクッションに腰を下ろす。
さて、今日も続きを楽しませてもらおう。
早く起きろイリス。
お前が楽しみにしていた最新巻…俺が先に読んじまうぞ。