受験者達は本当に七十頭全て食べ切ったブハラの胃袋に対して、各々の反応を見せる。あー……お腹空いてきた。どうしよう、俺ってこの身体の大きさに反してかなり大食いだからなぁ…。ブハラまでは食べれなくても、さっきの豚の丸焼きを二頭分くらいはいけると思う。
そんな思考回路が完全に食欲で塗れている俺とは正反対に、クラピカはブハラが食べた量に対してその腹が膨張した胃袋の推定に合わないとブツブツと呟いていた。人間の身体って現代医学上でもまだ分からないことが多いからなあ。考えるだけエネルギーの無駄だぞ?
非常に満足げに己の腹を摩るブハラを見て、メンチはクラピカとも俺とも違う認識をしていた。呆れたようにため息を吐き、身長差のえげつないブハラを見上げてこう言った。
「あんたねー、結局食べた豚全部美味しかったって言うの?審査になんないじゃないのよ」
…うんまあ、確かにそれはそう。
一応これはハンター試験の第二次試験。試験と言っている以上、一つの工程の度にある程度は振り落とさなくてはいけない。見比べて、優劣を決める必要があるってことだ。
だが、今回のブハラのような形であるとその振り落としが正確に行われているか怪しい。どんな形式であっても審査は審査。…多分、メンチが言いたいのはそういうことだと思う。
「まー、いいじゃん。それなりに人数は絞れたし。細かい味を審査する試験じゃないしさー」
「甘いわねー、あんた。美食ハンターたる者、自分の味覚には正直に生きなきゃだめよ。まぁ、仕方ないわね」
メンチは再び
「豚の丸焼き料理審査!70名が通過!!で、次はあたしの試験よ!」
大半が野朗共である受験者達に怯むことなく、メンチは自身の試験が始まることを宣言する。先に行われたブハラの試験と違い、メンチはその体型的にも課題の料理を沢山は食べれないだろう。こう言っちゃなんだが、ヒントを得るという意味でも早い者勝ちになる筈だ。
だが、そんな可能性もやはり課題となる料理によって難易度がガラリと変わってくる。ブハラの時のような料理そのものに対する処理が簡単なものであればいいが…。これがもし、時間がかかったり特定の調理が求められるものだったら一大事だ。
当たり前だが、豚の丸焼きとカレーじゃ調理時間に大幅な違いがある。…つまり、メンチが課題にする料理によってこの試験の難易度が決まると言っても過言ではないだろう。一体どんな料理が課題となるのか、と周囲に緊張が混じった沈黙が広がっていた。
…それに、ブハラとメンチの会話的にもメンチはブハラよりも判定が厳しくなると見て良いだろう。だって「自分の味覚に正直に〜」とか言ってるヤツが、味付けや調理法に難癖付けないとは思えないだろうが…。
「あたしはブハラと違って辛党よ!審査も厳しくいくわよー。じゃあ、二次試験後半、あたしのメニューは……『スシ』よ!!」
(っ無理ぢゃん!!!!)
メンチの口から『寿司』の二文字が飛び出た途端、俺はこの試験に合格する受験生が決して多くないことを悟った。俺以外の受験者達もメンチから告げられた料理名を聞いたことがないのか、この一日で何度目になるのか分からない戸惑いを露わにする。
当たり前だが、野郎が一人前に自炊しているのは珍しいことである。その上、料理名を聞いたことがある程度の認識で正しく調理が出来るスパダリなんてもっと珍しい。その為、『寿司』がどんなものなのかすら知らない受験者達はオロオロとしていた。
「ふふん♪大分困ってるわね。ま、知らないのも無理ないわ。小さな島国の民族料理だからね」
……メンチはもしや、生っ粋のドSか何かなんだろうか。この世界の日本ではないが、それでも『寿司』を知っている俺からすれば難易度が高すぎてそういう癖にすら思える。それにこの森林内で材料が揃えられる料理にはとてもじゃないが思えない。
基本的に川魚よりも海の魚や幸を使うし、どれだけ簡単なものを選んだとしても海苔がない。…とりあえず、この後に追加の条件がないのであれば…卵と海苔の代用品がないか探さないといけない。酢飯はもう時間をかけて試行錯誤するしかないな。
「ヒントは建物の中の調理場よ!最低限必要な道具と材料は揃えてあるし、スシに必要なゴハンはこちらで用意してあげたわ」
(マジか!?)
「そして、最大のヒント!!スシはスシでも、ニギリズシしか認めないわよ!!あたしがお腹いっぱいになるまでなら、何個作って来てもいいわよ!」
なんと、これがマジだった。
試験開始時にブハラとメンチが半ば閉じ込められていた建物の中に入ると、そこにはちゃんと用意された酢飯や海苔、醤油からワサビまであった。
俺はともかく、それでも困惑を隠し切れない受験者達にメンチは追い討ちをかけるように追加の条件を告げる。だが、俺はそれでも作ることが可能であると見抜いた。最初考えていたよりも条件は軽くなったし、真剣にやれば不可能ではないだろう。
「魚ぁ!?お前、ここは森の中だぜ!?」
「声がデカい!!」
そんな思考を一気に吹き飛ばしたのは、露骨にヒントを暴露したレオリオとクラピカの声だった。他の受験者達がそんな特大ヒントを逃す訳がなく、我先にと森林の中にあった川辺を目指して駆け出して行った。…俺は呆れつつも、ゴン達と共に川辺に移動した。
そこで何とか捕獲したのは、それぞれが違う種類の魚が三匹。捕獲には例の四人にも手伝って貰ってしまったので、これ以上は頼む訳にもいかない。そんなことを思いながら、恐る恐ると包丁を持って無言で魚の鱗を剥いだ。そんで、鱗を剥いでから気付いた。
(………あれ、魚ってどうやって三枚おろしとかにするんだっけ…???)
それに気付いてしまったのは、既に一匹の魚の鱗を全て剥ぎ終わってからだった。何せ俺は何だかんだで魚を捌いたことがなかった。大抵はスーパーなどで売っている切り身を買っていたし、普段の料理で魚を使う頻度も少なかった。
だがしかし、魚は鮮度が命である。それを寿司にするのであれば、あまりベタベタと魚に触れることも良くないだろう。だから俺は覚悟を決めて、テレビで見たことがある程度のマグロの解体ショーなどを思い出しながら自己流で魚を捌いた。
(…ダメだ!!この魚じゃ寿司に出来ない!!)
結局三枚おろしは出来なかった上に、一匹目の魚は白身魚だった。それも、恐らくアニサキス的な寄生虫が体内に
…食べ物を無駄にさせるつもりもなかったので、骨だけ取り除いてあとは全て力任せに包丁で叩いた。一定間隔で叩いた後、念の為でもう何度かランダムで身を叩いた。大急ぎで二匹目も素人なりに捌くが、白身魚だった。
二匹目は上手く捌けた。寄生虫もいなかったが、その分肝心な身もあまりなかった。かろうじて一皿分になる切り身だけ確保して、大きさが足りない切り身で酢飯との相性や味を確認した。……これ、炙った方が良さげだな。
大きさが足りない切り身を炙って火の通り具合を確かめるが、余っていた切り身の量が足りなくなって土壇場で一皿分の切り身を炙った。…それだけではまだ不安だったので、三匹目も捌いた。これも白身魚だった。
三度目の正直というヤツなのか、三匹目は寄生虫もなく身も多かった。身もあまり無駄なく切り取ることができ、三匹目の切り身は炙らずに仕上げた。味見もそこまで問題ないように感じたので、メンチのところに向かおうとすると大声で忍っぽいヤツがあることを叫んでいた。
「スシってのはメシを一口大の長方形に握って、その上にワサビと魚の切り身を乗せるだけのお手軽料理だろーが!!こんなもん誰が作ったって大差ねーべ!?」
…オイオイオイ、死ぬわアイツ。
余程身近なものだったのか、それとも単にそれだけの自信があったものをメンチにダメ出しされてキレたのかは分からない。
…ただ、料理関係の相手に一番言ってはいけないことを言ってしまったのは分かった。何故ならば忍の言葉を聞いたメンチの目付きが急激に恐ろしいものへと変化し、重い威圧感を醸し出す。それに怯んだ忍の胸ぐらを強く掴み、メンチは怒鳴り返した。
「ざけんな、テメー!!鮨をまともに握れるようになるまでは10年の修行はかかるって言われてんだ!!貴様ら素人がいくら形だけマネたって天と地ほどの差があるんだよ、ボケェ!!」
「な……だ、だったら、んなもん試験科目にすんなよ」
(うん、…それはそう)
「っせーよ、ハゲ!殺すぞ!!お!?あ!?言ってんだろーが、美味しいって言わせろってな!!つまり知ってようが、その努力が見られなかったら美味しいわけねーだろ!!料理舐めんなよ、テメー!!」
…少しは図星だったらしく、忍の言葉をメンチは流すように続けて怒鳴った。ついにメンチはその怒鳴り声と勢いで逆ギレしていたらしい忍を追い返してしまった。忍が大人しく去った後も、メンチの怒りが冷める様子はなかった。…どうやら地雷を踏んだらしかった。
だが、俺は作るものを作ってしまった。いくらメンチが地雷を踏まれて怒っていても、時間が経てば経つ程に鮮度が落ちて美味しさが損なわれていく。…合格を貰える自信はない。でも、せめて評価を聞いて次のチャンスに賭けたい。今回は深呼吸する時間もなかった。
見るからに怒り心頭であるメンチの元へ、二匹目の魚で作った白身魚の炙りと三匹目の魚で作った白身魚の握りを差し出した。
「…あの、これ、お願いします」
「ああそう」
メンチはまともにこちらを見ることなく、三匹目の炙っていない握りを軽く醤油につけてから口に入れた。…次の瞬間に目を見開いて驚いたかと思えば、何処か迷うような顔で眉間に皺を寄せた。「うーん」と唸ってから、もう一度同じ握りを口に入れて咀嚼した。…そして、嚥下した。
「……惜しいけど、まだ少し生臭いわ」
「あー…」
「まあ、切り身をベタベタ触って生ぬるいよりはマシってくらいね。素人にしてはよく出来てるんじゃない?」
「…分かりました」
…どうやら、三匹目の切り身にまだ生臭さが残っていたらしい。酢をかけて流水でサッと流して対策はしたのだが、それでも足りなかったか魚の種類上で問題があったのかもしれない。これは少し改善の余地がありそうだった。
俺がそんなことを思っている間に、メンチは用意されていた湯呑みから茶を飲んで口の中をリセットしていた。そして二匹目の魚で作った白身魚の炙りを口に入れて、咀嚼した。今度は一つだけ握りを口にして、悩むことなく湯呑みの茶を飲んだ。
「こっちは炙りが足りないし、切り身が小ぶり過ぎるわ」
「なるほど…生臭さはなかったですか?」
「そうね、こっちはなかった」
「……また、作り直します」
「あぁちょっと待ちなさい!」
あーダメだったかーと肩を落として戻ろうとした時、背中を向けた筈のメンチから声をかけられた。声をかけられて呼び止められるようなことをした自覚もなく、何だろうかと思いながらもメンチの方へ振り返った。…もしかして俺、何かやっちゃいました?
「あんた、最初に捌いてた一匹目はどうしたのよ」
「…え?」
「ほら、オドオドしながら鱗剥がしてた一匹目では握らなかったの?」
一瞬とぼけて、もう一度メンチから問いかけられたことで調理光景を見られていたことに気付いた。…確かに魚を取ってきたタイミングは遅かったが、その後の状況は全く把握していなかった。するとフォグが小さな声で、魚の捌き方を真似されていたと教えてくれた。
どうやら他の受験者達も俺と同じように捌き方が分からなかった中で、俺が一番最初に魚を捌いていたらしく…。他の受験者達はそれを各自で真似しながら作っていたようだった。……ま、マジかあ。つまり、メンチもその光景を見ていたという訳で…。
これがお叱りなのかは分からないが、捌く工程を見られていた以上は言い訳が出来ない。「食べ物を無駄にするのは何となく嫌だったから叩きにした」…なんて言える訳が無い。だからと言って、握りにも出来ない。……つまり、とても気まずい!!
「えっとその……一匹目は捌くのに失敗したりで、叩きにしちゃったというか…」
「ふーん………」
「す、すみません……」
「じゃあ、あんた惜しいとこまで行ったし…それをスシに出来たら合格にしてあげるわ」
…メンチの言った言葉を理解するまでに一拍遅れ、キョトンとした顔を晒してしまった。どうやら叩きにしてしまった一匹目を寿司に出来たら合格にしてくれる、ということらしい。はあ…えっと…うーんと、なるほど…?
「で、どう?」
「それって、握りじゃなくなりますが…それでも大丈夫ですか?」
「ちゃんとスシのネタになるならいいわよ。でも、その前にあたしが満腹になったらアウトだから」
「…はい!」
言質取ったり!と隠し切れない喜びを小さなガッツポーズで紛らわすと、駆け足で使っていた調理場に戻る。俺のあとに他の受験者達が入れ違いでメンチの元に向かっていくが、耳を澄ませている限りは全員が追い返されてるようだった。
「…何これ、握りすぎて別物になってるじゃない!!こっちは切り方が最悪!肉の切り方でどうにかなると思ったの!?」
「メンチ、流石に厳し過ぎない?もうちょっと緩く見ても…」
「する訳ないじゃない!だってヒントはもう十分すぎるくらいにあるし、あのハゲのせいで大雑把に情報が漏れてるんだからこれくらいしないと納得いかないわ!!」
…うーん、さっきから思ってたけどメンチって多分普段は食べる側じゃなくて調理する側なんだろうか?ブハラの態度的にも、調理する側じゃないと分からない苦労をメンチは理解しているように思えるし…。それにしてはまあ、随分と厄介クレーマーしているように思えるが。
そんなことを考えながら、俺は俺で一番最初に作った叩きの状態を味見して確認しながら軍艦巻きにする準備を始める。…イクラみたいにそのまま乗っけるよりも、ネギトロやトロたくみたいに何か合わせた方がいいかもな。
酢飯→海苔→ネタ→その他、の順で軍艦巻きを作っているのをテレビで見たことがある。醤油を付ける前提だったとしても、とりあえず海苔はパリッとしたものじゃないといけない。食べる時に海苔がしなってるよりも、パリッとしてた方が食感が増えて美味しいだろ?
出来上がった軍艦巻きを皿に盛り付けて調理場から移動を初める。すると、フォグから邪魔してきそうなヤツがいるとタレコミがきた。フォグがカウントして邪魔のタイミングを測っているので、俺もそれに合わせて一瞬だけ浮遊して回避する。
…横目で悔しそうに歯を食いしばっている知らないおっさんを見ながら、俺はメンチの元に出来上がった軍艦巻きを差し出した。直前まで他の受験者を追い返していたメンチが俺を見て真剣な顔をしたと思えば、差し出された白身魚の軍艦巻きを醤油をつけて頬張った。
「……スシのネタにはないけど、随分と寄せたものね。あ、この海苔は意図的?」
「そうですね。基本的にパリッとしたものを提供するのが正しいと聞いたことがあったので」
「…なるほどね。1番、合格。素人なりに努力したってことは認めてあげる。でも本来は失格だってこと、忘れるんじゃないわよ」
「はい、…ありがとうございます!」
少し悩んだように考えていたメンチから言われた言葉に、俺は思った以上の嬉しさが溢れた。いやー、回らない寿司は食ったことなかったけど合格点が貰えてよかった。…え?回らないスシは何かって?そりゃなあ、目の前に寿司職人がいて、握りたてを作ってくれるお高いお店のことだろ。
…ん?フォグも寿司が気になるのか?じゃあ、どっかちょうどいいタイミングがあったらにほ…じゃなかった、ジャポンに行って食べてみようぜ。そしたらメンチが言ってたこともある程度は分かるだろうよ。…メンチはどうでもいい?おま…ホント他人に興味ないな…。
そんな会話をフォグとしていると、予想していた通り腹の調子が悪くなってきた。…十中八九、味見のしすぎやらで調子を崩したんだと思う。ある程度対策していたとはいえど、火を通さない魚の刺身を沢山食べてたようなものだからな。海苔も確認で食べたし、予想通りといえば予想通りだ。
元々日本人は島国で肉を食べる文化がほぼなかったことから、食物繊維を消化する酵素が外国人よりも多く存在しているという研究結果がある。その為、この世界で日本と同じ立ち位置であろうジャポン生まれでない俺は体内に食物繊維を消化する力がそこまで高くない。
特に海苔は磯臭く感じる人もいるらしいし、昆布などの海藻に至っては一定量を超えると腹を壊してしまう人もいる。…くっ、ジャポン人に生まれなかったばっかりにこんな形で体調を崩すとは。そもそも、海藻を食べるっていう文化すら海外人からすればぶっ飛んでるらしいし…。
気のせいどころではなく、普通に体調の悪さで休憩していると割と近いところにいたらしいゴンとクラピカが駆け寄ってきた。…レオリオはその背後でメンチに追い返されていた。キルアは完全に戦意喪失っていうか、もう諦めてるっぽかった。
「すごいねレアン!」
「そうだな。…もしや、スシを知っていたのか?」
「あぁ……まあ、一回は食べてみたいって思ってたから。まさか作ることになるとは、思ってなかったけど」
「それに、かなり顔色が悪いが……」
「…みんなが寿司を知らなくて、俺も食べてみたいって思ってるくらいには魚をほぼ生で食べるのって世界的にも珍しくてさ。食べ慣れてないのに、味見沢山したから体調が崩れてるだけだよ」
…二人はそれで納得してくれたが、受験者達全員が納得している訳ではないんだろう。俺が今こうして体調を崩している中で、一部が納得いかないとばかりの敵意マシマシの目線を向けていた。…対立してこないのは、あれか。魚を捌く時に俺が情報をある程度与えてたから、とかか?
それから数十分が経過した結果。
「ふぅ~……わり!!お腹いっぱいになっちった!」
…と、メンチは堂々と受験者達に言い放った。もちろん、受験者達も周囲の評価を見比べて試行錯誤していたのは俺もちゃんと見ていた。だが、それでもまさかと思っていた節があったのかもしれない。受験者達は唖然とした表情で固まっていた。
ブハラに至っては額に手を当てて、呆れたようなため息を吐いていた。だが、あまりにも厳し過ぎる審査に受験者達も納得が出来ないのか、メンチの言葉を聞いて頭に血が上ったような態度を露わにする人もいた。その中の一人が、俺を指差した。
「っふざけんな!!こんなガキ一人が合格できんなら、オレだって合格できる筈だろうが!!」
「…あのねえ、あんたらだって見てたでしょ?現に捌き方を少し真似してたじゃない」
「メンチ…」
「魚だって取んの遅かっただろ!?」
「確かに魚を持ってきたのはまあ遅かったわよ」
うぐ……。
「でもね、誰よりも魚を扱う時に何が大事なのか理解してたって言えばいいかしら?魚の油ってね、人間の体温で簡単に溶けたり無くなるの。だからベタベタ切り身を触ればまずくなるし、時間をかければかける程に美味しさも損なわれていく」
「…そういえばレアン、捌く時以外に魚を触ってなかった」
「1番を合格にした理由の一つはね、魚を取ってきた時に捌く前からずっと焦ってたことよ。時間をかけるとどんどん状況が悪化するって理解してた。まあそれだけだったら失格にしてたんだけど、ちゃんとスシに寄せようとする努力が見られたのも良かったところね」
「そ、それなら俺達だってちゃんとスシに寄せそうとしたじゃねえか!!」
「そのガキと俺達の何が違うって言うんだよ!!」
「…そうやって文句垂れてたって、あたしが下した結果は変わらないのよ。二次試験後半の合格者は一人!!これは変わらないわ!!!」
…メンチはそう言ったっきり、どっすりと座り込んだソファから動く気配がない。メンチの堂々とした宣言はこの二次試験会場に響き渡っていて、誰もが耳にしていただろう。ブハラがどれだけ言おうとメンチの態度が変わってくれるようには思えない。
受験者の大半からすればあんまりだと叫びたい結果に、二次試験会場には異様な雰囲気が立ち込めていた。…そんな中でたった一人合格してしまったということもあり、俺は非常に居心地が悪かった。なんだかとても申し訳なく思えてきて、そっと手を上げた。
「…何よ」
「えっと……実は魚を取る時、一緒に行動してた受験者達に手伝ってもらったんですよ。それって、それだけ試行錯誤する時間を奪ったってことじゃないですか。…だから、本来通りの失格にしてくれませんか?条件だった握り寿司であることもクリア出来てませんし…」
「あっそ、じゃあそう報告させてもらうわ」
「え…!?」
メンチが審査委員会に連絡するのか、携帯を取り出した辺りでゴンが慌てて俺の前に飛び出してくる。……うむ、ゴンはいい子だなあ。レオリオも納得していなさそうではあるが、俺の行動に疑問を持ったのは同じらしい。…何でだって顔してるし。
「れ、レアンはそれでいいの!?せっかく合格してたのに…!」
「…だって、ゴン達に手伝ってもらったのに…俺一人で合格するのはゴン達を利用したみたいで嫌なんだ」
「でも……!!」
「俺は握り寿司を出せなかった。…それ以上でもそれ以下でもないよ」
そんなゴンとの会話の横で、審査委員会に報告の連絡をしているメンチの声が響き渡った。…メンチの声色的には、どうやら審査委員会もメンチの審査に難があると見たようだった。でも、あれは忍っぽい人がメンチの地雷を踏み抜いたのも原因だと思うんだけど…。
「だからぁ仕方ないでしょ、そうなっちゃったんだから!……いやよ!結果は結果!やり直さないわ!」
メンチも頑固と言えば頑固だが、あの忍っぽい人から寿司に対して侮辱された怒りが抜け切っていないんだろう。まあそれだけ、メンチが怒るだけの言葉だったという訳だ…。しかも明らかに寿司を知っている筈の相手から言われたら、…そらそうよ。
「………♣︎」
「………」
だがしかし、メンチが審査委員会と言い合いをしている間にも現状に苛ついている連中は一定数いる訳で…。フォグもまだ終わらないのかと言っているし、ヒソカも何処か苛立っているような雰囲気を醸し出している。針男は……針男だった。
まあとにかく居心地が悪い。このままの状態が続けば、フォグは俺がいるから止められてもヒソカは止まらないだろう。メンチやブハラの実力を知らないから具体的な想像は出来ないが、ヒソカであればやりかねないんだよな…。
指名するだけの問題児もそうだが、もちろんそれ以外の受験者達も苛立っていることに変わりはない。結果にも文句を言いたいだろうし、何なら先陣切って誰かが実力行使をすれば誰かしらはそれに参加しそうな勢いすらあった。
「報告してた審査規定と違うって?なんで!?始めから私が美味しいって言ったら合格にするって話になってたでしょ?」
「メンチ…それは建前で、審査はあくまでヒントを逃さない注意力と」
「あんたは黙ってな!!」
侮辱されたこともあるんだろうが、メンチはその勢いで審査委員会と言い合っていた。流石に止めるべきと判断したブハラが声をかけるが、悪手だったらしく一言で黙らされていた。…ブハラは泣いていいと思う。だって今回に限っては完全に巻き添えだし。
まあそれはそれとしてもメンチが言っている審査規定と、電話相手の審査規定が合っていないのはどうかと思う。多分言葉が足りなかっただけなんだと思いたいが…、そうじゃなかったのならメンチはかなりの私情で試験を左右していたことになってしまう。
「こっちにも事情があんのよ!受験生の中にたまたま料理法知ってる奴がいてさ~!そのバカハゲが他の連中に作り方バラしちゃったのよ!」
「ぐ……」
メンチが"バカハゲ"というと、案の定忍っぽい人が肩を揺らした。限りなく言い方が悪かったのも事実だし、本来秘密にしておけばいいことをばら撒いてしまったのも事実だ。でもバカハゲは言い過ぎだろ。また髪の話してる…。
「とにかく、あたしの結論は変わらないわ!この二次試験は合格者は0人よ!!…合格者がいたって、あぁ…なんか勝手に辞退しただけよ。流石に、そこまでは知ったこっちゃないわ!!」
メンチは電話越しの相手に捲し立てるように言い、そのまま通話も切る。何なら追加で携帯の電源も切ってしまった。どうして理解してくれないのだ、と言いたげな不満を八つ当たりする形で携帯を投げ捨てた。なんでや!携帯くん関係ないやろ!!
携帯に盛大な八つ当たりをすると、メンチは足を組んで両腕をソファの後ろに回した。そしてさも不機嫌である、と表すように「ふん!」と鼻で笑った。ブハラはメンチのそんな態度に対して、どうしようもないとばかりにため息を吐いた。やけに深いそれに同情せざるを得ない。
…だが、ブハラの不遇っぷりなどメンチから不合格認定されてしまった受験者達にはもう関係ない。このままでは本当に納得が出来ないまま試験が終わってしまう。そんなことは許せない、とばかりに元々合った憤りが更に膨れ上がる。…ついには殺気すら感じる始末だ。
「マジかよ……」
「まさかこれで本当に試験終了かよ?」
「冗談じゃねぇぞ……!」
メンチも、恐らくは膨れ上がった不平不満に気付いている…と思う。多分。…俺だってある程度に知識やテレビで見たことがあったからどうにかできただけで、本当に何も知らなかったら流石に不満を感じてしまうだろう。合格、辞退してて良かったあ…。
そんなことを思って、一時的な安心感にため息を吐いた途端だった。ドオオォン、と盛大に何かが砕ける音が周囲に鳴り響いた。何かと思って音の発生源に目を向けると、そこには
俺の手とは比べられない程に大きい拳は強く握り締められていた。そして当たればひとたまりもないであろうその拳は、男が使っていたであろう調理場のシンクを大きくひしゃげさせていた。どうやら音の発生源はそこらしい。力任せに叩き付けでもしたのだろう。
「納得いかねぇな。とても『
男の額には青筋が浮かんでおり、その鋭い目線はメンチの方へと向けられていた。…というか、もはや睨み付けていた。つーかさっきからメンチもレスラーっぽい人もそうだけど、物に八つ当たりしすぎじゃないか?シンクも携帯も何も悪いことはしてないだろ。
「俺が目指しているのはコックでもグルメでもねぇ!
「それは残念だったわね」
「……何ぃ!?」
「今年は試験官
男の言葉に対して、メンチはレスラーっぽい男のことなどどうでもいいとばかりに涼しい顔で言い放つ。……おいおい、運がないのは事実だろうけどさ。なんでわざわざ相手を煽るんだよ。ただでさえ頭に血が昇ってて正気じゃないのに、どうして火に油を注ぐんだよ。
もちろんそんなメンチの態度にレスラーっぽい男は我慢の限界を迎えた。先程シンクをひしゃげさせた拳を更に握り締め、平然としていて受験者達の話を聞こうとしないメンチに対して怒鳴りながら殴りかかろうとした。
「こ……ふざけんじゃ――!!」
直後、男の身体は容易く浮いた。
何処からともなく現れた突風が男の身体を簡単に吹き飛ばし、思い切り施設の窓を割って外に飛び出した。そして、そのまま地面身体を打ち付けた。その突風は男を攻撃しても消えず、他の受験者達を強く風で煽った。
そのあまりの強さに、俺が被っていた帽子は簡単に脱げてしまった。何なら顎紐などで固定していなかったので、森林の何処かへと飛ばされて行った。…いつもであれば帽子を戸惑いなく追いかけるのだが、ちょっと今それどころではない。
「メンチ、殺したらこっちが怒られちゃうよ」
「……ふん」
……これは、えっと…ブハラのファインプレーってことで良いんだろうか?そんな疑問が脳裏をよぎる中で、メンチはそれでも何処か不満げにしたままソファから立ち上がった。そんなメンチの両手には、四振りの料理用包丁が握られていた。受験者達はメンチの武器に目を見開き、驚く。
「賞金首ハンター?笑わせるわ!今のブハラの張り手も見切れず、あたしの殺気にも気づかないくせに。どのハンター目指すなんて関係ないのよ。ハンターたる者、誰だって武術の心得があって当然!!」
そう言いながら、メンチは受験者達に見せびらかすかのように見事なジャグリングを包丁で行った。その動作はとてもじゃないが土壇場で行っているようなものではない。まるで、今まで何度も行ってきたかのような扱いだった。
「あたしらも食材探して猛獣の巣の中に入るのだって珍しくはないし、密猟者を見つければもちろん戦って捕らえるわ。その中には賞金首の奴だっている!!武芸なんてハンターやってたら嫌でも身につくのよ!あたしが知りたいのは、未知のモノに挑戦する気概なのよ!!」
見た目だけでは測れないようなメンチの気迫に、施設外でぶっ倒れている男以外の受験者の大半がその肩を震わせた。今までの不平不満を一気に拭い去るかのような事実に、怯えることしか出来ないのだ。あぁこれが本当のハンターなのか、とでも感じているかのように。