イブキちゃんに土下座するマコトちゃんとてもかわいいよね(重症)(幻覚)
「おい、煙草くれよ」
押収品係に異動して2日目、ひとくさりの業務を初日に叩き込まれていたシイナはツグミから留守番を任されていた。とんでもない来客があったのはまさにその時、時刻としては午前11時半を少し回った頃である。
「た、煙草……?」
「オイオイオイ、煙草だよ煙草。口に
「いや意味は分かりますがね……」
シイナはどこからツッコミを入れればいいか迷っていた。ヴァルキューレ警察学校は煙草を求めてくる場所ではないし、この来客はどう見ても20歳未満である。それどころかシイナと同じヴァルキューレの警察学生だった。
メガネをかけた、まとまりの悪い黒髪を雑に一本結びにしたこの生徒は、見れば左腕に交通局免許係の腕章を巻いている。
「(煙草を強請る免許係の生徒……この人が免許係の悪魔、『生駒コイ』か?)」
事前に先輩から聞かされていた特徴にクリーンヒットする目の前の生徒に、多分本人なんだろうなという確信を持ちながらシイナは尋ねた。
「もしかして生駒コイさんですか?」
「おっそうだよ。ツグミンから聞いてる?」
「ええ。『免許係の悪魔』だと」
「悪し様に言ってくれるねェ。んじゃあたしがここに来た理由もわかるわな?煙草くれよ」
「駄目です」
カウンターに手を出して物を要求するコイに、シイナは取り付く島もなく首を横に振った。
当たり前である。いきなり何の権限もなくふらっと現れた生徒に押収品は渡せない。渡した日には今度こそ華々しい警官人生には戻れなくなって、むしろさらに処分が増える。最悪の場合、退学の上矯正局送りだ。
「なんだ答え方までツグミンに教わったのか?ンなこと言わずに頼むよ」
「駄目なものは駄目です」
「うわっ、ツグミンと全く同じこと言ってら。さては新人を装ったツグミンだなオメー?」
「私は仲仁田シイナといいます。間違っても村上係長じゃありません」
「へぇーそう。なかにだし……ん?お前さんそれ本名?芸名とかじゃなくて?」
コイはシイナの名前をフルネームで口に出し、ふとその読みにある意味を見出してしまい思わず聞き返した。さすがにコイもこれが本名なら可哀想だと珍しく思ったのである。
しかしシイナは眉間を一層険しくして、肯定するのみである。そこにはコイが予想していなかった事情が挟まれているのだが、そんなものはコイには知る由もない。
「……本名ですよ」
「あっそう。まあそういう名前の奴もいるか」
板井多もいたぐらいだしな、そう言ってコイはとりあえずは納得したようだった。
だがシイナの名前に納得したぐらいでこの難局は終わらない。コイの手は、そして顔は依然として煙草を要求していた。
「で、煙草――」
「駄目ですよ」
「いつもの――」
「知りませんよ、初対面ですよ」
「セブンスターのボックスのカートン――」
「ありません」
「ないってこたぁねェだろお前、
「だとしてもあげません」
しつこく煙草を要求するコイと頑として横流しに応じないシイナ。この問答に決着がつかないだろうことは2人とも早い段階から察していた。
とはいえコイには諦める様子もなく、またシイナも押収品を死守しなければならないのであるから、状況は当たり前に膠着してしまう。
しかし膠着状態もそう長くは続かなかった、ツグミが外出先から戻ってきたのである。
「ただいまー」
「おっツグミンおかえりー。煙草ちょーだい?」
「出たな妖怪タバコクレー。んなもんないからこれでも持って帰んな」
戻ってくるやすぐさま煙草を要求しだしたコイにツグミはにべもなく断り、道中で買ってきたのであろうマスタードーナツの箱をコイに押し付けた。
中のドーナツは全てマスタードーナツの定番、オールドファッションである。
「おおっ!マスドのオールドファッション!やーさっすが村上係長閣下、人の心がわかってるぅ」
「しかも真ん中2つは最近出たばかりのベリーベリーミックス」
「フォオオオオ!?あのクソ高ぇベリーベリー!?村上様マジ神様」
ドヤ顔しながら自慢げに追加情報まで与えるツグミと、新作のドーナツを前に異様なまでに興奮するコイ。そんな2人を眺めつつ、シイナは首を傾げた。
「オールドファッションの何がいいんですか?」
「は?」
やいのやいのと騒いでいたコイが突然黙り真顔になってシイナを見る。隣ではツグミが肩をすくめて苦笑いしていた。
どうやら言ってはならないことを言ってしまったらしいと、シイナは直感で察した。まあその程度で自分の意見を曲げるシイナでもないのだが。
「おどれオールドファッションの良さがわからんと申すか?」
「はい、わかりません」
「かーっ!これだから今時の若いのは!オールドファッション好きに非ずんば警察学生に非ず!」
「古臭いですよ、今時はイーストドーナツです」
「あんなんただの揚げパンじゃねェか!」
「そんなこと言ったらオールドファッションだってただのフライじゃないですか」
「はいはい2人ともストップストップ。どっちも美味しい、それでいいじゃない」
今にも殴り合いに発展しそうなぐらいの睨み合いをしていた2人の間にツグミが割って入る。すると2人ともすんなりと引き下がった。
コイとは付き合いも長いし、シイナからもある程度信頼されているツグミだからこその芸当だ。
「まあ、ツグミンに免じて今回のところは見逃してやろう」
「その台詞、そっくりそのままお返ししますよ」
「なんだとコノヤロウ――」
「こらこら突っかからないの。目当ての物あげたんだから退散したまえよ」
再衝突しかけた2人をまたしても止め、ツグミはコイを追い払いにかかる。
さすがにこれ以上長居されて、2人で喧嘩でもおっ始められた日には目も当てられない。ここは押収品を保管する場所であって闘技場や路地裏ではないのだ。
「ツグミンに言われちゃしゃあねェな、まあドーナツも貰えたわけだし今日のところはこの辺で失礼すんぜ」
また来るわー、と言って手をひらひらと振りながら、コイは大人しく押収品保管庫を後にした。
「はー、やっと帰ったか。シイナちゃん大丈夫?」
「……まあ、なんとか」
安堵のため息をついて苦笑しながらシイナに尋ねるツグミと、それに仏頂面で答えるシイナ。免許係の悪魔が厄介な存在であることは聞いてはいたが、やはり実際相手にするとなんとなくだが疲れる。
「ところで係長はどちらに行ってたんですか?」
「ちょっと総務局の方まで、呼び出し食らっちゃってさ。
あっそうだ、シイナちゃんの分もドーナツ買ってあるよ、食べる?」
「頂きます」
ツグミからドーナツの箱を受け取る。中身は全てイーストドーナツ、驚くべきことにシイナの大好物だ。
「さっきも言ってたけど、イーストの方が好きでしょ、シイナちゃん」
「ええ。しかしよくわかりましたね」
「高速隊の人からいろいろ聞いたんだよ。シイナちゃんはよくやらかすけどイーストドーナツが好きで真面目ないい子なんだって、第4警ら隊の隊長さんが言ってたよ」
「
全く予想外の名前が出て、シイナは目を点にした。久坂とはシイナが所属していた高速隊第4警ら隊の隊長で、それはもう自他を問わず厳しい人物だった。
隊員の目の前ではにこりともせず、常に眉間にしわを寄せて険しい表情を貼り付け、仁王立ちする様は阿修羅のような、そんな隊長だった印象しかない。
少なくとも隊員を褒めるような人間ではなかったと記憶している。
「あの人がそんなことを言うはずないと思うんですが」
「確かに本人達の前じゃ言わないんだろうね、そういうこと。
でもやっぱり人の子なんだね、褒められる時は褒めてあげたいんだよ。あの隊長さんは不器用だから、それがなかなか上手く出来ないんだろうね」
「うーん、そんなものですかね?」
「そんなもんなんですよ、人間ってどっかしら抜けてるもんなんだからさ」
「そうですか……」
首を傾げつつ、とりあえずシイナはドーナツを頬張ることにした。
理解できないことに直面したら、ワンクッション置いて考え直すに限る。それが出来ない状況なら後は直感を信じるのみだが、今のシイナには時間が有り余っていた。
ドーナツを食べるシイナを微笑ましく眺めていたツグミは、少ししてふと何か思い出したように手を叩く。
「ああそうだ、シイナちゃん。それ食べ終わってからでいいからさ、ちょっと
午後1時過ぎ、シイナは段ボール箱を抱えてシラトリ支所地下の駐車場にいた。
支所地域係から借りたパトカーに乗って、押収品の移送を行うためである。なんでも事件の管轄がシラトリ支所殺人係から別の支所に移ったとかで、押収品の提出を求められたのだとか。
「(しかし押収物品を1人で運ばせるなんてことあるのか?)」
シイナは首を傾げたが、まだ生活安全局の仕事に疎い彼女はそういうものかと納得する他ない。
ともあれ任された以上仕事は仕事、シイナは地域係から借りたキーを持って指定された番号のパトカーに乗り込む。高速隊で使っていた車両と違う車種だが、操作系は概ね同一なので事故を起こすことはそうないだろう。
行き先とルートを予め確認して、シイナは出発しようとエンジンをかけた。助手席側のドアが開いて、コイがさも当然といった様子でマスタードーナツの箱を片手に乗り込んできたのはまさにそのタイミングだった。
「よっ揚げパン小僧。乗せてってくれや」
「駄目です降りてください。あとなんですか揚げパン小僧って」
「じゃあナカダシちゃんだな。ンなこと言わず乗せ――」
シイナを名前でからかった途端、コイの顔面にシイナの左肘がめり込んだ。頭蓋骨を陥没させかねない攻撃だが、さすがに威力と命中箇所は加減したらしく後遺症は残らなそうだ。
もっともコイのメガネは真ん中から曲がっていたがそれは仕方ない。
「わかったわかった!悪かったって。謝るからさ、ちょっと送ってくれよ。北砂尾支所まででいいから」
鬼どころではない、世にも恐ろしい顔で睨むシイナにさすがのコイも即座に謝罪のコマンドを選択する。相手が自分より強力かつ実力の行使に躊躇がないとなれば、まずはその実行を思い留まらせるのがベターだろう。
「はぁ……ちゃんとシートベルトはしてくださいよ」
数秒悩んだが、シイナは結局コイを乗せることにした。実力で引きずり降ろすことも不可能ではないだろうが骨が折れるし、時間もかかる。
主な懸念事項としてはコイが問題児であることだが、押収品に手を出さないよう見張ってさえいればそうそうおかしな真似もしないだろう。でなければ昼前押収品係に来た時に問答無用でシイナを張り倒して押収品に手を付けているはずだ。
「やった!ありがとよシナモン!」
「シナモンって……」
喜びながら懐から予備のメガネを取り出して装着するコイは、シートベルトを締めてシイナに愛称を付けた。
相変わらず名前でいじって付けているが、ナカダシちゃんよりは断然マシである。名前をいじるならいくらでも耐えられるが、
「押収品には絶対手を出さないでくださいね」
「出したら?」
「即時シートごと降りてもらいます」
「オーケーわかった。従おう」
「結構です。では出発します」
「ほいほいよろしく」
シートとミラーの調整をして言うシイナに、コイも了解した。一応目的地に着くまではシイナの言うことに従う気はあるらしい。とはいえ、雰囲気からして気まぐれな人間であろうコイがどこまで大人しくしているかはシイナにもわからないので、緊張がなくなるわけではない。
おかしな緊張感と共に、シイナはハンドルを握る。自動車の運転でここまで緊張したのは入学前の教習所で受けた卒業検定以来だろうか。
「(おかしな真似しなければいいんだけど)」
内心祈りつつ、シイナは助手席にコイを乗せてパトカーを発進させた。
連邦矯正局とはキヴォトスにおける刑務所のような施設であり、犯罪者などを収容、矯正する施設として主にヴァルキューレ矯正局が運営している施設である。
そんな矯正局に収容されている囚人のうち、ある1人の元生徒がいた。学園を卒業した後、自分の未来を思い描けずその日暮らしの日々を過ごし、やがて偶然手にした覚醒剤を売り捌くようになり、いつしかドラッグビジネスの世界では『ハッピースター』と呼ばれるちょっとした大物になっていた、そんな人間だ。
彼女には良心というものが欠落していた。学園在学中は他人の悪口も陰口も平気で嘯き、自分の目的――合理的なものだけでなく単なる欲求なども含めて――のためなら平気で同級生を騙し、傷つけ、陥れる、そんなことに一切の罪悪感を抱くことができない人間だった。そしてそれが、実は彼女にとって一番の悩みでもあった。
「囚人番号4961番、差し入れが届いている」
特にすることのない夕方の休み時間、看守が珍しく話しかけてきた。何かと思ってみてみれば、片手に何やら小包を持っている。
「差し入れ……?」
4961番は訝しんだ。ヴァルキューレに目を付けられ、矯正局に入れられた自分に今更連絡しようというものなどいるはずはない。受け取って差出人を見ると、『
小包の中身は封筒と小さな弁当箱だった。封筒には『とびきりの上得意より』と書かれている。とびきりの上得意というワードと特徴的な汚い筆跡は確かに覚えがあった。
封筒を開けて中身を検める。この手の差し入れには珍しく、封が切られていなかった。
『親愛なるわが友へ。
突然偽名で送り付けてすまんね。何分おたくがパクられてからこちら、随分と込み入った事情があったもんでさ。
その節はうちの馬鹿が随分迷惑をかけた。この場をもって謝罪するよ。まあ警官が言うのも難だが、謝って済むなら警察いらないんだけどね。
しかし戸惑ったろう、とっ捕まえに来たのが生活安全局じゃなくて公安局だったとは。どうも証拠を捏造してまで手柄を立てたい馬鹿が公安にもいたらしい。そいつらはすでにバラしてあるから心配しないでくれや。
証拠捏造の件もすでに上に話が通ってる。近々審理のやり直しがあるはずだ。あんたがクスリを扱ってたのは事実だし、まるっきり無罪放免というわけにもいかないだろうが、外に出るのはずっと早くなるに違いない。その時はそれなりの償いはさせてもらうよ。
あと今回、いろいろと工夫を凝らしていなり寿司も差し入れといた。あたしの知り合いが作った謹製の一品だ、外でもめったに食えないぜ。よく味わってくれよ。
用件としてはそれぐらいかな、元気に再会できる日を待ってるぜ。
中身の手紙を一気に読み終えて、4961番は手紙を封筒に戻して天を仰いだ。
良心の欠落した自分にコンプレックスを抱いたまま学園生活を終えた彼女に手を差し伸べたのは、他ならぬこの友人だった。より正確に言うなら、この友人とその
「他人を思いやれなくたっていいんじゃねェの。他人を傷つけたって知ったこっちゃねェじゃん。あんたはあんただ、他の何者かになる必要なんざねェだろう?」
初めて会った時、ビジネスの話をしているはずがいつの間にか自分の身の上話に移ってしまった時に、この友人はそう言った。
自分を初めて肯定してくれた人間が、この友人だった。
4961番は弁当箱も開ける。中にはいなり寿司が3つ入っていた。作られてからまだ1日も経っていなさそうなぐらいにきれいな状態に保たれている。
食品の差し入れは本来矯正局の規定により禁止されているが、そこはそれ、あらゆる方面に顔が利く友人がどうにかしたのだろう。その心遣いに感謝しながら、4961番はいなり寿司を食べた。
数十分後、囚人番号4961番は独房の中で死体で見つかった。
「もしもし生駒。……あっそう、ご苦労さん。手間をかけるね、後始末もよしなに。そんじゃ」
シイナが運転するパトカーの助手席で、コイは短くそれだけ言って電話を切る。
勝手知ったる高速道路に乗ってさっさと目的地に向かおうとしたシイナだったが、渋滞に巻き込まれていた。
「いつもこんなに混んでないのに……」
シイナは眉間にしわを寄せてそう呟く。その様子は怒っているというよりは、戸惑っているという方が正確だった。
シイナの属していた第4警ら隊の担当区域はこの隣の区域であるが、高速道路が繋がっている以上近隣区域の交通状況も頭に入れておく必要がある。シイナは物覚えがいい方だったので、担当区域はおろか、ヴァルキューレ管轄区域ほぼ全ての高速道路の交通事情を把握していた。
さてそのシイナの記憶によれば、シラトリ
もっとも、それは
「今日って確か南区ニュータウン辺りの遊園地でモモフレンズか何かのイベントやってんじゃなかったっけ?」
「それでここまで混みますか」
「混むんじゃないの?熱烈なファンも多いことだし。次のICで降りて
「了解です」
コイの言う通り、シイナは次のICで高速道路を降りた。この3年生に指示されるのも癪ではあるが、それがなくてもシイナは結局ここで高速を降りただろう。実際、一般道の方は噓みたいに空いていた。
「ところでシナモン、お前さん高速隊の出身なんだって?」
「何で知ってるんですか?」
「調べた。情報通信局に知り合いがいてね」
「じゃあ私がなんでここでパトカー転がしてるかもご存知ですよね」
「風紀委員会の弾薬車にロケットぶち込んで誘爆させゲヘナのハイウェイを潰した件が原因かい?まあ奴さんにしてみれば黙って済ませる話じゃないだろうさ」
憮然とした表情のままのシイナに、コイはさらりと答えて見せた。やはりシイナの身辺は一通り調べたらしい。
物好きな人だ、シイナはそう思わずにはいられなかった。
「強奪された現金輸送車を追ってたんですよ」
「で逃走を阻止するために弾薬車を爆破したと報告書にはあったな」
オールドファッションのドーナツ片手に、コイはスマホで当時の事件報告書を読みながら話す。
何が楽しいのか知らないが、その顔はやはりへらへらと笑っていた。そんなコイに眉をひそめつつも、どうしてかシイナも話をやめられない。
「実際、爆発炎上する道路に突っ込むほど犯人も馬鹿じゃない。おかげで逮捕できました」
「だが高速道路は崩落し交通はおよそ2週間寸断、爆発で重軽傷者多数、ゲヘナ風紀委員会は1か月分の弾薬を損失したと。よくもまあ
「いえ、
「マコっちゃんが?」
報告書にはないなと、興味津々といった面持ちでコイはシイナに視線を向ける。もっと聞かせろと言っているようだ。実際言っていたかもしれない。
「お忍びで来ていたそうで。感謝状を貰いました。風紀委員会にダメージを与えたとか何とか」
「ああ言いそう」
キキキ、と特有の笑みを浮かべながらシイナに感謝状を渡す万魔殿議長を想像して、コイは苦笑した。ゲヘナにおける万魔殿と風紀委員会の不仲――というよりは万魔殿議長の個人的ライバル心はキヴォトスでは広く知られていたが、高速道路を潰してまで風紀委員会にダメージを与えたがるとは。
「相変わらずだな、マコっちゃん」
「お知り合いで?」
「仕事の都合で少しな、昔の話だよ」
散々人の過去を掘り返しておいて、コイはいざ自分の話となると急に口数を少なくした。
そんなコイに、シイナは少し意地悪そうに聞く。
「私も過去の話しましたよね、生駒さんも少しは話してくれてもいいんじゃないですか?」
「いやぁこの歳になると職務上口外できないことも多くてね。ドーナツ食べる?」
「露骨に話逸らしましたね。しかもそれどうせオールドファッションでしょう?」
「食わんの?」
「そうは言ってないじゃないですか」
話題を逸らそうとしてかドーナツの箱を差し出してきたコイに口をとがらせつつも、シイナは中からドーナツを取る。見ると最後の1個のようで、しかも最新作のベリーベリーミックスだった。
運転をしながら、片手でドーナツを食べる。さすがマスタードーナツの最新作とだけあって美味しくはある。惜しむらくはこれがイーストドーナツでなくオールドファッションだったことだ。
「食ったね?」
そんなシイナを見てにやりと悪そうな笑みを浮かべるコイは、空になった箱に手を突っ込む。すると何やら箱の底を弄り始めた。
「何やってるんですか、これが最後の1個ですよ。食べるかって聞いたの生駒さんですからね」
「おっそうだな。だがシナモン、お前さん気付かなかったのかい?こいつは二重底になってんだ」
そう言ってコイは1枚目の底を剝がす。箱の中にはコイが欲していた物が入っていた。
「そら見ろシナモン、セブンスターのボックスのカートンが2つだ!さすがツグミンは人の心がわかってるな!」
「はあっ!?ちょ、それどういう――ていうかここで開けないでくださいよ!?」
「もう遅い!」
突然の展開に驚くシイナが声を上げた時には、すでにコイは窓を開けて空箱を投げ捨て、片方のカートンを開封して中身の内9箱ともう片方のカートンを乱雑に服の中に入れ、残った1箱から煙草を取り出していた。
そして煙草を逆さにして箱にトントンと軽く叩き、口に銜える。今度はポケットからマッチ箱を取り出して箱側面のやすりでマッチの火を点け、その火で煙草に点火する。
数瞬火薬の香りを漂わせつつ煙を吸うと、コイは煙草を手に持って口の中の煙を吐く。煙草特有の匂いが車内に広がり、シイナに青筋を立てさせた。
「ちょっと何吸ってんですか!パトカーですよこれ!」
「知ってるよ」
「あなたねえ!」
「おっと前見て走れ?事故るぞ?」
隣で激怒するシイナなぞなんのその、コイが喫煙をやめることはない。主流煙をゆっくりと吸い込み、そして煙草が熱くなりすぎる前にゆっくりと吐く。煙が口に入り、そして出ていくまでの間に舌で感じるこのほのかな甘みと葉のうまみが、コイの愛してやまない味だ。
一方のシイナはというとシート横のガンラックから
「オイオイ待て待て、押収品には手ェ付けちゃいないだろう?」
「じゃあその煙草は何ですか!村上係長と結託して押収品の横流しをやってたんでしょう!」
「目先の情報だけで短絡的に判断するのはよくないな。誰がこれを押収品と言ったね?」
「それは――」
「仲仁田、その交差点止まれ」
「は?」
ショットガンを突きつけるシイナに、コイは突然交差点での停車を求めた。いや、
無論コイがシイナに対する指揮命令権を有しない以上、シイナはこんなヤニ臭い問題警官に従う義務はない。まして目の前の信号は青信号で、下手に停車すれば事故を引き起こす恐れもある。
だが高速隊で培われたシイナの直感は、コイと同じく交差点での停車をリコメンドしていた。幸い後続車はいないので追突事故の心配はない。
シイナはブレーキを踏んで停車する。どこからか、甲高いエンジン音のようなものが聞こえた。アクセル全開で走っているような音だ。
一方、対向車線を走行している一般車は当たり前のように直進した。助手席にいた、まだ幼稚園児ぐらいの少女と一瞬目が合う。遊園地で買って貰ったのだろう、ペロロとかいうキャラクターのぬいぐるみを大事そうに抱きしめていた。
そして次の瞬間、その一般車は右から信号を無視し猛スピードで突っ込んできた現金輸送車に弾き飛ばされていた。
「ッ……!?」
シイナの体は咄嗟にサイレンのスイッチを入れ、アクセルを踏みハンドルを切っていた。交差点に乱入した現金輸送車はそのまま直進、パトカーから見て左の道路にすっ飛んでなおも暴走を続けている。
「シナモン、追って」
「いっ、言われなくとも!」
いつの間にか煙草を携帯式の灰皿に突っ込んでいたコイの言葉で、ようやくシイナの意識が体に追い付く。すでにパトカーは現金輸送車を追って左折していた。