「なあシナモン、お前さんアビドスの制服って見たことあったっけ?」
「資料でなら」
「あいつ、どこの生徒に見える?」
「アビドス……ですね」
シイナはやや緊張した表情で答える。目の前にいるのは自転車でやってきたのであろうアビドスの制服を着た生徒であり、本来この自治区内における自治権を有する側の人間だ。
……やけに敵対的な目をしているのは気になったが。
「私はヴァルキューレの警察官です!ここには暴走車両を追ってきただけです!」
「知ってる。でもここはアビドス。私達の自治区でヴァルキューレの出張るところじゃない」
警察手帳まで出して説得しようとするが、シイナの言葉にアビドスの生徒は取り付く島もなく返す。未だその銃口はコイとシイナに向けられたままだ。
そこに、アビドスの生徒を追ってきたのであろう、1人の
「はあ、はあ、ちょ、シロコ、速すぎ……」
「ん、先生と違って私はいつも鍛えてるから」
肩で息をしながら駆け付けた大人に、アビドスの生徒が言う。どうやらこの生徒はシロコ、大人の方は先生というらしい。
「先生って、最近キヴォトスに赴任してきたと噂の……」
「『
先生と呼ばれる大人についてはコイとシイナも噂ながらに聞いていた。連邦生徒会長が失踪する前に設立させた、超法規的権限を有する特別機関シャーレの顧問――事実上シャーレの権限を持つただ1人の人間だと。
両手を挙げつつ、コイは先生にも状況がわかるようにシロコに言う。
「やあすまんね。自治区を侵犯していることは重々承知をしているが、何分事情があってここまで暴走車両を追いかけざるを得なかったんだ。ここは1つ見逃してくれない?」
「それはできない相談。まずそこのヘルメット団2人の身柄を引き渡すべき」
「そりゃもちろん、おたくの自治区だしな。アビドスの自治区で起きた事件はアビドスが管轄すべきだ、そうだろ?」
そう確認するように言うと、コイはヘルメット団の2人を引き連れてこようと現金輸送車に向かう。そこにシロコが銃撃しないのを見て、シイナもようやく手を降ろしコイを手伝いだした。
「……どうすべきだと思います?」
「傷害事件の現行犯人に聞くことじゃねェやな」
「私より経験豊富な警察官でもあります。大変不本意ですが」
シロコ達に聞かれぬよう小声で聞いてくるシイナに、コイは口角を上げる。コイは一度ちらとシロコ達を見やると、ヘルメット団員から手錠を外した。
「とりあえず、あの先生とやらの機嫌を損ねる真似だけはやめとけ」
「超法規的権限を有した大人、だから?」
「その通り。下手な真似してあたしらの首が飛ぶならまだしも、ヴァルキューレを潰されでもしたら本格的にヤバい。それだけの相手だと思っとけ」
「そうします」
「あとそっちのヘルメット野郎、手錠外しとけ。その後はあたしに話合わせろ」
「了解」
シイナは大人しくコイに従うことにした。超法規的権限を有した一個人を相手にしたことなどないシイナは、経験が豊富なコイの判断を信じる方が安全だと判断したのだ。
もっとも、そのような大人の相手などはコイも経験したことがない。故に今コイが見せた表情は妙に真剣なものだった。
手錠も外されたヘルメット団員2人を連れて、コイとシイナはシロコ達の所へ戻る。ヘルメット団員をシロコに半ば押し付けるように引き渡し、コイが話を始めた。
「
暴走事件そのものについてはアビドス側で立件するものとし、またアビドス侵入前にしでかした危険運転及び危険運転致傷事件他数件の容疑については後日ヴァルキューレよりアビドス側に捜査を要請する方向でさ」
「ん、それでいい」
そう言ってシロコもようやく銃口を降ろした。
正直立件だの危険運転だの捜査の要請だの、シロコにはあまり法律的な意味はわからないが、全てアビドスに任せてくれるということは理解した。であれば銃口を向ける理由もないはずだ。
コイはシロコの様子を観察しつつ尋ねる。
「あと名前を聞かせてくれないかい?書類に書くんでね」
「人に名前を聞く時は自分から名乗るべき」
「ごもっとも」
正論を返され、苦笑しながらにコイは警察手帳を出した。
「交通局の生駒コイだ。こいつは生活安全局の仲仁田シイナ」
「アビドス高等学校対策委員会の
「ああそっちは知ってる。先生だってな」
警察手帳をしまいつつコイが答えると、今度は当の先生が口を開いた。
紹介を遮られて機嫌を損ねたか、一瞬コイは焦るがそれも杞憂である。優しそうな顔を一切変えることもなく、先生は本当に興味本位で尋ねてきた。
「2人とも所属が違うみたいだね?」
「暫定的な人事措置ですよ、少々立て込んでましてね。まあ明日には違う部署になります」
「そっか、君達も大変だね。……あっそうだ」
すると先生は何を思ったかスマホを取り出し、メッセージアプリ『モモトーク』を開いた。
「連絡先交換しない?何か悩みがあったらいつでも連絡してくれていいから」
「おっいいっすね、しますします」
早速コイもスマホを開いて、先生と2人でモモトークの連絡先を交換しだす。
得体の知れない初対面の大人と連絡先を交換するなど、普通に考えたら怖いと思うのだが、コイはそんな様子を感じさせない。
実際はむしろ新たな人脈ができたと喜んですらいた。相手がどのような素性であれ、連絡先を知っていることは将来有用なオプションになり得る。
「さて、じゃあ用も済んだことだし我々は退散します。ぐだぐだと居残ってると、そこの2年坊が面白くなさそうなのでね」
「そっか、気を付けてね」
「先生も気を付けてお過ごしください。
無効になったわけじゃありませんがね。そう言い残すと、コイはさっさとパトカーに戻ってしまった。
シロコにしてみればこれ以上長居されたくないだろうし、コイやシイナにしても長居する理由がない。シイナも一礼してコイに続いた。
パトカーの運転席に座り、シートベルトをしめる。
「さて、次は北砂尾支所かな。押収品を届けなきゃいかんだろう」
「ああ、そういえばそうですね。忘れてました」
「オイオイ頼むぜ押収品係?」
コイにからかわれながらも言い返さず、シイナは少しだけ乱暴に車を発進させた。
「あっそうだ、着いたら手錠かけないと」
「誰に」
「あなたにですよ。容疑者に対する傷害の現行犯人でしょう」
「何のことだ?
そうしらばっくれるコイの言葉に、シイナはようやく、先ほどのコイがシロコに言った言葉の真意に気付いた。
シロコがコイ達より
シロコが先に容疑者を逮捕したことにしておけば、あとは素知らぬ顔をして帰るだけであの傷害事件はなかったことになる。
後で容疑者がコイによる暴力をシロコに訴えても無駄だろう。後遺症を残す真似はしていないし、万一怪我があったにしろビルに正面から激突した現金輸送車から引きずり出された以上、その怪我が直ちにコイの暴力の証拠になることはない。
他に証拠はないかとシイナは天井を見るが、残念なことにこのパトカーにはドライブレコーダーもなかった。
そうなればもう今の段階でコイを傷害容疑で逮捕することはできない。
「最低ですね、あなた」
「よせやい、褒められると煙草吸いたくなる」
「だったらその罪で摘発して――」
「ほう何罪だ?20歳未満に煙草を供与したら50万円以下の罰金だが吸った本人は何の刑罰に問われる?釈迦に説法だろうがこのキヴォトスの刑事司法制度には罪刑法定主義ってのがあるんだぜ」
「……」
シイナは苦虫を嚙み潰したような顔で口を閉ざし、ただ目的地に向かうことにする。
悔しいが、今この3年生に手錠をかけることはできそうになかった。
走り去るパトカーを見送った先生には、シロコに聞かなければならないことがあった。
「シロコ、どうしていきなり銃を向けたんだい?あの2人が警察官だってことは、シロコもわかってただろう」
「ん……」
するとシロコは自身のスマホを起動し、あるサイトを開いて先生に見せた。
見ると何やら『銀行強盗のコミュニティサイト』とあり、いろんなページがあった。
「これは?」
「銀行強盗グループが有志で作るコミュニティ。どこでどんな強盗があったとか、どの銀行はどこが弱点とか、そういった情報が行き交う」
「それがどうかしたの?」
聞かれてシロコはコミュニティサイトのページの1つ、『要注意人物』のページを開いた。
銀行強盗にとって天敵といえる人間が顔写真付きで紹介されており、上の方に出てくるのはほぼヴァルキューレ公安局の精鋭などだったが、その中に1人、違う所属の生徒も混ざっていた。
というより一番上に出てきた生徒がそれだ。公安局ではなく、交通局だという。そしてその交通局の生徒は、他ならぬ先ほど会った生駒コイその人だった。
「交通局免許係免許返納班の班長、生駒コイ。『伝説の強盗キラー』と呼ばれてた生徒」
「伝説の強盗キラー?」
おうむ返しに先生はそう聞き、そしてページをよく見る。シロコが解説しながら見せてくれた。
「生駒コイは免許センターに配属されてから今まで、職務外であるにも関わらず19件の銀行強盗を阻止、33件を鎮圧、強盗グループ49個を壊滅させてる。
十数年も指名手配されてた凄腕の強盗が、彼女の赴任から僅か3日で摘発された」
「すごいね……それで?」
「……この生駒コイ、免許センター配属とほぼ同時期から、カイザーセキュリティの社員と定期的に密会しているらしくて」
「……!?」
カイザーセキュリティという名前に、先生は驚く。
民間警備会社たるカイザーセキュリティはカイザー系列の企業であり、カイザーといえばアビドス高等学校が約9億円の借金を抱える相手で、そして返済された現金をアビドスと敵対するカタカタヘルメット団へ供与しているカイザーローンも同じ系列だ。
そんなカイザーローンと同系列にあるカイザーセキュリティの社員に密会している人間が突然自治区の市街地に進入したとなれば、神経質になるのも無理はない。
「何か裏があると思ったんだよね?」
「ん。でも、結局何もしないで帰ってった」
「じゃあ今回は本当に何も関係なかったのかもしれないね。
さあ、捕まえたヘルメット団の子達を放っておくのも酷だし、帰ろうか、シロコ」
「ん。そうする」
先生に促され、シロコはとりあえずヘルメット団員2人の手を結束バンドで拘束、先生と分担してアビドス高等学校まで連れて帰ることにした。
夜8時、真っ暗な押収品保管庫で何かを探し回る人影があった。
「セブンスターのボックス……セブンスターのボックス……」
人影はライトと押収品リストを片手に、どうやら煙草を探しているようだ。
事件ごとに分けられた段ボール箱から、目当ての煙草が含まれているものを1つ1つ開けて確認していく。
「セブンスターのボックス、カートンで4つ……ある」
リストにある数と実際に入っている数が一致しているか確認して、そのまま人影は段ボール箱を元の棚に戻す。
「全部ちゃんとある、とすれば……」
全ての段ボール箱を調べ終えた人影は、今度は係長であるツグミのデスクを物色する。
鍵のかかっているものも含め全ての引き出しを漁るが、煙草を隠し持ってはいないようだ。
「ここにはない……じゃああの煙草はどこから?」
人影は唸る。この保管庫から押収品が流失したと思っていたのだが、どうもその痕跡がない。
押収品リストは各支所の担当部署が作成した捜査資料から引っ張ってきたものと押収品係が作成したものを両方持ってきているが、どちらも物品数に差はないし、実際の押収品数も一致する。
他に物を隠し持てそうな場所も粗方探したが、リスト外の煙草はなかった。
押収品リストをもう一度見直そうとした時、不意に保管庫の照明が点いた。ツグミが戻ってきたのだ。
「誰!?……って、シイナちゃんか。びっくりしたぁ」
押収品リストを持って部屋を探し回っていた人影はシイナだった。
アビドスでの一件の後、押収品を北砂尾支所に届けたシイナはそこでコイを降ろし、監察局に寄ってから押収品係に戻ってきた。それからずっとここで探し物をしていたのだ。
何故かツグミは今に至るまで不在だったが。
「わざわざ待っててくれたの?もう定時過ぎてるから帰ってもよかったのに」
「……村上係長、生駒さんに押収品を横流ししましたか?」
ツグミの質問に答えず、逆にシイナはツグミにそう聞く。
シイナの頭にあったのは昼、マスタードーナツの箱から煙草を取り出したコイのことだ。
『そら見ろシナモン、セブンスターのボックスのカートンが2つだ!さすがツグミンは人の心がわかってるな!』
言葉通りに受け取れば、コイにあの煙草を用意したのはツグミということになる。
「しましたね?」という確認でなくあくまで「しましたか?」という質問に留めるのは、コイの言葉をそのまま鵜吞みにはできないから、ツグミの横流しに確信が持てないからである。
「してないけど、どうしたの急に?」
ツグミは小首を傾げる。きょとんとしたその様子は、確かに一見すればコイの煙草については知らなそうに見える。
昼間の一件、特にコイが煙草を吸っていたことについて、シイナはツグミに話した。
「なるほど、あいつが私の名前を出したから、横流しがあったんだと思ったんだ?」
「そうです。とはいえ出鱈目を並べる人間でしたし半信半疑でしたが、村上係長と関係を持っていれば押収品にも容易に手が届きます」
「それなら確かに、疑うとまでは行かなくても聞きはするよね」
インスタントコーヒーを淹れながら、ツグミは相槌を打つ。
確証がないとはいえ名前が出た以上関係者、聞くべきことは聞くのが警察官というものだろう。
例え相手が身内だったとしてもそれは曲げるべきではないとシイナは思っているし、そんなシイナをツグミはよく理解している。
「安心して。私はそんな横流しなんてやってないから。あいつ、結構天邪鬼なの」
「本当に?」
「ホントホント。押収品で無くなってるものはなかったでしょ?」
「ええ……」
「それが何よりの証拠だよ。はい、シイナちゃんの分」
「頂きます」
シイナはコーヒーの入ったマグカップを受け取る。
確かに押収品から紛失物がない以上、押収品の横流しがあったと証明することはできない。押収品の煙草が保管庫の棚に在りながら、同時にコイの懐に存在することはできないのだ。
一先ずは納得したシイナだったが、ツグミに確かめたいのは何も押収品の件だけではなかった。
「ところで係長はどこに行ってらしたんですか?かなり長く席を外されてましたけど」
「本校まで行ってた。ハラスメント研修があってさ」
「ああ、最近うるさいですもんね」
「まあ時代だし、しょうがないよ」
長話を聞くだけだったけど、と苦笑するツグミは、今度はマグカップを傾けるシイナに聞いた。
「コイが容疑者に暴力を振るったとか、煙草吸ってるって話、監察局にはしたの?」
「ええ、しました。帰りの途中に寄って」
「なんて言われた?」
「『そんな些事で監察の時間を奪うな』、と」
不満そうにシイナは言う。きっと門前払い同然で帰されたのだろう。
もっとも半ば押収品係における新人の通過儀礼になっているので、監察局としてもうんざりする気持ちはわかる。
「そう言うだろうねぇ」
「全く信じられません、警察学生の不正を正すべき監察局があんな体たらくだなんて」
「まああっちも忙しいみたいだからね」
そう言ってコーヒーを飲み干すと、ツグミは上着を着て手荷物をまとめる。
そんなツグミを見てシイナも思い出す。そういえばもう定時を過ぎていた。
「シイナちゃんも飲み終わった?」
「はい、ごちそうさまでした」
「よし、じゃ帰ろうか。遅くなるといろいろ大変だからね」
「そうですね、そうします」
ツグミに言われるがまま、シイナも荷支度をしてツグミと一緒に保管庫を出る。
ふとその時、シイナはツグミに聞いた。
「係長、
「ないよ?なになに、まだ私のこと疑ってる?」
「いえ、ないならいいんです」
迷いなく返された答えを聞き、シイナはほっと胸を撫で下ろした。
押収品がなくなっていないにも関わらずコイの手元に煙草があるということは、コイが押収品以外のルートで煙草を手にしたことに他ならないが、そのルートがツグミだった場合でも昼間のコイの発言とは矛盾しない。
しかしツグミの様子から見るにやはりその線は薄そうだと、シイナはそう思った。
「(チョロいなぁ。この先大丈夫かな、この子?)」
安堵するシイナを前に、ツグミは表情一つ変えずに内心呟く。ここまで簡単に人を信用するとなると、流石に心配だ。
結局シイナは、ツグミがポケットに忍ばせていたピースとライターに気付くことはなかった。
DU中心部に所在するサンクトゥムタワーは連邦生徒会本部として運用されている。24時間照明が消えないことで有名で、実際この日も多くの部署が夜遅くまで稼働していた。
そんなサンクトゥムタワーはセキュリティも厳重であり、それは正面とは別の職員通用口も例外ではない。扉横のカードリーダーに職員専用の身分証を読ませ、扉のハンドル部に装備された指紋認証システムをパスしなければ扉は開かない仕組みになっている。
さらに通用口入ってすぐのところには警衛室が設けられ、武装した警備員が常駐している。この警備員にも身分証を提示する必要がある。
そんな職員通用口に、コイはいつもの制服姿と軽薄な表情のままやってきた。ポケットから
通用口を抜けてすぐのエレベーターに乗り30階まで移動、そこから別の専用エレベーターに乗り換えて防衛室の専用フロアまで登る。
辿り着いたのは防衛室長執務室である。ノックすらせず、コイは扉を開けた。
「夜遅くまでご苦労なことですな、防衛室長殿」
「入る時はノックぐらいしたらどうなんですか?」
そう苦言を呈するのは、部屋の主にしてキヴォトスの安全保障を担当する連邦生徒会防衛室長、
「悪徳警官にマナーを求めるほど不毛なこたぁありませんよ」
へらへらと開き直り、コイは室長専用の机に持参した紙袋を2つ置く。
1つは特別なコーヒー豆、もう1つは特注の覚醒剤が入っていた。
「新しい売人の方はどうですか?」
「口説き落とすのに苦労しましたが、何とか。
「貴女が選んできたのですから、当然質の方も期待していいんですよね?」
「上がった価格分は保証しますよ」
紙袋の中身を検め、カヤは満足そうに頷き、それを机の引き出しに入れる。
薬も、そしてコーヒー豆も、コイはいつもカヤの望み通りかそれ以上の代物を納品していた。
何に使うのかは知らないが。
「で、新しい後任候補の方はどうですか?」
「一面の情報だけ見て突っ走るタイプですな、リテラシーに欠ける。あとやたら犯罪者を捕まえたがる傾向はありますが、まあ正義感からでしょうな。基本的によくいる頭の悪い熱血漢タイプに近いでしょう」
自分が感じた所見をつらつらと述べつつ、コイはカヤのポットで自分の分のコーヒーを淹れて執務室のソファーにどかっと座る。
「長所を挙げるならば車の運転が上手く現実的に不可能な運転が出来る、近接戦闘能力はかなり高い、ってことぐらいですか。まあ個人的には合格でいいと思います」
「正義感で突っ走るところは致命的だと思いますが?」
カヤがそう疑問を投げかけつつコーヒーを啜る。サチのように勝手な行動をされれば、今度は死体が5体出るだけでは済まないかもしれない、という懸念があるのだろう。
「宇見野の時と同じ轍は踏みません、流石に学習しましたよ。
それに室長だって
「流石に現場がノーと言えば外す気でしたがね」
苦笑するコイに指摘され、カヤは肩をすくめた。何人目かの時、反対するコイに無理やりバディを付けたことをまだ根に持っているらしい。
「ところで室長、あいつの名字ですが……」
コイがそう話題を変えた時、同時に部屋の空気も変わった。
カヤが聞き、コイが答える立場だったものが、ここで逆転する。
「ええ、聞きたいことはわかっていますよ。『仲仁田アリナ』との関係について」
先回りしてカヤはその名前を告げた。
仲仁田アリナ、かつてヴァルキューレ捜査局において事件解決率100%を誇った伝説の捜査官、在学中何百もの難事件を解決し真相を詳らかにしてきた捜査局の名探偵。
そして3年生として迎えた2月、路地裏で4人組の集団に殺害された
「奴は仲仁田シイナという名前が本名だと言っていましたが、噓っぱちだと思いましてね」
「本名は『
説明しつつカヤは引き出しからアリナとシイナについての資料を取り出した。コイは受け取りつつ、続きを聞く。
「拾われた当時はまだ11歳だったそうですよ。出身は不明。
保護したアリナは彼女に自らの妹という身分とコーギータウンのアパートの一室、最低限の生活物資だけ与えて一人暮らしをさせたそうです」
「倫理観の涵養が困難な環境で育った人間はとかく『施し』や『干渉』を嫌いますからね」
「アリナもそう思ってか、最初は距離を置いたそうです。それから徐々にアプローチの頻度を増やすようにして、心を開かせた」
大変な時間がかかったことでしょう、カヤは半ば呆れ気味の口調で言った。カヤにしてみれば、そんな小娘1人放って置けばいいのにと考えるかもしれない。
コイも実際そう思った。だが仲仁田アリナは身寄りがなかったと記されている。
アリナはシイナと自分を重ね同情したのかもしれない。あるいは、単に自らの心の孤独を紛らわすための
「そして卒業を目前にして、殺害された。その時の状況は貴女が一番よくご存知でしょう」
「
厄介なことだとコイはため息をつく。新作のゲームを買おうとコーギータウンに出向いたのが運の尽き、やや聞きなれないタイプの銃声を耳にして向かってみれば、逃げ去る4人組と血だらけの捜査官がいたのだ。
意味の分からない遺言を聞いて何もできなかったコイは、せめて容疑者だけは検挙してやろうと独自に捜査をし、実際犯人の特定には至った。だが政治的理由で逮捕には至っていない。
「犯人の身元は割ったんです、政治レベルでどうにかなりませんか」
「トリニティ自治区内の
「アリウスのクソ共がDUで殺しをやったんですよ、連中事の重大さをわかってるんですかね」
コイは眉を顰めてため息を吐いた。事態は一般人が思う以上に深刻である。
アリウス分校と呼ばれる学園が自治区を失い、実質的に学園としての機能を喪失してなおもその残党は生き永らえており、今や自分達を追い込んだトリニティ総合学園への復讐心を募らせている。
そんなテロリスト同然の集団が、自治区境界を跨いでDU内で隠密裏に暗殺を実行し、成功させたのだ、トリニティ自治区内で同様の事件を起こせない道理はない。
しかもこれは2年前の事件だ。現在においては更なる行動能力を取得していて不思議はない。
「そういえばシイナの住所もコーギータウン、殺人現場もコーギータウンで一致していますね」
「奴が殺させたと?無理ですな。確かに奴はアリウス出身でしょうが、それなら仲間が連れ帰るなり消すなりしている」
「やはり生駒班長も彼女がアリウス出身だとお考えでしたか」
「あの教養レベルで
そう言ってコイは、一通り目を通して頭に入れた資料をカヤに返した。
「こいつも『奪われた者』、ですか。尚更うちに引き込みたくなりました」
「同情ですか?」
「そんな高尚なもんじゃありませんよ、遺言に従うだけです」
ソファーに戻り、マグカップを傾けながらコイは笑う。他人を憐れむ資格などない、コイもまた『奪われた者』だが、今はそれ以上に『奪った者』でもあった。
遺言に従うのは、過去に一度は憧れた人間の最期の遺志だったからに過ぎない。コイにもまた、正義の味方に憧れた時期があった、それだけだ。
「では宇見野サチの後任は仲仁田シイナということで。手配はこちらでしておきます」
「よろしくお願いします。それじゃあたしはこれで」
コーヒーを飲み干し、マグカップを置いてコイは席を立つ。
「ああ、そうそう、生駒班長」
髪を雑にかき回しながら部屋を出ようとするコイを、カヤは呼び止めた。
コイの用件は終わっても、カヤの用件はまだ残っていた。
「アビドスでシャーレの先生にお会いしたそうですね」
「ええ。モモトークも交換しましたよ」
「どんな方でした?」
その問いにコイは唸る。どんなと聞かれても、ただ数度言葉を交わしてモモトークを交換したに過ぎない。どんな人物か、事前資料すらほとんどないのだ、類推のしようもなかった。
「常識に合致しない大人、ですかね。気を付けるに越したことはないかと」
コイはそう答えた。根拠など、まともな大人ならシャーレという超法規組織にありながらアビドスなどという僻地にわざわざ出向かないだろうと思ったぐらいで、あとは直感である。
「なるほど……そうですか。参考にします」
カヤは珍しく素直にコイの意見を聞いた。事前情報がないのはカヤも同じであるし、今は先生に関する情報なら何でも欲しいのだろう。
ともあれ用は済んだと、コイはさっさと部屋を後にした。