「それでは買い物に行ってまいります。少し数が多いので、半日ほどかかると思います」
スペードは読んでいる本から目を上げる。
「ああ行っておいで、ダークアイ」
「お昼はキッチンに用意してありますから、温めて食べてください」
「わかった。気をつけて」
出ていく後姿を見送り、紅茶を一口すすると再び本に視線をもどす。
「……………………」
本をバタン、と閉じる。
「いや、『気をつけて』じゃないだろう!」
いつの間にかダークアイが居ることが普通になっていた自分自身に叫ぶ。
ダークアイは使える人間だった。
試しにお宝の下調べをさせてみた時は、数日後には詳細なデータを上げてきた。
「もうこんなに調べたのかい」
「わたしも以前から気になっていたものでしたので」
適当に作ったものなら体良く追い出そうと思ったが、お宝や収蔵場所のデータはもちろんのこと、警備員や職員の行動パターンも調べ上げていた。
「足りない所があったら言ってください」
「目的の建物だけじゃなく、こっちの建物の監視カメラにも映るかもしれない。それにココとココの調査も必要だし、全然足りない」
「なるほど、さっそく調べて来ます。さすがスペードさまです!」
「…………………………」
間違いをあげつらったつもりが、いつの間にかアドバイスになっていた。
いざ接してみると驚くほど素直でつい気を許しそうになる。
最初のヒリヒリした緊張感を思い出し時々気を引き締めるが、どちらが演技だったかと考えても、本当にただ助手になりたかっただけではないかとさえ思い始めていた。
料理の腕は元からプロ並みな上に、微調整されてスペードの好みの味になってきている。紅茶はすでに、ダークアイの淹れたものでなければ物足りないとさえ思えるようになっていた。
家系図にも嘘はなかったし、ちゃんとした家柄のようだ。あの妙なマスクも代々の怪盗のスタイルらしく、もうすっかり見慣れた。
そのダークアイの紅茶をすする。
豊かな香りが鼻腔を満たし、温かなものがノドを通っていった。
けれど、今はそれが胸につかえるような気がした。
ダークアイはまだ助手見習いだ。
助手としては申し分ない。申し分ないが……
『本物の怪盗になったら、もっとすごいお宝をちょうだい』
『その時はキミも手伝ってくれるかい?』
かつての約束がよみがえる。
小さな時に交わした約束……
きっと忘れている。
スペードは頭を振る。あの時に会っただけの相手だ。しかもアイドルなんて表舞台で輝く人間が。
彼女にとってはもう過去のことになっているだろう。
そう自分に言い聞かせてみても、まだどこかで期待しているのは、正式な「助手」を作れないことが証明していた。
ウイーン、と居間の扉が開く音がする。
帰ってくるにはまだ早すぎる。
「忘れ物かい、ダークアイ」
視線を上げると、見知らぬ少女が二人立っている。
「おじゃまします」
「はじめましてスペードさん、お姉ちゃんがお世話になっています」
(誰だ??……?)
急のことで、反応が出来ずにいると、
「これおみやげの焼きイモです」
「あ、ごていねいにどうも」
差し出されてつい受け取ってしまった。
「お姉ちゃんをよろしくお願いします」
「ほんと良かった。スペードさんの助手にしてもらうって、すごく頑張ってたから」
(助手?お姉ちゃん?)
「あそうだ、コレもどうぞ」
チラシを渡される。
そこには目の前にいる二人と長身の女性が写っていた。
「……シャッフルシスターズ?」
「私たち、姉妹でデビューすることになったんです」
「アイお姉ちゃんも身長が伸び出してから仕事が少なくなったからねえ。再デビューしてがっぽがっぽ稼がなきゃ!」
「キラったら、もう……。あ、レッスンの休憩中に来たので、もう帰らないと」
「それじゃ」
「失礼しました」
スペードがその言葉の意味を理解する前にふたりはバタバタと帰って行った。
(お姉ちゃん?助手?)
スペードの思考がぐるぐると回る。
手元に残されたチラシに写っている長身のアイドルに、あの約束をした子の面影が浮かぶ。
(アイお姉ちゃん……プリティアイ…アイ…ダークアイ……)
ちいさなアイドルとチラシのアイドル、包帯の助手見習いの姿がスペードの頭の中をぐるぐると回った。
[newpage]
しろい。
まっしろだ。
はあ……。
感覚のなくなった手に息を吹きかける。
『そうだ、キングの言う通りじゃな』
(師匠……)
『それにしても、ジャックときたらメチャクチャじゃのう。発想は悪くないんじゃが…』
(いつもジャックばっかり……)
強い風が吹いて、師匠の姿は吹雪の中に消えていく。
『ねーキング聞いて!ジャックったらひどいのよ!』
『ジャックがね』
『ジャックが』
(………………)
クイーンも風の中に消えていく。
夢だ。
一歩、また一歩と白の中を進む。
これは夢だ。
雪に足を取られてなかなか進まない。
一歩も進んでない気さえする。
早く覚めなきゃ。
吹雪の中、顔を上げると背中がふたつ見えた。
『キングは強いから大丈夫だよな』
ふたつの背中が遠ざかる。
追いかけなきゃ、と思うのに足は動かない。
『捨てられたんだよオマエは』
(……………………)
『借金作って逃げたんだよ』
音もなく雪に倒れる。
もう何も見えない。
ひとり、だ。
人の輪の中にいても、ふと寂しさを思い出す。これは仮初めの場所なんだと、どこかでずっと声がしていた。
一人前になんてなりたくなかった。
やっぱりひとりじゃないか。
『キング』
声が聞こえた。
目の前には小さな手。
差し伸べられた手をつかむ。
温かい。
ふわり、と体が持ち上げ雪の上に立つ。いつの間にか吹雪は止んでいた。
目の前には女の子が居た。その背中には羽根。
羽根が大きく広がり、ひとはばたきすると周りの雪が消えていく。
その子の微笑みは春の暖かさをくれた。
「……アイ……」
うっすら目を開くと、そこには成長したアイがスペードを覗き込んでいた。
……いや違う。逆光に目を凝らすと、瞳をうるませて見つめているのは一つ目の助手見習いだ。
「……ダーク…アイ?」
「スペードさま!」
握られていた手に力が入る。夢の中の温もりだ。
「大丈夫ですか!? すぐにお医者さまを呼んで……」
「いいんだ」
ダークアイの手をぎゅっと握って止める。
「大したことはないから。昔からこうなんだ、興奮すると熱が出るだけで寝てると治まるから」
「一応、お医者さまに診てもらった方が…」
「大丈夫」
「でも」
「ここにいてくれ」
「……はい」
ダークアイは隣のイスに腰かけ、落ちかけた濡れタオルをスペードの額に戻す。
スペードは瞳を閉じる。
つながれた手は温かくスペードを守り、眠りを誘う。今度はいい夢を見られそうだ。
スペードはゆっくりと眠りに落ちながら、つぶやく。
「…ずっと…居てくれ……」
そうしてダークアイはスペードの助手となった。