【1】海の向こうから問題児
闇の魔法使いの犯罪検挙率過去最多 マグル出身者への差別懸念
日本魔法省が○日に発表した『平成2年版 魔法犯罪白書』の記載内容に対して、魔法界で波紋が広がっている。
同書によれば1989年度の闇の魔法使いが関与したとされる犯罪の認知件数は××件、そのうち検挙されたものは△△件であり過去最多の検挙率である事を示していた。
喜ばしい報告の一方、同年に検挙された刑法犯のうち、およそ69%の闇の魔法使いがマグル界出身者であるとはじめて公表した件で批判が相次いでいる。
マホウトコロ校長は「公的機関がこのような発表をしてしまった事により、マグル出身者に対するいじめや差別につながらないかが心配だ」とコメント。
また、記者取材に応じたマグル生まれである女性は「昔から取り沙汰される闇の魔法使いの事件の多くはマグル出身者と噂されていた。自身も学生時代に同級生に『君はマグルだから許されざる呪文に詳しいだろう』と言われた事がある」と話した。
日本魔法界におけるマグル出身者は難しい立場にある。日本でこのようにマグル出身者が闇の魔法使いになりやすいというデータについて、専門家は幼少期の家庭教育で魔法について教わる機会を得られなかった事や、魔法界での人間関係に由来するストレスやプレッシャーが原因であると述べた。
日刊預言者新聞 東洋支社
◆◇◆◇
ダンブルドアを待つ間、文音は手持ち無沙汰に文机の上に置かれたトーテムを眺めていた。
大きさは約20cmセンチほどの木彫りの品だ。見たこともない生物を模しているが、おそらくイギリスに生息する魔法生物だろう。中央部分がすぼまった姿を、まるでリカちゃん人形のウエストのようだと文音は思った。
ふと、母校の友人の姿が脳裏によぎる。本来なら上級生で学ぶインクのしみ消し呪文を独自で覚えようと、その練習台としてお気に入りのリカちゃん人形にヒゲを落書きするというなんとも間抜けな少女だった。案の定、呪文習得に難航した彼女が泣きながら職員室を訪ねたのは言うまでもない。ちなみに類は友を呼ぶという言葉の通り、文音もまた兄の玩具を練習台にしたものの呪文を覚えずに終わってしまった。しかし教師に縋るのを恥ずかしがったせいで、彼女の実家の物置には今も「うんこ」と油性ペンででかでかと書かれたミニカーが眠っている。この悪行は家族の誰にも明かされること無く闇に葬られた。
くだらない思い出に文音の胸はほの温かくなる。しかしこれから長い間、友人と会うことはできない。再会が叶うのは少なくとも全てが赦されてからになるだろう。尤も、そんな日が本当にやってくるかは疑問が残るが。
にやけ顔から一転、文音が表情を曇らせたのと同時にコツコツと靴を鳴らす音が響いた。靴音に伴い、奥の階段から紫色のマントを羽織った老齢の男が現れる。半月形の眼鏡の真下、顔の下半分を覆う髭は、在りし日のリカちゃん人形に付け加えられたカールおじさんじみたものとは違う。真っ白に伸びた見事な髭は、老人の威厳を増大させていた。
「何やら笑っていた様子じゃったが、面白いものでも見つけたかね?」
「ス、スミマセン……」
しまった。ふざけているなんて思われたらどうしよう。
皮肉を言われたのかと恐縮する文音をよそに、老齢の男――――ダンブルドアは鷹揚に笑った。あれこれと悪い方向にばかり捉える少女とは裏腹に、彼の態度はごく穏やかなものであった。
座りなさいと促され、文音は目の前の椅子に着席する。そうして彼女と向かい合うと、ダンブルドアは口を開いた。
「この言葉を口にするには時期尚早かもしれんが、入学おめでとうフミネ。それとも、きみにとっては『編入』と表現するのが正しかったかのう」
「えっと、アリガトウ、ゴザイマス」
まだ英語を十分に話せない文音は膝の上に手を置きながら頭を下げた。
目の前の老人と会話してる事実が夢のように思えてくる。アルバス・ダンブルドアと言えばマホウトコロの下級生でも知っている。イギリス魔法界の重鎮でもあり、同国の魔法学校・ホグワーツの校長を務める人物だ。才能に優れ、知識に富み――――そしてマグル界の隅へと押し込まれていた己を引き取るだけあって慈悲も深い。
しかし、優しさが必ずしも無償のものではないことを文音は知っていた。一体何を思って自分に情けをかけたのだろう。
文音が頭を上げるとダンブルドアは重ねて告げた。
「とは言え、日本で言ったようにきみは他の生徒とは違い『社会奉仕活動』を行う必要がある。本来なら聖マンゴ魔法疾患傷害病院やホグズミードでボランティアに励んでもらうんじゃが、生憎1年生には外出許可を出せなくてのう。その代わりに校内清掃や厨房での作業、そして先生方の授業の手伝いを頼もうと思っている」
茶目っ気に髭を撫でるダンブルドアに、文音は拒否する訳でもなく素直に頷いた。てっきり、もっと厳しい罰を言い渡されると身構えていただけにその報せは僥倖である。
そんな彼女の安堵する姿を確認した後、ダンブルドアは文机に置かれたトーテムめがけて杖を振った。するとたちまちに木製だったトーテムはガラス細工のように透き通っていく。
底に透明な液体が詰まっている。
中央がすぼまっていることもあり砂時計のような形をしているが、一体どういう用途なのだろうか。
ダンブルドアとトーテムを交互に見ながら文音が頭を捻っていると、偉大なる魔法使いはトーテムを持ち上げ逆さに立てた。しかし、底から持ち上げられた液体は重力に従うことなく上部に留まっている。
「このトーテムはただ逆さにしても中の水は落ちてこない。きみが奉仕活動にあてた時間に応じて、雫が落ちてくるんじゃ。入学から卒業までの7年間でこの雫がすべて流れ落ちるよう励んで欲しい」
「ハ……ハイ」
「それと、これも渡しておこう」
トーテムを文音に渡すと、ダンブルドアは思い出したようにもう一つの道具を取り出した。
これと言って特徴も無い、ごくごく普通の小瓶だ。中には白い包み紙でくるまれた飴が入っている。
「これは『話者の飴』じゃ。その飴を口にしている間、マグル・魔法族の言語の壁を越えた意志の疎通ができる。まあ、流石に動物相手には使えないが……。言葉の壁を乗り越えるのは難しいじゃろうが、これからホグワーツで学んでいくと良い。なに、焦ることはない」
どうやら、今まで日本から出たことのなかった少女に配慮した贈り物であるらしい。実際にホグワーツに編入する上で文音が心配していたことの一つが言語の違いであった。今までダンブルドアが行っていた説明も、彼がゆっくりと聞き取りやすく発音してくれたものの、なんとか聞き取れる一部の単語を繋ぎ合わせてその意味を自己解釈していたのである。母国にいた頃は兄に影響されて英会話教室に通っていたが、ものぐさな彼女にはあまり身につかなかった。こんなことなら真面目に通っておけば良かったと後悔していた矢先、またしても彼に助けられてしまったようだ。
しつこいぐらいにペコペコとお辞儀をする文音のつむじを見下ろしながら、ダンブルドアは「セブルスが調合してくれたんじゃよ」と告げる。
一体誰なのか。
しかし、浮かびがった疑問は続けざまに向けられた声によってかき消されたのであった。
「此処へ来たばかりで疲れたじゃろう。今日はもう部屋に戻って休みなさい。また明日、学用品を揃えに行くとしよう」
◆◇◆◇
ホグワーツは入学と同時に4つの寮へ組み分けされる。しかし入学式を迎えていない文音は謂わば寮なしの為、一時的に空いている職員用の部屋へと案内された。
ベッドに寝そべり真上に位置する天蓋を見つめる。魔法族によって作られた家具の裏面には、ゆらゆらと動く星空が映し出されていた。
流石ホグワーツ。床に入れば天文学の予習とは。どこもかしこも魔法だらけだ。
母校であったマホウトコロと比べながら文音は感心した。とは言え、マホウトコロは5年生時になってようやく入寮が認められるため、4年生以下の生徒達は校舎の中しか知らない。
もしかすると母校の寮も此処と同じくらい魔法に溢れているのかもしれないが、最早それを確かめる術は無い。
――退学処分を受けなければ、今頃自分もマホウトコロの寮に入り探検に勤しんだことだろう。
やがて、天蓋裏の星空を眺めるのに飽きた文音は、のろのろと起き上がり荷解きに取り組んだ。少し前に適当に床に置いたトランクを開けながら荷物を取り出していく。
日本を出るまでの期間に、自身で纏めた道具が詰め込まれている。出発直前、お気に入りだった児童小説『カナミの魔女通信』も迷った末に持っていくことにした。慣れない環境に身を置くことになるのだ、暫くはこの本が孤独を慰めてくれるだろう。
そのとき。
「…………?」
ぎゅうぎゅうに荷物を詰め込まれたトランクの最奥、底にあるメッシュポケット内に折り畳まれた白い衣類を見つけた。
衣類は全て確認したつもりだったが、まだブラウスが残っていたのか。
しかし、他の道具に埋もれるそれを無理矢理引きずり出した彼女の予想はすぐに外れる。
乱雑に取り出され少しだけくたびれた服は、かつての母校に在籍していた頃に着用していたローブだった。だがそれは多くの下級生が纏う淡い桃色ではない。
死装束のような白色である。
日本の魔法界における、道を踏み外した魔法使いが身に着ける色だ。
動揺が顔に表れる。文音は自分でローブをトランクに入れた記憶は無い。
なら誰が入れたのだろうか。荷造りを手伝ってくれた使用人夫婦や、ダンブルドアの訪問時に家に立ち寄った親族だろうか?
手伝いこそ有り難いものの、ろくに中身の確認もしなかったのか。
あるいは、分かった上でこのローブをトランクに入れたのだろうか――――戒めの証として。
嫌な感情が渦巻き、胸の中を占める。
お気に入りの小説との再会を果たした喜びは消え失せ、突如現実を突きつけられた文音は項垂れながらローブを戻した。
畳み直さず、そのまま突っ込まれた衣服はいずれ深い皺を作るだろう。その想像が、まるで自分の未来にも重なるように思えて文音の心は更に沈んだ。
少女の名は、初野文音と言う。
とある理由で日本における魔法使い養成学校――マホウトコロを退学処分になったものの、アルバス・ダンブルドアの慈悲のもと、更正の機会を与えられた魔女であった。