禁じられた森の中を探索していたハリー・ポッター一行は、ケンタウルスと別れた後、遠方から打ち上げられた赤い光に気付き足を止めた。
「ハグリッド!見て、赤い火花よ。ネビルたちに何かあったんだわ!」
最初に異変を捉えたのは、同行者の一人であるハーマイオニー・グレンジャーだった。ハリーの友人である彼女は、事前に設定された救援を求める合図にいち早く反応したのである。
「二人ともここで待ってろ。この小道から外れるなよ。すぐ戻ってくるからな」
ハグリッドが二人に告げ、木々の枝をなぎ倒しながら光の見えた方向へと消えていった。残されたハリーとハーマイオニーは、怯えながら顔を見合わせる。
「あの人たち、怪我してたりしないわよね?」
「マルフォイがどうなったって構わないけど、ネビルに何かあったら……。もともとネビルは僕たちのせいでここに来ることになっていまったんだから」
不安げに囁かれたハーマイオニーの声に、ハリーはそそっかしい同寮生の姿を思い浮かべながら返答した。
そもそもの発端は、ハグリッドが法を犯してまで小屋に隠していたドラゴンである。
村で素性の知れぬ男から譲り受けたのだというドラゴンの卵を、ハグリッドがあろう事か孵化させて育てようとしたのが始まりだ。
最終的には、ルーマニアでドラゴンキーパーとして働くチャーリー・ウィーズリーにドラゴンを引き取ってもらった。だが途中で、夜更けの寮外を出歩いていた事がマクゴナガルに知られてしまい、ハリー達は大きな減点を受ける羽目になってしまったのである。そしてこの騒動の中、同じくグリフィンドール生であるネビル・ロングボトムも意図せず巻き込んでしまった。
あれからの記憶はなるべく思い出したくない。一夜にしてグリフィンドール中の嫌われ者になってしまったハリーにとって、ひそひそと陰で噂されるのは耐え難い苦痛だった。
「それに……」
先程の発言に付け加えるように、ハリーは再び口を開いた。
「ネビルはハツノと一緒のチームにさせられた。心配だよ」
彼の台詞に、ハーマイオニーの顔色に一層緊張の色が強まる。
今回の罰則に、セブルス・スネイプの協力者やも知れぬ人間まで介入してきたのである。予想だにしていなかったフミネ・ハツノの登場に、ハリーたちは大いに驚かされた。
森の中を二手に別れて行動する前。
どうにか彼女が自分と同じ組に振り分けられないように言いくるめたは良いものの、結果としてネビルがスリザリン生二人に挟まれる事態になってしまった。ハリーは罪悪感で胸がちくりと痛んだ。もっとも、何故かネビルはハツノには懐いているようで、彼女と同行すること自体は嫌がっていない様子であったが。
「ハリー……。あなたがハツノを疑い始めてから、あの子の行動を見てきたけど……」
「『特におかしいところは無かった』んだろ。でも、それは決定的な証拠を“まだ” 見つけられていないだけさ」
眉を寄せ、此処にはいないフミネ・ハツノを懸念するハリーの横から、ハーマイオニーが躊躇いながら口を挟んだ。
クリスマス休暇に入る前からハツノの動向に注意していたが、依然として彼女がスネイプと繋がっているという確たる証拠は見つかっていない。
それもあって、最初からハツノをあまり疑っていないハーマイオニーは、今でもハリーの考えに納得しきれていない部分があるようだ。
ハリーは後に続くであろうハーマイオニーの言葉を、先んじて打ち消した。
ともかく、今はハグリッドが戻るまで大人しく過ごす他ない。
二人は話し合いも程々に、巨人族の友人が戻ってくるのを待ち続けた。
暫く経った後、再びハグリッドの姿が二人の前に現れた。
「……ハグリッド、どうして一人だけなの?ネビルたちはどうなったんだ」
「アー、ゴホン。それなんだが……」
ネビルやマルフォイ、ハツノの様子を確認しに行った筈のハグリッドだったが、何故か傍らには子どもたちの姿が見えない。その代わりとでも言うように、彼の長く伸びた髭の隙間から大きな溜息が零れた。
――三人の姿が見つからなかったのか?やっぱり、ハツノやマルフォイが何かしたんじゃないか?
胡乱な眼差しを送るハリーとハーマイオニーを尻目に、やがてハグリッドはぽりぽりと頭を掻きながら切り出した。
「俺にもよくわからん。だからお前さんたちにも、あれを宥めるのを手伝ってほしいんだ」
「あれってなに?ネビルが泣いているの?」
ハグリッドの説明に、てっきりネビルがいつものように恐怖で混乱しているのかと思った。
しかし彼の口から続けて出てきた言葉は、ハリーとハーマイオニーにとって、想像もしていないものだった。
「フミネがマルフォイに馬乗りになって――吼えメールよりも怒り狂っちょる」
◆◇◆◇
目的の場所まで案内されたハリーとハーマイオニーは、そこで信じられない光景を目の当たりにした。
「ごめんなさいって言え!人の負担を増やしてごめんなさいって言え!迷惑かけてごめんなさいって謝れよ、謝れェーーッ!」
「ン゛ン゛ーッ!」
「も゛ゔやめでよぉお゛!おうぢがえゆ゛!!」
なんだこれ。
目の前に広がる惨状に、二人は訳も分からないまま立ち尽くした。
ハリーとハーマイオニーの先では、件のフミネ・ハツノが倒れこんだマルフォイの上で大暴れしている。相手の身体に跨り、剣呑な形相で彼の顔に掴みかかっていた。だが、拳でマルフォイの顔を殴っている訳ではない。両手でマルフォイの口元を覆い、抵抗する彼を押さえつけているようだ。
まさか鼻と口を塞いで窒息させているのか。思わぬ事件現場に焦りを覚えたハリーだったが、幸いにもその予想は外れた。ハツノはマルフォイの口だけを塞いでおり、鼻の穴までは手は伸びていない。
ハツノの下で、口を塞がれたマルフォイは何やらとてつもなく苦しそうな表情で身じろぎし、どうにか身体を自由にさせようともがいている。しかしハツノのほうが一枚上手なのか、彼女は膝を器用に差し込みマルフォイの腕の動きを抑え込んでいた。
二人の取っ組み合い――或いは、一方的な蹂躙と表現するのが正しいのか――から少し離れた後方で、ネビル・ロングボトムが地面に伏して泣き叫んでいる。怒りを露わにしてマルフォイに乱暴を働くハツノに怯え、今にも失神しかねない勢いだ。ファングも隅でひっそりと鳴いている。
フミネ・ハツノと言えば、合同授業の際でもスネイプに質問をあてられるまで、ひっそりと隅で黙りこくっている目立たない生徒だ。間違ってもマルフォイのような人間相手に突っかかる気性の持ち主では無い。
――そもそも二人は同じ寮の出身で、自分たちと違って特別仲も悪くはないだろう。それなのに、何故こうして争っているのか。
色々と疑問は尽きない。
しかし普段からマルフォイに辛酸を嘗めさせられてきたハリーは、突如として浮かんだ謎を放り出し、ついつい己の心に正直に囃し立てた。
「ハツノ!攻撃するなら鼻がいいぞ、このままやっちゃえ!」
「ハリー!」
事態を止めるどころか煽るハリーを、真面目なハーマイオニーが厳しく窘める。
経緯がどうであれ、胸のすく眺めだったのに残念だ。ハリーは仕方なく、ハグリッドとハーマイオニーと協力して、ハツノをマルフォイから引き剥がした。凶暴な野犬にも負けない程に荒ぶる少女であったが、仲裁に加わった者へは理性を働かせているらしい。ハツノは三人に対しては抵抗もせず大人しくしていた。
「ゴホッ、ゴホッ……!うぅ……っ」
ハツノから解放されたマルフォイは、咳き込んだ拍子に口から何かを吐き出した。そしてすぐさま上体を起こし、距離を取ろうと後ずさる。
その素早さに、まるで虫みたいだとハリーは無遠慮にマルフォイを見下ろした。
「フミネ!おまえさん、一体どうしちゃったんだ?いつもは冷静なのに、なんでマルフォイに暴力など……。それに口を塞いでおいて『謝れ』は、流石に無理があるんじゃないか?」
「暴力だなんて、そんな物騒な真似はしてないです!私はあいつに痛みを与えている訳じゃありません!苦しみを与えているだけ!」
「俺は屁理屈をこけなんて言っとらんぞ。理由を説明せんか」
ハグリッドの表現に不満そうな表情を浮かべながら、ハツノが言い返す。
しかし苦しい言い訳だと自覚しているのだろうか。相変わらず怒りの冷めやらない様子だったが、彼女はいきさつを話した。
「ハグリッドサン達と別れた後、私は残された奴らと一緒にユニコーンを探してました。なのにこいつときたら、いつ危ない目に遭うかも分からない状況で、ロングボトムに悪戯して周りを混乱させて……!そのせいで、私も肘を怪我したんだわ!」
「ひッ……!」
「ぐすっ、うぇぇぇん!!」
ハツノは話の途中、またしても恨めし気にマルフォイのほうへ振り向き彼を指さした。鋭い眼光で睨みつけられたマルフォイが、びくりと身体を震わせ顔を逸らす。ネビルもネビルで、今もなお泣き喚いている。
彼女の説明に、その場に居合わせていなかった面々はなんとなく事情を理解した。
要するに、マルフォイが軽率にネビルを揶揄ったせいでハツノも被害を受け、そのせいで怒っているのだ。
だが、いつもの姿からは想像もできないほどに取り乱して怒る文音に、マルフォイもすっかり反省したのか大人しくなっている。
これならば、再び調子に乗って迂闊な行いはしないだろう。しかしハツノはまだ怒り足りないのか、彼女の口からは呪詛が尽きない。
「そもそも、家名を背負う自覚をしろって言ってた癖に、あんたこそアホみたいに動き回ってるじゃん!このばかたれ、うんこ、はなくそ、うんこ!」
「フミネ、もう分かったから……」
「グスッ……、フミコがおがしぐなっぢゃっだ、元のフミコに戻っでよ゛ぉ゛」
「おまえもいつまでもグズグズ泣くなァ―ッ!!」
「っ!?うわあぁぁ、むぐっ!!」
てっきり、マルフォイだけに苛立っているかと思いきや、ここでハツノはネビルにも不満をぶつけた。
鼻を啜るネビルに対し、彼女は険しい声をあげ彼の口に何かを突っ込んだ。無防備に泣いていた少年は、防ぐこともできずに少女の攻撃を真正面から受ける。
その直後、ネビルは口元を抑えて蹲った。呻き声と共に、口から飴のようなものがぽろりと地面に転がり落ちる。
マルフォイの安全なんてどうでもいいが、ネビルとなれば話は別だ。
先程の囃し立てる姿から一転、ハリーは慌てて彼女に詰め寄り苦しむネビルを背に庇った。
「ネビルに何を飲ませたんだ!毒ならただじゃおかないぞ!」
「部外者は黙っとれ!」
勇敢に仲間を守らんと立ち塞がるハリーを一喝し、ハツノはその背後にいるネビルに言い募る。
「あんたもあんただよ、ロングボトム!あんたのせいで私、よその寮の人間から『ウンコ婦人』って馬鹿にされてんだよ、どうしてくれるわけ!?それに私の名前はフミコじゃなくてフ・ミ・ネ!」
最早、探索には一切関係のない文句である。
ハリーの後ろで苦しむネビルの目はまだ濡れている。しかし、ハツノの形相に固まり声もあげられない状態となっていた。見かねたハーマイオニーが、ネビルに駆け寄り彼の身体を支える。
するとその光景を見下ろしたハツノは、顔を顰めハーマイオニーにも矛先を向けた。
「グレンジャー!あんたにも言いたいことがあるんだけど」
「えっ!?わ、わたし……?」
自分まで標的されると思っていなかったハーマイオニーが驚きで顔をあげる。
「この前から人のことジロジロ見てたけど、あれ一体どういうつもり?何が目的か知らんが不快だからやめてくんない!」
「此処にいないロン・ウィーズリーにも直接文句を言ってやりたいよ!あいつがこの前クィディッチ観戦中にマルフォイと喧嘩してた時、奴のパンチが私の身体にも当たった。尻餅はつくわ、掃除はやり直しになるわで最悪だったんだから!」
「もう嫌、もう我慢の限界……人が波風立てず平穏にやって行こうとしてるのに、あんた達はお構いなし!もう知らん、クソくらえ!」
この場にいないハリーの友人など、何故か脈絡もなく全方位に怒りを表すハツノに気圧され、ハリーとハーマイオニーは口を閉じた。
こうして胸の内に蓄えていた鬱憤を最後まで吐露すると、ハツノはぜえぜえと荒い呼吸を繰り返し、やがて静かになった。
その様子に、ようやく彼女の苛立ちが収まりつつあるのを察したハグリッドが、呆れ果てながらも相手を諫める。
「フミネ、いい加減に落ち着いたか。マルフォイだけじゃなくネビルの口にも『話者の飴』を入れおって。あんなもん、人間が食べるもんじゃないのに」
「はぁ、はぁ……。私はほぼ毎日食べてますけどね……!」
どうやらハグリッドは、少女がネビルやマルフォイの口に突っ込んだ劇物の正体を知っているようだ。毒ではないらしく、現に被害を受けたマルフォイもネビルも、苦悶してはいるが意識は保たれている。
これまでフミネ・ハツノは、表に出さなかっただけで様々な不満を抱えていたのだ。そして今日、マルフォイの悪戯がとどめの一撃となり、ついに爆発してしまったのである。
ハグリッドはひと際大きい溜息をついた後、やむを得ないと言わんばかりにひとつ提案した。
「アー……その、なんだ。フミネ、おまえさんの気持ちはよーく分かった。それじゃあ探索するメンバーを変えよう。ハリーと一緒に行くんだ」
「どうして僕なんだよ」
少し前、ハツノと一緒に行動しなくて良いと分かり安心していたのに。
唐突に彼女と同行することになったハリーは、納得できないとハグリッドに詰め寄った。
しかし彼はハリーの肩に手を回し耳打ちする。
「(フミネはネビルにもハーマイオニーにも怒っちょる。これじゃあの二人と一緒に行ったってまた爆発するだけだ。じゃがハリー、フミネはおまえさんに対する不満は言ってなかった)」
「(でも……!)」
「(今は荒れてるが、元々のフミネは落ち着いているし頭もよく回る。間違ってもマルフォイのような振る舞いはせん。もう少しすれば冷静にユニコーンも捜索できるはずだ)」
(スネイプの企みに一枚嚙んでる奴と夜の森を歩き回るなんて、冗談じゃない!)
食い下がる本当の理由を、ハグリッドに打ち明けることはできない。
困ったことになったものだ。
眉を寄せ険しい顔をするハリーの視線の先は、肘についた土を落とすハツノの姿があった。
◆◇◆◇
騒動が一段落し、暫くするとユニコーンの捜索が再開された。
視界の上方、木々の隙間からのぞく月を見つめながら、文音は後悔の念に苛まれていた。
(まずい……。やっちゃった、やらかしちゃった……!)
やらかした、というのは勿論先程の己の醜態についてである。
これまでの緊張や恐怖の糸が切れ、抑え込んでいた自身の感情を余すことなく皆にお披露目してしまったのだ。
怒りを全てぶつけ終わった途端、あの激しさは嘘のように消え失せ、代わりに自己嫌悪が胸の中を駆け巡った。
今更大人しく振る舞ったってもう遅い。今回の罰則の帯同はダンブルドア直々の指示でもあったのに、彼らを先導するどころか余計な手間をかけさせてしまった。
そもそも、我を忘れ大声をあげてしまうなんて。これでは負傷しているユニコーンがいたところで、警戒され姿を見せないかもしれない。
お守り役を自負しておきながら、とんだお荷物となってしまった。
ハグリッドの呆れ果てた視線を思い出しながら、文音は頭を抱える。その目の前にはハリー・ポッターと、
「……早く行こう。このままじゃ夜が明けちゃうよ」
「ウス……」
ポッターの声を皮切りに、文音たちは歩き出した。
メンバーを変え、ロングボトムの代わりにポッターが加わったのはまだいい。しかし、マルフォイも文音のチームに残っている。
これに関しては「奴はフミネを怖がっているし、ハリーにも軽々しく手出しできんから大人しくなっとるはずだ」というハグリッドの考えに則り、彼を文音のもとに留まらせた結果だ。
実際、マルフォイは歩いている間もずっと口を開かなかった。ユニコーンを襲う不届き者もそうだが、すぐ近くにいる少女に警戒している。再びあの飴を口に押し込まれないか不安があるらしい。
文音のほうも迷惑をかけてしまった手前、再びマルフォイが同行するのを拒否できなかった。
もう一度ルーモスを唱え、辺りを照らしながら文音は足を動かした。そして木々や地面にユニコーンの血液が付着していないか、注意深く確かめる。
「少しだけ、ユニコーンのにおいがする。この道の先にいるかもしれない」
一握りの土を掴み、銀色の液体を見分するように臭いを嗅いでみる。すると、それまでマルフォイ同様黙っていたポッターが彼女に尋ねた。
「随分詳しいんだね。そういえば、どうして君は今日の罰則についてきたんだ」
「たったいま自分で答えを言ってたよ、ポッターサン。ホグワーツの図書室には、本が沢山置かれている」
訝しがる少年の追及をかわし、文音は付近の探索を続ける。
ハリー・ポッターはまだ納得がいかない様子で、彼女の行動のひとつひとつに目を配っていた。
そして三十分ほど歩いた頃。一行はユニコーンの血液がひときわ多く飛び散った場所まで移動していた。
森の深部には木立が鬱蒼と生い茂り、道と呼べるようなものは無い。地面に落ちた木切れを踏みつけながら、更にユニコーンの血が滴る先へと進んだ。
「見て……」
古木の枝が絡み合うその向こう、開けた平地まで行くとポッターが呟いた。
彼が腕を伸ばした先に、純白に光り輝く物がある。
それはまさしく、横たわるユニコーンの体躯であった。しかしその長くしなやかな脚はピタリと静止し、真珠色のたてがみが虚しく風に揺れている。誰の目から見ても、この神秘的な魔法生物が息絶えているのは明らかだった。
文音は、すぐさま杖の先から緑色の光を打ち上げた。探索前、ユニコーンを発見した際に打ち上げるようハグリッドと決めた合図だ。
文音とポッターはユニコーンの亡骸に近づいた。たとえ動かなくなり、血に塗れていたとしてもかの美しさは色褪せない。
はじめてユニコーンをその目で見たのだろう。ポッターとマルフォイは息を呑んで一角獣を見つめている。
彼らとは対照的に、文音は腰を屈めユニコーンの身体にある傷を調べた。
とりわけ後頸や臀部のあたりに多く血が付着している。相手はまずはじめに、視野の広いユニコーンに悟られぬよう、慎重に背後から攻撃したのだろう。
そして直後に、血液に富んだ頸部を狙ったが、それだけでは殺せなかったようだ。ここへ辿り着くまでの道程で、いたる所に銀色の液体が飛び散っていたのを思い出しながら文音は推測した。
続けて、ユニコーンを襲った存在の正体について考えてみる。
ユニコーンの亡骸には、他の野生動物に噛まれた形跡はみられない。毒をくらってのたうち回っていた訳でもないようだ。
そこらに落ちていた手頃な枝を使い、傷跡を探ってみる。そしてその状態を確認した文音は、ユニコーンが魔法によって絶命したのだと察した。
「今すぐここを離れよう」
「急にどうしたんだ」
突如、杖から赤い光を打ち上げ、文音はポッターとマルフォイに告げる。その額からは一筋の汗が流れ落ちていた。
ユニコーンの亡骸には複数の傷がある。そのうちの一つから流れ出た銀色の血液は、まだ乾ききっておらず鮮度が残っていた。
――ユニコーンを襲った者が、すぐ近くにいるはずだ。
ある可能性が浮かび上がったと同時に、ずるずると滑るような音が耳に届いた。
そして平地の端が揺れ、暗がりの中から何かが地面を這って現れたのである。
「ぎゃああああアアア!」
マルフォイが絶叫してその場から逃げ出した。そして臆病なファングも、彼に続くように駆けて行く。
文音とポッターは、暗がりから這いずり出てきた者から目を離せないまま、石のように硬直した。
何者かは二人が動けなくなっているのもお構いなしに、更に地面を這い距離を縮める。
ルーモスの呪文によって平地の周辺は僅かに明るい。光に照らされる中、相手の容貌が目に映る。
真っ黒いフードを被っているせいで顔は見えない。しかし、口から襟元にかけて銀色の液体で汚れている。
間違いない、こいつは。
(ユニコーンの血を飲んでいたのか!)
固まっていたのも束の間。金縛りが解けたように、文音は速やかに首に提げていた鳥笛を吹いた。
ユニコーンの銀色に光る血は、命を永らえさせる効力があると言われている。しかし代償に、その血を飲んだ者は生きながらにして呪いを受ける。故に、人はこの神聖な生き物を畏れ敬うのだ。
文音の肌が、目の前の者から放たれる呪いの気配を感じ取った。
あの銀色の汚れからして、相手がユニコーンの血を飲んでいるのは明白だった。おぞましい災いに苛まれると知りながらそれを口にするなど、まともな人間のできる所業では無い。
文音が黒フードを警戒している最中、空から大きな羽音が響き渡る。飼い主の求めに応じて、トンコツが飛んできたのあった。
「フリペンド!」
トンコツが此処まで辿り着いたのを確認すると、文音はイチイの杖を握りしめ衝撃の呪文を唱えた。
途端、よろよろと地面を這っていた黒フードが後ろにのけ反る。
相手に隙が生まれたのを見逃さなかった文音は、すぐ後ろで着地したトンコツの背に跨り、未だ動けぬままのポッターへ向け叫んだ。
「ポッターサン、後ろに乗って!ハグリッドサンと合流して逃げよう!」
「……うっ……」
「早くしなきゃ、あいつが動き出す前に!」
ちょっとした衝撃魔法を放ったところで、目の前の異常者の撃退など全く期待できない。ならばこの場でとるべき選択は、逃走である。
そう考えた文音は、一刻も早くこの場を離れようと試みた。しかし同行者であるハリー・ポッターは、未だ恐怖から抜け出せないのか動けぬままだ。それどころか、彼はのちに額を抑えよろよろと倒れかかった。
ポッターの様子に違和感を覚えた文音は、トンコツの背から降りて彼のもとまで駆け寄った。そしてそのまま彼の身体を引きずろうと脇の下に手を差し込む。だが、苦しそうに呻く同級生の少年の身体は重く、文音の力だけではとても運べそうにない。
何故この状況で、急におかしくなってしまうんだ。非常事態の中、蹲るポッターの様子に焦燥する文音は、やがて彼の身体から手を離した。
「……っ!ごめん、ごめんポッターサン、これあげるから恨まないでね!」
こうしてもたついている合間に、体勢を直した黒フードがそろりと近づいてきた。
このままでは二人とも共倒れになってしまう。
非情だが、文音はハリー・ポッターを見捨てることにした。再び一人だけトンコツの背に跨り、飛び立つよう命令する。
直前、懐にしまっていたお守り袋を取り出し、ポッターのほうへ投げた。中には、今日の罰則を無事に終えられるように用意した紐飾りが入っている。
丸腰のままよりかはマシだろう。半ば罪滅ぼしのように置き土産を残し、文音とトンコツは空を翔けた。
空を飛びながら、文音が別れてしまったハグリッド一行を探していると、少し離れたところでお目当ての人物たちを発見した。
「トンコツ、あそこに降りな!」
飼い主が告げると、トンコツは指示された場所めがけて急降下した。ぐわん、と強い浮遊感に包まれる。まるで遊園地の絶叫マシーンに乗っているかのような心地だ。
トンコツが着地すると、文音は急いで愛鳥の背中から降りて、すぐ近くを探索していたハグリッドに声をかけた。
「ハグリッドサン!」
「フミネ!赤い光と緑の光が見えたぞ、何があったんだ!」
思わぬ合流を果たしたハグリッド一行が、驚いたように文音を見つめた。先程、彼女が打ち上げた光を捉えていたのだろう。三人は尋常じゃない気配を察し剣呑な表情を浮かべている。
事態を簡潔に説明した文音は、トンコツの背中にハグリッドを乗せ先に現場へと向かわせた。
この場にいる人間の中で、巨人族の末裔である彼こそ、ポッターを救える可能性が一番高かったからだ。
「ピッ……ピィ……」
流石に巨人族の血を引く人間の身体は重かったようで、ハグリッドが己の背に跨った瞬間トンコツは悲痛な鳴き声を漏らした。
しかしそれでも尚、文音の信頼に応えようと力を振り絞り、来た道を戻っていく。
天晴れな忠義心だ。文音は無事に寮へ帰ったら愛鳥を労おうと胸に誓った。
残された文音とグレンジャー、ロングボトムの三人は自分たちの足を使って件の場所を目指した(流石に只でさえハグリッドの重みで苦しんでいるトンコツの負担を増やすのは可哀そうな上、動きも遅くなる。故に、子どもたちは走って移動することにしたのだ)。
「ね、ねえハツノ、あなたたちが見た黒いフードの人間って、一体なんだったの!?」
「分からん!けどユニコーンの血なんか飲んでる奴だ、まともじゃないのは確かだよ!」
息も絶え絶えに、隣を走るグレンジャーが文音に尋ねる。
彼女に返事をしながらも、文音は足を止めなかった。
途中、真っ先に逃げ出したマルフォイやファングとも合流した。マルフォイは文音たちが来た道を戻ってポッターの救出に向かっていると知ると、冗談じゃないと同行を拒否したが、結局は渋々と仲間に加わった。憎きポッターを助ける手伝いはしたくないが、再び一人と一匹で森の中を彷徨うのも避けたかったらしい。ちなみに、足の遅いロングボトムは少し離れた後ろで泣きながら走っていた。
走ること数分。
息を切らしながら駆けていた文音の前方に、見覚えのある姿が映った。
眼鏡をかけた少年――少し前に文音が置き去りにしてしまった、ハリー・ポッターだ。今はもう身体の不調も改善したようで、地面に蹲ってもいない。それどころか、見知らぬケンタウルスのような生物に跨っている。
傍らには、既に彼のもとへ辿り着いたトンコツとハグリッドも控えていた。
――人間と関わらないケンタウルスが、こんなところにいるとは。
ポッターを背に乗せる金髪のケンタウルスの存在に、文音は驚いた。
「ハリー、ハリー、あなた大丈夫?」
「僕は大丈夫だよ」
グレンジャーがポッターのもとに駆け寄り、無事を確かめる。
少年はうわずった声で返事をした。そして、そばにいるハグリッドにユニコーンの死体の在処を伝える。
「ここで別れましょう。君はもう安全だ」
ハグリッドがユニコーンを確かめに戻っていったところで、ケンタウルスが切り出した。
その声を機に、ポッターが彼の背中から滑り降りる。
「幸運を祈りますよ、ハリー・ポッター。ケンタウルスでさえも惑星の読みを間違えたことがある。今回もそうなりますように」
最後に意味深長な台詞を残し、ケンタウルスが去っていく。
彼がいなくなった後も、ハリー・ポッターの身体は震えていた。奇跡的に彼に助けてもらったようだが、それまでの間凄まじい恐怖に囚われていたのだろう。
仕方がなかったとは言え、彼を見捨てて逃げ出した。文音の胸に罪悪感が湧きあがる。
彼女はぎこちない動きでポッターの肩に自身のローブを羽織らせた。
だが。
「いらない」
「あ……わかった。ごめん」
ポッターは震える手で肩にかけられたローブを掴むと、すぐさま文音のもとに突き返した。
――おまえからの情けなんて受けない。
ポッターは俯いており、目が合うことは無かった。
しかし、彼が何を考えているのかは手に取るように分かる。
文音は突き返されたローブを抱え、気まずさを持て余すように視線を彷徨わせた。