涸れ井戸に雫   作:るりつばき荘

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【5】大飛行と大非行

『――飛行訓練は木曜日に始まります。グリフィンドールとスリザリンの合同授業です――』

 

 スリザリンの談話室にその知らせが掲示されると、一年生たちは沸き立った。

 

「いよいよ飛行訓練が始まるのね」

「グリフィンドールののろまが何人医務室行きになるか数えようぜ」

「私、箒に乗るなんて嫌よ」

「一年生はクィディッチの代表チームに入れないなんて残念だ。穢れた血の頭にブラッジャーがぶつかるところを間近で見たかったのに」

 

 最後のドラコ・マルフォイの台詞に、グラッブとゴイルはゲラゲラと笑い声をあげる。

 その一方、掲示板の前を陣取る一年生軍団の少し後ろ、窓にもたれながら知らせを眺めていた文音は鬱屈した心情となった。

 ――あの居た堪れない空気がまたやってくるのか。これ以上マルフォイ一味に餌を与えてはいけないのに。

 グリフィンドールとの合同授業となると、どうしても先週の魔法薬学の再来を懸念してしまう。しかし飛行訓練の授業を取り仕切るのはマダム・フーチだ。スネイプのように特定の寮を贔屓する教師ではない。

 マルフォイの声を背に、次の合同授業を前向きに捉えようと努力していると、同級生の一人――セオドール・ノットと目が合った。

 生徒の多くが純血主義を掲げるスリザリンであるが、その思想は変わらずともマルフォイのような派手な振舞いを嫌がる者も存在する。良く言えば大人しくて控え目、悪く言えば地味でイケてない子どもたちの大抵はこれに該当した。純血云々の問題はさておき、文音も当然このイケてない勢力の人間である。

 イギリス魔法界の繊細な問題に首を突っ込まないと決めた文音の中では、ホグワーツ内で特定の人物と仲良くなる予定は無い。しかし、一部の生徒に対しては密かにシンパシーを感じているのも事実であった(とは言え、セオドール・ノットは一匹狼なだけであってイケてないグループに所属している訳ではない。あくまで文音が勝手にシンパシーを感じているだけである)。

 

 知らせを受け取って以来、マルフォイは日増しに絶好調になっていった。飛行訓練当日には、大広間でグリフィンドール生のネビル・ロングボトムから思い出し玉を引ったくってポッターたちに喧嘩を売っていた。以前、文音からもビーフシチューを引ったくっていたが奪える物なら何でも良いらしい。純血貴族の癖にやっていることは非行少年と何ら変わりない。

 幸いにも、ポッターとウィーズリーがやり返す前にマクゴナガルが現れたため、大事には至らずに済んだ。

 

 心なしか、はじめての飛行訓練なだけあってグリフィンドール生もそわそわと落ち着かない様子である。その光景とは裏腹に、文音は飛行訓練そのものに対して特に緊張もせず落ち着いていた。

 何せ、マホウトコロでは飛行訓練は三年生から習い始める科目である。更に日本でもクィディッチはメジャースポーツである故、就学前から習い事で箒に触れる生徒は多い。文音もその一人であった。

 その上、家で飼っているウミツバメが体調不良の時は自ら箒に跨り通学することもあった。言うなれば、今日の飛行訓練は文音にとってただの復習でしかなかった。

 

 

 

 

 ◆◇◆◇

 

 

 

 

 午後三時半。

 校庭に到着した文音は他のスリザリン生が雑談に興じる中、ひとり授業で使う箒を先に選んでいた。

 折角だから自分と気性の合う箒を利用したい。幸運にも彼女のように選別に勤しむ生徒はいなかったので、思う存分箒を選ぶことができた。もしもこの場所がマホウトコロの昼休みだったなら、今頃遊びにやってきた子供たちによる箒の奪い合いが始まっていただろう。

 程なくしてグリフィンドール生も姿を現し、遅れて教師のマダム・フーチも姿をみせる。

 

「なにをボヤボヤしてるんですか。みんな箒のそばに立って。さぁ、早く」

 

 はじめての授業であるが、自己紹介など不要と言わんばかりにフーチは一年生たちを促した。マホウトコロにも厳格な教師は沢山いたが、もう少し愛想はあった。

 緊張した面持ちの一年生たちが慌ててフーチの指示に従う。全員が箒のそばに立ったのを確認すると彼女は次の命令を下した。

 

「右手を箒の上に突き出して。そして『上がれ!』と言う」

 

 すると一斉に、皆がフーチの言う通りに叫んだ。文音も続くように声をあげ、箒を手元に引き寄せる。

 文音の声に、地面に転がっていた箒はすんなりと彼女の右手へと収まった。

 普段から箒に乗っていた者にとっては出来て当然の作業である。

 しかし、経験の乏しい生徒たちは苦戦している様子だった。辺りを見回すと、箒を手にしている生徒のほうが少ない。

 

 ふと、マダム・フーチと目が合う。

 ――嫌な予感がする。

 多感なお年頃である文音の中で、とあるセンサーが発動した。セオドール・ノットと目が合った時には反応しなかった、羞恥の気配を察するセンサーだ。

 目が合った瞬間、ごく自然に顔を逸らしたつもりだったがもう遅い。マダム・フーチは一年生全員に声をかけた。

 

「みんな、はじめての飛行訓練で緊張する気持ちはあって当然です。ですがやみくもに叫んでも箒は応えてくれませんよ。――では、フミネ・ハツノ。前に立って、みんなに手本を見せなさい」

「……、ウス」

 

 動揺して、ついついノリの軽い若者じみた返事をしてしまった。

 嫌な予感ほど当たりやすいとはよく言ったものである。

 はじめての飛行訓練を難なくこなす自信があった文音は、フーチに指名される可能性を授業前から薄々感じていたのであった。

 先週の魔法薬学のように、一年生の視線が文音のもとに集中する。注目される時間を少しでも短くしたい一心で、文音は小走りでフーチの隣まで駆け寄った。

 

「みんな、よく見ておくように。さあフミネ、先程やったように箒を引き寄せて」

「はい。『上がれ』」

 

 目立つことに慣れない文音であったが、言われるがまま声をあげると箒は再び彼女の手へと収まる。

 皆の前で成功し安堵した矢先、フーチは重ねて命令した。

 

「それでは、箒に跨って私が合図したら浮上して下さい。箒はぐらつかないように押さえ、二メートルぐらい浮上したら十分です」

 

 まだ続けるのかと思ったものの、文音は大人しく教師に従う。

 箒の柄の部分に跨り、手の握り方を調整したのち地面を蹴ると、それに応じるように箒が浮遊した。

 長年箒を扱っていたこともあり、浮上しても箒はぐらつかず文音が次の操作をするまで静止画のようにぴたりと止まっている。

 ぐるりと左向きに旋回した後、文音はゆっくりと箒を操作し地面へ降りた。

 

「素晴らしい!流石、マホウトコロ出身だけあって箒の扱いが丁寧ですね。箒の握り方、姿勢、全て正しく出来ていました。スリザリンに五点」

 

 スリザリン生の間から拍手が聞こえた。これでまた寮杯に近づいたと口にする者もいる。

 フーチから解放され小走りで元いた場所へ戻ると、トレイシー・デイビスから賞賛の言葉を貰った文音は照れながら「ありがとう」と返事をした。注目される気恥ずかしさは大きいが、入学して初めて貰えた点数にじわじわと喜びも湧きあがってくる。

 戻る途中でグリフィンドール生のハーマイオニー・グレンジャーから対抗心溢れる眼差しを向けられた気がするが、この件については考えないことにしておく。

 

「ではみんなもやってみましょう。私が笛を吹いたら、地面を強く蹴って下さい――」

 

 フーチが今度は生徒全員に向けて声をかけた。皆が箒に跨り姿勢を整えるのを確認して笛を口元まで近づける。

 

 しかし、笛の音が鳴る前に地面から足を離してしまった者がいた。

 グリフィンドールのネビル・ロングボトムだ。

 

「こら!戻ってきなさい!」

 

 緊張のあまり一足先に地面を蹴ったロングボトムの箒は、フーチの制止もきかず益々高く舞い上がっていく。顔を青くしながらロングボトムは叫んだ。完全に動揺してしまい、とても箒のコントロールなんてできる状態じゃない。

 彼の箒は暴走を続け、遂には持ち主を真っ逆さまに落とそうとした。

 

 流石にまずいんじゃないか。

 以前、マホウトコロの同級生が箒の事故で意識不明になり、入院騒ぎになった記憶が蘇る。

 文音は咄嗟に懐に手に入れた。しかし、そこには何の感触も無い。

 前科のある問題児にとって、授業期間は杖を所持できる貴重な機会である。だが飛行訓練中万が一落下した際に杖をしまっていては危険だろうと、彼女は杖をフーチに預けたままにしていた。

 ――こんな時に限って!

 文音が後悔している間に、遂に箒とロングボトムが地面に向かって落ちてきた。

 

「アレスト・モメンタム!レヴィオーソ!アクシオ!!!」

 

 とうとう打つ手の無くなった文音は、杖を持たないままロングボトムに向け思いつくままに呪文を唱えた。

 杖なしで魔法を繰り出すのは非常に高度な技術を要求される。只でさえ入学したばかりの少女が、大人でさえも使える者が限られるそれを扱えるかなど、火を見るよりも明らかであった。

 

 文音の声に反応するように、落下するロングボトムの身体が一瞬だけ静止する。しかしそれも束の間、彼の身体は再び重力に従いとうとう草地へ落下した。

 生徒の悲鳴が方々から響いてくる。

 フーチが真っ青になってネビルのもとへ駆け寄っていく。その姿に続いて、文音もローブを脱ぎながら近づいた。

 真上から覗き込むと、涙と痛みでぐちゃぐちゃに荒れたネビルの顔と、その上に屈みこむフーチのつむじが見えた。

 

「手首が折れてるわ」

 

 フーチの言葉を聞いた文音は、すぐさま近くにあった手頃な枝と自分のローブを差し出す。フーチはそれを受け取ると、呪文を唱えロングボトムの腕を素早く固定した。

 

「さあさあ、ネビル、大丈夫。立って」

「私がこの子を医務室に連れていきますから、その間誰も動いてはいけません。箒もそのままにして置いておくように。さもないと、クィディッチの『ク』をいう前にホグワーツから出ていってもらいますよ」

 

 ネビルを慰めると、フーチは後ろを振り向き生徒に忠告を残す。そして再度前を向き、痛みに呻くロングボトムと彼のそばに屈む文音に促した。

 

「さあ、行きましょう。フミネ、あなたも彼を運ぶのを手伝ってください」

 

 

 

 

 

 医務室に向かう間、文音はずっとロングボトムの泣き言を聞かされ続けた。

 痛い。怖い。僕に箒なんて扱える訳ない。みんな僕を笑ってる。

 汗や涙や鼻水でぐちゃぐちゃになった顔で悲嘆の言葉をつらつら並べられると、亡者のように見えてくる。

 どうせなら耳に心地が良い言葉が聞きたいと文音は思ったが、怪我に苛まれるロングボトムへの哀れみが勝った。

 生憎、今は話者の飴は無い。しかしどうにかして彼を励まそうと、口を開いてみる。

 

「私、ロングボトムサンより高い場所から落ちて、大怪我した人を知ってる。頭から落下して、ラクダみたいな大きなコブができてた。でもしばらく経てば、怪我が綺麗に治ってた。だからロングボトムサンの手首も、ちゃんと治ると思う」

「ぐすっ、じゃ、じゃあいつか僕もその人みたいな大怪我するかもしれないってこと?」

 

(思考まで飛躍してどうする。とばすのは箒だけで十分だよ、いい加減地上に戻ってきなよ)

 

 何故そう考えたのかは不明だが、怪我をして弱り切ったロングボトム少年は文音の言葉に捻くれた解釈をした。

 先程よりも一層悲痛な声をあげ、おいおいと泣く彼の姿に文音はしくじったと苦い顔をする。

 注意力散漫でそそっかしい。気が弱く、失敗がよく目立つ。おまけに周囲の気が重くなる程度にネガティブ。

 集団生活において、いじめなんてあってはいけないものだ。だが、彼がマルフォイのような意地の悪い人間の標的にされる理由を文音は何となく察してしまった。

 そういう人間に単純な励ましの言葉は届かない。ならどうすればいいのだろう?

 文音は考え、そして一つの答えに行き着いた。

 

「私、ホグワーツに入る前から、飛行訓練を受けてきたんだ。だから他の子より少しだけ、箒の扱い方を知ってる。でも、これは単なる経験の差。年数を重ねていけば、いずれ消えていく差だよ」

「ぐすっぐすっ、でも、僕は」

「ロングボトムサンって、さっきから事あるごとに、自分が出来損ないだの何だの言ってる。けど、周りの人間だって、おたくの知らないところで、失敗ばっかりしてる。恥ずかしいから表に出さないだけ。私だって初めて飛行訓練した時、肥溜めに突っ込んで、数か月間男子から、『ウンコ婦人』って呼ばれてた」

「……ウンコ?」

「ウンコ」

 

 突拍子もない単語に、ロングボトムは目を丸くし復唱する。文音は強調するように、大きく頷いた。

 繰り返されるあまり品の無い言葉に、反対隣でロングボトムの身体を支えているフーチが咳払いをする。

 そろそろ直に注意されるかもしれない。減点を危惧した文音は、これ以上ウンコ婦人誕生秘話について語るのをやめ、代わりにこれまでの人生で重ねた己の失敗を彼に打ち明けた。

 課題提出の際、間違えて自作漫画を描いたノートを提出してしまいクラスメイトの前で晒し者にされたこと。返却されたテストの点が気に入らず、用紙を燃やそうとしたところ火の勢いが強すぎて眉毛が無くなったこと。

 我ながら馬鹿馬鹿しい失敗ばかりだと呆れてくる。それでも文音はロングボトムに自分のありとあらゆる失敗談を、まだすらすらとは出てこない英語で語り続けた。

 ホグワーツに来た当初は英語もほとんど話せず、自身の素性も周囲に語れず、授業も理解できないまま落ちこぼれる心配が常に燻っていた。そして、それは今もなお在り続けている。

 だからこそ、劣等感に苛まれ己を卑下するロングボトムの気持ちを文音は理解できた。

 彼に必要なのは安心だ。自分が周りと同じ次元にいるのだという安心が。

 

 文音の失敗談を聞かされていたロングボトムは、相変わらず痛みに鼻を啜っている。しかし泣き言を呟く頻度は目に見えて減った。

 やがて文音たちは医務室まで辿り着き、漸く少年はマダム・ポンフリーのもとに引き渡された。優秀な癒者のもとで、彼の腕は綺麗に治るだろう。

 早速治療に取り掛かるポンフリーの背中を見て、目的は終えたと文音とフーチが踵を返した。

 去り際に、ロングボトムの声が耳に届く。

 

「ありがとう、ウンコふじ……じゃなかった、フミコ!」

 

 誰だそいつ。

 本当に、彼はそそっかしい少年だった。

 

 

 

 

 ◆◇◆◇

 

 

 

 

 ――私は杖を持たずにやみくもに魔法を使おうとしたあなたの行いを、一人の教師として認めることはできません。ですが、寮を超えてネビルを助けようとしたその心意気は誇るべきでしょう。スリザリンに十点追加。

 

 校庭に戻る途中、文音はフーチから受けた注意と加点の余韻に浸っていた。

 ロングボトムが地面に落下した際、彼女が杖なしで魔法を唱えていたところはフーチにも見られていたらしい。只でさえ空中に浮いている不安定な状態の人間に、不安定な魔法を放とうとしたのだから咎められるのも尤もである。

 しかし、それでも尚フーチは文音の行動を評価した。

 結果として、己の力のみで15点も寮に得点が入ったのだ。

 ――ウンコのせいで減点にならなくて良かった。

 寮杯争いにさして興味もない文音であったが、自身の行動や能力が認められるのは悪い気がしない。帰り道、にやにやとした笑顔を隠すように少女は頬をつまんだり引っ叩きながら足を進めた。

 

 

 

「皆さん、箒は手にしていませんね?あなたたちが賢明でよかった――ところで、ハリー・ポッターの姿が見えませんが」

 

 校庭に到着すると、文音はフーチから離れスリザリン生の持ち場へと戻った。

 フーチも戻るや否や、生徒たちの様子を見回す。

 だが彼女が一人の少年の姿が見えないことに気付くと、すかさず文音の近くにいたパンジー・パーキンソンの声が届いた。

 

「ハリー・ポッターはマクゴナガル先生に連れて行かれたんです――皆が大人しく待っている中、()()()()箒で空を飛んでいたから!きっと退学させられるに違いないわ、可哀そうに!」

「はあ、なんてこと……」

 

 フーチが眉間にしわを寄せ呟いた。

 さもおかしそうに笑うパーキンソンに同調するように、周りのスリザリン生から嘲笑の声が湧きあがる。

 対照的に、向かいに並ぶグリフィンドールの生徒たちは悔しそうにこちらを睨んだ――特に、ドラコ・マルフォイを射貫くような視線で。

 ロングボトムの付き添いをしていたせいで経緯を全く知らない文音であったが、その光景に目にしておおよその予想がついた。

 マルフォイがポッターに何か仕掛けたに違いない。

 

「フミネ、実はね……」

「マルフォイサンが、何かした?」

「そうそう、そんな感じ」

 

 隣からトレイシー・デイビスが文音に事のいきさつを懇切丁寧に彼女に説明する。

 案の定、あのマルフォイ少年はロングボトムが怪我して医務室へ運ばれていく中、彼が忘れた所持品を持ち出しハリー・ポッターを煽って箒に乗せたとのことだった。そして二人でカーチェイスならぬ箒チェイスをしている最中、ポッターだけ飛行しているところを通りすがりのマクゴナガルに見つかり連れていかれたのだと言う。

 

 加点と共に浮かんだ笑顔はすっかり消え失せ、代わりに文音の口からは重たい溜息が現れた。

 それを増長させるように、フーチから指示が飛ぶ。

 

「ハリーについてはマクゴナガル先生に一任して、我々は授業を続けましょう。では、二人ペアを作ってお互いの姿勢や箒の持ち方を確認してください」

 

 フーチの声を皮切りに、生徒たちが近くの友人たちと二人ペアを作っていく。

 

 ――二人ペアを作ってください。

 マホウトコロの教師だけが使う許されざる呪文だと思っていたが、ホグワーツ教師も使うのか。

 スリザリンでも友人が少ない(というかほぼいないに等しい)文音は困窮した。

 すぐさま近くのトレイシー・デイビスに声をかけようとしたところ、彼女は既にダフネ・グリーングラスとペアを作ってしまっていた。

 

「デイビスサン、あの、よければ」

「あ、ごめんフミネ!もうダフネとペア作っちゃった……」

「あっ、いえ、全然大丈夫。気にしないで。他の人、すぐ探すので」

「……私、やっぱりミリセントとペアになるわ。フミネはトレイシーと組んで」

「いっ、いやいやいや、大丈夫!私は他の人と組む!グリーングラスサンはデイビスサンと組んで!声かけてすみませんでした」

 

 トレイシーとペアを作っていたダフネのあからさまな気遣いに遠慮した文音は、これ以上邪魔にならないように二人から離れた。

 交友関係の狭さを他人にも知られているのは恥ずかしい。とは言え、特定の友人を作らないように決めたのは自分自身なので致し方ない。

 こうして文音がスリザリンの海を彷徨っている間にも他の生徒たちは次々にペアを組んでいった。

 先程、ダフネから名前を出されていたミリセント・ブルストロードも既にパーキンソンとペアを作っている。

 文音は慌ててまだペアを作っていない生徒を探し出した。

 

(なるべく大人しくて目立たない、自分と同じく地味でイケてないグループの人間が残ってますように。あっ、あの子多分私と同類だったはず。よし、と……突撃するぞ!)

 

 偶々目についた残りの生徒の一人を非常に失礼な目線で判断しながら、文音は勇気を出して声をかけようとした。

 

 だが。

 

 

「ハツノ。こっちに来い」

 

 まさか名門純血貴族から直々に声がかかるとは。

 突如自分へ向けられた声に恐る恐る振り向くと、そこにはつい今しがたポッターと一悶着起こしたマルフォイ少年がふんぞり返っていた。

 文音を呼びつけた彼は高慢そうに視線を動かし、自分のいる場所まで来るよう命令する。

 彼と直接会話したことはまだ無かったが、何のつもりだろう。

 一瞬、自分が呼ばれたことを認識できず呆ける文音だったが、暫くして痺れを切らしたマルフォイが再び合図を送ってきた。

 その仕草で、間違いなく自分が呼ばれていると漸く気付いた少女は間抜けな走り方で彼のもとまで向かった。

 

「な……何か御用でしょうか。もしかして、私とペアに」

「は?」

 

 てっきりペアを組むために声をかけたと思ったが、そうでもないらしい。

 文音の勘違いを「は?」の一言だけで一蹴したマルフォイの隣には、既にセオドール・ノットが控えている。腰巾着のグラッブとゴイルとは組まなかったようだ。

 誤解に赤面し羞恥する文音をよそに、マルフォイは「まだ誰とも組んでいないのか?」と鼻で笑う。

 そして彼らの近くで面倒くさそうに欠伸をした少年――ブレーズ・ザビニを呼びつけた。

 

「おいザビニ。またさぼっているのか?」

「そういうマルフォイの坊ちゃんは大変勉学に励まれていらっしゃるようですね。マルフォイ寮に50点」

「丁度いい。お前、ハツノとペアを組め」

「「は?」」

 

 誰とも組む様子もなく適当に授業をやり過ごそうとしていたザビニは、マルフォイから呼ばれると嫌味ったらしく皮肉で応酬した。さぼる予定だったのは事実なようだ。

 しかしマルフォイは聞き流し、横暴にも突然文音とザビニにペアを組むよう指図してきたのであった。

 今度は、二人が先程の彼のように声を漏らす。

 

「何考えてるんだよ。どうしていきなり呼び出されて勝手にペアを組ませられるんだ」

「私も知りたい。ザビニサン、ペアになる人、探そうとしてなかったのに」

「そこのマホウトコロ出身が困っていたんだ」

「それ私のこと?……でも他の子に声かけるつもりだったよ」

「ペアを組んだら僕たちの横でお前たちも練習しろ」

 

 なんだこいつ。

 次から次へと人の言葉を無視して命令を下すマルフォイに、胡乱な表情を隠しもしないまま、文音はザビニと顔を見合わせた。

 何のつもりでいきなりペアを組ませて、近くに置こうとするのか。

 だが二人が反論するよりも早く、丁度生徒たちの様子を見回るフーチが近づいてきた。練習が上手くいっているかを確認しているみたいだ――ちなみに、さぼろうとしている子供の有無も。

 仕方なく、文音とザビニの二人はペアになって練習に臨んだ。

 すぐ隣では、マルフォイとノットが箒に跨っている。

 

 ブレーズ・ザビニはマルフォイ一味には属さないが、だからと言って地味でイケてないグループに属している訳でもない。寧ろイケてるグループに所属する男子生徒である。

 イケてないグループ代表の文音にとっては会話すらしたことない存在で、気まずいことこの上ない。

 文音はぎこちない愛想笑いを浮かべながら謝罪の言葉を口にすると、ザビニは鼻白みながらもグループ学習に取り組んだ。

 

「あんた、マホウトコロ出身って言ってたけど本当か?」

「ハイ、そうです」

「日本でクィディッチって言えば、やっぱトヨハシ・テング一強だろ」

「今のトヨハシ・テングはフロントや監督が謎采配ばっかりやってて弱くなってるよ。リーグ戦でも下位のほう彷徨ってるし、海外リーグ出身の大型ビーターに大金をかけて契約したせいで、他のポジションの補強が全然できてないって言われてる。知名度と実力が一致してない。まあ私は別のリーグのほうに好きなチームいるからそこまで詳しくないけど」

「うわ、急に早口で喋った。怖っ」

「アッ、スミマセッ……」

 

 クィディッチとは箒を使って行う魔法界の人気スポーツだ。言語の壁さえも容易に越える。

 母国のチームの話を出され、文音は話者の飴も舐めていないのに早口で捲し立てた。その姿にザビニは後ろにのけ反った。傍から見ればまさにオタクの趣味語りにドン引きする一般人の図である。

 彼の胡乱な顔に気付いたがもう遅い。文音はザビニの指摘に再び顔を赤くして謝った。なんだか今日は、羞恥心を覚える機会が多い。

 

 しかし意外にも、ザビニは話しやすい少年だった。

 ペア学習も不真面目にこなすと思いきや、経験者である文音のアドバイスにも真面目に応えている。何なら他愛ない雑談もできる程だった。

 

「さっき箒に跨ったとき、何か違和感があったんだよな」

「男子は背が伸びる時期だから、箒の乗り心地も、結構変わってくるんじゃないの。身体に馴染まない場合は、体格に合っていない可能性があるかも」

「フン、最新のニンバスは多くの人間の体格に馴染むよう作られてるけどね」

「ハツノは自分用の箒は持っている?おれも来年、自分用の箒を買ってもらうようママに打診するつもりなんだ」

「日本に置いてきたけど、自分用の箒は持ってる。買うときはえーっと、ディーラー、じゃなくて……販売店のほうが、種類が多いって聞いたよ。イギリスのお店はよく分からないけど、試し乗りの時間をかなり短く設定している店は、注意したほうがいいって。友達の父さんが言ってた」

「ニンバスの専門店じゃオーダーメイドも出来るんだ。試作段階で乗る人間に合わせて調整するのさ。わざわざ店の箒を一本ずつ乗る必要もない」

「おいノット。そこのニンバス特別スポンサーを黙らせろ」

 

 そして何故か、ザビニと話していると頻繁にマルフォイが会話に挟まってくる。

 鬱陶しさにザビニがノットに注意を促す。やれやれとノットはマルフォイに「集中しろ。フーチが近くに来ているぞ」と忠告するが、どこ吹く風だ。

 思えば先程からこの少年、経験者の文音がザビニにアドバイスをする度近くに寄ってくる。

 

(いかにもプライドが高そうだし、見ず知らずのよそ者と直接組んで教わりたくはないんだろな)

 

 ザビニとの会話に横槍を入れられる度に不可解な気持ちでいたが、彼の魂胆を推測した文音は特に言及もせず苦笑いだけを返した。そもそも、寮内でブイブイ言わせているお坊ちゃんに面と向かってあれこれ言う勇気は無い。

 そんな中、ふとマルフォイが再び口を開いた。

 

「そういえば、なんでマホウトコロはホグワーツに来たんだ?」

「えっ?えっと、海外の学校にも通って更に学んできたほうがいいって、周りから薦められたから」

「既にマホウトコロに通っているのに、ホグワーツの入学案内が来たのか?」

「そ、そうだね。イギリスに行ったこと無かったから、案内が届いたときはびっくりした」

「ふーん。じゃハツノにとって入学ってよりも編入って言ったほうが正しいんだな」

 

 あだ名のつもりなのか、マルフォイが文音をマホウトコロ呼びして質問を浴びせる。その内容に緊張の念を抱きながらも、あらかじめ教師陣の面々と相談して決めた「設定」を語るとノットやザビニも質問の輪に加わった。

 本当はそんな華々しい経緯など、どこにもない。

 設定にぼろが出ないよう注意を払いながら文音が話すと、一番最初に質問を始めたマルフォイはもう興味がないとでも言うように語った。

 

「フン、スリザリンの点数稼ぎに貢献してくれるならなんでもいいさ。魔法薬学のたびにポッターの嫌がる顔が見れるのは気分がいい」

 

 先日の魔法薬学の光景を思い出し、マルフォイは口に弧を描いた。

 スネイプがハリー・ポッターを忌み嫌いあてつけに文音を使った一件は、今でも彼女の気分を重くさせる。

 予習の範囲を超えた件の質問に回答できた自分を、マルフォイは実際に魔法薬学に秀でた人間と思っているのだろうか。

 誤解を正すよう、文音はマルフォイに向かって告げた。 

 

「あれは……あれは私の実力で答えてるんじゃない。スネイプ先生から事前に答えを教えられただけ」

「なんだって?」

「……授業が始まる前日に、先生の手伝いをした。そのときに、授業の内容を纏めた書類を読んだ。だから質問に答えられた」

「それの何が悪い」

「へ?」

 

 文音の勇気の告白に対し、マルフォイが首を傾げた。

 少年の態度は、スネイプの行動に何の疑いも抱いていないことを物語っている。

 それどころか、隠れていた事実を打ち明けた文音のほうを訝しがった。

 

「どうせなら試験前にも答えを教えてもらえよ。そんで寮生全員に回せ」

「……ああ、あのときハツノが正解を答えたのに点が入らなかったのはそのせいか。他寮の人間にバレたら五月蝿く言われるだろうし。残念だな」

 

 マルフォイの横から、少年二人も口を挟んできた。

 

「今年もスリザリンが寮杯を手にするんだぞ。それなのに何を躊躇っている?グリフィンドールに肩入れする気か?」

「違う。ただ単に、誤解されたら嫌だっただけ。本当の私はただの一年生。いざという時にあてにされるような人間じゃないって、覚えていてほしかっただけ」

「足手まといにはならなければそれでいい」

 

 文音の弁解を、マルフォイが冷たく切り捨てる。

 ――顔を顰めたり、スネイプ共々糾弾されるのを期待していたのだろうか。

 

 文音はマルフォイから視線を外し、下を向く。

 足元には青々と伸びた芝生と、その少し先に乾いた土くれが転がっているのが目に映った。

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