ハリー・ポッターとロン・ウィーズリー、そしてハーマイオニー・グレンジャーの三人は、団子のようにピタリとくっついて行動していた。
しかし、ただ寒さから身を守るだけが目的ではない。
彼らはお互いの顔を見合わせながら、重要な話を共有した。
かの内容は、スリザリン寮監であるセブルス・スネイプと、とある生徒の存在についてだった。
きっかけは、ハリーのクィディッチ・デビュー戦まで遡る。
あの日――観客席に座っていたスネイプは、突如飛行中だったハリーの箒に呪いをかけたのだ。
そのせいであわや転落の危険に見舞われたが、友人たちの機転もあって無事に試合を終えることができた。金のスニッチを手に入れた瞬間を思い出すたび、今でもハリーの胸には高揚が蘇る。
そして試合が終わってすぐ。
ハリーは友人であるロンとハーマイオニーと共にハグリッドのもとを訪ね、スネイプの悪行を告発した。
「僕、スネイプについて知ってることがあるんだ。あいつ、ハロウィーンの日に三頭犬の裏をかこうとして噛まれたんだよ。何か知らないけど、あの犬が守っているものをスネイプが盗ろうとしたんじゃないかと思うんだ」
「なんでフラッフィーを知ってるんだ?」
飛行訓練を終えた夜、寮を締め出され四階の「禁じられた廊下」で出会った怪物のことを話すと、ハグリッドは目を丸くした。そして焦るあまり、彼らに知られてはいけない秘密をぽろぽろと零した。
「俺はハリーの箒が何であんな動きをしたんかはわからん。だがスネイプは生徒を殺そうとしたりはせん。三人ともよく聞け。おまえさんたちは関係のないことに首を突っ込んどる」
「危険だ。あの犬のことも、犬が守っている物のことも忘れるんだ。あれはダンブルドア先生とニコラス・フラメルの――」
――セブルス・スネイプは四階の廊下に隠されたニコラス・フラメルと関係する物を盗もうとしている。
ハグリッドが口を滑らしてしまった話を照らし合わせ、彼らの中で一つの推理が展開された。
相談中、ふとハーマイオニーが思い悩むように口を挟む。
「そもそも、スネイプは一人だけで四階の廊下を突破するつもりなのかしら。ここはホグワーツだもの、厳重な警備もあるし他の先生たちを出し抜くなんて相当難しいはずよ」
「共犯がいるって言いたいの?」
「その可能性も考えるべきよ」
彼女の疑問にロンが聞き返した。
悪事を目論むにしても、スネイプ一人で成し遂げるのは難しいはずだ。では、誰か協力者が存在するのではないか。
思考する二人をよそに、ハリーが口を開いた。
「……フミネ・ハツノだ」
「え?」
「フミネ・ハツノ……あのスネイプのお気に入りだよ!あいつ、ホグワーツに入学してからずっと〝ボランティア″で校内中を掃除して回っているじゃないか!」
フミネ・ハツノ。
スリザリンに組み分けされた一年生で、マルフォイ一味には属さずひっそりと過ごしている生徒であった。
ハリーははじめて魔法薬学の授業を受けたときに彼女の顔を覚え、ハグリッドの小屋で鉢合わせしたときに彼女の名前を覚えた。
魔法薬学でスリザリンと合同授業になるたびに、スネイプはハリーが分からない質問をぶつけ、答えられなかった問いを彼女に尋ねている。
文音が正解を答えても加点しないものの、彼女がマルフォイ同様スネイプのお気に入りであるというのがグリフィンドール生の通説だった。
スネイプだけじゃ飽き足らず、学園中の教師に媚びを売ろうと躍起になっているのか。日頃ボランティア活動として校舎の清掃や教員の雑用を手伝っている文音の様子は、たびたび生徒たちに目撃されていた。
「確かに、スリザリンに組み分けされるような人間がボランティア精神を謳うのは異常事態だよ。でもそれがどうしたのさ」
「ボランティアだなんて建前だ。スネイプに命令されて、掃除をするふりをしてホグワーツ内をこそこそ調べているんだ」
「流石にそれは話が飛躍しているんじゃないかしら。スネイプはともかく、彼女は私たちと同じ一年生よ」
突如浮かび上がった人物の名前に、ロンが半信半疑と言わんばかりの視線を投げてくる。隣にいる秀才のハーマイオニーも賛同できかねないと否定した。
しかし、それをものともせずにハリーは続ける。
「ハーマイオニー、きみはハロウィーンの日にあいつとトイレで遭遇した。そのときにトロールに襲われたんだ。でもそれっておかしくない?あの日、生徒はみんな大広間で食事をしていたんだ。なのにあいつだけトイレにいて、偶然トロールもやってきたんだぞ。普通はこんなことあると思う?」
「ハリーの言うことはもっともだよ。ホグワーツが“普通”な場所だったらね」
ロンが杖先の汚れをローブで拭きながら茶化す。
しかしハーマイオニーは、ハリーの言葉に何かを悟ったように、恐る恐る声を発した。
「ハリー、あなた……あの子が皆が大広間にいる隙にこっそり抜け出して、校舎にトロールを入れたと考えてるの?騒動を起こして、スネイプが四階の廊下に侵入しても周りに気付かれないように」
「そうだ。あいつはスネイプのお気に入りなんかじゃなくて――協力者なんだ」
それまでごしごしと杖を拭っていたロンが腕を止めて二人の顔を見た。
ずっと信じきれぬままハリーの推理を聞いていたが、「そういえば」と口を挟む。
「あいつ、僕たちが必死にトロールとやり合っている時にいつの間にかいなくなっていた!」
「先生を探しに行ってたんでしょ。あの子、ただでさえ杖を持っていなかったから丸腰だったのよ」
「それこそおかしいだろ。ここはホグワーツだぞ、クィディッチの観戦もしてないのに、杖を持たないなんてあり得ないじゃないか。僕たちを見殺しにするための嘘だとしたら?」
ハリーの結論に、ハーマイオニーは未だ完全には納得していない様子をみせた。思慮深い優等生は煮え切らない顔で考えあぐねている。
そんな彼女をよそに、少年二人は確信したと言わんばかりに頷き注意を促したのであった。
「とにかく、ハツノはスネイプの企みに関わっているかもしれない。これからはあいつの行動もできるだけ監視しなきゃ」
◆◇◆◇
教室棟の女子トイレ前でセドリック・ディゴリーと会話をしてからというもの、彼はホグワーツ内で文音ともっとも親しい人間になった。
あれ以来、文音は未だ社会奉仕活動の殆どを早朝に取り組んでいる。そしてディゴリーも同様に、殆ど毎日朝早くからクィディッチの練習に臨んでいた。
「グリフィンドールに大型新人が入ったからね。うちも他の寮に遅れを取らないよう、皆で朝早くから秘密の特訓をしているんだ」
「へえ~、どんな特訓?」
「それを教えたら秘密の意味がなくなるじゃないか。他寮にばれないようにってキャプテンから厳しく言われてるのに」
「じゃあ特訓があること自体、私に言ったらダメじゃんか。……セドリック、このことについて、私は何も聞かなかったよ」
文音の指摘に一瞬硬直したものの、セドリックは彼女の言葉に安堵して笑った。
かつてのディゴリーサンという他人行儀な呼び方もやめ、今ではファーストネームで彼を呼んでいる。
時折、作業中にすれ違うと二人は他愛ない話を交わし、数分経つと別れてそれぞれのやるべき事をこなす。それ以外で関わる時間はない、一日に数分間だけの交流であった。
心優しきハッフルパフ生の例に漏れず、セドリック・ディゴリーは早朝に文音とすれ違うと、彼女の傍らに魔法で火を出した。おかげで彼と会えた日は、寒さに震えることも無い。
ふと、セドリックが窓の外を見ながら新たな話題を出した。
「もうすぐクリスマスだね。ハッフルパフじゃ、みんなが家に帰る前にちょっとしたパーティを開く予定なんだ」
「へぇ~そりゃ楽しそう。うちも何かするのかな、少なくとも私はそういう話は聞いてないや……。いいなあ、兄ちゃんがハッフルパフだったし、私もハッフルパフに入りたかったなあ」
「……その、スリザリンの監督生には相談しづらい?」
「へっ?なんだって?」
文音が毎朝掃除をこなす姿に、セドリックは心配げな眼差しで尋ねてきた。
――関わりの薄い他寮生からもふざけたあだ名で呼ばれているのだ。接触する時間も長くなる同寮の生徒たちから、余計に酷な扱いをされていないだろうか。現に、こうして掃除を言いつけられているんだ。
どうやら、交友関係が極端に狭い少女がいじめに遭っていないかを危惧しているらしい。
直接口にはしていないが、彼の顔には考えていることがありありと浮かんでいる。
誤解を解くべくして、文音はすかさず訂正した。
「言っておくけど、この掃除も私が自分でやっていることだよ。私、埃とか少しでもあるとくしゃみが止まらなくなるからさ。スリザリンでいじめられてる訳じゃないよ。杖も取り上げられてるんじゃなくて、前にビーブズに盗まれたことがあるから、持ってきていないだけ」
「そ、そっか。鼻炎にビーブズなんて、色々と災難だね」
セドリックの考えを見透かした文音は、流暢に嘘八百を並べて釘を刺した。例のポルターガイストを勝手に悪役に仕立て上げたが、普段から悪戯をして生徒を困らしているので信用もへったくれもない。
セドリックは文音の嘘をいとも簡単に信じた。
それにしても、もうクリスマスが近いのか。それとも、まだやってきていないのかと表現したら正しいのか。
ホグワーツに来てから、時の流れが早いようにも遅いようにも感じる。
感傷に浸る文音の目には、校庭を白く彩る雪が映った。
放課後。
朝のやりとりを思い出しながら、文音は授業で与えられた課題に取り組んでいた。
机には、教科書が大雑把に開かれている。
司書であるマダム・ピンスは彼女の席を通りかかると、何かをぶつぶつと呟きながら離れていった。書物に対する愛が深すぎるあまり、図書室の本に呪文をかけるような人間だ。きっと良くないことを言われたに違いない。
文音は課題を終わらせると、使った教科書を綺麗にまとめて置き、暇つぶしに部屋から持ってきた『カナミの魔女通信』を読み返すことにした。
日本にいた頃、幼い魔女たちの間で大流行した児童小説はマホウトコロの図書室にも置かれていた。しかし人気故に借りられる機会が無く、文音は小遣いをはたいて購入したのである。
彼女が不祥事を起こす前には三巻まで発売されていたが、それ以降は魔法界を離れていたので現在の出版状況は不明だ。
ホグワーツに来てから何回も読み返してきたため、冒頭の10ページは完全に暗唱できるようになってしまった。
大好きな本だが、何度も読み返せば流石に飽きがやってくる。
いい加減、そろそろ新刊が読みたい。集中力も途切れ途切れに、文音は頬杖をついた。
「!」
欠伸を噛み殺しながらページを捲っていると、ふと文音は違和感を覚え顔をあげた。
周辺には本を読む少数の生徒と、返却された本を念入りに点検するマダム・ピンスの姿しか見当たらない。
気のせいか、と再びカナミの魔女通信に目を落とす。
しかしやはりまた、妙な気配を捉え顔をあげた。
(誰?私のことじろじろ見てるやつがいる)
顔を顰め、不快感を露わにする。
先程の違和感の正体――それは、何者かが送る視線であった。
こそこそと隠れているのか、どこから文音を見ているのか具体的な位置は分からない。だが確かに、彼女の一挙手一投足を注視する存在がある。
その正体を確かめるべく、文音はフェイントをかけるように本を読むふりをしては顔をあげるのを繰り返した。
すると、彼女の視界の端に、一瞬だけ黒いローブの裾が映った。
観察対象に気付かれたと焦ったのだろう。ひらひらと揺れるローブは本棚の群れの中に引っ込んでいく。
文音は静かに椅子から立ち上がり、本棚へと向かった。
こつこつと小走りに駆ける足音が聞こえる。文音が動くたびに聞こえるが、彼女の足音と一拍ずれていた。明らかに、こちらの動向を探って反応している。
やがて文音は、一台の本棚の前で立ち止まった。小さい子供の背丈など優に超える、巨大で重厚な作りをしている。
そのまま声を発さず、丁度目の高さにある二冊の分厚い本に手を伸ばす。
「きゃっ!」
「……なにやってんの?」
そして文音が両手で勢い良く二冊の本を引き抜くと、小さな悲鳴と共に、空いた隙間の向こうから少女の顔が見えた。
文音は隙間から覗く子供の顔に驚いた。
本棚を隔てた向かいには、ハーマイオニー・グレンジャーが挙動不審に視線を彷徨わせている。
――彼女がさっきから自分をじろじろと観察していたのか?
文音が怪訝そうに見つめると、彼女はしどろもどろに答えた。
「そ、その本……丁度借りるつもりだったのよ。あなたが読まないなら私に貸して」
「これ、この前も借りてた。また借りるの?」
「!……ええ、そうよ。同じ本を何度借りても駄目なんて規則はないわ」
奇しくも、文音が取り出した本のうちの一つは、以前グレンジャーと遭遇した際に彼女が借りていった本だった。
指摘を受けたグレンジャーはさらに目を泳がせた。黒い湖に棲む魚だって、ここまで激しく動きはしないだろう。
未だ疑いを晴らせないものの、文音は静かに隙間から彼女に本を渡した。
「……さっきから私のこと見てる人がいた。あれってグレンジャーサンだったの?私に何か用事ですか?」
「えっと、あ、あ……あなたってマホウトコロ出身なんでしょ。さ、最近、丁度錬丹術に関連する本を読んだわ。東洋で作られていたという霊薬は、たびたびマグルの世界に持ち込まれたけど一定の効果を発揮できず、最悪飲んだ人間が死に至ったという事例もあるのよね。このケースについて、国際魔法機密保持法の成立もふまえて、東洋出身のあなたの見解を聞こうと思ったの」
「へっ?なんだって?」
突如、グレンジャーは早口に呪文を唱えた。文音は彼女の言葉を一度で聞き取れず、間抜けな声をあげる。
もう一度繰り返すグレンジャーの態度は落ち着かないままだ。
その姿は、明らかに文音に何かを誤魔化したい様子がみてとれる。錬丹術についての意見を聞きたい素振りはみえない。
再び彼女の顔を怪訝に見つめる文音の横から、硬い声が聞こえた。
「うちの一年生に近づいて何を企んでいる?」
横を見ると、すぐそばにスリザリンの監督生を務める男子生徒が立っていた。
彼は本棚の隙間越しにグレンジャーを睨みつけ威圧する。その鋭さに、グレンジャーは僅かにたじろいだ。
「我が寮に点数で勝てないからと、足を引っ張る算段に切り替えたのか?」
「じ……自己紹介なんてしなくて結構よ」
監督生の追及に、グレンジャーは果敢にも反論した。
しかし、いくら優等生と言えど、他寮の上級生の男子――それも監督生相手に対峙するのは不安があるようだ。現に、グレンジャーの声は震えている。
今しがた繰り広げられたかくれんぼは、傍から見るとグレンジャーが文音を揶揄い挑発したように映っていたのかもしれない。
そんな状況に遭遇した場合、一部のスリザリン生であれば同胞を守らんと躍起になるのは当然のことであった。
確かに、じろじろと見られて不快な気分にはなった。けれど、此処で揉め事を起こすのは御免こうむりたい。
不穏な空気を察知した文音は、うわずった声で監督生の気を逸らすことにした。
「あの……実は私、三年生になったときに選ぶ、授業の科目について聞きたくて。どれにしようか迷ってるんです」
「え?……ああ、ぼくは古代ルーン文字学を受けているよ。占い学は……きみがもともと占いとゴシップが好きじゃないならおすすめしない」
「それじゃあ古代ルーン文字学について調べたいです。図書室にも本はありますか?」
「確か、違う棚のほうだったはずだ。ついてきて」
監督生は一瞬だけ訝し気な顔をしたものの、後輩に頼られて満更でもない様子で本の場所を案内し始めた。
これ以上グレンジャーを詰る気はないようだ。
大事にならずに済んだことに、文音は安堵の溜息をついた。
上級生の背中を追いかけながらも、本棚の向こうにいるグレンジャーのほうを振り向き口をパクパクと動かす。
「(早く行って)」
文音の仕草に、グレンジャーの眉がピクリと動いた。
声に出さずとも何を言いたいか伝わったようだ。本棚の隙間から彼女の顔が消えると、文音は再び前を向いて進んだ。
その後、上級生に誘導されるがまま文音は古代ルーン文字の本を開いた。咄嗟の嘘がばれないように、真剣に目を通しているふりをする。そうしていると、横から監督生が思い出したように彼女に告げた。
「読んでみて、どうだった?」
「ウーン、ちょっと難しそうだけど面白そう。頑張って読んでみます。教えてくれてありがとうございました」
「どういたしまして。ああ……そうだ、忘れてた。そういえばジェマが計画していたけど、クリスマス休暇で皆が帰る前に、寮でパーティーをする予定なんだ。きみも参加するだろ?」
「ワァー、楽しそうですね」
(セドリック。どうやらうちも、クリスマス前のパーティーをするんだってさ)
今頃クィディッチの練習に励んでいるだろう知り合いの顔を思い浮かべ、文音は心の中で呟いた。