タクティカル祓魔師 -境界対策課 作戦記録-   作:ヴォーパルのっち

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第二話:「陽の香りの女」

#1 

 

 ――なんて緊張する上に退屈なドライブなんだ。

 俺は内心で溜息をつき、それを表情に出さないよう努める。

 次の瞬間、助手席から張りのある女性の声が飛んでくる。

「なんて緊張する上に退屈なドライブなんだ――とでも言いたげだな」

 

「き、緊張はしています。退屈だなんて、とても」

「些か瞼が重そうだったので揶揄っただけだ。忘れてくれたまえ」

「はい……」

 

 助手席に座るのは女性だ。勿論、恋人や想い人ではない。

 百八十(センチ)を超える長身。

 その体躯を支える、屈強でしなやかな筋肉質の肢体。

 艶のある長い黒髪をポニーテールに纏め、小麦色の肌に幾つもの傷を刻んだ顔は肉食獣を思わせる。

 左目を覆う呪傷痕が特徴的だが、男には何よりもその暴力的なまでのスタイルの良さ(バストサイズ)が目を惹くだろう。

 

 単独での四号級界異の祓滅、未曽有の異常事態における特記戦力としての参加、非番の日に居合わせた界異を素手で祓滅――数々の英雄的伝説を持つ歴戦の戦士であり、同時に独断専行や規律違反の常習者。

 境界対策課 祓魔第六班の部隊長にして最大戦力。

 助手席の女傑。通称〝第六班長〟についての、俺が知り得る全てだ。

 

 俺は何故か、この(ひと)と二人で僻地の任務に赴いていた。

 

#2

 

 時刻は昨日の午後に巻き戻る。

 医霊班から職務復帰許可の降りた俺は、都内にある境界対策課の庁舎にいた。

 俺は先週行われた任務で下手を打ち、馬鹿でかい黒百足に脚で背中を貫かれる重傷を負ったのだ。

 医霊班の技術によって無事一命を取り留めた俺は、加護治療器に繋がれて五日間をベッドで過ごし、ここ二日で何とか動けるようになった。

 自分でも驚いているが、傷の治りは早かった。医霊班のK先生曰く、加護出力が高いことが肉体活性に繋がっている――とか。

 俺が重傷を負った任務では、居合わせた記者の協力によって界異は無事祓滅に成功したようだ。見舞いに来た第二班の同期が教えてくれた。

 

 境界対策課に就職し、界異との戦闘の最前線――いわゆる祓魔師になった連中は、その多くが「第一班」および「第二班」からキャリアを積み始める。

 この二つの班はとにかく人数が多くて、それ故にとにかく人数が多ければ有利な作戦に積極投入される。つまり低級の界異相手の殲滅戦とかである。相対的に危険は少なく、対界異戦闘における基本や鉄則といった現場経験を積むにはうってつけだ。

 ある程度経験を積んだ祓魔師は、先輩の推薦や班長自らのスカウトによって第三以上の班に配属される。

 こちらは少数精鋭のこともあれば、第一第二以上の大所帯である所もある。

 実働部隊の主力であるこれらの班は、それぞれの代表として「班長」を戴いている。班長クラスには相応の裁量権が与えられており、人数的な特徴から装備の性質、戦法等に至るまでかなりの違いがある。

 同期の中でも、優秀な人材は既に声を掛けられていた。

 若手祓魔師が第一・第二班を抜けることは一人前の証とされ、俗に〝三飛び〟と称されている。

 

 ――なんと不甲斐ない。

 廊下を歩きながら、俺は内心歯噛みする。

 同期である蔵尽(くらづくし)言問(こととい)は着実に成果を積み上げ〝三飛び〟間近だというのに、俺ときたら少々デカいだけが取り柄の低級界異に医霊班送りにされている。

 神官学校では剣の腕が立つのが自慢だったが、入庁してみたら俺程度の使い手など当たり前のように犇めいている。俺の希望とモチベーションは陰る一方だ。

 

 復帰許可が下りた俺の元に届いたのは、神祇官からの呼び出し連絡だった。

 もうこれだけで気が重い。先日の不手際を叱責されるだろうか。

 俺は叫び出したい気持ちを抑えつつ神祇部のオフィスを訪ね、呼び出し人である〝洞井 洞冥(うろい どうみょう)〟のデスクに向かった。

 

#3

 

「君、車の運転はできますか?」

「は、はい。一応マニュアルの免許持ってます」

「よろしい。では今日から2日間、君にはS県北西部に出張に向かってもらいます」

「しゅ、出張ですか?」

 

 ――神祇官(じんぎかん)、と呼ばれる役職がある。

 境界異常や界異の出現、その他様々な事象を包括する〝境界災害〟に際し、直接戦闘(祓滅)以外の各種役割を担う職員を指す。

 浄化儀式に関する技術や境界災害対処の関連法規に関する国家試験を突破した、境界災害対処の専門家。

 境界対策課だけでなく、全国の寺社仏閣にも在籍する現代の高等神職。

 境界異常との戦いにおいて、俺たち祓魔師を手足のように使う手配屋(フィクサー)

 それが〝神祇官〟だ。

 

 俺を呼び出した神祇官、洞井 洞冥は値段の張りそうな黒のスーツに皺ひとつないシャツを着込んだ眼鏡の男だった。整髪料で固められたオールバックの髪は一切の乱れもなく、デスクの上の資料は全て机の下辺と直角に置かれている。どんだけ几帳面なんだ。

 特に何処からも好評を博していない境界対策課のゆるキャラ「ジンギくん」がプリントされたコーヒーカップに揺れる冷めかけのコーヒーだけが、彼もまたギリギリ人間なのだと俺に認識させた。

 

「その……それだけですか?」

「あぁ、補足事項はこちらの資料に詳しく書いてあります。どうぞ」

 書類が何枚か入ったクリアファイルを渡される。これにもジンギくんがプリントされている。

「あ、どうも……いや、そうじゃなくて」

「……?」

「いや、先日の任務の失敗を怒られるのか、と思って」

 

 もういっそ自分から切り出した方がラクだと思った俺の言動に、洞井神祇官の眉根が一瞬動く。

 

「我々は、基本的に君達の人事査定には関与しませんからね」

「そ、そっすか……」

「これは私見ですが。界異に背中から身体を貫かれて一週間で次の仕事に臨んでいること自体、驚嘆すべきものだと思いますよ。祓魔師をやっていると麻痺してくるのかもしれませんが」

「そ、そうかもっす」

「それに……」

 

 ここで初めて、洞井は俺の目を見た。

「今の君は、少しでも実績が欲しいのでは?」

 

#4

 

 書類を受け取った俺は、迅速に出張準備を終えた。

 宿の手配、公用車の使用申請、祭具の持ち出し許可申請、最小限の着替え。

 いざ庁舎を出るという段になって、病室に腕章を置いてきたことに気が付いた。

 俺は溜息と共に荷物一式を担ぎ、クリアファイルを手に医霊棟へと引き返す。

 腕章を回収して、今度こそ出発しようとした時だった。

 

「君、病み上がりで出張とは根性があるな」

 

 医霊棟に似つかわしくない、よく響く声が病室から俺に掛けられる。

 反射的に振り向くと、暴力的なスタイルの良さが視界に飛び込んできた。

 

 襟を大きく着崩し、片手を抜いた入院着を身に纏った長身の女性がベッドに腰かけている。

 ――入院着って、そんな時代劇の剣客みたいな着崩し方できるんだ。

 そう思った。

 

 その(ひと)――第六班長は、入院着の下に特徴的なインナーを着込んでいた。

 身体に密着し、そのボディラインを浮き上がらせるそれは戦術(タクティカル)インナーⅢ型と呼ばれる代物で、肩と太腿から先を大胆にカットした形状は下手な水着よりも際どい。同期職員の中には、この装備に尋常ならざる執着を見せる者が時折いる。

 着崩された入院着とインナーの間から覗く傷だらけの褐色肌が、なんだか余計にフェティッシュだった。病院の人工的な清潔感の合間に、微かに陽の香りがした。

 

「……無反応は困るな。いきなり話しかけてすまないとは思っている」

「あ、いや、すみません。吃驚しちゃって」

「そんなに驚く要素があったか? ふむ」

「えっと、第六班の部隊長殿……でしたよね。えぇと……」

 

 俺は彼女の名前を思い出そうとするが、思い出せない。普段絡みのない相手だとそんなものだろうが、仮にも上官にあたる人物に対する失礼は避けたい。

 

「第六班長で構わん。ほう、それが任務内容か?」

 

 いつの間にか病室を出てきた第六班長が、一瞬で俺の手からクリアファイルを奪い取る。油断していた訳ではない。俺の目で追える速度ではなかっただけである。

 

「ほう……S県北西部で家畜の連続怪死事件、霊視班による境界異常兆候はなし」

「……ただの調査任務ですよ。気を付けて行ってきます」

「5分待て。私も同行する」

「なんで!?」

 狼狽する俺に、第六班長は笑みを浮かべて返す。

 

「一つ、これ以上病室で寝ていたら身体が(なま)る」

 素早く入院着を下ろしながら、ベッドのカーテンを引いてその向こうに滑り込んでいく。

「二つ、私にとってリハビリは実戦の中で行うのが望ましい」

 カーテンの向こうで、スルスルと衣擦れの音がする。着替えているらしい。

「三つ、その仕事からは中々面白そうな匂い(、、、、、、、)がする。以上だ」

 カーテンを開けて出てきたのは、正規のシャツにネクタイを締め、狩衣のベルトをきっちりと締めた第六班長の姿であった。彼女は肉食獣の笑みを浮かべ、俺の肩を叩いた。僅かな間しか話していないが理解できる。俺に拒否権はないのだ。

 

医霊師(せんせい)に見つかると厄介だ。早く行こう」

「俺は知りませんからね……!」

 

#5

 

 事件の概要はこうだ。

 S県北西部、山近くの農村で、牛や羊といった大型の家畜が次々に怪死を遂げた。

 彼らは皆一様に頸動脈付近に傷を負っており、身体からは殆どの血液が抜き取られていた。

 派出所の巡査は、過疎化の極みにあるとはいえ長閑(のどか)だった村を襲った怪事件に腰を抜かし、即座に所轄の警察署を経由して境界対策課に相談を持ち掛けたという。

 

 霊視班によると、周辺の境界――つまり、現世と幽世の均衡状態――に異常は見られない。

 本来なら優先度は低い案件だが、洞井神祇官は俺に調査を命じた。彼が言うように俺の実績を慮ってのことか、それとも本当に境対(うち)の案件なのか。

 

  見渡す限り山と田と畑が広がる自動車専用道路を、俺と第六班長は走った。

 山際に陽が沈んでから一時間ほどで、手配したビジネスホテルに到着する。調査先の村には当然宿泊先など無い。

 ホテルは大手チェーンではなく、聞いたこともない、おそらくここローカルのホテルだった。

 二〇四十年代の今から見ると、昭和後期に建てられたこのホテルはレトロを通り越して骨董品である。安っぽい華美さを放つフロントで手続きを済ませている最中、俺はある重大なことに気が付いた。

 

 ――部屋を、一つしか予約していない。

 当然である。俺一人だけの出張になっているのだから。

 予算も一人分しかない。

 

「ほう、この宿は温泉があるようだな。打ち身や擦り傷に効能あり……か。私にピッタリではないか?」

 後方で呑気に宿のパンフレットを眺めている第六班長は今夜何処に泊まるのだろう。まさか相部屋か? かなりマズい事態になった。

 冷や汗を流す俺を尻目に、第六班長はフロントのカウンターに身体を預けながら受付に訊ねる。

 

「カードは使えるだろうか? 予約はないのだが、追加で一部屋頼みたい」

「で、ですよね……」

 

◆ ◆ ◆ ◆

 

 客室に個別の浴室はなく、俺はやむなく大浴場で風呂を浴びた。

 なんとか泉とかいう温泉は仄かにミネラルっぽい香りがして、少しテンションが上がった。

 想定以上に熱い温泉で汗を流した後、部屋に戻った俺は持ち出してきた祭具をベッドの上に広げる。

 

 まず、〝カラビナ P99(ペー ノインウントノインツィヒ)〟。ドイツに拠点を置く祓魔具メーカー〝カラビナ社〟の開発した個人携行用弾体発射器だ。巻金(コイル)によるローレンツ効果で小口径の祓串を射出する。有効射程はおよそ八(メートル)ほど。装弾数は十四と一発。

 片手で取り扱え、バッテリーを含めた本体重量はぎりぎり一(キログラム)に収まる。この取り回しの良さが、本機を近距離祭具の傑作たらしめている。

 

 次に、〝禅奔流(ぜんほんりゅう)-八五式〟。こいつは日本の祓魔具メーカー〝兼定祓魔金属〟が製造販売する白兵戦用対界異兵装――直截に言うと界異をぶった斬ることのできる刃状祭具(カタナ)だ。

 厳正な品質管理の基に切り出された高炭素不錆鋼(ハイカーボンステンレス)を、日本最高峰の刃製造技術を持つ関市の職人達が手作業で刃付けする、兼定祓魔のフラッグシップモデル〝禅奔流〟を代表する一振りである。

 僅かに反った刀身は柄と重心のバランスが最適に調整されており、重量感もちょうど良い。

 鍔と柄をはじめとする装具は日本刀を意識した作りであるが、刃文を持たない刀身は全体として軍刀を思わせる武骨な雰囲気を纏っていた。

 

 サーベル拵えの鞘には、人間の掌を経由して加護を吸収蓄積する機構が搭載されており、納刀時に刃へ加護を付与する仕組みになっている。

 境界対策課で正式採用されている(ブレード)状近接祭具である〝黒不浄〟と異なり、この禅奔流は穢れに由来する材料を一切使用していないのが特徴だ。これなら、結界外でも行政の定めた使用制限を受けない。

 代償として、この刀は定期的に加護をチャージし、納刀する必要がある。継戦能力や運用面で、黒不浄にはない制約がかかることが、この製品が正式採用されない理由となっていた。

 

 そして予備武装の祓串(ペグ)。長さ二十五(センチ)ほどの金属製の細杭に強化紙垂を取り付けた代物である。念のため3本を狩衣の背面ベルトに差しておく。

 最後に一つだけ持ち出し許可が下りた祭具を点検しようとした時――。

 

「まだ起きているのだろう? 開けてくれたまえ」

 

 第六班長の声と共に部屋の扉がノックされた。

 扉を開けた瞬間、思わず呼吸が止まった。

 湯上りの髪を湿らせ、客室備え付けの安っぽい浴衣に身を包んだ第六班長の姿がそこにあった。

 普段の豪快なポニーテールではなく、長い髪をそのまま後ろに流しただけの彼女の姿は無自覚な色気を放っていた。

 

「む? 祭具の点検中だったか。感心感心」

 そう呟きながら第六班長は俺の部屋に足を踏み入れ、椅子に腰掛ける。その右手には、売店で購入したと思わしき缶ビールが何本かと肴スナックが収められたビニール袋が握られていた。

「その浴衣、着る人いたんすね」

「実家では和装なのでな。こちらの方が落ち着くのだよ」

「して、何用で?」

「明日の作戦会議……を名目にした酒盛りだ。入院中は禁止だったからな」

「……!」

 

 俺は微かに心拍が上昇するのを感じながら、差し出された缶ビールを手にした。

 心臓が早鐘を打ったのは、風呂が熱かったからだと思う。

 ――その所為か、俺は一本目で眠くなってしまったのだが。

 

#6

 

 翌日。ホテルから更に車を走らせ、時刻は午前十時。

 家畜怪死事件のあった農村、W村に到着する。

 そこで俺と第六班長が目にしたのは――。

 

 圧倒的に平和な村の様子であった。

 村は山の麓の斜面に沿って作られており、全体として坂道が多い。

 そこを、トラクターや原付バイクに乗った老人達が呑気に走っていく。

 いくつかの田畑では長床鋤を曳いた牛が歩き回っており、土壌を耕していた。

 見渡す限り老人しかいないが、間違いなく超平和な村以外の何物でもない。

 だが――微かに血の匂いがする、ような気がした。錯覚だろうと思う。

 

「なんか、拍子抜けっすね」

 傍の第六班長を振り返ると、彼女は眉根を寄せて何事かを考えている様子だった。

「あぁ、そうだな。とりあえず――事態を報告した巡査長に話を聞いてみてはどうだ?」

「そうします」

 

 交番は村の坂道の上にある。

 俺は腰の八五式をベルトに差し直し、第六班長と歩き始めた。

「そういえば第六班長、祭具は?」

「入院中の人間が持ち出せるわけないだろう」

「入院中の人間が任務に着いて来んで下さい」

 要するに丸腰ということらしい。まぁ、この分なら祭具は必要無さそうだが。

 

 坂の上に立つ派出所は、クリーム色に塗られた壁の古典的な建物だった。

 俺は由来不明の生臭さを感じたが、表情に出さないように努めた。

 まるでこの村だけ、ずっと前から時代の流れが止まっているような有様である。

 俺と第六班長が入り口で声をかけると、地方警察の制服に身を包んだ中年男性が姿を現し、俺たちを奥へと案内した。派出所の奥は土間続きの和室になっていて、石油ストーブの焚かれた室内は暖かかった。

 俺たちを案内した巡査長は、ストーブの上で温めていたホーロー製のケトルから湯を注ぎ、茶を淹れながら事の経緯を話してくれた。洞井神祇官の資料と一言一句(たが)わなかった。

 

 その後の現場検証でも、特筆すべき点は見られなかった。迷信深い村人達は、既に家畜の死骸を焼いてしまったのだという。貴重な手掛かりが失われてしまったことは、なるべく表情に出さないようにした。

 正直、五時間に及ぶ調査では何の成果も得られていない。派出所に戻ってきた俺は、内心焦っていた。

 

「あぁ、あとですね。何だったかな……事件の前夜に怪しい人影を見た、って村人が居るんですわ」

 巡査長は新しい茶を淹れながら、唐突にそんなことを口にした。もっと早く言ってくれ。

「本当ですか! それは是非……話を聞かせてください」

「えぇ、一寸(ちょっと)その人を呼んできますので、お茶でも飲んどいてください」

 

 巡査長はそう言って席を外した。

 俺は巡査長の話をと現場検証で得られた僅かな手掛かりを記したメモを眺めながら、第六班長を振り返る。

 三十分と保たない俺と違い、第六班長は驚くほど綺麗な姿勢で正座を保っていた。実家では和装と言っていたし、豪快な人格に反して名家の出身なのかもしれない。

 

 

「ぶっちゃけ空振りでしたね。怪しい人影の話次第っすけど、一旦持ち帰りに――」

 そう言って、俺が湯飲みに手を付けた時だった。

待て(、、)

 決して大声ではない。しかし、今まで聞いたどの彼女の声よりも圧があった。思わず手が止まる。

「この村に来た時に感じたと言っていた、血の匂いはまだ感じているか?」

「まだ、少し……いや」

 俺は言われて初めて気が付いた。血の匂いは村の入り口より濃くなっている。何故今まで気が付かなかったのだろう? この派出所に近づくほど、血の匂い(、、)は増していたというのに。

 

 手元の湯飲みを机に戻した瞬間、違う匂いがした。

 これは――ガソリンが焦げる匂い(、、、、、、、、、、)

 

#7

 

 派出所の周囲が炎に包まれる。鼻腔を突く刺激臭は、揮発したガソリンのものだ。

 俺と第六班長は急いで靴を履き、派出所の外へと飛び出した。

 その瞬間、俺の耳に飛び込んでくる金属音。撃鉄(げきてつ)を起こす音。

 ――S&W(スミスアンドウェッソン) M36、通称〝チーフ・スペシャル〟。治安悪化の背景を受けて装備を強化した首都警察には玩具扱いだが、未だに地方警察には根強い支持を受けて採用されている、旧式の回転弾倉(リボルバー)拳銃。

 

 外で待ち構えていた巡査長が、飛び出してきた俺の頭を側面から撃ち抜く。

 銃声が響き、俺の頭が柘榴みたいに吹き飛ぶ――ことはない。代わりに、狩衣の御守袋に入れた形代が一枚弾け飛ぶだけだ。

 俺は一気に巡査長との距離を詰め、八五式を鞘に納めたままその鞘尻で巡査長の右手を打ち据える。二発目は撃たせない。一拍遅れて第六班長が俺の脇を飛び越え、巡査長の側頭部に手刀を叩き込んだ。

 

「これは一体……?」

「考えるのは後だ。見ろ」

 

 炎を上げる派出所、その周囲に広がる田畑に老人達が集まっていた。

 彼らの手には鍬や稲刈り鎌などの農具や、狩猟用長銃(ライフル)が握られている。まるで村総出で化け物退治でも始めるかのようだ。

 

「この場合の最適解は?」

「一旦撤退……ですかね」

「後ろは任せたまえ。走るぞ!」

 

 俺と第六班長は、狭まりつつある老人達の包囲網を突破して公用車を目指して走り出した。

 老人達は年齢に反して凄まじい速度で距離を詰めてきたが、持久力は年齢相応なのかすぐに振り切ることができた。途中、何発か銃弾が飛んできていたが被弾は無い。

 

 村の入り口に停めていた公用車を見て、俺は愕然とした。

 鋭利な刃物がタイヤに突き立てられ、走行できる状態ではない。おまけにボンネットの上から機関部が入念に叩き壊されていた。

 

「ふむ。通信は繋がるか?」

「さっきから試してたんですがダメです。元から圏外っぽいですが……」

「村全体が敵のようだ。付近の電波塔も壊されているかもな」

「一体どうなってるんでしょう。家畜の怪死事件って話じゃ……」

「ただの家畜怪死事件ではなかった……ということだ。この場合、どう判断する?」

 

 俺はこの村に来るまでの道路と周辺地形を頭の中に思い浮かべる。

「……相手の規模が読めない以上、背中を見せながらの撤退は不利」

「同意する。逃げ場の少ない山道で包囲されると厄介だ」

「ここは……村人達を操る存在がいると仮定します」

「続けろ」

「血の匂いを頼りに、こちらから敵を叩く!」

 陽の沈みかけた山を背に、第六班長が獰猛な笑みを浮かべた。

 

#8

 

 坂道を駆け上がりながら、俺は驚いた。

 第六班長には、俺が感じている匂いが殆ど感じられないのだという。

 

「おそらく君が知覚しているのは、物理的な粒子ではなく霊的存在だ」

「えーと……つまり?」

「私はあまり得意な方でないが、君には霊的探知ができると云う訳だ」

 第六班長は、時折背後を気にしながら続ける。

「君はおそらく、霊的存在や穢れ、加護といったものを……疑似的な嗅覚として感知する体質なのだ」

「だから俺の感じている血の匂いの先に、敵がいると……?」

「そういうことだ。根性を入れて嗅ぎ分けろ」

 

 血の匂いは村の坂を上るほど濃くなっていった。

 殆ど山に等しい、雑木林の上から噎せ返るような血生臭さを感じる。

 俺と第六班長は、時折襲撃してくる追手を振り切りながら雑木林を目指した。

 

 今、俺はP99と八五式を装備している。

 第六班長は祭具を持ち出していないので、俺の予備武装である祓串の内二本を両手に持っている。本来大した威力がなく決め手に欠ける祓串だが、この人の手に掛かれば必殺の凶器に成り得る。

 とはいえ、それは相手が界異の場合だ。操られているとはいえ、民間人にむかって投げ放つ訳にもいかない。

 

 雑木林を抜けると、そこには一軒の廃屋があった。

 山を切り開いて作られた土地に、崩れかけた二階建ての屋敷。それなりに大きいが――とにかく、古い。

 既に陽は沈みきり、周囲は暗闇に閉ざされている。

 周囲を漂う血生臭さに、俺は吐き気を堪えた。

 

「匂いは?」

「かなり濃いです。おそらく屋敷の中に」

「僥倖!」

 

 第六班長と共に、俺が足を進めた時だった。

 足首が何かに引っ掛かり、俺は派手に転倒する。その瞬間、周囲の地面で園芸用の高輝度LEDライトが点灯した。

 

 ――しまった!

 

 縄に脚を取られ、ライトに照らされた俺は格好の的である。

 周囲の雑木林から、狩猟用長銃が圧縮空気を吐き出す音がする。狩猟用の麻酔弾は些かまずい。麻酔は戦場でも必要なことから、形代が肩代わりしてくれない効果の一つとなっている。

 

 思わず両手で顔を覆った俺の元に、麻酔弾は飛んでこなかった。

 第六班長が俺の前に立ち、その背中で全ての弾を受け止めていた。

 まるで豆をぶつけられたようなリアクションで、彼女が顔を(しか)める。

 俺は急いで足元の縄を解き、LEDライトを蹴り壊した。

 

「第六班長!」

「気にするな。少々相手が上手だっただけだ」

「そうじゃなくて! 麻酔弾!」

「この程度! 昨日の酒に比べれば何という事はない!」

 彼女は警戒を解かないまま、俺の肩を叩いた。

 

 次の瞬間、暗闇から飛び出してきた何者かが第六班長を勢いよく蹴り飛ばした。

 

#9

 

「おやおや、強がっちゃって。バッチリ効いてるじゃないですか」

 

 暗闇の死角から飛び出してきた人影は、ゆっくりと蹴り脚を戻しながら嘲った。

 俺は反射的にそちらに向けて八五式を抜こうとするが、それを上回る速度で影が動く。その両目が赤い残像を描き、暗闇に二筋の線を残した。

 刀を構える前に腹部に衝撃、怯んだ隙に右手が蹴り飛ばされて八五式が宙を舞う。蹲ろうとする俺の襟を相手が掴み上げ第六班長とは逆の方向に放り投げる。

 

「ふむふむ? こっちは随分と新米っぽい動きですね。三回くらい首を落とせそうな隙があったけど……誘い受け(カウンター)狙いかな?」

 

 形代が一枚、ほぼ損壊する。これがなければ、俺は既にまともに動けないほどのダメージを受けていた筈だ。

 急いで立ち上がり、P99で威嚇射撃を放った。人影は先ほどと同じく残像を残しながら射線を躱す。

 

 月明りに姿を晒したそれは、草臥れた背広を着た中年男性だった。

 やや締まりのない中肉中背の身体を安っぽいグレーのスーツに包み、口周りにはうっすらとした無精髭を生やしている。

 歯並びの悪い口からは犬歯が覗き、その顔は病的に白い。髪質の悪いぼさぼさの生え際には、黒く光沢のある、短い角状の器官が形成されていた。

 

 人間の死体――正確には、ある程度以上の脳容量を持つ生物の死骸――は穢れを引き寄せる性質がある。

 死体に蓄積された穢れは、その死体にとって疑似的な〝魂〟として振る舞うことができる。否、振舞ってしまう。結果的に起こるのは醜悪な蘇生現象であり、境界対策課はこれを歩骸(ほむくろ)という界異に認定している。

 更にその中には、死体の代謝機能を復活させ、あまつさえその死体を戦闘に適した構造に変質させるモノが居る。それらの共通特徴は、頭部に形成された穢れの結晶――通称〝穢晶(えしょう)〟である。

 角のような見た目を持つこれらを、境界対策課は「鬼種」と呼んでいる。

 

「あなた達境界対策課の職員……祓魔師ですよね? どちらが強いのかな」

「こっちだッ!」

 

 巫山戯た調子の鬼種に、背後から第六班長が飛び掛かる。

 鬼種はそちらを向くと、地面に頭が付くほど極端なスウェー動作で回避した。その隙を見逃さず、第六班長は踵落としで鬼種の顔面を捉える。

 土煙が上がり、敵の後頭部が地面にめり込む。第六班長は三(メートル)後方に跳び退がって、祓串を構えた。

 

「班長ッ」

「油断するな! 敵を見ていろ!」

 

 果たして、鬼種は何事もなかったかのように起き上がってきた。背広の土を払い、軽く後頭部をさすって負傷を確かめている。その後、半笑いを浮かべて俺たちの方に首を傾げた。

 

「まさか……今ので全力ンッ」

 

 言い終わる前に第六班長が足元の小石を蹴り飛ばし、敵の顔面に命中させた。同時に俺は奴の胴体に向かってP99を向け、引き金を絞る。第六班長が祓串を構え、再度跳躍する。逆手に持った祓串で心臓を抉り抜くつもりらしい。

 

「ぐ……ッ!」

「失礼、今ので全力ですか?」

 俺は目を疑った。鬼種の拳が、第六班長の脇腹を捉えていた。

 ――真逆(まさか)二重の奇襲に乗じた第六班長の動きに、カウンターを合わせたのか?

 

「……ッ!」

 俺は夢中で引き金を絞る。P99の連射性能は、それなりの牽制になるはずだ。

 追撃を放とうとする鬼種は、鬱陶しそうに俺の放った祓串を躱す。第六班長は再び祓串を構え、三度目の攻撃に移る。

 

「安心しろ、まだ三割程度だッ!」

「それは、それは。楽しめそうですね」

 

 八(メートル)先で繰り広げられる白兵戦を、俺は必死に目で追っていた。

 俺の射撃で助太刀できるレベルではないが、それでも逃げ出すことはできない。

 俺は相手の隙を見つけては祓串を撃ち込みながら、真っ暗な地面に目を凝らして八五式を探し続けていた。

 

「はああッ!」

「おやおや、危ない危ない」

 

 鬼種と第六班長の戦いは、素人の俺から見れば互角だった。

 第六班長の動きは俊敏で、巧妙なカウンター以外はほぼ攻撃を受けていない。

 対する鬼種の動きは隙だらけで、桁外れの身体能力に任せた敏捷と耐久によるゴリ押しのようなものだ。

 だが、それで二人の戦いは拮抗している。それほどまでに人間と鬼種の身体性能には違いがある。

 そして二人の戦いが拮抗しているということは、俺達にとって絶望的に不利であることを意味する。

 

「……ッ」

 

 第六班長が肩で息をしながら、両手を下ろす。

 シャツの随所には赤黒い染みが広がっており、彼女の顔は血と汗に塗れている。

 病み上がりの身体に撃ち込まれた麻酔弾、更に出血による体力の消耗。白兵戦を旨とする戦士には、これ以上ないほどの悪状況(バッドコンディション)だ。

 

「辛そうですねェ。体調が優れないのですか? 私はこの身体になってから、全然元気ですけどねェ」

「この程度、ウォーミングアップには……丁度良いと思っていた所だ!」

「喘ぎながら言っても説得力ありませんよォ」

 

 鬼種は最初と変わらない調子で俺達を嘲る。いや、既に俺など奴の眼中にない。

 震える手で祓串の弾倉を交換した時だった。足先に、棒状の硬い感触――八五式(かたな)の鞘が当たる。

 第六班長の得物は大型の黒不浄、いわゆる大刀だと聞いている。今からでも、これをあの人に届ければ――。

 

「君、目の色が変わりましたね。――何か良いことでもあったのかな」

 鬼種が、俺の方を見た。それだけで両足が凍り付いたように動かなくなる。

 ――なんだこれ。こいつ、今の今まで俺のことなんて意識もしてなかった(、、、、、、、、、)のかよ。

 自分に重傷を負わせた巨大な界異の何倍も、目の前に立つ冴えない中年の姿をした死体の方が恐ろしいと思った。

 

「私、好きなんですよね。逆転勝利(、、、、)って」

 鬼種は緩い笑みを浮かべながら、両手を広げる。

 その瞬間、周囲の暗闇を無数の羽音が埋め尽くした。

 

「結界起動――羽搏け、『塵畜無骸(じんちくむがい)』」

 

#10

 

 境界線を引き、内と外を隔てることで〝界〟を区切る行為を「結界」と呼ぶ。俺達祓魔師が日常業務で使っているものだ。結界は界異を内に閉じ込め、現世と幽世の境界を交わらせ、時にそれを明瞭にし、俺達の命を守る。

 

 しかし、結界を使うのは人間だけとは限らない(、、、、、、、、、、)

 鬼種が結界を発動した瞬間、俺と第六班長の二人は無数の蝙蝠に取り囲まれた。奴らは赤黒い紐――おそらくは、腸――を咥えており、それで俺達を囲むことで結界の外郭と成した。

 

 月明りすら届かない赤黒い霞の中を、俺は逃げ回っている。否、その場をぐるぐる走り回るだけで実際は三(メートル)四方から出られていない。

 吐き気の込み上げるような血生臭さが肺を満たす。飛び交う血色の蝙蝠が、絶えず俺の身体に噛み付いてくる。俺は堪らず両手で顔を覆い、情けない悲鳴を上げながら奴らを振り払うべく走り続ける。

 

 恐怖でいっぱいになる俺の耳に、殴打音が聞こえてくる。

 麻酔と負傷で鈍った第六班長の身体を、鬼種が甚振(いたぶ)る音だ。もはや戦闘は成り立っていない。

 

「あは、あは。さっきまでの威勢はどうされたんです? 何とか言ってくださいよ」

「……ん、う……」

「なんて?」

「根、性だ……」

「もしかして笑い殺そうとしてます? うひ、うひひ」

 

 第六班長は既に祓串を手にしていなかった。

 両手を拳闘の構えに取り、血塗れの顔に鋭い眼光を湛えている。

 しかし、あまりにも状況が悪い。

 

 飛び回る無数の蝙蝠達は、見た目に反して馬鹿みたいに重い(、、)

 ――こいつら、仮想質量が二十(キログラム)はある……!

 第六班長が構えを取れば後ろから突き飛ばし、よろめけば肩に背中に圧し掛かって押し倒そうとする。

 振るわれる拳が時折蝙蝠を引き裂くが、多勢に無勢であった。

 

「あと、さっきから君一寸(ちょっと)煩いです。この方の声が、聞こえ難いではないですか」

「この方の気が変わって、情けなく命乞いをし始めた時に、聞き漏らしたくないですからねェ」

 

 鬼種が俺を見て両眼を細める。その瞬間、数匹の蝙蝠が背に圧し掛かってきて、俺は地面に引き倒された。

 背中に凄まじい圧迫感を覚えると共に、腹部に突き刺すような痛み――硬い何かが、俺の身体の下にある。

 ――根性だ。あの言葉は、俺に向けられた(、、、、、、、)ものだ。

 気取られないよう、俺は顔を伏せたまま第六班長の様子を伺う。

 

 血塗れの第六班長の眼差しが、俺と交差する。

 吐き気を催す血の匂いの中に、朝日のような陽の匂いが一瞬だけ吹き抜ける。

 俺は覚悟を決めた。

 

 形代の残りは二枚。

 俺の手札と同じだ。

 

#11

 

 

「私、憧れていたんですよ。必殺技というやつに」

 

 最早まともな回避動作も取れなくなった第六班長に、無数の蝙蝠が群がる。

 血色の蝙蝠は一斉に(ほど)け、どろりとした血液へと姿を変えた。

 血液は腐臭を放ちながら赤黒く凝固し、不格好な十字架を形作る。磔にされているのは、勿論第六班長だ。

 

「私の能力……うふっ、少年漫画みたいな言い方……失礼、私の能力は、血液を媒体に穢れを操ること」

 鬼種の右手に数羽の蝙蝠が集まり、同じようにして血液の大槍を形作る。

「この結界内に居る限り、あなた達の勝ち目は最初からありませんでした。いやいや、残念でした……ねッ!」

 鬼種は大槍を構え、第六班長の身体を貫かんと駆け出した。

 ――今が最大の好機だ。彼女の声が脳裏に響いた。

 

 呪瘤壇(グレネード)という祭具がある。

 手で握れる程の、木製の筒の中に贄が入った一種の呪具で、普段は暴発しないように封印札が貼られている。

 札についた紐を引っ張って封印を剥がし、強い衝撃を与えると内部の贄に一気に負荷がかかり、呪詛的爆発作用を起こす。有り体に言えば呪いの力を放つ爆弾だ。

 

 俺が持ち出してきた祭具の、最後の一つ。狩衣の下で安全紐を引き、木筒を殴りつける。くぐもった爆発音と共に俺と蝙蝠が消し飛ぶ。

 背中が軽くなるのを知覚するより先に、腹の下で隠していた八五式(かたな)を手にして前方へと駆け出す。

 爆発音に気付いた鬼種が振り返る。

 自爆で形代が一枚消し飛び、残り一枚となる。ここまでは予定通り。

 

 腹から声を出し、恐怖を誤魔化す。

 精一杯の跳躍で、敵と第六班長の間に割り込む。

 

「俺のこと……忘れてんじゃねェ!」

「最初から……覚えてませんって!」

 

 形代は、所有者の破滅を肩代わりする。

 しかし、あまりにも大きな破滅を肩代わりするには――二枚(、、)の形代を必要とする。

 こいつの攻撃の勢いを刀で防げば、なんとか一枚で耐えられるかもしれない。

 だが、それじゃ勝てない。俺が生きてても勝てない。だから俺は賭けに出た。

 

 禅奔流-八五式の鞘には、加護を蓄積する(、、、、、、、)機能がある。

 俺は刀の柄を第六班長の手に押し当て、思いっきり鞘の加護入力部を掴んで気合を入れた。

 鬼種の繰り出した大槍が俺の腹部を貫く。

 次の瞬間、信じられない程の痛みが俺の背骨をブチ抜く感触がした。

 

#12

 

「攻撃の受け方、知らないのですか? やっぱりとんだ新米、足手纏いですね」

 

 崩れ落ちる俺を見下ろし、鬼種が嘲笑う。

 腹が熱い。背中が攣る感じがする。腹から刺されると、こんな感じなのか。

 

「痛そうですねェ。でも私はこの身体になってから一度も痛い思いは……ん?」

 鬼種の顔色が変わる。俺にもわかる。さっきまで存在しなかった気配が、そこにあるのを感じる。

 噎せ返るような血の匂いは、既に失せている。

 代わりに周囲を満たすのは、暖かく爽やかな陽光を思わせる香りだ。

 まるで、背中に朝日を浴びているような錯覚を覚える。血反吐の匂いで満たされた鬼種の結界の中だというのに。

 

真逆(まさか)。この……死に損ないが」

「あぁ、久しぶりに死にかけた。いやはや、刺激的なリハビリになったものだ」

「嘘だ。有り得ない。何者だ、貴様。聞いていませんよ」

 

 刀の柄を握る第六班長は、深く息を吸い込んでいた。

 その身体に刻まれた傷が、みるみるうちに癒えていく。

 彼女が身体を動かすと、血の十字架は砂細工のように砕けて崩れ去った。

 

 地に足を付けた第六班長は、独特のステップを踏み始める。

 一定のリズムを保ちながら、そのテンポは徐々に速く、より力強く。

 祓魔第六班の人間ならば即座に気付くだろう。これは彼女の持つ技の一つ。

 

「『反閇歩法・活身』……踏むのは一週間ぶりだが、出力は問題ないようだ」

「馬鹿な。この、化け物が」

「心外だな。あと怪物ぶりを誇っていたのは、そもそも貴様ではないのか?」

 

 そう言って第六班長は、八五式を構えたと思った瞬間、その柄尻で鬼種の顔面を殴り飛ばした。

 鬼種は後方に吹き飛び、一度地面に激突してから冗談のような跳ね方で更に後ろに吹き飛んだ。

 

 人間が持つ、穢れに抗う力を加護と呼ぶ。

 祓魔師の中には加護の力を特殊な形で出力し、様々な事象を起こす者達が居る。

 彼らの術を、〝祓魔術(ふつまじゅつ)〟と総称する。

 彼女のそれは、身体に宿る加護を活性化させ膂力強化に用いる術。特有の足運びを起点とするため、『反閇歩法』と呼ばれる系統のものだ。

 

 第六班長が一瞬で俺に駆け寄り、破いた狩衣の一部で止血を施す。

「どうやら、息はあるようだな。日頃の鍛錬の賜物だ」

「……ッス」

「あと少し耐えろ。必要なものはわかるか?」

「根性……」

「好し! その意気だ!」

 

 吹き飛ばされた鬼種が起き上がり、大槍を構えなおす。

 第六班長はそれに向き直り、ここで初めて八五式を抜刀した。

 

「刮目せよ! これより祓魔第六班の祓滅を開始する!」

「さっきまで……ボロ雑巾だった奴が……!」

 

 目にも止まらぬ速度で鬼種が血の槍を繰り出す。

 更に、隙消しとばかりに空中から蝙蝠達が雨の如く降り注ぐ。

 第六班長は八五式の峰で槍の切っ先を弾き、降り注ぐ蝙蝠を全て片手の拳で砕いて見せた。

 その後、すかさず槍の穂先を踏みつけて動きを封じ、刀の一閃で鬼種の両肩から先を切り飛ばす。

 

 鬼種が驚愕に目を見開き、何事かを口走ろうとする――が、その前に鮮やかな廻し蹴りが顔の下半分を弾き飛ばす。

 悪足掻きの如く纏わりつこうとする蝙蝠を一瞬で全て斬り捨てた後、再生しようとする鬼種を蹴り転がした彼女は敵の胸――動いていないであろう心臓の真上――に切っ先を押し当てた。

 

「ぐっ、お、お前はッ、何なんだッ」

「私は祓魔第六班部隊長! 第六班長であるッ!」

「貴様らが私を理解する必要はない。私も、貴様らを理解せん!」

 

 鬼種の心臓にあてがった刃を、まるで白木の杭とするかの如く――。

 彼女は刀の柄尻を、渾身の力で殴り下ろした。

 澄み渡った音が山中に響き、鬼種の身体から穢れが抜け崩れていく。

 

「あぁ。一つだけ、お前に共感する点がある」

 

 俺は痛みを堪えながら、第六班長の背中を眺めていた。

 

「私も、逆転勝利(、、、、)が好きなんだ」

 

#13

 

 鬼種との戦闘から一夜明けて、翌日。

 俺と第六班長は、境界対策課の公用車に揺られて東京方面に戻る途中である。

 明け方の高速道路は、既に混雑し始めている。車内に差し込む朝日が、心地良い眠気を誘った。

 

 あの後第六班長は有り余る体力を駆使し、冗談みたいな速度で電波の通じる場所まで走っていった。

 連絡を受けた第一班の蔵尽(くらづくし)が車を回し、俺達を回収しに来たという訳である。

 第六班長は第六班長で結構ギリギリまで消耗していたらしく、後部座席で静かに寝息を立てていた。

 

「それにしても驚きました。 まさか二人だけで二号級界異と戦ったなんて……」

「い、いや。戦ったのは殆ど第六班長(その人)だけだよ」

「でも、貢献したんじゃないんですか?」

「どうかな。放っておいても、案外勝ちそうだった気はするけど……」

「そもそもどうしてこの人が居たんです? 洞井さんからは単独任務と伺いました」

「リハビリは実戦派……ってことらしい」

「……?」

 

 俺はまだ、知らない。

 〝二度胴体を貫かれた男〟として自分が同期の間で名を馳せていることを。

 〝既に第六班イズムを有する男〟として自分が最初に三飛びし、第六班長の部下になることを。

 〝入院中の身でありながら、祭具も形代も持たずに新人の任務に同行して戦闘に巻き込んだ〟として、第六班長が上層部に信じられないくらい怒られることを。

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