タクティカル祓魔師 -境界対策課 作戦記録-   作:ヴォーパルのっち

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第三話:「環境庁 神祇部 VS 野球に負けたら死ぬ界異」

#1. 第一回表の持続時間に制限はないものとする

 

 喉奥が熱い。

 胸の裡では心臓が早鐘を打っている。

 ゆっくりと吐き出した息が、気霜となって霧散する。

 降り続ける雨で重くなったシャツが、べったりと肌に絡みつく感触があった。

 おそらく今私は、全身から湯気を立てているに違いない。

 

 ◆ ◆ ◆ ◆

 

 環境庁神祇部 境界対策課。

 "現世"と"幽世"の境界が乱れることに起因する超常現象である"境界異常"への対処を専門とする、第三の公安組織。その使命は、彼岸より来たる"界異"を祓うこと。

 今、その境界対策課の主戦力の一人が窮地に陥っていた。

 

 百八十(センチ)を超える長身。

 その体躯を支える、屈強でしなやかな筋肉質の肢体。

 艶のある長い黒髪を纏め、小麦色の肌に幾つもの傷を刻んだ顔は肉食獣を思わせる。

 左目を覆う呪傷痕が特徴的だが、男には何よりその暴力的なスタイルの良さ(バストサイズ)が目を惹くだろう。

 境界対策課 祓魔隊第六班。その代表者。

 通称、"第六班長"。

 

 境対きっての実力を誇る女傑は、肩で息をしながら眼前の敵を見据える。

 その敵は片足を軽く上げて素早く構えを取り、右腕を大きく振りかぶって――投げた。

 

「はぁッ!」

 

 渾身のスイングが投げ放たれた球を捉え、小気味よい金属音が響く。

 同時に、第六班長は人間離れした速度で駆け出した。

 向かう先は勿論――第一塁。

 

#2. 東京都足立区 なかよしバッティングセンター49号店

 

「ちょっとまずいかも、だね」

 眼鏡の奥で眼を細めつつ、第六班所属の祓魔師である加賀 千白(かが ちしろ)が声を上げる。

 白銀の長髪に切れ長の目、常に浮かべた掴み所の無い薄ら笑いが、どこか彼女に白蛇めいた印象を与えていた。

 この班の女性達の例に漏れず、この人も立派な体格をお持ちだ。

 

「まずい、ッスか?」

「でも、あのヒトが負けるってこたァないでしょ」

 俺から見て先輩にあたる祓魔師、加藤 延嘉(かとう えんぎ)がベンチに腰を降ろしたまま顔を上げる。

 彼は懐から紙巻煙草を取り出し、パッケージを振って一本咥える。

 

「加藤くーん、何度言えばわかるのかな?」

「うおっ!」

 俺が加藤先輩に視線を移した瞬間、加賀先輩は音もなく彼の後ろに回り込んでいた。

「境界異常っていうのは、何でも殴り倒せば良いものじゃないんだ。実体を殆ど持たず、特定のルールによってのみ現世に干渉する……という制約。いわばオリジナルの儀式によって被害を齎す。そういうやっかいなモノの方が、総数としては多いんだよ?」

「わかってますよ。"呪い"でしょ?」

「そういうこと。キミの眼と、そこの新人くんの鼻も頼りにしてるんだから」

 

 俺達、祓魔第六班の3人。

 儀式技術に対する豊富な知見を有する才女、加賀 千白。

 第六班長が直々にスカウトしてきた元荒くれ者、加藤 延嘉。

 そして先日このチームに配属された――俺。

 俺達はかれこれ2時間ほど、東京都足立区にある「なかよしバッティングセンター49号店」跡地で待機していた。

 

「で、まずいかも……っていうのは」

 加藤先輩が煙草を仕舞いながら口を開く。

「その"特定のルール"に特化したような奴が、結界の向こうで待ち受けていた、と?」

「今のところ、私はそう考えてるね」

 

 普段はどことなく人を食ったような態度の加賀先輩が、今は幾分真剣だった。

 俺にはそれが、極めて不穏な事態を予感させた。

 春先の夜の湿った空気を吸い込み、心を落ち着かせる。

 

「状況を整理してみようか」

 加賀先輩が端末を取り出し、今追っている事件に関する事柄を列挙する。

 

#3. 界異「野球に負けたら死ぬ」

 

 始まりは、一件の怪死事件だった。

 都内にあるバッティングセンター跡地の廃墟で、若者数人の死体が発見されたのだ。

 

 警察が身元を調べた所、若者たちは皆同じ大学のサークルに所属する友人同士であった。

 当日のSNS投稿などを根拠に、肝試し目的でこの廃墟を訪れたのだと推測された。

 問題は、全員の死因が衰弱死(・・・)であったことである。

 

 何らかの毒物、あるいはアレルギー反応の疑いもあったが、検死の結果はシロ。

 つまり彼らは、何らかの要因により身体のエネルギーを全て使い果たして死んだことになる。

 また、奇妙なことに彼ら全員に激しい運動――走る、転ぶ、何かを振り回す、といった痕跡が発見された。

 しかし事件の決定打とはならず、警察はこの事件の調査を環境庁 神祇部に委ねるに至る。

 

 中央神祇室は本件を呪詛犯罪ではなく境界異常現象による偶発的呪殺と判断している。

 被害者の周囲を調査したところ、彼らは裏社会に関わることもなくただキャンパスライフを謳歌していただけの一般人であり、また特定の霊的血縁にある人間でもないことが判明した。

 

「……という訳なんだけど。加藤くん、理解してる?」

「どういう意味スか。要は被害者に指向性はない(・・・・・・・・・・)ってことでしょ?」

「うん、いい表現だね」

 

 加藤先輩は、言動も行動もささくれているが愚鈍ではない。

 むしろ、俺なんかの数倍鋭い。

 加藤先輩は加賀先輩の言葉の後を引き継ぐように、簡単に状況を整理した。

 

「要は、このバッティングセンターで何らかの行動を取ると界異が現れるか、界異の巣に連れてかれる訳だ」

「続けていいよ」

「俺達は、このセンターのバッティングボックスを一打席ずつ調べて……班長だけが消えた」

「その心は?」

「被害者達は、その打席にちょっかいをかけて……偶然、条件を満たした」

 

 そう。彼らはたまたま呪われたバッティングセンターを訪れ――何らかの条件を満たし――呪われて、その命を落としたのだ。

 俺は第六班長が消えた打席(ボックス)――センターの一番奥にある、ネットで囲われたケージを見る。

 人工芝はボロボロで、ピッチングマシンも操作パネルもかなり前にガタが来ている。というか、まともに動作しないのは調査済だ。

 

「つまり、班長は……」

「いや、加藤くん。先は新人くんに譲ってあげて?」

「じ、自分ですか」

 いきなり話を振られて、俺はたじろぐ。加賀先輩が眼鏡の奥で、悪戯っぽく笑うのが見えた。

「い、今までの状況を総合すると……このバッティングセンターに巣食う界異は"特定のバッターボックスで、特定の行動を取った対象を自身の結界に引きずり込み、内部で呪殺する"という性質を持ったものだと判断します」

「特定のバッターボックスってのは、班長消失事件のあったあそこ、だな」

「はい。しかし、祠を壊したり神像を盗んだりするような……いわゆる"バチが当たる"という霊的要素の大きなアクションならともかく、意図せず条件を満たしてしまうような……日常的な所作をトリガーに対象を結界に引きずり込むのだとすると、結界内でできることにも大きな制限がかかると思われます」

「筋が良いねぇ。続けて」

「この界異は、結界に引きずり込んだだけで対象を呪殺するような力は持たず……結界内で、更に別の条件を満たすものだと思われます。第六班長は恐らく今、それに抗っているのではないかと考えます」

 

 ぽん、と加賀先輩が手を打った。

「そういうこと。つまり私達がやるべきことは?」

「「結界の解析!」」

 俺と加藤先輩が、ほぼ同時に発言した。

 

#4. 助っ人外国人とその執事

 

「境界対策課 予備班。ローラ・ザリア・カサンドラ・ド=ベルナウアー、ただいま現着ですわ」

「ど、どうも、予備班の……」

「セバスの挨拶は省略しますわ。早速状況の共有を」

 俺はバッティングセンターのフロアに現れた、二人の祓魔師を見やる。

 ローラと名乗った片方は眩い金髪を縦ロールにした令嬢。

 セバスと呼ばれたもう片方は長い黒髪を垂らした、冴えない眼鏡の男だった。どう見ても日本人なのだが。

 

 第六班長がバッターボックスの中で姿を消してから30分。時刻は午前1時半となっていた。

 加賀先輩はバッターボックス内を調べ、結界を解析し続けている。

 結界の中で何が待ち受けているか不明な以上、今必要なのは「中に入る条件」以上に結界の全体的な情報となる。

 俺は儀式技術に明るくないため、ひとまず現時点での情報や周囲環境を記録し、本件を担当している神祇官に定期的に報告していた。

 その結果、神祇官からの指示で応援人員が寄越された。

 たまたま近くに居たというよりは、近くにいる人員の中からこの二人が指名(・・)されたのだという。

 

「ええと、これが事件に関するファイルです。今は結界の外殻と構成要件の解析中で……」

「情報共有感謝しますわ。セバス、あとで纏めて説明なさい」

「えっ丸投げですか?」

「適材適所、でしてよ」

 ローラは俺の差し出した端末を一瞥すると、傍らに立つ眼鏡の男――セバスにそれを取らせた。

 

「けっ、助っ人外国人ってか?」

「ちょっと加藤先輩、聞こえますよ」

「別に構いやしねぇよ。あいつら予備班だろ」

「予備班……?」

 霊視による周辺確認と警戒を終えた加藤先輩が、気怠そうにベンチに腰を下ろす。

「知らねぇのかお前。育成班の第一・第二は出てるのに、それ以上の部隊から声がかかってない奴らの寄せ集め部隊だよ」

 加藤先輩は首をぐるりと回しながら、煙草を一本取り出した。

 その前に、悠然と金髪令嬢が詰め寄っていく。

 

「えぇ、その予備班ですわ。所詮はみ出し者の落ちこぼれ。どうぞお気になさらず」

 加藤先輩の前に仁王立ちしたローラが、その煙草を手から奪い取った。

「言動と態度が全然噛み合ってねぇみてぇだが!?」

 自身を落ちこぼれと表する言葉に反して自信に満ち溢れた様子のローラに対し、立ち上がった加藤先輩はガラの悪い凶相を浮かべる。

「ちょ、ちょっとお嬢様! 抑えてください……!」

「加藤先輩、落ち着いて!」

俺と眼鏡がそれぞれを宥めようと詰め寄る前に、視界を白い影が横切った。

 

「ケンカはダメだよ~? 加藤くんも、ローラちゃんも」

「げっ!」

「な……っ!」

 加藤先輩とローラの間に割り込んだ加賀先輩が、二人の肩を抱いていた。

 力を込めているようには見えないが、二人は微動だにしない。

 加藤先輩は苦虫を噛み潰したような顔で、ローラは西洋人形のような顔に僅かな驚愕の色を浮かべている。

「……第六班、加賀 千白。噂に違わぬ実力者のようですわね」

「ふん、俺達の仕事の邪魔さえしなけりゃ、文句は言わねぇさ」

 二人はそれぞれ視線を外し、警戒態勢を解く。一触即発の事態は脱したようだ。

 

「それにしても、君達(予備班)はどういう経緯で来たのかな~?」

「中央神祇室の作戦指示です。長官(・・)の認可もあります」

 セバスが眼鏡の位置を直しながら、中央神祇室からの司令内容を端末に表示する。

 加賀先輩は画面を一瞥すると、眼を細めて一言「よくやるねぇ」とだけ述べた。

 

#5. コールドゲームの成立には一イニングの経過を必要とする

 

 無視できない程度に、疲労が溜まってきている。

 第六班長は荒い吐息を整えながら、手にした大型黒不浄を構える。

 眼前には真っ黒な八人の人影。背後に捕手が一人。都合九人の野球チームだ。

 ピッチャーマウンドに立つ人影が硬球をミットから取り、ピッチングの姿勢に移っていた。

 

 ――もう少し休ませて欲しいが。

 彼女は得物の大太刀を構え、投手の挙動に注目する。

 攻撃にさえ使用しなければ、結界への祭具持ち込みは制限されていない。

 刀の峰をバットとして運用することに対して、ゲームが止まることもなかった。

 

 息付く暇もなく、投手が次の球を放つ。第六班長は手にした黒不浄を構え、その峰で球の中心を捉えた。

 快音とともに打球が放物線を描き、真っ暗な観客席へと落ちていった。

 第六班長は得点表を睨みつけながらベースを一周する。現在点差は308対0。

 

 ダイヤモンドを一周して戻って来るまでの距離は360フィート。即ち約110(メートル)

 第六班長が本気で走れば、一周15秒を切るのは容易い。しかし、今は少しでも体力を温存する必要があった。

 審判から注意が入らない程度に速度を落とし、雨で泥濘んだグラウンドを駆け抜ける。

 

 ◆ ◆ ◆ ◆ 

 

 都合5時間以上続く試合を通し、第六班長はこの界異の本質を掴みつつあった。

 まず、試合に負けると死ぬ。これは犠牲者となった大学生達の例である程度わかっていることであった。

 この界異にとっては、呪殺を達成するための儀式が野球の試合であるというわけだ。

 

 次に、試合が続行できなくなる(・・・・・・・・・・・)と負ける。これは試合が始まると同時にわかったことである。

 たとえば今、自分が二塁打を打ったとする。

 その場合、次に打席に立つべき打者はおらず、自動的にスリーアウトチェンジとなる。

 そうなった時、致命的な問題が起きる。具体的には、投手の投げたボールを捕る捕手がおらず、守備が成立しない。

 ――捕手の不在(・・・・・)。この界異の必勝パターン。

 たった一人で野球はできない。敗北が確定し、衰弱死体として現世に帰ることになるだろう。

 一方、コールドゲームを成立させるには五回終了時を迎えている必要がある。

 攻守を交代させれば敗北必至な以上、こうして第六班長はホームランを打ち続けることを強いられるのだ。

 

 結界の外で、一体どれほどの時間が流れているのか?

 結界に引きずり込む条件の緩さから、完全に外界と断絶されている可能性は低いと考える。

 今やるべきことは、少しでも長く時間を稼ぐこと。外で待っている仲間が、この界異への対策を立てる時間を。

 

 ◆ ◆ ◆ ◆ 

 

 しかし、延々と続く試合は着実に第六班長の体力を奪っていく。球場に降り続く雨、冷たい風、孤立無援の状況に折れる彼女ではないが、人間である以上体力の限界は存在する。

 ――様子見も兼ねて、一度試しておくか。

 第六班長は短く息を吐き、投手が投球モーションに入ると同時に黒不浄の刃を返した。

 素早く黒不浄を構え、背後に立つ捕手の喉元を一閃する。それはバッティングとは比べ物にならないほど反復した、基本の攻撃動作。

 ――捕手が居なくなったら、お前達はどうする?

 

『警告:第六班長選手。相手選手への暴力行為はルールによって禁じられています』

 

 刃が捕手の面を貫く寸前、第六班長の動きが止まる。

 一瞬にして彼女の肩や腕、肘や脚に棒状の何か(・・・・・)が押し当てられ、押さえつけたのだ。

 それがバットであることに気付くと同時に、投手が球を投げる。

「……ッ!」

 ――"反則行為"は最初から封じられる、か。

 

 無理な姿勢から振り抜いた峰が、球を弾き飛ばした。

 

#6. 境界対策課 入場

 

「結界の構成要件は"バッターボックスの起動"だねぇ。ちなみに内部は結構広いから、迷子にならないように」

 加賀先輩はそう言いながら、俺と加藤先輩、そして予備班含めた全員を自分の注連鋼縄(ワイヤー)で囲む。俺達は一本の注連鋼縄で作られた輪の中に立つ格好になった。

「わざわざ注連鋼縄使う必要あるんスか? 加賀サンならもっと術とか知ってるでしょ」

「余計なことはできるだけやらない方が良いんだって。もし外部から下手に干渉して、中にいる黒ちゃんが危なくなっても嫌でしょ?」

 

「結界の中はどのようになっているのかしら?」

「直裁に言うと野球場だねぇ。まぁ、犠牲者達の身体に残ってた"激しい運動の跡"がヒントだよ」

「たしか走る・転ぶ・何かを振り回す……でしたか」

「そ。だいたい察しが付くでしょ? 犠牲者は全員野球をした後で殺された(・・・・・・・・・・・)

「野球の界異、ということですの?」

「正確には野球による勝負で決着を付け、敗者を呪う境界異常ってとこかな。題材が野球であることを除けば、割りと古典的なタイプだよねぇ」

 

 彼女は財布を取り出し、壊れた精算機にコインを投入する。これが結界に引き込まれる条件だ。

 ――特異な点があるとすれば、加賀先輩が両手で注連鋼縄を保持し、口に咥えた硬貨をマシンに投入したことだろうか。

 

 硬貨が投入口から落ち、乾いた音を立てる。

 その瞬間、周囲の景色が真夜中のバッティングセンターから曇天の野球場へと姿を変えた。

 厳密に言えば結界に誘われたのは加賀先輩だけなのだが、彼女が保持している注連鋼縄に囲まれた内側に居た俺達は霊的に包括されることになり、一緒に結界内へと連れてこられた格好になる。

 強風に煽られ、雨粒が顔を叩く。

 悪天候の球場を見回すと、打席に立った第六班長の姿が見えた。

 

 ◆ ◆ ◆ ◆ 

 

 俺達が結界の中に"入場"した瞬間、真っ黒い影に象られた九人の選手がこちらを向いた。

 こいつらがこの境界異常の起点となる界異。仮称「界異・野球に負けたら死ぬ」である。

 命名主は中央神祇室で、現在の評価は二号級。少人数を結界に引きずり込み、理不尽な野球勝負で確実に死に至らしめる仕様は正しく呪いと呼ぶに相応しい。

 加賀先輩が審判(もちろん、これも相手選手と同じように真っ黒な人影で構成された界異だ)に声をかけて端末を提示すると、意外にもあっさりと試合への参加が許可された。

 つまり、結界侵入時に一人になり易いだけで、絶対に一人で試合に臨まなければならない訳ではないらしい。

 

「じゃ、加藤くん。ホームランよろしく」

「ったく、野球なんていつぶりだと思ってんスか」

「自信ないなら素直にそう言って良いよ? 千白お姉さんが慰めたげるからさ」

「……加藤、せめて出塁するように。新人君が繋いでくれるはずだ」

「お、俺ですか!?」

「俺がホームラン打てねぇって言いてぇのか!?」

 

 肩を怒らせて打席へと向かっていく加藤先輩を尻目に、加賀先輩はベンチに凭れている第六班長の手当を始めた。見た目には無傷に見える班長も相当に体力を消耗しているらしく、何度か式法を起動した影響で霊力も枯渇寸前のようだ。

 その意味では、加賀先輩による結界の分析とローラ達応援要員の到着は中々にギリギリだった。

 加賀先輩は手早く医霊器具(いりょうきぐ)を取り出し、手慣れた様子で第六班長の疲労と損耗を回復させる。

 他方のベンチには、自前の大型祭具を携えたローラがふんぞり返り、傍らに眼鏡が控えていた。

 どうやら眼鏡の男は、ベンチへの着席を許可されていないらしい。

 

「ふん、(わたくし)の打席はまだ先のようね」

「まぁ、今は第六班長殿の体力回復のための猶予を作るための時間ですから……」

「私一人で二時間くらいは稼げますわ。要はホームランを打ち続ければ良いのでしょう?」

「今はそうもいかないのですよ。この場にいる全員が試合参加者なので」

「全員? 貴方、野球なんてできましたの?」

「逆にできると思ってるんですか……?」

 ローラは返答の代わりに、祭具の柄で眼鏡の脇腹を突く。「ぐふぅ」という間抜けな声と共に、眼鏡の男が床に崩れ落ちた。

 打席からは、黒不浄の峰がボールを打つ快音が聞こえてくる。どうやら、加藤先輩は前言の通りホームランを打ったらしい。

 

「いや、大丈夫ですよ。私指名打者(DH)なので」

「どこの世界に貴方みたいな青瓢箪を指名打者にする球団がありますの! ド生意気でしてよ!」

 

#7. 審判が試合中に引き起こされた状況を収拾する際には、その最初の原因となった選手を指定しなければならない

 

 加藤先輩に続いて打席に立った俺は、投げられた球に渾身のスイングを当てて無事にホームランを打つことに成功した。加賀先輩(かんとく)の指示通り、時間を稼ぐべくゆっくりと塁を進む。途中一度だけ、遅く走りすぎて人影の審判から警告された。

『警告:新人選手。試合の遅延行為はお辞めください』

 その瞬間、背中から突き飛ばされるような攻撃。祓魔師にとってダメージの内には入らないが、結界の効果かこの界異の能力によるものか。攻撃を察知することができなかった。

 というか、周りが俺のことを新人新人と呼ぶものだから、界異まで俺のことを新人呼ばわりしている。

 俺は審判に向かって内心舌を出しながら、若干速度を上げてベースを走りきったのだった。

 

 ダイヤモンドを走り抜け、ホームベースを踏む。野球をやるのは少年時代以来だが、案外なんとかなるものだ。心地よい疲労感に心拍が上がり、軽く汗ばんだ喉元を冷やすべくシャツの第一ボタンを開けた。

 ベンチに戻ると、第六班長はすっかり元気になっていた。相変わらず化け物みたいな体力をしている。加賀先輩が持ち込んだ荷物の中に入っていた止血用帯をタオル代わりに使ったのか、汗と泥の大半は綺麗に拭い取られていた。

「それにしても黒ちゃん、めちゃくちゃな点数取ったねぇ。ずっとホームラン?」

「出塁すると死ぬのでな。これのどこが野球勝負なんだと文句の一つも言いたかったよ」

「新人くんと加藤くんもお疲れ様。良い時間稼ぎだったよ」

「まるで壊れかけのピッチングマシンみたいな、つまんねー球だぜ。楽勝だ」

 加賀先輩は回復した第六班長と俺達を眺め、眼鏡の奥で眼を細めた。

「じゃ、私の仕事は殆どおしまーい。ここからは黒ちゃん達の専門分野だからねぇ」

「加賀先輩も打つんじゃないんですか?」

 俺の間抜けな質問に、加賀先輩が吹き出した。

「あのねぇ新人くん、私達はここに野球をしに来た訳じゃないんだよ? わかってる?」

 先輩は可笑しそうに笑いながら、俺の腰に帯びた黒不浄を指し示した。

「私達が結界に入ってきた辺りで、もう大方の決着は付いてるんだよね。あとは祭具(ソレ)の出番だから奮闘よろしく」

 

「第六班長、どういうことです?」

「さっきまでホームランチャレンジをやらされてた私が、知っているわけなかろう」

 第六班長は仁王立ちで腕組みをしたまま、威風堂々と答えた。

「だが、千白がそう言っているのならば――それは真実そうなのだろう。加藤、そして新人。祭具をいつでも使えるようにしておけ!」

「「応ッ!」」

 

 その時、審判である零番の無機質な声が場内に響き渡った。

『境界対策課チーム、次打席はローラ・S・カサンドラ選手に代わり指名打者となります』

「なんでこのタイミングですの!? 私に打たせなさい!」

 

 ◆ ◆ ◆ ◆ 

 

 ローラの怒声を浴びながら、バッターボックスに眼鏡の男が立つ。

 男はとても強打者には見えず、黒不浄の持ち方もおぼつかない。

 ベンチでは加賀先輩が眼鏡の位置を直し、バッターボックスに向かってハンドサインを送っていた。このタイミングで犠牲フライやバントの意味は見出だせないのだが。

 

 指名打者として現れた男に対しても、投手である界異は動じない。リラックスした姿勢から投球の構えを取り、大きく振りかぶって――今までと寸分違わぬ位置に、球を投げた。

 俺は思わず打席の男を見る。打つのか? 打てるのか?

 男は黒不浄を構えたまま、あろうことか一歩踏み出し――顔面でその球を受けた。

 

「ぶべらッ」

 

 鈍い打撲音と共に男がのけぞり、グラウンドへと倒れ込む。

 その様を、界異の野球選手達は貌の無い貌で呆然と眺めていた。

 俺と加藤先輩も、顔を見合わせる。ローラと第六班長も似たような反応だった。加賀先輩だけは、いつもの笑みを――悪戯が成功した時のような笑みを、浮かべていた。

 

「ぐ、おぉぉ、おぉお……」

 男が半泣きで立ち上がり、フレームの曲がった眼鏡を掛け直す。

 死球(デッドボール)。投手の投球が打者へと触れた場合、打者には一塁が与えられるルールである。しかし、打者が避けようとせずに投球が当たった場合、球審にはデッドボールではなく単なるボールとして判断される。

 いずれにせよ、この試合への突破口にはなり得ない。

 意味のわからない行動に加賀先輩以外の全員が困惑する中、男はピッチャーマウンドへと素早く距離を詰める。

 何故か、審判はそれを止めない。

 

 ピッチャーマウンドに立つ界異投手。

 その姿は真っ黒な人影で構成されているが、そのディテールは野球選手のそれを反映している。

 マウンドに詰め寄った男は、その右手を伸ばすと投手の胸ぐらを軽く掴み、自身の方へと引き寄せた。

「乱闘だ~ッ!」

 グラウンドに、加賀先輩の愉しそうな声が響く。

 その瞬間、誰よりも早く第六班長が動いていた。

 この場で最も乱闘に長けた人物に、最高の舞台が与えられてしまったのだ。

 

#8. 乱闘の持続時間に制限はないものとする

 

 獣の如き勢いでベンチを飛び出した第六班長が、界異の投手を蹴り飛ばす。

 投手はワイヤで引っ張られたスタント人形のような速度でグラウンドを転がり、泥飛沫を上げながら球場の壁に激突する。

 

 それを見て、俺は漸く事態を理解した。

 ――野球の時間は終わったんだ。

 俺は腰の黒不浄を抜き、どこからか取り出したバットで武装した内野手の一人に飛びかかった。

 審判からの警告は無い。

 

 相手が片手で振るうバットを峰で受け止め、滑らせながら懐へと飛び込む。

 刃を引き、相手が体勢を整える前に腹部を斬り裂こうとする――が、訓練用の硬質ゴム人形のような質感の界異には中々決定打を与えられない。班長に叩き込まれた"型"で決めるしかないな。

 俺は振り下ろされるバットを半身で避け、両手握った黒不浄をで渾身の力で振り抜いた。勿論、峰打ちではない。

 太刀筋が弧を描き、内野手の右手を肩口から切り飛ばす。断面から煙のように穢れが漏れ、界異がグラウンドに倒れ伏した。その首筋にピタリと刃を当て、的確に致命部位を破壊する。

 俺は眼前の内野手が消滅するのを見ながら再び剣を構え、周囲で戦う他の祓魔師達の状況を確認した。

 

 ◆ ◆ ◆ ◆ 

 

「こいつ硬ぇな。穢装等級ⅣかⅤってとこか」

 加藤先輩が得物の大型射撃祭具(カラビナLW2000)を構え、大口径の祓串を捕手へと撃ち込む。

 恰幅の良い体格に防具(プロテクタ)を装備した界異の捕手は、射撃でのけぞりこそするものの、ダメージを受ける様子がない。

 加藤先輩は"眼"が良い。本人の粗暴な言動から受ける印象と異なり、彼の本領はその霊的・物理的に優れた視力を活かした精密射撃にある。

 

「千白さんが手伝ってあげよう。帰ったら他の皆に自慢していいよ」

「絶対しねぇ!」

 同型の射撃祭具を携えた加賀先輩が加わり、射撃間隔が半分になる。

 優れた視力で敵の穢装の繋ぎ目を探しては撃ち込んでいく加藤先輩に対し、加賀先輩は加藤先輩が撃ち込んだ箇所に寸分違わず祓串を撃ち込んでいる。どちらをとっても俺には真似できない芸当である。

 数発撃ち込んだ後、加藤先輩は的確に相手の急所を見定める。

 間髪入れず2発の祓串が防具の隙間に撃ち込まれ、捕手の胴体が吹き飛んだ。

 

 ◆ ◆ ◆ ◆ 

 

「まったく、私の打順を飛ばして乱闘だなんてド無礼の極みですわね」

 金髪の令嬢、ローラが得物を構える。それは黒不浄ではなく、馬鹿でかいピザカッターか円盤ノコギリとでも言うべき代物だった。長柄の先端部に、巨大な円盤状の刃がついた異形の近接祭具。その円盤にはレコード盤のように、柄から伸びる針が落ちている。

「歌いなさい――"虎の涙(ティガートレーネ)"」

 彼女が祭具を構えると同時に、円盤がゆっくりと回転を始め、加速していく。周囲に響く、オルゴールのような音色。雨と泥の匂いを吹き飛ばすように立ち込める、芳醇なヴィンテージの香り。

 瞬間、ローラの姿が金色の残像を残して掻き消える。一瞬で内野手の一人へと距離を詰め、勢いよく重量級の祭具で斬りつける。紙細工の如く、界異の右肩から先が弾け飛ぶ。

 

 おそらくローラの式法は、第六班長と同系統のものだ。加護による身体能力の増強を行うシンプルなもの。増強(ブースト)された筋力に重量級の祭具が合わさった時の破壊力は、生半可な術とは比べ物にならない。

 猛然と界異を引き裂いていくローラをサポートするべく、俺は彼女の背後に回る。ベンチ付近まで距離を取った加藤先輩と加賀先輩が、援護射撃で道を作ってくれた。

 

「数の上ではこちらが不利です。囲まれないよう援護します」

「道理ですわね。感謝しますわ!」

 体格の良い外野手がバットを振り下ろす。峰で受け、外側にいなし、刃を返して敵の得物を絡め取る。攻撃力に優れた仲間と戦うなら、これでいい。

「流石第六班、と言っておこうかしら。ド上出来でしてよ!」

 気合の入った声と共に、界異の上半身が吹き飛ぶ。よく知る戦闘スタイル(・・・・・・・・・・)の人がすぐ身近にいるから、連携はそう難しくなかった。

 俺は単騎で敵と打ち合う第六班長の方へと目を向ける。

 

 ◆ ◆ ◆ ◆ 

 

「なるほど。貴様が"四番打者"といったところかな」

 第六班長が一際体格の良い界異――右翼手(ライト)と正面から向き合う。

 右翼手は片手に、鋭い無数のスパイクが生えた穢れのバットを出現させ、打撃の構えを取った。

「いいだろう。そちらの流儀に合わせてやる」

 班長は大太刀型黒不浄を構え、同じように打撃の体勢に入る。

 

 打者と打者(バッター対決)。野球のルールを逸脱した、あり得ない対峙の形。

 班長が短く息を吐き、グラウンドに付けた足に力を込める。彼女の身体から陽の香りが立ち上り、雨風吹き荒れるグラウンドに温もりをすら錯覚させる。

 式法・反閇歩法。班長の恵まれた体躯を増強し、あらゆる動作を必殺剣へと昇華する祓魔術だ。

 

 暗雲立ち込めるグラウンドの空が、一瞬光りを帯びる。

 一拍置いて雷鳴が響いた時、二人の打者はバネ仕掛けのように力を開放した。

 激突音。もし人影の界異に両目があったなら、驚愕に見開いていたに違いない。

 四番打者の両肘から先は、弾け飛んで霧散していた。あまりの力に穢れが耐えきれず、その形状を維持できなくなったのだ。

 攻撃能力を失った打者を前に、境界対策課(チーム)随一の強打者が容赦なく次の構えを取っていた。

 

 審判を含めた全ての界異が消滅し、結界がその場を維持できなくなる。

 野球場から雨があがり、周囲が暗闇に包まれる。

 

#9. 無効試合

 

 気が付くと、俺達はバッティングセンターのバッターボックスにいた。

「まだ午前二時過ぎか。結界の中は随分と時間が遅いようだな」

「うまく使えば、修行や作業に使えたかもね~」

「界異の結界なんて怪しいモン、そう都合よく使えねぇでしょ」

 第六班の先輩たちはさほどの損耗もなく、周辺状況を再確認しにかかる。

 

「まったくド無様でしてよ、セバス」

「いや、デッドボールが痛くて……乱闘にも巻き込まれて……」

「貴方が起こした乱闘じゃないの。恥を知りなさい、恥を」

「それはもう熟知しております……」

「だいたい騒ぎの最中何処に居ましたの。目立たないにも程があってよ」

 汚れ一つ浴びていないローラとは対照的に、セバスの狩衣はボロボロになっていた。

 思い返せば、先の乱闘においてこの男は特に何も戦闘に貢献していなかった。

 この男は「乱闘の口実を作り出す」ために、ここに連れてこられたのだろうか。

 

「ひとまず、界異・野球に負けたら死ぬは祓滅完了だ。各自、撤収の準備を!」

「加藤くーん、報告書(レポート)任せていい?」

「どうせ俺に回ってくると思って、もうだいたい作ってあるッスよ」

「わかってきたようで何よりだよ。あ~、楽でいいなぁ~」

「うちの班も報告書の作成が必要ですわね」

「私は戦闘に参加していなかったのでお嬢様に……」

「もう一度眼鏡を叩き割りますわよ」

「今度はお前が報告書係だからな、新人」

「ほら、早く帰るぞ! 流石にシャワーが浴びたい」

 

 ガヤガヤと騒ぐ俺達の背中を、第六班長が晴れやかな表情で押す。

 奇妙な死闘を経験した直後だというのに、彼女は明らかにいい汗をかいていた。

 俺が同じ立場に置かれたら、こんな顔をしていられるだろうか。

 攻略法の見えぬ理不尽な野球勝負に対し、仲間を信じて5時間以上ホームランを打ち続ける。

 それができるから、彼女はきっと第六班長なのだろう。

 

 そんな事を思い返しながらバッティングセンターを出る俺の胸中に、もう一つの疑問が浮かんでいた。

 ――何故、セバスが起こした乱闘を審判は止めなかったのだろう。

 ――そして、何故俺は球場の中で"セバス"の名前を思い出せなかったのだろう。

 

#10. 存在しない選手

 

 深夜二時30分。環境庁神祇部のオフィスが配置されている霞が関の第三西会館。

 環境庁 長官の執務室には、二人の人影があった。

 

 片方は身長百八十(センチ)後半、閉じた片目を縦に走る傷跡が特徴的な男。開かれたもう片方の目つきは鋭く、屈強な体格と相まって厳粛な雰囲気を身に纏っている。

 もう片方は眼鏡を掛けた細身の女性。首から下げた職員証には「丙級神祇官 神祇秘書筆頭」の記載がある。

 女性は怜悧な表情を浮かべながら手元の端末を操り、画面を男の方に向けた。

 

長官(・・)、第六班から報告が」

 長官と呼ばれた男は、片目を端末に向ける。そこには、第六班の祓滅報告書(レポート)が表示されていた。

「界異「野球に負けたら死ぬ」の祓滅に成功したとのことです」

「わかった。日野連に連絡し、ルールを戻してもらうように」

「すぐに手配を。長官は失籍者の観測をお願いします」

 

 現在の環境庁の業務は、境界異常への対応が殆どとなっている。

 それは即ち、環境庁の長官を務めるためには境界異常への高度な知見と対処能力、そしてそれらに都合の良い能力をを要求されることを意味していた。

 長官は眼の前にある書類の山から一旦意識を外し、閉じられた眼から見える視界に集中する。そこに見えるのは、帰投する祓魔師達が乗る車内の光景。

 金髪の令嬢に頬をつねられる眼鏡の男に焦点を合わせ、長官はその頭上を注視した。

 そこには、今にも消えそうなか細い字で、「牟田田 白金」と表示されている。

 

 『失籍者(ロストナンバー)』と呼ばれている体質がある。正確に言えば霊体に起因する性質である。

 それは何らかの原因により、「この世に存在した足跡」を全て喪失した人間を指す。現世に存在する人間一人分だけを欠落させる、小さな境界異常現象の一種と説明される。

 この性質を持つ人物は、公的記録や物理的痕跡、そして自他の記憶から消失してしまう。

 

 予備班の牟田田は、神祇部に所属する失籍者の一人である。

 たまたま本件に近い現場に居たため、作戦に必要な要素としてローラと共に動員された。

 彼の存在は、環境庁長官の特殊な眼を通した定点観測(・・・・・・・・・・・・・・・・・・)という儀式を通じてのみ保存される。

 逆に、長官が観測を向けていない場合「牟田田 白金」という祓魔師はこの世に存在しない。

 

 加賀 千白からの報告と事件の経緯を合わせ、神祇筆頭秘書から立案された作戦書を読んだ長官は内心冷や汗をかいた。

 対象を結界内にある野球場に連れ去り、理不尽な野球勝負を仕掛けて呪殺する界異に対して彼女が立てた作戦は「審判を機能停止させる」ためのものだった。

 

 まず、中央神祇室から日本の社会人野球を統括する公益財団法人にコンタクトを取り、一時的に国内で行われる野球試合のルールを書き換えてもらう。この時、ルール変更の手続きは可能な限り正規の手段に則る。

 書き換えたルールには、『審判が試合中に引き起こされた状況を収拾する際には、その最初の原因となった選手を指定しなければならない』と記載した。

 次に、失籍者である牟田田含む予備班の二名を第六班に合流させ、結界内部へと送り込む。

 これと前後して、長官は失籍者である牟田田の観測を停止する。

 それさえできれば、あとは戦闘準備を整えた後で牟田田に「乱闘」を起こさせれば良い。審判が乱闘を止めるためには牟田田を指定する必要があるが、霊的にどこにも存在していない選手を呼び止めることはできない。

 あとは「乱闘」によって界異を祓滅するだけだ。屈指の武闘派である第六班が、儀式野球による呪殺に特化した界異に遅れを取ることはない。

 

 この作戦において肝要なのは、周辺の祓魔師が失籍者の名前を意識しないことだった。

 そのため、同行者のローラも、第六班の加賀も牟田田の名前を呼ばないようにしていた。

 尤も、ローラは普段から彼の本名を呼ばないため特に問題はなかったが。

 

 本来なら重篤な霊障である失籍体質を、儀式特化の界異への切り札として使用する。

 更に、その界異が儀式の拠り所とする競技のルールを、無理やり書き換えてしまう。

 悪辣とも言える作戦を瞬時に立て、環境庁の認可の元あらゆる関係各所への要求を瞬く間に通してしまった秘書の手腕を、長官は高く評価している。

 自分の特異体質は確かに便利だが、組織とは本来的に手続きと代替可能性によって成り立つべきだからだ。

 

「日野連から連絡ありました。正常なルールへの移行が完了したようです」

「そうか。明日からの興行には支障ないな」

「ルールが書き換わっていたのは、深夜帯の約一時間程度でしたから」

「……では、事後処理以降は君に任せる。下がりたまえ」

 

 一礼して執務室から出ていく秘書を見送り、長官は再び書類の山に向き合って短いため息を付くのであった。

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