「降車ー!」
ここまで自分たちを揺さぶって来た1トン半トラックが止まるや否や、他の隊員に続いて荷台から飛び降りる。降りた先では既にほかの隊員たちが班ごとに整列していた。急いで、班長の姿を探してその後ろに滑り込む。一通り並ぶと小隊長が点呼を取り始めた。
「1班全員います!」
「2班揃っております!」
「3班は松本に出張だな。飛ばして4班!」
「欠員ありません!」
班長がよく通る声で答える。9班まで数えて
元々こういった化け物はいわゆる霊感を持った霊媒師や祓い師にしか倒す事が出来なかったが、祭具《ギア》と呼ばれる特殊装備の開発によってそうではない人間でも倒せるようになったことで、“境対”と通称される環境庁神祇部境界対策課をはじめとして界異と戦う組織が作られるようになった。陸上自衛隊の対境界異常群や各師団の祓魔小隊———つまり我々———もその一つである。そしてそれらに属する、化け物と戦う人間のことを一般的に「
境対の仕事は日本国内の界異を討伐することだが我々の仕事は自衛隊を界異から守ることである。いかに自衛隊と言えど
さて、ここ東富士演習場には有名な界異が存在する。「砲兵森」と言うのがそれで、これは演習場内に存在する一見何の変哲もない森であるが、その名の由来として明治時代の砲兵の幽霊が「砲兵○○大隊の陣地はここでありますか?」と訊ねてくることで知られている。
実際には現れるのは明治の砲兵に限らず、明治以降あらゆる時代の兵隊の幽霊が出る。というのも、この森に巣食う界異は兵隊の姿を借りて人を襲うのである。明るい場所や人の多い場所に逃げ込めば助かるが、襲う時彼らは必ず「○○はここか」という形の問いをかけてくる。これを肯定してしまうと逃げる暇もなく直ちに
東富士は旧軍時代から使われている演習場で、歴史の長さに比例して砲兵森の犠牲者も多い。犠牲者が増えればそれだけ多くの界異が跋扈するようになるため、砲兵森では定期的に関東の自衛隊祓魔師———富士の祓魔学校や第1対境界異常群、そして我々第1師団付祓魔小隊が界異を討伐することになっている。そして今日はわれわれの当番と言うわけだ。
「えー、いつもやっていることではあるが決して気を抜かないように!集団行動を徹底し、無事に任務を終わらせよう!」
小隊長が気の抜けた訓示をする。隣に並んでいた、2班の大泊3曹が肩をつついて来た。
「おい原田。お前ら良いよな、新型装備を先に貰ってさ。俺は1班が先だと思ってたぜ」
「うちの班長が頑張ってんだよ。悔しけりゃ俺らの次に貰えるよう頑張りな」
「お前にその頑張りの1/10でもありゃ今更士長やってねえのにな」
「うるせえ」
小隊長を注視しながら、小声で会話を交わす。うちの班は新型の戦闘
「では事前の打ち合わせ通りに。解散ン!」
いつの間にか小隊長の訓示が終わっていた。号令と共に小隊が班ごとに散らばって行く。祓魔小隊では通常4人で1つの班を編成する。うちの班であれば班長に吉田1士と中沢1士、そして自分の4人だ。基本的にはペアを二組組んで戦うことになる。普段通りなら中沢の方が経験が浅いので班長と組み、自分と吉田が組む。
「いいか、絶対に一人になるなよ。常にペアを意識して動け。何かあったらすぐに森の外に逃げるんだ。分かっているな」
「何回来てると思ってるんですか」
配置へ移動しながら班長が注意する。ここに来るたびに聞かされた注意だ。よく分かっている。
「分かっていればいいんだ。よし、装備を点検しろ」
そうこうしているうちに配置までやって来た。最後に装備を改める。祭具は色々あるが、今回の相手は個々の個体はそこまで強くないので軽装だ。5等級あるうちの一番下、1号級に分類される相手である。知恵も無いし現実改変の類も使えない。基本的な武器である
「行動開始」
班長の無線機から、小隊長の声が聞こえた。
「聞こえたな。行くぞ」
班長を先頭に、森に向かって進み始める。いよいよだ。
砲兵森は、木の密度は高くないが下生えが茂っていて、日中でも薄暗い場所である。外から中の様子を伺いにくく、陣地を作りやすい格好の場所だ。それが故に演習の際に頻繁に部隊が野営し、犠牲者を増やすことになる。左右を見渡せば、薄暗い木々の向こうで他の班が前進しているのが見え隠れする。どことなく気味が悪いこの場所では仲間の存在が分かることは心強い。砲兵森の中では現世と幽世の境界があいまいになっているらしく、界異がどこからでも出現し得る。各々2メートル程度の間隔で横隊になって進む。
「連隊本部はここでありますか?」
背後から声がした。振り返ると、カーキ色の軍服を着た旧陸軍の兵隊が立っている。界異だ。
「吉田!」
相方を呼びながら、対異刀をさっと抜き払う。兵隊は目の前でまだ棒立ちしたままだ。そのまま踏み込んで間合いを詰め、下から上に袈裟切りにする。兵隊は一刀両断され、崩れるように霧散した。
「手を出すまでも無かったですね」
吉田が抜きかけた対異刀を収めながら笑う。
「ちょっと拍子抜けだったな。前はもう少し粘っていた気がするが」
少し首をひねりながら対異刀を収める。横から班長が声をかけて来た。
「よくやった。この調子で頼むぞ」
「了解」
ふたたび前を向き、横隊で進む。
最初の一戦以降、この探索は拍子抜けするものだった。というのも、最初の一体以外全く界異が現れなかったのである。他の班からは何度か接敵の報告が上がっていたのでたまたま自分たちだけ少ないのか、それとも何か異常が起きているのか判断が付きかねた。
「しかしもう目標ラインに着いてしまうとはな」
班長が地図を開きながら怪訝そうな顔をしている。他の班が戦闘によりところどころ足止めされたのに対し我々は順調にひたすら歩いて来たので、森の深部に入り込むことを避けて近めに設定されているとはいえ他の班を置いてすぐに到達目標のラインまでたどり着いてしまったのである。
「どうだろう。余裕があればさらに前進しても良いとされているが」
「良いじゃないですか。行ってみましょうよ」
すぐに賛成を述べる。この調子なら少し深入りしても大丈夫だろう。
「どうだ吉田」
「良いんじゃないですか。ちょっとだけなら大したこと無いでしょう」
「中沢は?」
「吉田1士の言う通りです。少し奥に行ってみましょうよ」
「よし、じゃあ行ってみよう。くれぐれも気を抜くんじゃないぞ」
班長が地図を仕舞う。他の班が着くころには戻ってくればよいだろう。班長を先頭に、自分が
目標ラインの先は普段の演習でもあまり使わないらしく、下生えの密度が増して土も柔らかく、今までよりも歩きにくくなっていた。足元に気を付けながら歩いて行く。少し前進すると、班長が急に止まった。
「原田!」
班長が小声で呼ぶ。大きな音を立てないように気を付けながら駆け寄った。
「あれが見えるか?」
指さす先を見ると、青っぽい緑の人影が見えた。おそらく熊笹迷彩(※1990年代まで採用されていた旧式の迷彩)の自衛官だ。今時見かけるものではない。無言で頷いた。
「襲うぞ。私は左手から行く。お前は右から行け」
「了解しました」
振り返って、吉田を招き寄せる。ついて来るように合図すると、班長と別れてなるべく音を立てず、見逃さないように相手を注視しながら距離を詰める。徐々に近づき、あと10メートル、といったところだった。
「先輩、あそこ!」
いきなり吉田が大声を上げた。右手を指すので見れば、木々の間に人、人、人…こんなところに味方がいるはずがない。界異だ。一番近い奴———旧陸軍の兵隊の、軍服の襟に付いた連隊番号が読み取れる。こんな近くに来るまで気付かないとは迂闊だった。
「班長!」
「こっちだ!」
「吉田、走れ!」
ばっと振り向き、あらん限りの声で呼ぶと返事があった方に走る。班長達とはすぐ合流した。
「すぐそこにいます。すごい数です」
「分かってる。あっちにもいるんだ。右も左も界異でいっぱいだよ。先ず小隊に報告する」
「分かりました。おい、班長を守れ!」
対異刀を抜き、3人で班長に背を向けて取り囲むように周囲を警戒する。界異どもは我々を囲みつつあるようだった。映画の中でゾンビの大群に襲われる主人公になった気分だ。
「小隊本部、こちら第4班!目標ラインからおよそ30メートル先に怪異多数を発見、100体以上いる!」
「了解。直ちに総員退避せよ」
「聞いたな?ずらかるぞ、走れ!」
号令一下、全員で明るい方へと走り出す。外に出てしまえば襲われない。追いついてこない事を祈るばかりだ。
そう思った矢先、
「原田、そこにいるか?」
「俺はここだ」
即答して、はっとする。振り向くと、熊笹迷彩の自衛官がにたぁ〜〜〜っと笑っていた。この世のものとは思えない、気色の悪い笑みだ。
「そうかぁ〜、原田はここにいたのかぁ〜〜〜」
背筋が凍りつく。全身を襲う悪寒は、単に恐怖によるものだけでは無いだろう。自衛官の背後、木の陰から同じように不気味な笑みを浮かべた人影が現れる。カーキ色の、旧陸軍の格好をした兵隊だ。気付くと、周りをぐるっと囲まれていた。木の陰から次々に現れる人影は、緑やらカーキやら白やら…ありとあらゆる、旧陸軍や昔の自衛隊の格好をしている。そしてその一人一人が、皆不気味な笑みを浮かべているのだ。
「お前もこっちに来いや~~~」
不意に、熊笹の自衛官がこちらに手を伸ばしてきた。反射的に後ずさる。まずい。このままでは連れていかれる。自衛官の姿をした界異に背を向け、あらん限りの力で駆けだした。
森はやけに暗く、その暗がりが見渡す限り延々と続いていた。おかしい。砲兵森はそれほど広い森ではないはずだ。森の外どころか、どれだけ遠くに目を向けても光が全く見えないのはおかしい。薄暗い森を延々と…おそらく15分は走り続けているのではないかと思うが、この森から抜け出せる気配が全くない。下生えが茂った、同じような見た目の木立を延々と走り抜ける。こんな場所では方向感覚などとっくに失っているだろう。ずっと同じところをぐるぐると走り続けていると言われても疑うことはできない。
「とにかく小隊に合流しなければ…」
これだけ走り回って人が一人も見えないのもおかしい。1個小隊とはいえ、この森の中には3,40人もの自衛官が立ち入っている。先に退却してしまったのかもしれないが、それでもそこまで遠く離れてしまっているはずはない。いつの間にか、あの界異どもの姿も見えなくなってしまった。
ふと、視界の端に光が見えた気がした。立ち止まり、その方向を向く。もう一度、何かが光った。目を凝らしてみると、人影が見えた気がする。思わず、その方向に走り出した。
「おーい!」
ようやく自分以外の人間を見つけた。仲間かもしれない。腹の底から叫んだ。返事はない。まだ気づかないのか、自分に背を向けている。
「おい、小隊はどこか知らんか!」
ぐんぐんと相手に近づく。見れば、自分と同じ自衛隊の祓魔師だった。仲間だ。駆け寄って、肩に手をかける。そして、振り返った顔を見てぎょっとした。
「小隊ィ~~~?」
“それ”が、素っ頓狂な声を出す。目の前に突き出された顔は、見まごうことは無い、自分の顔だった。
「お前の小隊は俺や~~~!」
相手の肩にかけた手が振り払われたと思ったら、急に息苦しくなった。首が締め上げられている。“自分”が、自分の首に手をかけているのだ。首を絞める手を引きはがそうと手をかけても、およそ人間とは思えない力で締め上げられる。意識が遠のいて来た。視界が霞む。もう限界だ。その時だった。おぼろげな視界の中でいきなり奴が真っ二つになった。それと同時に、辺りが急に明るくなる。聞き覚えのある声が、自分を呼んでいる気がする。意識はそこで途切れた。
目が覚める。薄緑色の天井だ。ガタゴトと、お世辞にも快適とは言えない揺れに襲われている。丁度こんな乗り物に心当たりがあった。新教の時に日射病で落伍して以来だ。アンビ(※1トン半救急車)のベッドに乗せられるのは。
「目が覚めたか」
班長の声だ。頭を左に向ける。通路を挟んで向かい側、人が座って代用ベンチに化けたベッドに班長と吉田1士と中沢1士が並んでいた。班長が心配そうに自分の顔を覗き込む。
「どうだ、身体は…大丈夫か?」
「なに、ピンピンしてますよ。心配には及びません」
起き上がろうとして、班長に止められた。
「まだ寝とけ。これから富士の
「医霊官に?うちにも医霊班がいたはずじゃぁ…」
遮るように、吉田1士が口を挟んだ。
「先輩、
幽世に?班長が口を開く。
「お前、良く生きて戻って来たな。あの界異どもが今までの犠牲者の姿をしているのは知っているだろう。向こうに引き込まれると奴らに姿を奪われるんだ。奪われた人間は存在を保てなくなり消える。今まで生きて帰ってきた奴は居ない」
そう言いながら、班長は自分の左手の方に視線を向けた。左手を自分の目の前に持ってくる。いつの間にか、穢れで真っ黒に染まった形代紙を握っていた。
「幽世は穢れで満ちているはずだ。戦闘防穢衣が無かったら形代があっても危なかっただろう。命拾いしたな」
新型の装備による防護が無ければ形代でも肩代わりしきれなかったかもしれない。危ないところだった。自分の命を救った紙切れを、軽く握り込むと灰のようにパラパラと崩れ落ちた。
「そうだ。アイツ、自分の名前を呼んだんですよ。『原田はここにいるか?』って」
班長が険しい顔つきになる。
「そんなこと、聞いたこと無いぞ。本当なら、奴らは少し知恵をつけてきているのかもしれん。このまま放っておくと厄介なことになるかもしれんな」
ふと、思い出した。砲兵森の界異は人間の姿を奪う。最後に会った界異はそっくりそのまま自分の姿をしていた。今思い出せばあれが着ていたのは新型の戦闘防穢衣に違いない。おそらくそいつは班長が退治してくれたのだろうが…あの時自分を囲んでいた界異の中には、全く同じ姿をしたものも複数あった。おそらく奪った姿はあの界異たち全員の持ち物になるんじゃないだろうか。つまり、自分と同じ見た目の界異を倒したところで奪われた姿を完全に取り戻したとは言えないだろう。果たして、自分は本当に無事戻って来れたのだろうか。