祓魔四班   作:C'est la vie

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奇蹟

 薄灰色の空から、冷たい風に乗って雪が殴りつけるように降りつける。道路に沿って立ち並ぶ、田舎風な丸太組みの平屋は午前4時の薄闇に黒々とその影をさらし、月さえ見えぬ夜を照らし出すのは、路肩にたたずむ自動車の丸い前照灯だけであった。

 車の轍でぐしょぐしょに踏み荒らされた泥道を、荒海をわたるかのように車体を揺らしながらGAZのバン(ブハンカ)が2台進んでいた。激しく上下に揺れる前照灯の光の中で、こちらを向いて停まっている自動車の姿が見え隠れしている。角ばった、平たい風貌に幅の広いセダン。黄色と青に塗り分けられ、天井に筒形の回転灯を乗せている。地元警察(ミリツィヤ)らしい、少し古いヴォルガのパトカーだ。2台のバンがまっすぐこの道路を進もうとしているのを見てか、パトカーから警察官が2人降りる。前を行くバンが警官の前に止まると、もう一人の警官が運転席の窓を叩いた。

「この先は通行止めです」

中の人影が動き、窓が下りる。真っ暗な車内からぬっと身を突き出したのは、迷彩服姿の男だった。

KGB(カーゲーベー)だ。通せ」

左手で身分証を差し出す。警官は受け取り、一瞥するとすぐに男に返した。

「失礼しました。現場はこの先です。署長はすでにいらっしゃっています」

「分かった、ありがとう」

窓を閉め、警官が路上から退くと2台のバンは発進した。警官が敬礼で見送る。

 

 大きい倉庫のような建物を、少しやつれた車体の黄色いパトカーが7,8台で囲んでいた。建物の前には、白地に赤いラインが入ったワゴンの救急車がドアが開け放たれたまま打ち捨てられたように停められている。その周りに群がる警察官たちは、決して包囲線を超えて建物に近付かずに車体を盾にして自動小銃や拳銃を建物に向けていた。そこに先ほどのバンがゆっくりと近づいて止まる。

 その到来に気づくや、包囲線から数人の警官がバンに駆け寄った。その中の一人、中年も過ぎた白髪混じりの警官がバンからぞろぞろと降りてくる迷彩服姿の男たちに声をかける。

「署長のミシャーエフ民警少佐です。指揮官は?」

一人の男が進み出る。がっしりした体格の、壮年の男だ。

「KGBのパパエフ中佐だ」

「お話は伺っております。なんでもお聞きください」

ミシャーエフ以下、その場の警官が踵を揃えて敬礼する。パパエフは軽く答礼し、事務的な平坦な声で警官たちに尋ねた。

「よろしい、まず経緯を聞かせたまえ」

「あそこは9ヶ月前からカルト教団の拠点になっておりまして」

「そのことはKGBでも承知している。通報があったのは?」

「失礼。通報したのは隣の住民で、窓から教団の信者が折り重なるように倒れているのが見えたというので昨日の昼過ぎに通報がありました。早速警官を向かわせて救急車の手配をしましてな、先に警官が到着したのですがその時には中は血の海で信者が各々心臓にナイフを突き立てて皆死んでいたそうです。救急車が到着して死体の収容を始めると───」

「死体が起き上がり、襲いかかってきたと」

「そうです。救急隊員2人と警官1名が殉職しました。なんとか逃げ出した警官が扉を塞ぎ、署に一報入れたので一先ず現場周辺を封鎖いたしまして住民を避難させました」

「それから、何か動きは?」

「ありません。お宅の指示通りこちらから手は出していませんし、向こうも扉を塞いでからは時々窓や扉を叩いてきますが出てくる気配はありません」

「迅速な対応に感謝する。出入り口は?」

「表と裏口の二箇所です。窓を出入り口と見做さないのであれば」

「鍵はかかっていないな?教団は何人ほど?」

「かかっていません。うちの見立てでは30人は超えないかと。何か他には?」

「いや結構、十分だ」

話し終わる頃には、すでにKGBの隊員たちが完全武装で用意を整え、車の前に整列していた。

「行くぞ諸君。S(シグマ)部隊第51分隊、前へ」

 

「警察の見立てでは30人以下、KGBの推測では25人前後だ。状況もうちの報告と大差ない」

「では打ち合わせ通りに?」

「そうだ。俺が正面から入るから君は裏から行け。こっちが先にやるから始まったらそっちも突入だ」

「了解しました」

第二班を率いるロフマトキン大尉は、敬礼もそこそこに自分の班のもとへ走り去っていった。振り返り、自分の部下たち───第一班の連中に向き直る。

「こっちが先だ、いいな?生存者はいないから見つけ次第撃て!ワシリー、お前が先頭だ」

「はっ」

呼ばれた隊員から順に、倉庫の正面───乗員を失った救急車と向き合う大きな鉄扉の左に4名、右に4名、大きなバイザーの付いた重厚なヘルメットを被り胸甲のような防護ベストを着た隊員が並ぶ。その隊員たちの手には、黒い直線的なシルエットの武器が握られていた。自動小銃のように構えられたそれは、およそかけ離れたものに見えるがその構えの通りに自動小銃であった。しかしその見た目のように、普通の銃ではない。

 右側の先頭の隊員が扉に手をかけ、その列の最後尾についたパパエフ中佐に視線を向ける。中佐が頷くと、周囲を取り囲む警察官たちが見守る中で、ゆっくりと重たげに引き開けられその奥の闇をのぞかせた。扉が人一人通れるぐらいに開くや、左の列の隊員たちから突入していった。

 

 建物の中は真っ暗だった。少ない窓から射し込むパトカーの灯りの他に光源は無い。雪の降る季節とは言え、人が住んでいたとは思えないほど寒々としていた。隊員が、手にしている懐中電灯を灯す。規則正しく並ぶベッド、打ち放しのコンクリートの床、床を黒々と覆う染み───鼻が血の匂いをかぎ取るとともに、目が異様な光景を見出す。懐中電灯の白い光の中にふらふらと動く人影───しかし氷点下の冷気に晒されたその肌は生命からかけ離れて電灯の光より青白く、白い衣服には赤茶けた血がべったりと染みていた。“生ける死者”たちだ。隊員たちが素早く銃を構えると、閃光と共に叩きつけるような銃声が何度か響く。銃声が止むと、“生ける死者”はハリネズミのように全身にトゲのようなものが突き立てられていた。

 S(シグマ)の隊員たちが手にする銃は、“ペグ”と呼ばれる特殊な杭を撃ち出す武器だ。我々S(シグマ)部隊の敵は、今見たように普通の人間ではなく科学では説明できない、いわゆるオカルトに属する存在である。そのような存在には普通の武器では効果が薄く、このように特殊な武器を用いる必要がある。普通の小銃と同じように火薬で撃ち出されるこのペグにはそれらの非科学存在が纏う瘴気を打ち消し、かれらの力を弱める作用がある。敵を倒すには瘴気が消えるまでこれを撃ち込むのが今のところ唯一の方法だ。

 ハリネズミにされた“生ける死者”がゆっくりと崩れ落ちると、並んだベッドの間からもぞもぞと他の死者たちが起き上がって来た。裏手からは第二班が突入し、幾つもの部屋に潜む死者どもをハチの巣にしているだろう。れわれの為すべきことはこの大広間に群がる死者を一人残らず物言わぬ死体に戻すことだ。広間の奥から響く銃声に応えるように、絶え間なく銃声が響き死者どもはみるみるペグまみれになっていく。一人、また一人と崩れ落ち、全ての死体が床に伏し、この空間が静寂を取り戻した時だった。

 突如、くぐもった悲鳴が聞こえた。奥から散発的な銃声が聞こえる。しかしそれはすぐに止んだ。これが示すことは明らかだ。第二班に何かがあったのだ。パパエフ中佐は、そばにいたキーロフ大尉と顔を見合わせた。彼はこの班の中で一番のベテランだ。

「どうします?」

「不味いな。あれが裏口から出ちまったら外の警官どもじゃどうにもできん。あのロフマトキンの野郎どもがこの数秒で全滅するとも考え難いが───」

そう言いかけた時、奥の方の壁からごん、ごんと何かがぶつかるような音がした。パパエフとキーロフは口を閉じ、音に耳を立てる。この音の主は“奴”か第二班かのどちらかだろう。しかしパパエフの直感は、その音の主が人間ではないと告げていた。

「奴だ!壁を撃て!」

刹那、8挺の銃が、壁の音が聞こえる辺りに向かって火を噴く。安普請の壁が砕け、剥がれ飛び、崩れ落ちる。銃声が止んだとき、白い粉塵の向こうで壁にぽっかりと銃撃で穿たれた穴が開いているのが見えた。

「やったか!?」

次の瞬間、穴の中から、粉塵を突き抜けて何かが飛び出してきた。それはまっしぐらに一番近い隊員に飛びつくと、瞬きもしないうちに隊員の首が宙を舞った。

「う、撃て!」

7挺の銃が火を噴く。しかし闇の中を這いまわる“何か”は、ペグの雨をものともせずに手近な隊員に飛びつくと短い悲鳴と共に彼の首をねじ切った。

「同志指揮官!効いていません!」

「くそ、西ドイツ製だってのに!どうなってるんだ!」

隊員が悲鳴を上げる。よく訓練された隊員たちがおよそ普通の生き物にはできない素早い動きで這いまわる“それ”に翻弄され、また一人首が飛んだ。

「中佐殿、ずらかりましょう!応援を呼ぶべきだ!奴は扉を閉めれば出てこれないかもしれません!」

キーロフ大尉が叫ぶ。パパエフ中佐は頷いた。

「仕方ない、下がるぞ!ザーリャ、リーダ!殿(しんがり)を!」

二人の隊員が後尾に立ち、残った4人が入口の鉄扉へと急いで下がる。しかし“それ”は彼らを見逃さなかった。ちょっと身をかがめたかと思うと、矢を射るかの如く跳躍し、S(シグマ)部隊を飛び越して扉に張り付いたのである。隊員が駆け寄るより早く、ガシャンと大きな音を立てて扉が閉ざされる。隊員が手にしていた懐中電灯が一斉に扉に向けられ、はじめて“それ”の姿がはっきりと映し出された。

 それは───鉄扉にクモのように張り付く、人間だったものであった。着衣はどこに行ったのか、いっさいの体毛は失われ、青白い皮膚には青い血管が浮かび上がり、赤いミミズ腫れが全身に走っていた。その顔からは目と鼻が失われ、そして背中には3対の長い触手が血にまみれてぶら下がっていた。パパエフ中佐の全身に悪寒が走る。あまりにもおぞましい外見だった。人間は、かくも冒涜的な怪物になり得るのか。

 退路を断たれ、まるで品定めするように首を動かすこの化け物を前にして我々はかつてない危機に陥っていた。ひとたび奴が動き出せば、全員の首をねじ切るのは簡単だろう。もしここで奴を止める事が出来なければチェルノブイリに並ぶ惨事になるかもしれない。

「おお神よ、この不信心者が祈るのをお許しください。我らを救いたまえ…」

隊員の一人が十字を切っていた。ソビエト連邦では信教の自由が認められており、革命後も正教会が生きながらえているとはいえ公に信仰を保つのは危険な行為であった。共産主義のプロパガンダと宗教は相反するものであり、共産党が人民の生殺与奪まで支配するこの国で信仰を公言することの結果は推して知るべきだろう。ましてや、その共産党の手先であるKGBにおいては。しかし今彼を責めることはできない。もしこの状況を打開できるのならば、それを行うことができるのは神と言うほかないだろう。一人の隊員が扉に張り付く“それ”に、引き金を引いた。瞬間、触手が鞭のようにしなり、全員をなぎ倒す。

 

 その時、かすかに鈴の音が聞こえた。

気のせいかと思うが、再び聞こえてパパエフは振り返った。

建物の奥、真っ暗な広間の向こうから足音が近づく。その一歩ごとに、かすかに鈴の音が鳴った。

「やれ、やれ。手を掛けさせおって」

しゃがれた声が響く。やがて見えない光に照らし出されるかのように、暗がりの中から人影が浮かび上がってきた。

白い修道帽(クロブーク)に、刺繍で飾られた白い祭服(ステハリ)。首から飾り帯(エピタラヒリ)をかけ、右手に振り香炉、左手に十字架───正教会の祭司の姿をした、白いひげをたくわえた老人であった。

「こんな奴なぞ神のみ業の前にはネズミと同然じゃ。修行が足りんぞ、不信心者どもめ」

外は警察がびっしり囲んでいるのに、一体どこから入って来たのだろうか。

老人はおごそかな足取りで怪物に向かって行く。怪物が睨みつけるように老人に首を向けた。老人もその鋭い視線を怪物に向ける。

「───不浄め」

老人がさっと十字架を掲げた。同時に、低い声で何かつぶやき始める。

香炉を振りながら、老人の声は次第に大きくなっていき、やがて不気味に何かを唱えるその声は外まで外まで響くのではないかと思うほど大きくなった。

ほのかに光り始めた十字架は老人の声が高くなるにつれその輝きを増し、しまいには辺りを昼間のように明るく照らし上げた。

怪物は光が強くなるにしたがって怯え、顔を逸らし、蛇に睨まれた蛙のようにじっと固まっていた。

「神よ、我が祈りを聞き届けたまえ!我が眼前なる不浄をそのみ業により祓いたまえ!哀れなる死者をその慈悲により清めたまえ!」

老祭司が、老人とは思えない力強い声で叫ぶ。十字架の輝きは目も眩むほどになり、彼が最後の言葉を告げた時、この空間は真っ白な光に覆われた。

 パパエフ中佐は、その瞬間全ての音が失われたように感じた。

その静かな空間の中、老人と怪物の対峙を見守っていた彼は目を見開いた。彼自身これまでに信じがたいものをごまんと見てきているのだが───この時彼の目に映っていたものはそれよりはるかに信じがたかったであろうことは、光が消え、老人が十字架を下ろしてもなお呆然としていたことから知れるであろう。

闇を這う怪物は、今や老人の足元にただの死体となって横たわっていた。それを見届けると、老人は満足したかのように踵を返した。

「チェキスト(※ソ連秘密警察のこと)よ」

老人が、唖然としている隊員たちに向かい合う。

「礼は要らぬ。吾輩は為すべきことを為したのみじゃ」

それだけ言うと、老人は静かな足取りで闇の中へ消えた。

 直後、ガラガラと大きな音を立てて鉄扉が開かれた。十数名の警官が、自動小銃を手に建物に駆け込んでくる。彼らは屋内に“敵”が残っていないのを確認すると、S(シグマ)隊員たちを介抱し始めた。

「まず負傷者の収容を!救急車の手配を急げ!死体の収容はそれからだ!」

署長が警官に指示を飛ばす。警官たちは機敏に、屋内の捜索やS隊員の救護に走った。惨状に顔をしかめながら屋内に踏み込んだ署長は、床に打ち倒されたパパエフの姿を見て駆け寄った。

「中佐!大丈夫ですか!」

部下と二人がかりでパパエフを抱き起こす。パパエフは絞り出すような声で答えた。

「なんとか。部隊がかなりやられた」

署長が部下から水の入ったコップを受け取り、パパエフに飲ませた。乾いた喉に冷たい水を流し込み、一息つく。

「心配しましたよ。いきなり扉が閉まったものですから、何かあったのかと20人がかりで扉を開けさせたんですがなかなか開きませんでな。ようやく開いたらこの通りです。一体何があったんです」

パパエフは、遠くを見つめながら署長に訊き返した。

「少佐、あんたは奇蹟を信じるかい」

「はあ?」

「俺は信じるよ。神様は信じないが、奇蹟を目の前で見せつけられて信じないとは言えない」

署長は何も言わなかった。いつの間にか、外では雪が大分弱くなっている。遠くからサイレンの音が聞こえてきた。この道路では、救急車が来るまで相当かかるだろう。

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