「チェックだ」
対面に座る男はそう言って、盤上の駒を動かす。
「…………」
突きつけられた一手に対し、こちらはしばし長考。
どこか違和感を感じるこの一手。もっと言うならば、お前らしくない一手だ。
「その手は甘いんじゃないか? 清隆」
ヘアバンドを外し、上げられていた前髪が視界を遮断する。そうして出来た暗闇は、俺の思考をより深いところまで連れていく。
必要なのは、最善を超える一手。この状況を打開する一手を探すため、膨大な記憶の海へと深く潜ってゆく。
清隆と繰り広げた百を超える対戦の記憶。その初戦、一手目まで遡り、逆転の目を探す。
そう、俺たちの実力至上主義の日々は、ここから始まったんだ。
問:人間は平等であるか。
解:少なくとも環境は平等ではない。
都会に生まれた子供は楽しかろう。充実した設備、多くの友達。学校帰りにカフェでお茶会をしたりレジャー施設でボウリングをしたり、さぞお洒落な日々を送っていることだろう。
しかし、このクソ田舎はどうだ。車を使ったとしても、最寄り駅まで1時間、スーパーマーケットは40分。カフェなんてものはどこにある?
もしも都会で皆に尊敬されるような人物がいたとしよう。その要因には様々なものが考えられる。例えばサッカーが上手い、コミュニケーション能力が高いなどなど。
さて、そのような人物がこのクソ田舎に生まれていたとしたら、果たしてどうなるだろう。サッカーチームなんてものは隣町(片道1時間半)にしかないから当然サッカーは出来なくなる。同年代の子供なんてものもいないためコミュニケーション能力の発達にも支障をきたすだろう。
人間に生まれ持った才能があるように、生まれ落ちた環境が人格形成に影響を及ぼす側面は大いにあるだろう。
結論:田舎はクソで、都会は最高だ。そこに平等なんてありはしない。
それが俺、
しかし、しかし! そんな日々も今日で終わりを迎える。俺はついに都会に降り立ち、シティボーイの仲間入りとなるのだ!
「今日は入学式! とってもとってもうれしいなー!」
大きな声ではしゃぎながら、新品の赤いブレザーに袖を通す。
緑のスラックスに赤いブレザーという学校の制服としてはやや尖った配色。
今日から俺が在籍する高度育成高等学校は、制服と同様に極めて尖った特徴を持った政府直営の学校だ。
入学を決めた生徒は、高校三年間寮生活を義務付けられ、学校の敷地内からの外出は原則禁止。外部との接触の一切が不可能となる。しかしその代わりとして、学費、生活費、その他全ての費用を政府が負担してくれる。外出禁止と言えども、60万平米を超える敷地内はもはや小さな街であるためデメリットはさほどない。
もちろん思春期の高校生にとって家族と離れてしまう精神的負担は大きいものであるのだが、それでも入学希望者が殺到する最大の理由は、「生徒が希望する進学・就職先にほぼ100%応える」という売り文句だろう。
「想、楽しみなのはいいことだけど、そろそろバスが来る時間じゃないか?」
「やべ、ほんとだ! ありがとう父さん」
父さんに言われ、慌てて玄関に向かい扉を開ける。
時計の針が指し示していた時間は、バスの到着予定時刻の30分前。普通なら全く慌てる時間ではないが、鬱蒼とした森に囲まれた山奥の我が家からすれば、遅刻ギリギリの時間なのだ。
「ほんとに何も持っていかなくていいのかい?」
「私物は一切持ち込めないって話だから。父さん、今まで育ててくれてありがとう。卒業したらめっちゃ稼ぐ職について、美味い飯いっぱい連れてくよ」
「ふふ、ありがとう。でも父さんは、想が学生生活を満喫して、好きな未来を選んでくれるのが一番うれしいんだよ。僕のことは気にせずに楽しんでおいで」
「うん。行ってきます」
最後の言葉を交わして軽くハグをし、父さんに手を振りながら我が家を後にする。森に入る直前あたりを見回して大きく息を吸いこみ、大きな声で故郷に別れを告げる。
「じゃあなクソ田舎! 二度と……とは言わねえけど、時々しか帰ってこねえからなぁ!」
その言葉を最後に、幼いころから鍛えあげたフィールドアスレチックの技で山を駆け降りる。
「今日から始まるんだ。夢にまで見た、俺の都会暮らしが!」
想像すればするほど胸は膨らみ、高揚した気分がよみがえってくる。
映画見ちゃうか? 教室で昨日のテレビの話とかしちゃうか? カフェで新作フラペチーノ飲んで駄弁ったりとかも出来ちゃうのか?
「友達100人、出来るかなー!」
そんなことを考えていればあっという間に時間は過ぎ去り、バスに揺られて1時間弱。俺はついに高度育成高等学校へと足を踏み入れた。
「高崎想 高崎想……っと」
正門を潜り抜けると大きな掲示板に新一年生のクラス分け表が張り出されていたため、群がる同級生たちに合流して自分の名前を探す。これも初めての体験でさっそく心が躍る。
「見つけた。Dクラスか」
この学校ではAからDまでの4クラスに振り分けられるようで、右端のAクラスから順に流し見していくと、逆側の端にあるDクラスの名簿の中に自分の名前を見つけた。
さっそく教室へ向かおうと掲示板から離れようと背を向けると、他の一年生から少し離れた距離から掲示板を見つめる少女の姿を見つけた。
その少女は美しい白銀の髪を春風になびかせ、同年代の女子よりも小柄な体躯を杖に身を任せ支えている。そして何より、今までに見たことがないくらいかわいい。いや、そもそも今までに見た女子の数が少ないって言うのはあるんだろうけども。それでも都会の女子というのはあそこまで綺麗なものなのか。
見たところ足が不自由なのだろう。掲示板に近寄ることはせず、遠目から様子をうかがっている。
(あっ、目が合った)
少女からは軽く会釈を返される。そのまま放っていくのは何とも忍びないため、少女に近寄って声をかけてみることにした。
「初めまして。もしかして、掲示板に近寄れなくて困ってたりする?」
「お恥ずかしながらその通りです。見ての通り足が不自由なものでして、あの人混みの中へ飛び込むのは気が引けていたのです。すぐにピークも過ぎると思いますので、どうぞお気になさらず」
俺が気にして話しかけたのはお見通しな様子で、気を使われてしまった。このまま引くのはなかなか男としてだらしないのではと思ったので、もう一押ししてみることにする。
「もしよければ、名前を教えてよ。代わりに探すから」
「いえ、初対面の方にそこまでしてもらうわけには……」
「いいからいいから。それに初対面だからこそ、自己紹介をするべきじゃない? これから三年間同じ高校、それも同じ街で暮らす同級生なわけだし」
「……それもそうかもしれませんね。分かりました。貴方の口車に乗せられることにしましょう」
熱の強い俺の主張が面白かったのか、少女は口元を手で隠して微笑みながら了承してくれた。まずい、舞い上がって少々圧が強かっただろうか。
「俺は高崎想って言います。三年間よろしく」
「坂柳有栖と申します。よろしくお願いしますね、高崎さん」
「うん。よろしくね、坂柳さん。えーと、坂柳坂柳……」
そう言いつつ俺は掲示板の方へ向き直るわけではなく、やや上方向を向いて先ほど見た掲示板の記憶を探る。
坂柳さんが不思議そうな顔でこちらを見ている。ちょっと恥ずかしい。しかし早々に彼女の名前を発見することが出来たため、羞恥の時間はすぐに終わりを迎えた、
「Aクラスだね。探し始めてすぐ見つかったから簡単だったよ」
「……なるほど。映像記憶能力ですか。面白いものをお持ちなのですね」
坂柳さんの俺を見る目が、不思議から好奇心へと変わるのを感じた。すこし照れ臭いのは変わらないため、頭を掻いて恥ずかしさを紛らわす。
「まあ、そんなとこ。それより教室に行こうよ。もたもたしてると道中も人混みに巻き込まれちゃいそうだ」
「ええ、そうしましょう」
二人並んで、自分たちの教室に向かって歩きだす。
これはもしや、友達出来ちゃったのでは? 高校生活始まって早々、しかもこんなかわいい女子と友達になっちゃったのでは?
完全に浮かれ気分になり、坂柳さんに質問を投げかけてみることとする。
「坂柳さんはなにか趣味とかある?」
「チェスを少々」
「へぇ、チェスかぁ。所作とかもそうだけど、大人っぽいね坂柳さん」
「ふふ、ありがとうございます。よろしければ高崎くんも始めて見ませんか? 映像記憶能力をお持ちなら、プロの棋譜などを見ればすぐに一定のレベルに達することが出来ると思いますよ」
坂柳さんのお誘いを受けて、ふむ、と考えてみる。チェスは定石ぐらいなら本で読んで知っているし興味もある。そして何より坂柳さんと友達になるためにこれ以上ない機会となるだろう。
学校に入るときに携帯電話も没収されてしまったため、今この場では連絡先を交換することもできない。となれば違うクラスである坂柳さんとこれ限りの関係にならないためには、恒常的に会う機会は欲しいというものだ。
これ友達作りっていうか口説くための思考じゃないか? なんて思ったけど、友達100人作りたい気持ちが勝った。
「確かにそうかも。でも、あくまで覚えられるだけだから。もし始めるならご教授願いたいかな」
「喜んで。成長した高崎くんと指すのが今から楽しみです」
他愛ない話を繰り返すうちに、それぞれの教室が近づき別れの時間となった。
「じゃあまたね坂柳さん、またその内会おう」
「はい。ごきげんよう、高崎くん」
そうしてお互い、自分の教室へと足を踏み入れる。
最初に抱いた感想は、「机の数多っ」だった。教室はそれなりに広い(主観ではあるが)というのに、40個の机がめいっぱいに敷き詰められている。
これが都会なのか……! と感動しながら、黒板に掲示された座席表を確認した。俺の席は窓際の後ろから二番目。一般的にみて大当たりの席と言えるだろう。
自分の席に向かうと、俺の後ろに位置する席の二人は既に着席していた。
綾小路清隆と、堀北鈴音。
この学校はクラス替えすらもないため、彼らとはこれから長い付き合いになるだろう。先に挨拶をしておいて損はない。そして、友達二人目と三人目を作るのだ。
「こんにちは二人とも。俺は高崎想。三年間よろしくね」
「こちらは必要以上によろしくするつもりはないわ。あまり話しかけないでもらえるかしら」
綾小路を含めた俺たち三人の間に、軽い沈黙が流れる。
友達100人計画、早くも前途多難?
綾小路と一言もしゃべってないってマジ?