食禍の妖精   作:根本芳樹

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ミカン星人

「もうだめだ」

 頭部がミカンになってしまった男がすすり泣いた。

「俺はもうリンゴを作れないんだ。ありふれたリンゴしか作れないんだ」

「この人が例の農家?」

 私はミカンの人を無視して友人に尋ねた。友人は首を振った。

「リンゴ農家になろうとしたが呪いによってミカン星人になってしまった男だ。サツマイモ農家はあとで行く」

「もうサツマイモって言っちゃってる」

 改めて泣く男を見るが、確かにミカン星人としか言いようがなかった。原稿用紙を前に身体を震わせ、ミカンのぶつぶつから果汁を流す様子はなんとも哀れだ。

「こいつの家族から治療を依頼されたんだが、正直どうすべきか困ってる。これも縁だ、お前も診てくれ」

 私は手を翳して、男の頭の中を見た。そしてすぐにやめた。

「私たちじゃ力不足じゃないかな」

「だよな。どう説明する」

「率直に話してやれるだけやってもらうしかないよ」

 言い合いながら私たちは部屋を出て、一階のリビングに下りた。待っていたのはミカン星人の家族たちだ。当然ながら普通の人間の見た目をしている。父親が立ち上がった。

「どうでしたか。息子は」

「まあ難しい状態です」

 友人は返した。

「まずご存知かと思いますが、息子さんにはリンゴ農家の才能がありません。にも拘わらずこの十年近くずっとリンゴ農家になると言い張り、そのくせ肝心のリンゴは赤く熟すまでほとんど完成させられない。完成させて市場に出たとしても気遣いをせざるを得ない身内か友人たちにしかリンゴを食わせず、何気ない一見さんがリンゴを食って適当に批判するとそれだけで三日間引きこもるか『しばらくリンゴ農家休みます』と言い張り」

「リンゴを作らせられれば治ります」

 私は遮った。

「作らせられるのなら、ですけど」

 家族は顔を見合わせた。友人はどことなく不満げな顔つきをしている。彼は能力は高いものの、それゆえ努力が苦手だったり能力で劣る者に不満を抱きやすいのだ。各人さまざまな事情があることは理解しているようだが、口が過ぎることもある。

 私は友人の様子を伺いながら、言葉を続けた。

「あの呪いはリンゴを作る時じゃなくて、リンゴを作れない時にかかるものなんです。特にリンゴ農家になりたいけど、リンゴが作れない時とか、あとは何らかの理由でうまくいかないとか」

「しかし、息子は我々にここ数年リンゴを見せてくれなくて」

 母が当惑した様子で言った。

「あの兄貴嫌い。リンゴ作りたいからって家事ほったらかしてニートして引きこもってるし、作ったところで見せないし、勝手に一人で落ち込んでるし」

 荒んだ目つきで妹が言った。友人が身を乗り出す。

「じゃあ事実を言ってリンゴ作るの諦めさせましょう、お前は才能もないし心を鬼にしてリンゴを批判してもらえるような信頼関係も築けない、お前がそんな性根じゃ一生リンゴ農家は無理だこのミカン野郎って」

「そんな。もっと穏便な方法は」

「そうなると心の捕食ですね」

 私が答えた。

「無料で請け負いますが、私がやると正確性を欠きます。取りすぎるかも。人間の魂ってザクロみたいでおいしいから」

「よだれ」

 友人に指差される。私は三メートルくらい伸びていた舌をしまった。家族はいっせいに怯えた顔をした。

「まあともかく、今日は無料にしますから落ち着いて考えてみてください。困ったらまたご連絡を。あと、同業者への相談はお勧めしません。これでも私は良心的な方で」

 と、友人は愛想笑いのようなものをやりながら机の上に名刺を置き、立ち上がる。倣って辞去しようとする私の腕を母親がつかんだ。

「どうにか……どうにかならないんですか」

 母親は声を震わせた。

「息子がかわいそうで。あなたたちならなんとかしてくれると……その力があると思ったのに」

「ほお」

 私は母親を見下ろした。

「私と契約します?」

 母親の顔色が白くなる。父親が立ち上がって娘を背に庇った。

「こら、脅すな」

「うーん」

 私は頬を掻いて唸った。

「騙されなかった」

「誰が騙されるか、義務教育でもうっかり契約はすんなって言われてんだぞ。すんません、じゃあ失礼します」

 玄関口への見送りはなかった。私たちは道を歩き、家族の家が見えなくなってから話し始めた。

「どうすんだろうね」

「どうすんだろうな」

「契約もしないし記憶も捕食しないんじゃだめだろうね」

 私は呟いた。

「一応死にはしないわけだけど、家族が数日ミカン星人になるのはめんどくさいって思ってそうだ」

 友人は首を振った。

「そもそもあいつ、ミカンになったことじゃなくてリンゴのこと気にしてただろ。家族と全く視点が違う。ミカン星人の呪いをなんとかしたい家族からしてみたら……どうなることやら」

「あの人、またリンゴ作れるようになるかな」

「さあ。ミカン星人から農家になれる奴もいるが、大半はミカン星人になったり戻ったり、ミカン星人のまま人生を終える……」

 真剣な言いぐさで友人は空を見上げた。

「好きにリンゴ作ればいいのに。サツマイモ味でもおいしいのに」

「あのう」

 サツマイモの甘さを思い浮かべていたところに、後ろから声がかけられる。さっきのミカン星人が立っていた。

「僕、才能ないんですか。友達にはいいって言ってもらえるのに、他の人からはありがちとか、こんなの通用しないって思われて……僕って才能がない、いいリンゴを作ることもできないんですか」

「知らねえよ」

 友人は返した。

「お前は多分、リンゴを作るんじゃなくてリンゴ農家になることが目的なんだろうけどよ。農家じゃなくてもリンゴは作れるだろ。才能の有無をお前のモチベーションの問題と混同するんじゃねえ」

「何になりたいかと何がやりたいかは別で考えた方がいいけど、才能がないからやる気が出ないなら文字通り向いてないんじゃないかな」

 二人で好き勝手言いつつ立ち去る。私はとうにサツマイモ味のリンゴで頭がいっぱいになっていて、ミカン星人のことはもう頭になかった。

 

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