無限の蒼穹に浮かぶ鋼鉄の城。俺はそんな情景に思いをめぐらせている。《ソードアート・オンライン》。世界初のVRMMORPGだ。わずか1000人しか体験できないβテストを経験した俺には正式サービスの開始はとても待ち遠しいものだった。しかし永遠とも思えたそれまでの期間はあと数分で終わりを迎えようとしている。
俺は自室のベッドに横たわり、外の雑音を聞き流しながら、ゲームハードであるナーヴギアを被った。そして俺は正午になるのと同時に待望の世界に転移できる呪文を唱えた。
「リンクスタート。」
それと同時に俺の脳は浮遊感に襲われた。ID、パスワード、アバターネームの入力を終え最初に見えた景色に俺は興奮を抑えられなかった。数ヶ月前に見たものとなんら変わりはない中世ヨーロッパをモチーフにした世界だ。しかし同時に数ヶ月間待ち望んだものだ。この胸の高鳴りは自分の短い今までの人生でも数少ないものだろう。
「さてと、早速武器を買いに行きますか。」
心臓の鼓動を抑えるかのように、俺は自分にそう言い聞かせた。
このゲームには熟練度という仕様がある。スキルや武器を使用する度に上昇し、熟練度が1000に達した時点で完全習得だ。完全習得するためには気が遠くなるほど時間がかかるため、ひとつの武器しか使わないプレイヤーがほとんどを占めるであろう。
だから俺もβテスト時には短剣だけを使用していた。しかしそこには大きな欠点があった。それはレベリングの効率の悪さである。レベル制MMORPGにおいてこれは大きな問題だ。
武具屋に着くと俺は様々な武器を吟味し始めた。片手剣、両手剣、槍、片手棍、片手斧、両手斧、この中で1番レベリング効率がいいのは両手斧だろうか。威力も高いし、ソードスキルも範囲技が多い。
レベリング効率において両手斧はなんら問題はなかったが俺はその選択を躊躇っていた。なぜなら短剣は正式サービスでも使用しようと考えているからだ。つまりふたつの武器を併用しようと考えている。俺は短剣で培ったβテストの経験を無駄にはしたくなかったからだ。
両手斧と短剣の組み合わせの相性は最悪だ。両手斧はどれもSTR(筋力)が必要なのに対し、AGI(敏捷力)を必要とする短剣だからだ。STRとAGIはレベルアップでもらえるポイントを振り分けることで上昇する。RPGにおいて両方にバランスよく振るのは悪手だ。
だから俺は両手剣を使うことにした。両手剣ならSTRをそこまで必要としない武器も存在する且つ短剣よりもレベリング効率は良い。
そうして長考を終え俺ははじまりの街から少し離れた草原に向かうことにした。
――――――――――
この世界にドラ〇エのようなスライムはいないが、スライム相当のイノシシはいる。正式名称は《Frenzy Boar》であるが青イノシシと呼んでいるプレイヤーがほとんどだろう。
俺は早速両手剣を使ってみることにした。短剣と間合いが全然違うので、最初の方は青イノシシに翻弄されまくりだった。
「ちょっと慣れてきたけど…。むいてないのかなあ。短剣より重いし、動きも制限される。」
多少動けるようになったがまだまだ短剣の方が早くモンスターを倒せる。1時間も経たずに俺は早々に挫けかけていた。
「ぬお…とりゃっ…ひええ!」
少し気分転換をするために草原に横たわっていると、まるで幽霊でも出たかのような奇声が穏やかな風と一緒に流れてきた。
「ぷっ…。自分より情けない姿を見ると少し元気が湧いてくるな。」
体を起こし、声の出処を見てみると少し先でバンダナを頭につけたハンサムな青年が自分と同じく青イノシシに苦戦していた。流石に失礼だとは理解していたが傷心中の俺にはビギナーの姿ですら面白く思えた。
青年が苦戦していると横から見覚えのあるイケメンが出てきて青年の代わりに青イノシシをソードスキルで倒した。
「あれ…キリトか?」
βテスト時代の顔見知りが懐かしく挨拶をしようと俺は歩き出した。
「ん…?リオンか!久しぶりだな!」
俺が話しかける前にキリトは俺の存在に気づいた。青年は首を傾げたが、βテスト時代の知り合いだと納得したらしい。
「うん。久しぶり。」
「あれ?前は短剣使ってたよな?両手剣に切り替えたのか?」
俺の肩からさしているものに気づいたらしい。キリトは目を見開いて俺に尋ねた。
「短剣も使うけどね。レベリングの効率をあげるためにも併用することにしたんだよ。」
「そうか。でも短剣とは全然感覚違うだろ?」
「まあね。今ちょうど苦戦してた。だから急なんだけどコツ教えてくれよ。キリトは片手剣だけど短剣の俺よりは両手剣のこと分かりそうだし。」
「まあ武器種も近いしな。じゃあ早速狩りするか?」
「助かる。君もよろしく!俺はリオンだ。」
「おう!クラインだ!」
お互い自己紹介を終え、早速狩りが始まった。
――――――――――
しばらく経ち、空が一面赤く染まり始めたころ、俺はキリトの指導もあってか今までの何倍も早くMobを倒すことができるようになっていた。
「今日はありがとな。2人とも。だいぶ慣れてきたよ。」
「おうよ!しっかし流石だな、リオン。ベータテスターとはいえ初めてであんなにちゃんとソードスキルを当てられるなんてよ。俺なんてまだ外してばっかだぜ。」
クラインは遠くの絶景を座って眺めながらそう言った。
「しっかしすげえよな。これがゲームの中なんてよ。まじ、この時代に生まれてきてよかったぜ!」
「じゃあクラインはナーヴギア用のゲームソフトもこれが初めてなのか?」
「おうよ!」
話によるとクラインはこのSAOが買えたから慌ててハードもそろえたようだ。もちろん初回ロットが一万本のSAOを購入できたクラインは十分すぎるほどに幸運である。しかし俺やキリトはたった千人しか当選しないベータテストを体験した。このことで妬みを覚えるプレイヤーは少なくないだろう。だからむやみにβテスターであることを知られることは今後ないようにしたい。
「もう少し狩りを続けるか?」
「ったりめえよ!と言いてえとこだが、いったん落ちるわ。ピザの宅配、五時半に頼んであっからよ。」
「「準備万端だなあ。」」
あまりのクラインの用意周到さ俺たちは口をそろえた。
「あ、そうだ。俺そのあと他のゲームの知り合いたちと落ち合うことにしてんだ。どうだ、おめえらもそいつらとフレンド交換しねえか?」
「え…うーん。そうだなあ。」
キリトの歯切れの悪さには俺も思うところがあった。俺も成り行きでクラインとは仲良く接していたが、彼の知り合いと仲良くできるとは限らない。おそらく彼は俺らを同じコミュニティに加えてくれるだろう。クラインは問題ないだろうが、知り合いたちは俺たちを煙たがるかもしれない。俺はそれが恐ろしかった。だから助け舟を出すことにした。
「まあ、それは追々として。それより、ピザの指定時間に遅れちゃうぞ?」
「おう、そうだった。ほんじゃここで落ちるわ。キリトもリオンもこれからよろしくな。」
クラインが右手を突き出したので、俺たちも追随するかたちで拳を突き出し、合わせた。
そうするとクラインは右手を人差し指と中指を揃えて振り下ろした。《メインメニュー・ウインドウ》を開くジェスチャーだ。ここでいったん区切りだと考えた俺はログアウトしようとクラインと同じくメニューを開いた。
俺がある異変に気付くのと同時にクラインは声を発した。
「あれ?ログアウトボタンがねえよ。どうなってんだ?」
「俺もだ。」
「そんなわけないだろ。もっとしっかり見てみろよ。」
キリトは信じられないような顔でメニューを開いた。少しすると、彼も状況が掴めてきたのか、顔が見るからに暗くなっていった。
「まあ初日だかんな。こんなバグもでるだろ。今頃運営は半泣きだろうな。」
「そんな余裕かましてていいのか?」
「今、5時25分だよ。確か5時半にピザ頼んであるんだっけ?」
「あ!そうだった!やべえ俺のアンチョビピッツァとジンシャーエールがぁー!」
ともかく、ログアウトできない以上俺たちができることはGMコールだけであった。なので俺は先ほどから試しているのだが運営からの反応は全くなかった。
「GMコールも試したけど、反応無いな...。」
「戻れ!ログアウト!脱出!そうだ、頭からナーヴギア引っぺがすか!」
クラインはそう言うが、それは不可能だ。なぜなら俺たちは今現実の体を1mmも動かせない、脳から体への信号は延髄で遮断されているからだ。
「流石におかしい。そろそろ運営側は何かしらの対応をしていておかしくないはず、なのにアナウンスさえないなんて。」
「同感だ。」
突然のことだった。鐘のような、あるいは警報音のようなサウンドが鳴り響いた。直後俺たち3人の体を青い光が包んだ。
「は?」
「んなっ...」
「なんだ?!」
光はどんどんまぶしくなっていき俺はおもわず目を閉じた。光が落ち着いたと思い、俺がそっと目を開くと、俺の目に映ったのは夕暮れの草原ではなく、1万近くのプレイヤーに埋め尽くされたはじまりの街の中央広場であった。
俺は状況を把握するために周りを見渡したが、プレイヤーの中から聞こえてくるのは困惑と苛立ちの声であった。どうやら俺たちと同じくこの中央広場にプレイヤー全員がテレポートされられたようだ。キリトとクラインも同じく状況を理解していないようでぽかんと口を開けていた。
「おい!上!」
どこからともなく聞こえた大声に俺たちは不意に顔を上げた。
上には真っ赤なフォントで【Warning】や【System Announcement】と表記されていた。おそらく運営からのアナウンスであろう。ようやくの対応に俺はほっとしかけたがどうやらそれを許してはくれないようだ。
広場の中央に身長20mはあるであろう真紅のフード付きローブを纏った巨人が現れた。しかし存在が確認できるのはローブだけであり顔はなかった。ローブはGMがβテストのときに必ず着用していたものであったが、普段と明らかに違う雰囲気に俺は不安感を抱いた。
『プレイヤーの諸君、私の世界へようこそ。私の名前は茅場晶彦。今やこの世界をコントロールできる唯一の人間だ。』
ローブの巨人が名乗った名前に聞き覚えがないはずがなかった。茅場晶彦、SAOの開発ディレクターでもあると同時にナーヴギアを開発した張本人である。ゲーマーであれば誰もが憧れを抱く存在だ。
『プレイヤー諸君はすでにメインメニューからログアウトボタンが消滅していることに気づいていると思う。しかしこれはゲームの不具合では無い。不具合ではなく《ソードアート・オンライン》本来の仕様である。』
まさに開いた口が塞がらないとはこのことであろう。仕様だと?俺は彼が何を言っているのか理解できなかった。
『諸君らは今後、この城の頂きを極めるまで、ゲームから自発的にログアウトすることはできない。また、外部からのナーヴギアの停止あるいは解除もありえない。もしそれが試みられた場合───ナーヴギアの発する高出力マイクロウェーブが諸君らの脳を破壊し、生命活動を停止させる。』
クラインは有り得ないという顔だった。
「...なに言ってんだあいつ。んな真似ただのゲーム機でできるわけがねえだろ!」
「原理的にはありえなくないけど、ハッタリに決まってる。電源コードを引き抜けばそんな高出力の電磁波が発生させられるわけがない。...大容量バッテリでも内蔵してない限り。」
「...内蔵してる、してるぜ。ギアの重さの3割がバッテリセルだって聞いた。」
「...可能ってことか。」
『ちなみに現時点でプレイヤーの家族友人等が警告を無視してナーヴギアの強制解除を試みた例がある。───結果、すでに二百十三名のプレイヤーがアインクラッド及び現実世界から永久退場している。
諸君らが向こう側へ置いてきた肉体の心配は必要ない。現在この状況はあらゆるマスメディアで報道されている。今後諸君らの現実の体は病院その他施設に搬送されるであろう。安心してゲーム攻略に励んでほしい。
しかし十分に留意してもらいたい。今後ゲームにおいてあらゆる蘇生手段は機能しない。ヒットポイントがゼロになった瞬間、諸君らの脳はナーヴギアによって破壊される。諸君らがこのゲームから解放されるためにはアインクラッドの第百層で待つ最終ボスを倒してクリアする他ない。クリアした瞬間生き残ったプレイヤー全員が安全にログアウトできることを保証しよう。』
俺は唖然とした。理解したくなかった。ナーヴギアを取ろうとすれば死ぬ。仮想世界で死んでも死ぬ。現実に帰るためにはこのゲームをクリアするしかない。現時点でログアウトできていないことがその証拠だろう。
「クリア...だと?!できるわきゃねえだろ!ベータじゃろくに上がれなかったと聞いたぞ!」
事実だった。千人が参加したベータテストでは二ヶ月でたった6層しかクリア出来なかった。死ねないことを考えると正式サービスではより時間がかかることは明白だ。百層など気が遠くなる。
『それでは最後に私からのプレゼントだ。アイテムストレージを確認してくれたまえ。』
俺は恐る恐るアイテムストレージを開いた。新たに追加されたアイテムの名は《手鏡》。正直気は進まなかったが、オブジェクト化をし手鏡を手に取り自分の顔を写した。特に何の変哲もない俺のアバターだ。
周りのプレイヤーが全員手鏡を手に取ったからだろうか。突然全てのアバターが白い光で包まれた。光が収まると特に何も変わらない風景だった。いや、周りを見渡すと明らかにおかしい点があった。何故か今まで同じくらいであった男女比が、今は男性アバターが目に見えて増えている。俺は困惑し、キリトとクラインのいた場所を振り向いたが、彼らの姿がどこにも見られなかった。
「おめぇがキリトか!?」
「お前がクラインか!?」
見慣れないアバターが指をさしあってキリトとクラインの名を発していた。
「はあ?なんで君たちが二人の名前を...」
「てことは...。お前(おめえ)がリオンか(よ)!」
「なんで俺の名前を...」
俺の困惑はさらに深まるばかりだった。そして特に意味もなく右手に持った手鏡を覗くと───
何故か俺の顔が現実の顔に変化していた。普通の、成長期に差し掛かって少し童顔から大人びた顔になる途中の見慣れた俺の顔だ。俺の姿が変化したのはあの全身を包んだ光の影響?てことは全員変わってる?
ここでようやく俺は今起きている全てを理解した。ここにいるプレイヤー全員が現実の姿に変化したのだ。だからネカマをやっているやつは男の姿で女性アバターの初期スキンをきているし、さっきまでいたキリト達の姿が消えている。
「...そういうこと。じゃあ君たちがキリトとクラインか。」
俺は目の前を指差しそう言った。
『諸君らは今、なぜ、と思っているだろう。なぜ茅場晶彦はこんなことをしたのか。テロ?誘拐?私の目的はそのどちらでもない。いや、私の目的は既に達成せしめられた。この状況を作り出すことが、鑑賞することが私の目的だ。
以上で《ソードアート・オンライン》正式サービスのチュートリアルを終了する。プレイヤーの諸君、健闘を祈る。』
最後の一言を終え、巨大なローブは姿を消した。直後、はじまりの街に流れるBGMが穏やかに流れ始めた。
「嘘だろ...嘘だろこんなん!」
「ふざけんな!こっから出せよ!」
「嫌ああ!帰して!帰してよおおお!!」
一瞬の静寂は1万のプレイヤーによって壊された。この城の囚人が放つ悲鳴、怒号、絶叫、罵声、懇願、咆哮はBGMさえもかき消してしばらく止むことは無かった。
「クライン、リオン、ちょっと来い。」
キリトはあまりにも落ち着いた声で俺たちを呼び寄せた。
人の輪を抜けてたどり着いたのは路地裏だった。
「いいか、よく聞け。俺はすぐに次の街に向かう。お前らも一緒に来い。俺達が生き残るためにはひたすら自分を強化しなければならない。MMORPGはリソースの奪い合いだ。だからこの周辺のモンスターはすぐに狩り尽くされる。俺は道も危険なポイントも知ってる。俺とリオンでクラインをサポートしながら行けばレベル1の今でも安全に、今日中にたどり着ける。」
「でも、でもよ。おりゃ他のゲームでダチだったヤツと徹夜でソフト買ったんだ。そいつらを置いては...いけねえ。」
正直俺はキリトの意見に賛成だった。クラインだけ残していけば間違いなく苦労する。俺たちのようなβテスターが先駆けてニュービーを置いて進んでいくからだ。しかし、クラインの仲間を連れて行ける自信は俺にも、キリトにも恐らくないだろう。最悪全滅も有り得る。
キリトは下をうつむいた。葛藤しているのだろう。クラインを置いていくか。一緒に残るか。
「いや、おめえらにいつまでも面倒見てもらう訳には行かねえよな。おめえらは行け!これでも俺は前のゲームでギルドの頭はってたんだぜ。さっき学んだテクでどうにかするさ!」
「...っ!」
「いや、俺は残るよ。」
「リオン...!」
これが俺のできる最善の選択だった。
「俺が残ってクラインをサポートする。まあ、サポートと言ってもこのはじまりの街でできることと、このゲーム全体の立ち回りを教えることくらいかな。」
「...!」
「1週間経ったら君のとこに向かうよ。それまで、俺の分の素材とか集めといてくれよ!」
結局、このゲームをクリアするためにはβテスターの実力は必須だ。キリトはβテスターの中でもトップレベルのプレイヤーだった。そんなやつをニュービーのサポートに回ってくすぶるほど勿体ないことなんてない。
「...ああ!」
「じゃあ、俺は行くよ。」
キリトはそういうと次の拠点を目指して走り出した。
「...キリト!」
「?」
「おめえ、意外と可愛い顔してんだな!結構好みだぜ!」
「お前も、その野武士面の方が百倍似合ってるよ!リオンも、かっこいいな!」
「ついでに言ったろ。」
キリトが去ろうとした瞬間、キリトが悲しそうな目をしていた気がした。俺は最善の選択のつもりだったが、結局キリトがそれをどう感じたのかは俺には分からない。だけど俺がクラインを置いて行くことは俺にとって1番怖い選択だった。
「さて、この一週間ビシバシしごいてやるからちゃんとついてこいよ!」
「おうよ!任せとけ!」
「...悪い癖。...でちゃったかな。」
「...なんか言ったか?」
「いや、なにも。気にしないで!」