ゼーレンヴァイス   作:朽木 堕葉

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 鐘の音を耳に拾いながらアズランドは歩を進めて、不意に目を丸くした。

 その施設のために造られた階段を上ってきた人物に気づいたのだ。遠目にも目立つ金髪と桃色ドレスから、だれかを特定するのは容易で、

「お姫様がこんなところに足を運ぶだなんて。何事かな?」

 手すりに寄りかかったままでいるエリーゼのもとへ近寄って、アズランドは言った。

「あなたに急用があるのよ。……それなのに、遠出してくれちゃって」

 アズランドを一瞥してそこまで伝えると、彼女は息を整えるのに集中していた。ハンカチを取り出し、滲んだ汗を拭きとりはじめる。

 無理もない、とアズランドは思った。

 この西側(ウェストサイド)は小高い丘で成り立っているが、北側(ノースサイド)のようになだらかなものではなく、急斜面である。この幅広く造られた階段の傾斜にしても、同様だった。

「それは悪いことをしてしまったな。ちょっとここに、野暮用があってね」

 アズランドは苦笑して、背後を振り返る。いつの間にか鐘の音は止んでいた。

「せっかくだから、お姫様が落ち着くまでのあいだ……観光案内の真似事でも(うけたまわ)ろうかな」

 暇つぶしがてらという感じで、ちらと横目でエリーゼを覗き込む。好きにしてというふうに肩をすくめるエリーゼの姿を確認したうえで、つづけた。

「あそこにあるのが魔導士協会の本部でね。その筋の連中以外、まず訪れることはないんだ」

 アズランドもここ来るのは、月に一度くらいのものだった。次にその理由を述べた。

「魔術を扱うには神の力の一端を借りる必要がある。しかし、それにはまず、神について学ばなければならない。学ぶというのは、信仰と同義でもあるからだ」

 魔術の発現には、呪文(スペル)を通して体内の魔力でそこかしこに漂う魔粒子(マナ)に働きかけるのが大前提だ。が、魔術は神の力である。神をおざなりにするような者に、力を貸すほど、易しい存在ではない。

 それからやや皮肉っぽくアズランドは唇を曲げると、

協会(・・)というのも名ばかりのものなんだけれどね。ほら、ここから見える七つの塔だって――ずいぶんと間隔が空いて建っているのがわかるだろう? 一つの塔で一つの神を祀っているわけなんだが……」

 そこで一旦アズランドは、陽射しを受けて流れた額の汗を腕で拭う。その手で右端の塔から順に、入口で石像として佇む神の名を告げ示していった。

「ニヒト・ヌル・ヘル――虚無(きょむ)を司る冥空神(めいくうしん)

 目元を仮面で隠した線の細い薄衣(うすごろも)の女性。

「フロイデ・レガロ・フノッサ――喜悦(きえつ)を司る女神」

 美貌を喜色でいっぱいにした年頃の女性。

「シュパース・テラ・ヨルズ――享楽(きょうらく)を司る女神」

 胸に両手を当て、歌うような姿でいるうら若き少女。

「ドローレム・リオ・バルドル――憐憫(れんびん)を司る幼神(おさながみ)

 憂い顔で遠くを見つめる美男子。

「ツォーン・ジ・オーズル――憤怒(ふんぬ)を司る戦神(いくさがみ)」  

 厳めしい顔で大きな戦斧を振り上げた巨漢の戦士。

「フォルティス・ヴェル・ヘルモーズ――勇気を司る戦神で」

 精悍な面構えで、挑むように剣を構えた戦士。

「リーベ・ルチェ・エイル――慈愛を司る地母神(ちぼしん)だ」

 微笑みを湛え、受け入れるように両手を広げた美女。

 一通り言い終え、アズランドは一息ついた。

「とまあ、こんな具合に様々な神がいてだね。その神が得意とする魔術もそれぞれ違うし――とある神の教義が、また異なる神にとっては禁忌であったりするんだ。……国という概念すらなかった頃は、魔導士たちのあいだでドンパチは尽きなかったそうだ」

 嘆かわしいことだろう、という含みある語調でアズランド。肩をすくめると、さらにつづけた。

「それが今では協会となって並び建っているのは――錬金術師の躍進からの焦りだろう。時代が変わったんだ」

 当初は魔導の枠組みのなかに錬金術が組み込まれた。形式的には今も、魔導師団の錬金課として、傘下に錬金術師が存在する。しかし国が魔術師と錬金術師のどちらを重宝しているのかは、だれの目にも明らかで、後者である。

 別段アズランドは、それについてはなにも思うことはない。

 魔術を扱うからには、アズランドも魔導士に間違いはないのだが、客観的に捉えがちだった。動機が戦闘能力として、魔術を欲したせいだろうか。

「まっ、とりわけ気難しいのは――ニヒト・ヌル・ヘルやツォーン・ジ・オーズルを信仰する連中くらいのもので、ほかは案外、うまく付き合っているようだけどね」

 再度アズランドが視線をエリーゼに移すと、手すりから離れて立っていた。彼女があまり興味なさそうな表情で口にした感想は、なかなかに辛辣なものだった。

「変わった人たちが多いことには納得できたわ」

「そうだね。七つの神すべてを探究し、理解した……かつていた宮廷魔導士もかなりの変人だった」

 神への理解を深めるほどに、強力な魔術を扱えるものだ。一人の神を絶対の者として認識していれば、いずれはその神の力を借りて高位魔術を扱えるようにだってなるだろう。

 が、七つの宗教観を持ち合わせながら、それに囚われることなく理解を深める――それは常人にはまず不可能だ。心をいくつも持っているのなら、可能かもしれない、とアズランドは思う。

 とにもかくにも、フォルティス・ヴェル・ヘルモーズのみに触れるだけで、アズランドは精一杯だし、それ以上を望まない。俺には、この戦士の力があればいい――

 アズランドは精悍な戦士の石像を見上げた。その眼差しには、愛着が滲んでいた。

 と、そこに修道服で正装した者たちが、ぞろぞろと目の前を横切っていった。一変して、目つきに不信感が表れているあたり、アズランドも魔導士の価値観からさほど外れていないのだろう。

「あれが魔導療院(まどうりょういん)で治癒を担う聖人さまたちさ。治癒の魔術は彼らの神、唯一の業だ。あの副業もあって、あそこはしばらく安泰だろう」

 無意識にアズランドは皮肉っぽい口ぶりになっていた。似たり寄ったりの調子でエリーゼも言う。

「話を聞く限り、適切な治療費なのかしらね」

「俺のいた孤児院も、リーベ・ルチェ・エイルの援助で成り立っていたんだ。んで、孤児に自分たちの神への信仰心を植え付ける。……思えば、合理的な手口だな」

 複雑な面持ちでアズランドは修道服の一団の背を見ていた。同じ孤児院で育った旧友が、そこにいても不思議ではなかったが、ミリアの死を契機に、(たもと)を分かったも同然でいる。

「それなのに、あなたはあのなかにいないのね」

 エリーゼは同情的というのでもなく、単純に疑問に思った様子だ。アズランドはなんと返せばいいのか迷ったが、

「俺はただ、いちばん性に合っていると思ったものを選んだだけだよ」

 そのように答えることにした。

 自身の臆病さ加減に嫌気が差すあまり、勇気というものを知りたかった――などという本心は伏せて、

「魔力発電所務めも、お給金が良くってね。まあ、交代制で延々と雷魔術を唱えつづけるだけなんで、面白味はないんだけど」

 冗談とも本気ともつかない感じで告げた。ふうん、とエリーゼはアズランドをしばし眺めた。

「それ以前に、なんかあなた魔導士っぽくないのよね」

「格式ある魔導士ファッションは、俺のセンスじゃなくてね」

 そればかりは、本心からアズランドは断言した。

 

 

「それでお姫様の要件って?」

 思い出したようにアズランドが言うと、エリーゼは顔色を変えた。使命感から形作られる真剣な表情に。ここのところ、よく目にする彼女の顔から、アズランドはおおよその見当がついた。

「あなたに討伐に向かってほしいの」

「今度はなにを相手にすればいいのかな?」

 アズランドは、さすがに苦笑せずにはいられなかった。本来ならば今日は丸一日、休むように言われていたというのに。

 アズランドはここ数ヶ月を思い返してみる。

 新王が即位して半年あまり――各地で異変が頻発していたのである。

 最初はアッシュガルズ最東部の〈港町メンブラーナ〉で、半魚人(マーマン)が大量発生し、漁業に大きな被害をもたらした。半魚人とは文字通り、人と魚の特性を併せ持つ魔物である。

 新王ケートネス初の出兵命令で、これを鎮めるのに半月はかかった。

 また同時期に、一つ目の筋骨隆々(きんこつりゅうりゅう)の魔物――サイクロプスが王都からほど近い街道に出没し、大騒ぎになった。

 こちらはロウェルが、物の見事に討伐したものだった。

 王都から近いこともあり、多くの見物人がいた。〈蝕天秤(エクリプス・リーブラ)〉の名を売る結果となり、組員も数十人と膨れ上がったのは不幸中の幸いといえるかもしれない。組員の権限も保安員と遜色ない程度までになった。

 その後も似たような事件が相次ぎ、王宮の軍隊と国営ギルド〈蝕天秤〉は連携して鎮圧する日々がつづいている。

 理由はだれにもわからない。しかし、もしかしたら――と考える者は一定数いたし、アズランドも例外ではなかった。

 あのリーズィヒット・クノッヘンがいなくなった影響か……?

 研究に没頭したいがために、国家を統一した節がある人物だ。障害となるものはことごとく、排除なり封じてきたのだとして――それが今になって暴れ回るようになったとすれば。

 辻褄が合うような気がする。直感的にアズランドが判断を下した直後。

()よ――昂ぶり怒れと()える戦士よ……」

 唸り声に似た語調で、呪文(スペル)を唱えはじめる声が並び立つ塔の方角から聞こえた。わずかに遅れながらも咄嗟にアズランドも口を開く。

()よ――勇猛《ゆうもう》であれと謳う戦士よ……」

 詠唱しながら、先に仕掛けてきた相手をアズランドは認めた。ローブのフードを目深に被った典型的な魔導士の姿を。起点となる神への呼び掛けで、ツォーン・ジ・オーズルの名を差したのはわかる。

御手(みて)を開き、此処(ここ)に、(なんじ)(みなもと)を示されたし――」

御手(みて)を閉じ、此処(ここ)に、(なんじ)(いしずえ)を示されたし――」

 アズランドは機敏に相手の呪文に合わせた。どの神にも通ずる基礎的で簡潔な魔術――

穿(うが)て、魔閃耀(ヘルツ・ソウェイル)

(はば)め、魔障壁(ヘルツ・エオルフ)

 魔導士とアズランドの声はほとんど重なっていた。

 前者が魔導士が完成させたもので、両手をエリーゼに向かって突き出す。

 対して、アズランドは広げた両手で地面を叩いた。

 魔導士の手から橙色の魔力が高熱を帯び、弓から解き放たれた勢いで撃ちだされ――エリーゼの目前でせり上がった青白い魔力の壁とぶつかった。

 花火にも似た破裂音が鳴り響き、どちらの魔力も霧散した。その頃には、アズランドは魔導士の眼前に迫り、両手の武器を突き付けている。

 片手剣《ショートソード》と拳銃だが、以前とは違っていた。蒼い拳銃で、片手剣の剣身(けんしん)もまた蒼い。

 「ひっ」と短い悲鳴をこぼし、魔導士は尻もちをついた。目深に被っていたフードがずり落ち、まだ少年と呼んでいい顔を引き攣らせているのを目にして、

「……実戦訓練をするのは構わないが、時と場所を選んだほうがいいね」

 アズランドは苦笑し、ゆっくりと両手の武器を下げた。

「えっ……?」尻もちをついたまま、少年魔導士は首を傾げる。

「それとも、牢のなかで一晩、頭を冷やしたいかい?」

 表情と声色を優しいものにして、アズランドが脅しつけると、少年魔導士は謝罪の言葉を叫びながら、塔の一つに逃げ帰っていった。

「まったく……」

 アズランドが少年魔導士を見送って、ぼやく。

 世間では、でまかせを書く記事屋がそれなりにいる。今のこの状況は、ケートネスとエリーゼよって引き起こされているのだという――ある種の陰謀論が根強い噂になっているらしい。

 新王ケートネスには功績が必要で、奇怪な魔物の出没は自作自演であるというのが記事の主張だ。ペーターソンが国家統一という功績を示したように、手柄を焦るあまりの愚行。それを鵜吞みにする者が少なからずいた。先ほどの少年魔導士のように。

 フラワーゴーレムを連れていないのは、このあいだ壊されたままなのだろうと、アズランドは推測した。

 おとといの夜、二足歩行する豚に似た魔物――オークが王都に隣接するフザン森林に群れを成しているのが目撃され、急遽〈蝕天秤〉は討伐に出向く。アズランドも駆り出されたが、そのときロウェルは不在で、おまけに少数部隊の編制しか叶わないでいた。

 そこではエリーゼが自ら陣頭指揮を執っていたのだが、夜間の森林ということもあり思いのほか手こずることになる。

 フラワーゴーレムも、ここのところ連戦がつづいて消耗していたのだろう。魔力障壁を発生させる余力がなかったのか、怪力自慢のオークに棍棒で不意打ちを食らい、手痛い損傷を負ってしまったのだ。

 特別、それらのことや、ついさっきの出来事を気にしたふうでもなく、笑みを崩さないでエリーゼがこちらにやって来る。アズランドは、肝が据わっているやら不用心やら言うべきか迷ったが、先にエリーゼが口を開いた。

「お礼は言っておくわ。さすが蒼い牙(ブルーファング)。鮮やかなお手並みだこと」

「蒼い牙?」

「知らないの? たぶん、その両手の物のことでしょ。これまであなたの手で牢に繋がれた連中が、恨み節でそう呼んでいるみたいよ」

「前より魔術と親和性の高い素材に変えただけなんだけど……」

「それにしても、よくそんな金銭的な余裕があったわね。詳しくは知らないけれど、そういう代物ってけっこうなお値段なんでしょう? ウチの出してるお給金で買えるほど、あなたって倹約家だったかしら」

「ん、まあ、奮発してね」

 曖昧に言って、アズランドは笑った。

 クノッヘンの書斎からくすねた魔術書を売り払って購入したことは、伏せておくことにする。自分に役立ちそうな部分は、脳裏に刻み込んであるし、もうあれは用済みだった。

 それから、自身の両手に握る得物を改めて眺めていた。

「……蒼い牙ねえ」

 釈然としない様子で繰り返すと、エリーゼは肩をすくめた。

「私に文句を言われても困るわよ」

 不意にアズランドはピンときた。

「ロウェルの得物のほうがよっぽど大層な牙だと思うんだ」

「ロウェルなら今頃、北方のアランドラ山脈よ。そっちもけっこう厄介なのよ」

「一日百善の日課には困っていないようで、なによりだね。ノルマを達成できているのかは知らないけど。……そういえば、彼にはすでに通り名があったか。えっと、たしか――」

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