ゼーレンヴァイス   作:朽木 堕葉

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 リザが戻るとすれば、早ければ明日の夕暮れ時だろうと、アズランドは踏んでいた。

 そのあいだ、ずっとフルールにしがみつかれたままでいるわけにもいかなかった。アズランドがここに残ったのは、この村にこれ以上の被害を及ぼさないためでもある。

 定期的な警らは必要不可欠だ。またいつ、邪気に狂わされた精霊(エスプリ)が森から出て来るとも限らない。村の自警団には、なにかあったらすぐに報せてもらうように頼んでいるが、彼らに任せてばかりもいられない。

 どうにかこうにか説得を繰り返し、アズランドはやっとのことでフルールから解放された。

「早くお戻りくださいね……」

 不安で不満そうな面持ちで、フルールはアズランドを送り出す。

 アズランドは苦笑した。可愛げはある人なんだけどさ。悪意もなさそうだし。

 苦笑を微笑に変えて、

「できるだけ、急いで帰りますよ」

 手を振り返していた。

 

 

 嫌な予感がする――そう思ったとき、いつも的中するのがアズランドは不思議だった。

 裏を返せば、“嫌な予感がする”などと思わなければ回避できるのかもしれないが、予感とは勝手に湧いてくるものなので、不可避なことなのだろう。

 案の定、生きた森(リビング・フォレスト)からぞろぞろと出てきていたトレントを片手剣(ショートソード)で両断して、そのような詮のない思案をしていた。

 と、雑念が邪魔をしたのか――アズランドは、トレントの一体が飛ばした木の葉の一枚を視認するが遅れた。咄嗟に上半身を逸らして逃れ、お返しに弾倉内の六発すべての弾丸をお見舞いする。

 魔力を込められた弾丸は、顔面を穿ち――トレントをただの樹木に変えた。

 周囲を見回して、「ふぅ」とアズランドは、息をつく。

 敵性と成り得るものは、どこにもいない。さっさと帰ろう、と帰路を急いだ。フルールにもそう言ったことだし――

 途端、アズランドの胸がざわついた。

「まさかね」

 アズランドは苦い笑みを露わに、頭を振った。

 そのざわつきが、強烈なものだったからだ。根拠のない、嫌な予感の。

 そうそう悪いことばかり、つづかないものだ。

 帰り道、アズランドは強いてずっと前向きな思考を維持するようにした。

 〈アピス農村〉の(ゲート)をくぐり抜ける。ほら、なんともないじゃないか。自らに言い聞かせる。

 足はそのまま、村長宅へ向かいかけた。今回の戦闘で、村や畑に被害はなかったことを告げるために。

 しかし――つと、ふてくされたフルールの顔が脳裏をよぎった。

 しばし考え、アズランドは彼女のいそうなところを見て回ることにする。目を離すとそれはそれで、危なっかしいと思ったからだ。

 広い村ではないので、探すのに苦労はしなかった。

 花がところどころ自生しているあたりで、女の子座りになっている背中を見つけた。花弁がアズランドの前を横切る。どうやら、花占いでもしているらしかった。彼女の鼻歌のようなものが、耳に届く。

「ご機嫌ですね」

 出し抜けに、アズランドは背後から声をかけた。

 すると、

「アズ様!」

 バッと勢いよくフルールが振り返った。立ち上がり、

「遅いじゃありませんか!」

 不満の色を喜色で大きく上書いた様子で叫んだ。アズランドは苦笑で応対した。

「これでも、急いだんですよ」

「そうですわ」

 フルールが思い出したように目を見開いた。花弁をすべてむしり取られた花をアズランドに掲げてみせる。

「花占い、ですね」首を傾げ気味にアズランド。

「そうですわ! 十回連続で“好き”と出ましたのっ」

 浮かれた様子でフルールは笑う。だれがだれを、とは敢えて聞かないことにしてアズランドは黙したままでいた。

 フルールがなにか察したのか、悲しそうに眉をひそめた。

「アズ様は私のこと、お嫌いですか?」

 えらく直接的に訊かれたな、とアズランドは胸中で悩んだ。やんわりと微笑んでから、こう告げた。

「いいえ……好きですよ」

 もちろんそれは、好きか嫌いかを天秤に掛ければの話だった。

 だが、フルールは花咲かんばかりの笑顔ではしゃいだ。衝動的にアズランドの両手をつかんできた。

「本当ですの⁉」

「ええ――」

 頷いたあとで、アズランドは痛みに顔をしかめた。フルールがきょとんとなる。

「どうしたんですの?」

「いや、手をちょっと……」

 アズランドがそう伝えると、フルールが手を離した。

 見れば、右手の革手袋の一部が、裂かれたようになっている。切り傷のようなものが、目に留まる。

 あのとき、掠めていたのか――アズランドは、さっきの戦闘の一部始終を思い返した。

「大変ですわ、手に傷が――」

 フルールの悲鳴じみた声が、尻すぼみに消えた。

 不意に吹き抜けていった風が、破れかけた革手袋の一部を(さら)っていった。フルールが花占いで散らした花弁と一緒くたに。

「大丈夫。紙で手を切ったようなもんです」

 安心させるために、アズランドは朗らかに言った。しかし、フルールから返事はなかった。

 見遣れば彼女は一点を見つめている。アズランドの右手の甲――黒い花の痣を。

「フルール……さん?」不審顔でアズランドは呼んだ。

「やっとですわ」

「やっと?」

「ええ」

 フルールは微笑んだ。これまでにない、昂るような笑い方で。

「思い出しましたの、すべて」

「キミは……」

 言いかけて、アズランドはよろめいた。酷い頭痛に襲われていた。

「いったい、何者なんだ……?」

 絞り出すように言うとアズランドはその場で片膝をついた。酷くなる頭痛に、頭を指で何度も揉む。

「これで思い出せたでしょう。アズ様――いいえ、ヴルツェル?」

 頭を押さえてアズランドは呻いた。それはだれだ――と疑問を投げたが、言葉にはならなかった。

 頭痛は波のように強弱をつけて、アズランドを苦しめた。

 その最高潮ともいうべき、頭の割れるような痛みを最後に、視界が真っ白に染まる。併せてピタリと頭痛が治まった。

 いつの間にか、フルールが手をアズランドの眼前に差し出している。何の疑問も抱かずに、アズランドは彼女の手の甲に口づけをした。

 そういうこと、か。くそっ。とんだ迷惑だ――アズランドの意識の残滓は、精一杯に毒づいた

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