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かいつまんでエリーゼの説明を受けたロウェルは、腕を組んで宙を仰いだ。
「ふーん。でっかい花かあ。あのドラゴンの頭くらいあんのかな」
どうやら頭のなかで、大きさを比べているらしかった。
ドラゴン、という言葉にリザは反応を示した。
「そういえば、ロウェル……ドラゴンを倒したの?」
街の至る所が、その話題で持ちきりになっていたが、まだリザは聞きかじった程度だった。
「ん、まあ」
ロウェルは歯切れが悪そうに頷いた。
「凄い」リザは目を丸くしてシンプルに称えた。
だが、ロウェルは納得がいかない様子で、唸った。リザは小首を傾げる。
「どうしたの?」
「いや、さ。一晩中、やりあってたんだけどさ。途中で夜が明けたんだ。そしたら、なんか喋ってた気がするんだけど……それっきりアイツ戦うのをやめてさ」
「どうして?」
「さあ。べつに全然まだ戦えそうな感じだったのになあ」
不完全燃焼、という具合にロウェルは言った。両腕の杭打ち機を交互に見ながら。
「アンタの相手すんのも疲れたんじゃない? 一晩も付き合ったんだから」
と、冗談めかしてエリーゼ。サラが入れてくれたレモンティーを飲み干して、つづけた。
「あとは封印されるまで、大人しくしてたんでしょう?」
「ああ、なんかローブ姿の爺さんたちが杖を持ってさ。小一時間くらい、あーだこーだ言ってたぜ」
「新王様がわざわざ派遣してくれた魔導師団の人間よ。それくらいしてもらわないと、困るわ」
わざわざ――を強調してエリーゼは話した。
「だからさ。べつに俺が倒したっていうのはなんかその、違う気がすんだけど。封印ってことは、あの山のなかにいるんだろう?」
ロウェルは不服を顔に表していた。そこかしこで、もてはやされた分、そう感じるのだろう。
「いいのよ。アンタなしで成功しなかったことには、間違いないんだから。一晩中、戦ったのも事実でしょ。素直に喜んでおきなさいよ」
突っぱねるような物言いとは裏腹に、エリーゼは勝ち気な笑顔をロウェルに送っていた。
「そんなもんかなあ」
二人の会話を聞いていたリザは、なぜだか一抹の虚しさを感じた。
ロウェルとエリーゼのあいだにあるのが、信頼というものだと、リザにもわかった。だから、こんなにも気持ちが通じ合えている――そんな二人の関係が羨ましかった。
アズはアタシのことを気に掛けてくれるけれど、振り向いてはくれない――その理由は、なんとなくだけれどリザにも察することはできる。
半分ほど残ったレモンティー入りコップを覗き込む。ぼやけている自分の姿。これが――アタシたち。アズの大切な人を殺めてしまった
――
真っ先に思い出せるアズランドの声は、憎しみの込められたそれだった。ほかにも、優しい声音の印象深い言葉は、限りなくあるはずなのに。
「リザ? あなたの愛読書の著者がどこにいるか判明したわ」
エリーゼが不意に言った。飲み掛けのレモンティーに手を伸ばしかけ、リザは振り返る。エリーゼが紙きれをだれかから、受け取っていたところだった。
「どこなの?」
「ここ、王都に居を構えているらしいわ。今から行くわよ」
「うん、わかった」
飲み掛けのレモンティーを置き去りにして、リザは駆け出した。
アタシはアズの傍にいられるだけで、幸せ。
そう、胸に刻んで。
〈ウォルスタンド〉のあちこちで、街灯が点灯し始めた頃。
エリーゼ一行は街のはずれにいた。
庶民の家にしては大きく、貴族の家にしては貧相な造り。裕福な中流階級という佇まいだ。
「ここであってんのか?」
両手を頭の後ろで組んで、ロウェル。
「そのはずよ」
エリーゼは躊躇いなく、獅子の顔をしたドアノッカーを数回ほど鳴らした。近くでゴミ箱を漁っていた野良猫が立ち去るまで待ったが、反応はない。
「留守なんじゃねえの?」
ロウェルが言うと、エリーゼはもう一度、ドアノッカーを掴もうとした。矢先――
ギィ……と軋んだ音を立てて、ドアがわずかに開いた。
頭髪の薄い老人が、ドアの隙間から顔を半分だけ覗かせる。見知らぬ一向の来訪に、目には警戒の色が強かった。
「何用かね」
胡乱げに老人は声を発した。
「あなたがジャック・クロスロード?」
「……そうだが」
『花の向こう側で
エリーゼは本のタイトルを読み上げた。老人――ジャックは興味を失ったように目を逸らした。
「サインならお断りだよ」
ジャックは扉を閉め掛けた。エリーゼは声高に、ここに来た目的を告げた。
「あの物語の
ジャックが驚愕の顔になるのが、ドアの隙間から見えた。彼はドアを全開にして一同を見回した。
「アンタたちは……?」
「エリーゼ・ガーランド」
胸を張ってエリーゼは名乗った。不敵な面持ちを目にして、ジャックは納得したような顔になり、
「なるほど……。アンタが――いや、あなたが噂の」
苦々しく笑う。一歩も引かず、エリーゼは尋ねた。
「どういう噂かしら」
ジャックは答えず、傍らの二人に視線を向けている。護衛にしては、妙だなというような目つきで。
「俺はロウェル」杭打ち機の付いた腕を振ってロウェル。
「リザ、です」恐縮気味に会釈してリザ。
名乗る二人に、「うちの組員よ」とエリーゼは補足した。
「……上がってもらうしかないようだ」
観念した様子で、ジャックは手招きをした。
三人が案内されたのは応接室だった。アンティークな調度品ばかりで、ジャックの趣味嗜好なのだろう。
天井のシャンデリアも同様で、電球の光が室内を明るく照らし込む。
なんだかよくわからない造形をした置物を手に取って眺め回すロウェルに、エリーゼは注意の声を飛ばした。
「あんまり触って壊すんじゃないわよ。それ、けっこう高値な代物なんだから」
「えっ。これがかよ」
その声で危うく落っことし掛けて、ロウェルはもとの棚の上にもどした。
「幾つもヒット作を生み出した作家様の収集品よ。値も張るわ。……といっても、あの本が久々の話題作だったみたいだけれど」
そこでジャックが、部屋に入ってきた。トレイの上に、四人分の珈琲カップを乗せている。エリーゼたちとは向かい側のソファーに座ると、卓上に置いていった。
「待たせたかね」
「いいえ。それで、さっそくなんだけれど、話を聞かせてもらえるかしら」
率直的なエリーゼの問いに、ジャックは注意深く答えた。
「あなたの口ぶりだと、あれがまるで実話だったでも言いたげですな」
「あら、違うの?」
不遜とも呼んでいい笑顔で、エリーゼは返した。
「その根拠はなんだね」
そこでリザが口を挟んだ。
「アズの手の甲に、黒い痣があったの。お花のかたちをした――」
すぅっとジャックの目が細くなる。
「その者の年齢は?」
「たしか十九だったかしらね」
エリーゼが補足した。それから、ジャックの言う思い当たる根拠を、つづけざまに述べていった。
ジャックはしばし考え込むように瞑目していた。
エリーゼとリザが彼に渇望するような視線を注ぐ一方、ロウェルだけ理解の及ばない困惑顔で頭を掻いていた。だがさすがに、空気を読んで見守ることにしたらしい。
ふっ、とジャックは笑った。皮肉げでも自嘲的でもあった。そして、独り言のように言った。
「いつかは蘇るのではないか、と思ってはいた。ヴルツェルに子孫がいたのは、予想外だったが……」
「私たちにわかるように説明してちょうだい」
エリーゼが促すと、
「ああ……」
ジャックは遠くを見るような目になった。おもむろに語り始める……
※
ジャックはかつて自分は、〈フリュステルン王国〉で宰相を務めていたと切り出した。四十年以上も昔のことだ、と添えて。
当時、〈フリュステルン王国〉の王女カトレアと、〈隣国リート〉の第一王子ツヴァイクは縁談の話が持ち上がっていた。
「それは俗にいう政略結婚だった」
とジャックは言った。
それには、統一国家〈アッシュガルズ〉の前身である〈ウォレリア〉という小国が、快進撃をつづけていた背景があったと併せて告げる。
「両国とも当時としては、なかなかの軍事力を有していたからな。その政略結婚が成されれば、〈ウォレリア〉としては困ったわけだ」
だが、しかしと繋げるとジャックは、
「〈ウォレリア〉にとって幸いなことに、ツヴァイクとカトレアの縁談は遅々として進まなかった」
意地の悪い笑みを口元に刻んだ。眉を寄せてエリーゼは訊いた。
「どうして?」
「〈フリュステルン王国〉の王女カトレアが、頑として拒否しつづけたからだ。政略結婚とはいえ、ツヴァイクは心から求愛していたというのにな」
「ほかに好きな
「……同じ御身分ともなると、気持ちがわかるようですな」
感心のなかに毒気を混ぜて、ジャックは頷いた。新王様をたぶらかすだけはあるらしい、と。
「それがヴルツェル――カトレアの近衛騎士の男の名前だ」
その名前に小娘――リザが目を見開いた。あの本を大事そうに抱えている。
「騎士様の名前……」
「そうだ。奴の名前は、本でもそのまま使った。少しでも救いあれ、と思ってな」
たしかに同情心はあった。実際は、名前を考えるのが面倒なだけだったとは伏せておく。
「そんな酷い目に遇う人なのか?」
ロウェルが仏頂面で口を挟む。本を読んではいないのか――いや、文字すら読めない小僧か。ジャックは侮蔑を含んで告げる。
「家族はみな処刑されたうえで、国外追放されたくらいにはな」
意想外な表情を浮かべたのはロウェルだけだった。エリーゼとリザは、複雑な面持ちで、ジャックの次の言葉を待った。
「カトレア王女は、聖女と称されるお方だった。代々、フリュステルン王家の女性は強い魔力の持ち主で――騎士となった者に祝福の儀を行う習わしがあった」
「祝福の儀、ね。古典的な儀礼に感じるけれど」
エリーゼにはしばしば目にすることのように感じたらしかった。
「騎士となる者を讃える風習はかたちは違えど、どの国にもあるものだ。だが、カトレア王女は加護をも与える」
「加護って……もしかして」
リザがハッとした。視線を自分の手に落とす。
「“花の祝福”――彼女が魔力を込めて口づけると、そこには白い花の文様が刻まれる。そして、その者は強い力を得るのだ」
「強い力って、どういうものなのよ」
「さあ。それは実際に体験した者にしかわかるまい。たしかなのは、フリュステルン騎士団は向かうところ敵なしといっても過言ではないほどの軍隊だったということだ」
そこまで言うと、ジャックはしばし黙った。――だれにも語ることなく、墓場まで持っていくつもりだったのだが。ジャックが持ち前の神経質さで考えを巡らせるあいだ、だれも口を開かないでいた。
覚悟を決めて、ジャックは告げた。このことで
「だからあのお方は、私に甘言を持ち掛けたのだよ」
「あのお方?」
エリーゼが不審がった。
「リーズィヒット・クノッヘン……その人にな」
ジャックを除く三人が目を真ん丸にさせた。
「なんでそこでソイツ名前が出てくるんだよ」
ロウェルの声には怒気があった。
「正確には、私と第二王子タンネにだな」
エリーゼはそれで察したようになり、不愉快極まりないという顔つきでつぶやいた。
「そう、そういうことね……」
「だから、どういうことだっての」
エリーゼが口を開きかけたところへ、ジャックは手を上げて制した。変に話をややこしくされるのを避けて、早いところお帰り願いたかった。
「私はのちの統一国家での厚遇を条件に、クノッヘン卿に協力した。タンネはタンネで王位継承権が繰り上がり、フリュステルン領の統治権を得るのだから、これも好条件で――利害は一致していた」
「アイツに協力って、なにをしたんだよ」
ギロリと睨んでくるロウェルに、ジャックははっきりと告げた。
「カトレア王女とツヴァイク王子――その二人の謀殺だ」
「なんだって!」
身を乗り出そうとするロウェルの肩をエリーゼが掴んで止めた。ジャックは構わずつづけた。
「事は簡単だった。定期的に縁談のために、カトレア王女とツヴァイク王子は会っていた。その予定日も、場所も、関わる人間も私は知り得る立場だった。王女からヴルツェルを引き離すのもわけはなかった。……実行する
「最低……」
ぼそっとエリーゼ。ジャックは違いない、と開き直って肩をすくめた。だが、ジャックが最低最悪な目に遭遇したのは、そのすぐあとのことだ。無意識に顔を青ざめさせて、悪夢のように語っていった。
「すべてが済んだあと……私たちは確認のために、とある森を訪れた。その頃からそこは、
「もう一つの顔?」
リザが訊いた。冷たさを増すばかりの少女の顔を一瞥し、
「あの森の沼地は、暗殺者が遺体を密やかに始末するために古くから使われていた。カトレア王女もそこに沈められた
ゾッとなって宙を仰いだ。
「だが……あの女は――カトレアは沼地から這い出てきたんだ。白く美しかった髪を黒く染めて」
「それから、どうなったのよ」
そこが肝要とばかりにエリーゼが詰問する。
「タンネが荊で
「自業自得ね……。それであなたは無事だったわけ」
もはや怒りを通り越したようなあきれ顔で、エリーゼは質問を投げた。
「クノッヘン卿がいたおかげでな……」
そこから先の人智を超えたやり取りを、ジャックは諳んじた。淡々と。忘れたくとも忘れられない内容を。
「この魔力――ニヒト・ヌル・ヘルの……」
「許さない」
「もともと、ろくでもない地のようだな。集約した呪詛を聖女に与え魔女に仕立てる、か。
「悪いが、魔女には用はない」
ジャックは瞳を閉じた。そこから先は、自分の言葉で吐き出した。
「実のところ、私は見てやしなかった。木陰で震えていただけなんだ。クノッヘン卿が、なにか唱えているのだけはわかったが――いつの間にかすべてが終わっていた。カトレアの姿はなかった。沼地もただの
と、そこに横殴りに衝撃がジャックを襲った。アンティークのコレクションが並ぶ棚に背中から打ち付けられ、自分の口と鼻から溢れる血が汚していく。
どうにか顔を上げて、ロウェルという少年に蹴られたのだと理解した。
「本当は、ぶん殴ってやりたいところだぜ」
吐き捨てるようにロウェルが言うと、左手の杭打ち機を構えてみせた。
「私のおかげで、戦争を回避したんだぞ! あの三カ国で、血は流れなかったんだ!」
ジャックは憤慨して怒鳴った。血反吐や鼻血やらを散らして、新たに部屋を汚しながら。
ロウェルが凄みある形相になっていた。
「王子と王女は頭数に入らないってのか?」
「もう、ここには用はないわ。……急ぎましょう」
それ以上、エリーゼはジャックと視線を合わせようとはせず、連れの二人を促していた。ジャックは血の味が充満する口のなかで、歯噛みする。
「お前ら――」
言いかけたジャックの眼前に、リザが立った。大事そうに胸に抱えていた本を、両手で差し出してきた。
「俺の本……」
ジャックは茫然とつぶやいた。
「うん。あなたの本。ずっと好きなお話だった」
静かにリザは口を開いた。そして、その本を高く振り上げると、ジャックの顔に叩きつけたのだった。
「でも、もういらない。……今まで、ありがとう」
思わぬ追撃に悶え転がるジャックにではなく――リザの目は血だまりで赤く染まる本に向いていた。