エリーゼの行動は間断がなかった。
慌てて〈
そして、可能な限りの組員を引き連れて、〈アピス農村〉へと急行したのである。
四台の馬車が夜道の強行軍をする
「そういや、アレ。なんの手紙だったんだ?」
「伝令を飛ばすようにお願いしたのよ」
エリーゼは落ちついた口調で返した。が、荷台の天井でぶら下がった角灯の仄暗い光が、顔に影を差して深刻な様相を色濃くするようだった。
「あれか? 鳥が手紙を運ぶやつ?」
「そうじゃないわ。声を離れた相手に送れる魔術があるのよ。特定の場所の相手に限るらしいけど。……その手の話は魔導士か、アズランドから聞いてちょうだい」
直後にエリーゼは、荷台の奥のほうに腰掛けるリザの姿を見た。今はその名前を口にすべきじゃなかったかしら、と。
リザはうつむいたままじっとしている。声をかけるべきか悩んでいると、
「魔術って便利なんだなあ。んでも、なんて連絡したんだ?」
ロウェルがここのところ目にしてばかりの魔術に関心を抱いた様子で、訊いてきた。
「要請したのよ。近くの街から少しでも、〈アピス農村〉へ軍隊を差し向けるように。私たちがどんなに急いでも、着くのは夜明け前になるもの」
「でもさ。リザの話じゃ、そのカトレアって人――記憶喪失になってたんだろ? なにも思い出さなきゃ、なにも起こらないんじゃないか?」
吞気な口調でロウェルは言ったものだった。
アンタのそういう楽観的なところが好きだけど――エリーゼは、ひっそり胸中で微笑んだ。そのぶん表情を引き締めて、こう答えた。
「……最悪の事態を常に考えて動かなきゃ。後の祭りということもあるのよ」
それは最悪の光景――とは形容し難いことだった。幸いにも。今はまだ。
陽が上る前の〈アピス農村〉で、火が揺れるのが見えた。先頭の馬車から、ロウェルとエリーゼは、それを遠目に捉えて表情をくもらせる。
と、すぐさまそれが、逃れてきた村民たちが掲げる松明やら角灯の火だと知れて、二人は安堵の息をこぼした。
村民たちと間もなく接触しそうな距離で、エリーゼは御者に命じた。
「ここでいいわ。止めなさい」
率先してエリーゼが荷台から降りると、ロウェルとリザ、ほかの組員もつづいた。
「どうするのですか?」
御者を務める組員が指示を仰いだ。
「御者役はこのまま待機よ。あとは残らず降りなさい。村民たちがやってきたら、乗せて避難させるの。いいわね!」
鋭くエリーゼが声を飛ばすと、了解の声がたくさん響いた。みなが言う通りに動く合間に、村民たちがぞろぞろ小走りにやってきた。
「私たちは〈
エリーゼが声高に叫んだ。
村民たちはどよめき、そして、その場に松明やら鞄などを放ったものから我先にと馬車へ乗り込んでいった。
途中、老人が馬車に乗ろうとせず、エリーゼの前で頭を垂れた。
「おお……あなたがあのエリーゼ様ですか。度重なる救いの手――ありがたく存じます」
「村長さん?」
エリーゼが応じる前に、横合いからリザが声をかけた。
「おお、お嬢ちゃんも。お嬢ちゃんのおかげで、こうして助けが――」
感嘆気味の村長ログの言葉を、
「アズはどこ?」
リザはやきもきした様子で遮った。
「あの、青年かい? 昨日の夕暮れに見回りにいったきり、戻ってこんでな……」
最後まで聞かず、リザは血相を変えてログの脇を通り抜けた。
「リザ! 待ちなさいっ」
見る間に小さくなる背にエリーゼは怒鳴ったが、すぐに暗がりに消えた。
「ううむ。
ログが身を案じるように村のほうへ視線を送る。エリーゼはきつく目を細めると、手早く組員たちに号令を飛ばした。
「相手は精霊よっ。単独行動は厳禁。……当然、独りにさせるのもナシ! いいわね!」
ロウェルが真っ先に「おうっ」と元気よく答え、厳守すべくリザのあとを追った。
ロウェルが〈アピス農村〉へ入り込み、周囲を見回したが、リザの姿はなかった。
松明の火の粉でも浴びたのか、藁の山がちょうどいい明かりとなってくれている。
「おい、リザ!」
注意深く、農村内を探索していたロウェルが不意に目を見開いた。転がっている遺体を目に留めて。農村の人間ではなかった。
全身鎧の騎士が一人。
小銃を抱く兵士が二人。
兵士はどちらも裂かれたような傷があり、死因は明白だった。騎士は一見、無傷に映るが――外れかけた兜の首筋に締め付けられた跡が残っている。
「くそっ。もっと早く着いてれば!」
ロウェルは怒りがこみ上げてきた。ふと、エリーゼが言っていたことを思い出した。
彼らが近隣の街から伝令を聞いて、派遣された軍隊なのだろう、と。それがただの一小隊だけであったことに関してまでは、意識に上らないでいた。
藁がてっぺんまで燃え上がる。揺らいだ炎に、影が伸び――瞬間、ロウェルが動いた。
パァン!
弾ける音がした。影の正体は、トレントだった。
ロウェルは左腕の杭打ち機――
そこにいたドリアードは、穴越しにあからさまな畏怖の表情をみせた。踵を返したところで、瞬く間にロウェルに左手を叩き込まれて全身が舞い散った。杭を解き放つまでもなかった。
「リザ、どこ行ったんだよ……」
ロウェルはぼやいた。きょろきょろするが、目にしたのは新たなトレントたちが農村に入り込もうとする場面だった。
転がる遺体たちを一目見て、思案した。
「アイツらのために、もうちょっと減らしておくか……」
じきに追いついてくるはずの組員の負担を減らしておこう、とロウェルは結論を出した。これ以上、犠牲を出させるもんか。
それに――村から離れてリザを探してると、俺まで迷子になりそうだし……。
リザはひたすらに走った。
「見つけた……」
深く息をついて、リザはつぶやいた。
目の前に広がるのは不気味な昏い花園。巨大な黒い花が、花粉のように
巨大な花の前で寄りそう男女を目に留めると、リザは呼吸を整えながら歩んでいった。
「あら?」
美女が愉悦顔を崩した。思わぬ来訪者に、機嫌を損ねたような眼差しをリザに差し向ける。
「フルール――いいえ、カトレア」
リザは歩を進めながら、呼びかけた。カトレアと腕を絡めたアズランドは、無表情で無反応なままでいる。
カトレアはつまらなそうに答えた。
「ふーん。どうやら、わたくしのことを知ったみたいね」
「うん。酷いよね。辛かったんだよね」
リザは悲しそうに顔をくしゃっとさせて、共感を示した。
「あなたに、わたくしのなにがわかるというのよ」
カトレアはますます、苛立ちを覚えたようだった。
「わかるよ……」
リザは頷いて、立ち止まった。
「大好きな人に、想いを伝えられなかったのが悔しかったんでしょう?」
虚をつかれたように、カトレアは目を見開いた。それは僅かなあいだで、すぐに勝ち誇ったような表情に塗り替わった。
「ええ――でも、今それが叶ったの。
リザに見せつけるように、カトレアはアズランドを抱擁した。リザは一段低い声音で、返した。
「違うよ。その人は、
「どうでもいいわ。この
「……ああ、愛しているよ。カトレア――」
抑揚のない声で、アズランドは愛を囁く。
「そうでしょう」
感動したようになって、カトレアはさらにきつくアズランドに抱きついた。
「やめて」
押し殺した声音でリザ。眼はカトレアを
「あなたにそんなこと言われる筋合いなんてないわよ。わたしくたちは、愛し合っているんですもの。ねえ? ヴルツェル」
「ああ、愛しているよ。カトレア」
先ほどと同様に、アズランドは言った。以降、その口は、同じ言葉を繰り返すばかりだった。
もう、リザは辛抱できなかった。か細い声が無意識にこぼれた。
「――ない」
「あら? なんて言ったのかしら? はっきり言ってくれない?
言って聞かせるように、リザは言い直した。
「アタシはまだ、アズにちゃんと告白してないの」
「あら、そう」
つまらなそうにカトレアは、皮肉気に言葉を繋いだ。
「それはご愁傷様。ほかにいい人が見つかることを祈っておいてあげるわ」
「それさえできないままなんて――やっぱりイヤなの」
リザはカトレアを半ば無視した。ゆっくり両手を広げていく。
「時すでに遅し、ね」
カトレアは唇を吊り上げる。
その目が驚愕に丸くなった。リザが背中から七色に輝く翼を広げる様を、目の当たりにしたからだ。
「絶対に、イヤ」
リザが広げた両手の甲から結晶が咲いた。たちまち結晶の内外で虹の光が踊る。
「あなた何者なの……?」
さすがにたじろいだようになって、カトレアは問う。
「アタシは、アズのことが大好き――」
リザは決意の光を瞳に溜めて答えた。それ以外の解答は、必要ないとでもいうように。
長く伸びた髪を
〈
エリーゼを見つけるなり、大声で言った。
「なあっ! リザもアズさんも見当たらないんだけどー!」
「村のなかにいないのなら……」
エリーゼはその一声を聞くなり、
ちょうどそのときだった。
まだ陽も上らない森のなかで、
「あそこしかないわね……行くわよっ」
「あっ、おい。独りで行動するなって話だろ」
ロウェルは慌てた。光が生じた場所へ駆け出すエリーゼを追いかける。
「アンタがいるでしょ」
すぐ隣に追いついたロウェルに、エリーゼは事もなげに告げた。
「お、おう……」
ロウェルはちょっと面映ゆくなり、意味もなく頭を搔きまわした。
ひっきりなしにカトレアは嗤いつづけた。
邪悪でいて妖艶――魔女に似つかわしい顔で見守っている。アズランドとリザが刃を交えるさまを。
「アズ……」
苦悶の表情でリザがつぶやく。
両手を交差させたリザのあいだで、ジリジリと音が鳴っていた。咲かせた結晶とアズランドの振り下ろした
不意にそれが止んだ。アズランドが右手を突き出したのだ。拳銃の引き金を引き絞る直前に、リザは虹の翼を翻して宙高く飛び上がった。
一瞬前までリザがいた場所を弾丸が通過していった。弾丸はその先にあった木の幹の大部分を粉微塵にしてしまった。魔力を纏った弾丸だったのだ。
アズランドは相も変わらず無表情だったが、繰り出してくる攻撃はいずれも容赦がなかった。そして、以前より強大な魔力を宿しているように、リザは感じた。
頭上からアズランドを見下ろして、リザはハッとなった。アズランドは右手だけ革手袋をしていない。その右手の甲で花の痣が、光を発していた。
「“花の祝福”――」
それが違和感の正体だった。それが力の由縁だった。
それをもたらすのがカトレアであることが、リザはひどく忌まわしく思えた。
「消してあげなきゃ」
どす黒い感情がリザの胸に充満した。赤黒いルビーに似た色合いで光る
カトレア目掛けて、宙から急降下していった。両手の結晶を燦々と虹色に輝かせて。
アズランドが地を駆けていた。カトレアもなにやら手を掲げて身構える。
リザは真っ直ぐ突き進んだ。だが、七色に光る両手の結晶は、カトレアが展開させた闇のカーテンに阻まれた。
リザが感じた手応えは、巨大な粘土に腕を入れたような奇妙なものだった。
「舐められたものね」
闇のカーテンの向こう側からカトレアの声が聞こえた。
「間一髪だったな」
今度はべつの声だった。ふと視線を向け、
「ロウェル……」
道着姿の背中にリザは呼んだ。その先には後退りするアズランドが見える。ロウェルを警戒して、だろうか。
「リザ!」
さらに鋭く声が遠くから響いた。
振り返れば、エリーゼがそこにいた。渋面でつづけた。
「
「組員の魔導士が言ってたんだ。生きてるけど死んでるようなものなんだってさ。……俺にはいまいち、よくわかんねえけどさ」
やりきれない声音でロウェルが背中越しに、言った。念のために訊くけど、という様子で疑問を唱えた。
「……本当に、それしかないのか? エリーゼ?」
「ないわね。少なくとも、今の私たちには」
「そっか。ってことらしい。……アズさんは、任せとけって」
ロウェルは腹をくくったらしい。アズランドをリザに寄せ付けないよう両腕を構え直し、じりじりと後退するアズランドを牽制する。
リザはぶんぶんと頭を振ると、そっと胸に手を当て、妖精宝珠をひと撫でした。
ダメなの。こんな気持ちのままで、あの人と戦っては。
「うん、わかった」
穏やかな表情でリザは頷く。
胸の妖精宝珠は澄んだ空色に変じている。