大勢の人が行き交う通りで、ロウェルは日課をこなすために
これが、いざ探そうとすると、そういう現場に、なかなか接触できなかったりする。
だからといって、そこらにいくらでもいる、“金に困っているから金をくれ”という願いに応じる余裕はないし、するつもりもない。
「銅貨……いや、鉄貨の一枚だけでも」
横切ったところをいきなり、でこぼこのフライパンを掲げてきた老人を、
「悪いね、おじいさん。それ以外で困ってることがあったら、いくらでも言ってくれよ」
すげなく断わり避けて歩いた先で、一体の
「わりぃ」
メイド服を着せられた女の子っぽい自立稼働型人形は、なんの反応もなしにすれ違っていった。
野菜の詰まった袋を抱えているのを見て、おつかいの帰りかな。最近、ここらでも増えたな。ロウェルが、そう、ぼんやり考えていたときだった。
「ど、泥棒よっ! だれか、止めてちょうだい!」
悲鳴が耳に届いたロウェルが、ぴくっとなった。
待ってました、というふうに勢い込んで、騒ぎのほうを振り向いた。
倒れ込んだ老婆のほうから、上等なつくりの鞄を
地を蹴り、ロウェルはその背中を追った。
通りをいくつか曲がり、駆け回る間に、街の
男のほうも、追跡者のロウェルに気づいていて、必死だった。それが、両腕に物騒な杭打ち機を付けて疾走する少年とあれば、なおのこと頑張りもするだろう。
「……くそっ。意外と、速いなアイツ」
苦しくなってきたロウェルが、息荒くこぼした瞬間――ひったくり犯の男が、派手に石畳の上に転んだ。
なにかに、つまづいたらしい。
ロウェルが駆け寄り、「あっ」と目を丸くした。
原因は、一人の青年の足だった。出店に寄りかかり、そこの商品であるパンを口に含みながら、足を通りの中央寄りに伸ばしていたのだ。
「いてて……。おい! なにすんだてめえ!」
ひったくり犯が起き上がり、これ見よがしに足を伸ばしっぱなしの青年を見て、
それでもなお、青年は素知らぬ顔で残りのパンを
優男然とした青年だった。
空色の瞳は、
シャツの上に黒のデニムジャケットを
そういう、着こなしをしていた。
わりと見かけるような服装なのに、こじゃれた感じがするのは、青年の背格好や雰囲気によるのだろう。ロウェル自身、同じように着てみたところで、絶対に似合わないと思う。
「あ、そうだ。おばちゃん、ちょっとの間、預かっててもらえる?」
「あ、ああ。いいけど……」
青年が抱えていたパン入りの紙袋を、出店の女店主に渡した。なおも余裕を崩さないそのさまが、ひったくり犯を焚きつけたらしい。
「この、くそガキ!」
奪った鞄を抱えて、空いているほうの手で、隠し持っていたナイフを袖下から出現させるや握りしめ、青年に突っ込んでいった。
青年は
そこには、二つの武器が備えられている。ベルトに付けられた拳銃入りのホルスターと、鞘に収まった
右手で拳銃を抜き取り、左手で
手並みも鮮やかに片手剣で男のナイフを絡み取り、入れ違いに、
飛んでいったナイフが地べたで甲高い音を上げるのと、カチリという音が重なる。青年が拳銃の
「……はひ?」
ひったくり犯の男が銃口と対面し、ひょうきんな声をもらした。
「なにか言うべきことは?」
ひどく優しい顔で、青年は男に尋ねた。
「すみません、くそガキと言ったのは、ナシな方向で……」
そこで男の顎が、ぐっと跳ね上がった。青年が靴先で蹴っ飛ばしたのだ。
「謝る相手が違うね」
完全に伸びて石畳に倒れ伏した男に、惜しい、というふうに青年が告げた。
それから、拳銃と片手剣をもとに戻し、男から鞄を取り上げると、息を切らしてやっとこさ追いついてきた老婆に、
「今後は、鞄は斜めに掛けておくのをおすすめします。それと、あのへんの通りではあまり派手なのは避けたほうがいいかも」
それを手渡して微笑した。
「ありがとうございます。まだ買ったばかりでしたの、これ。以後、気をつけますわ。ああ、本当、ご親切に……なにかお礼を――」
「いえ、大したことはしてませんから。あ、おばちゃん、それ、ちょうだい」
「ああ、すまないね」出店の女店主が思い出したように、預かっていた商品を差し出した。
「また、買いに来るよ。この値段で、この美味さは職人技だね」
手を振り立ち去る青年の後ろ姿に、ちらほら
「アズさん!」
青年が――アズランドという名を、そのように呼ぶロウェルの声に、目を見張った。
直後に、しまったな、という感のある、ばつがわるそうな顔になった。
ロウェルに見つかったのがまずい、というのではなく、
「日課のお邪魔をしちゃったかな?」
と、ロウェルがここにいる理由を
「いえ、いいんす。また、探せばいいんだし。っていうか、見入ってて、手が出せなかったのもあるし。かっこよかったっすよ、さっきの」
ロウェルは、はしゃぎ気味に話した。
自分とは違うスマートな振る舞いが、ちょっとした憧れを抱かせる。とある事件で出会ったのがきっかけで、それ以降、ずっとこんな調子でいる。
「単に、水を差されたくなかっただけさ」
「え?」
ぽかんとなって開いたロウェルの口に、アズランドが紙袋の中身のパンを千切り、一口分だけ差し入れる。
口をモグモグさせながら、素直に美味いと思った。甘く、焼き加減も絶妙な一品だ。
「せっかく、安くて美味いパン屋に巡り合えたんだ。感動を、台無しにされたくないじゃないか」
「たしかに、これ。美味しいですけど」
そんなに譲れなかったのかな、とも思うロウェルだった。察してか、アズランドが重ねて言った。
「安くて美味いパンは、生きる上で必要不可欠だよ。この街では、特にね」
「まあ、安いに越したことはないっすね」
普段から金の持ち合わせがないロウェルには、微妙な教訓でもあったが、ここは頷くことにした。
「こんなところにいたのねっ」
不意に、横合いから声が割り込んできた。
勝ち気そうな、女の子の声だった。
二人が同時に振り向き、馴染みの顔をそこに見つけた。
「あっ、エリーゼ……」忘れてた、という表情でロウェル。
「お姫様のお出ましだ」おやおや、という表情でアズランド。
手入れされた金の巻き髪を揺らし、腰に両手を当てて、やや不機嫌そうでいる少女に対しての反応だった。
それを受けてさらに、彼女の――エリーゼの赤い目が険しさを増した。
白と薄桃色で彩られた豪奢なドレスを着ていた。イヤリングやネックレスにしても、一級品の装いである。
これから舞踏会に赴きでもするのか、という感じだったが、これが彼女の普段着だった。
アズランドの
現国王ペーターソンの弟であるアンダーソンの孫娘であり、れっきとした王家の家柄なのだ。
ただし、王宮暮らしではなかった。それでも、
ロウェルはエリーゼのもとへ歩み寄り、
「よっ、元気か」
先に、
デジールが従えていたよりも小型なものだ。
それでも、背丈はロウェルの二倍近くはあったが。こちらも派手さでは、金ぴかゴーレムに引けを取らない。
明るい桃色に全身を塗装され、挙句にあちこちに花を飾られている。
エリーゼの屋敷の壁面も似た具合で、
ロウェルの呼びかけに応じるように、フラワーゴーレムが、頭部の
これがこいつなりの、挨拶なのだと、何度かやり取りしてみて、ロウェルは思っている。
「今日は、朝一番に持って行くからって、言ったはずよ?」
じろり、とエリーゼがロウェルを一瞥した。
露骨な威圧の動作であるが、それほど気品を損なわないでいるのが、育ちの良さというものだろうか。
「わ、悪かったって。うっかりしてた。……デジールの奴が押しかけて来てたし」
ロウェルはエリーゼの腕に掛けてある、布で覆われた
中身は微かな匂いで察していた。エリーゼお手製の、サンドイッチだ。ロウェルが、飢え死にを
今日はまだ、さっきアズランドがくれた一口のパン以外、なにも食べていないのを思い出す。なんだか、力が入らないでいたのは、腹ぺこだからかと合点した。
「まっ、いいわ。夜の分は、また用意するから」
「サンキュー! いや、マジで助かる」
エリーゼから両手で籠を受け取り、ロウェルは歯をみせて笑い、感激した。
「夕食なら、一緒にどうかな? 日課の邪魔をしたお詫びに、奢らせてもらいたいんだけど」
アズランドが申し出るのに、ロウェルは恐縮気味に返す。
「いや、さっきのことなら、べつに……」
「実は、お姫様に訊きたいこともあってね」
「私に? なによ?」
意外そうにエリーゼが眉をひそめる。
たしかに、とロウェルも不思議だった。
アズランドがロウェルにではなく、エリーゼに要件があるのは、珍しい。
「込み入った話、でもないんだけどね。まあ、それは今夜、詳しく。これから、ちょっと用事もあるし……」
「いいっすよ。なあ、エリーゼ?」
せっかくだし、とロウェルは同意を促す。
「まあ、構わないわ。場所は?」
「無難に、いつものあの店でいこう。それじゃ、また夜に」
アズランドは告げると、手を振って人混みのなかに消えた。
人だかりは先ほどの騒ぎのまま、さほど霧散していなかった。
彼らの視線の多くは、今やエリーゼのほうへ注がれている。
好奇というか、敵意に似たものが、
容姿についての言及が、途切れ途切れに聞こえる。賛辞に違いはないが、皮肉の意が滲んでいた。美しさを肯定したうえで、身の上をやっかむ女性の声が、幾らかはあった。
それらを意に介すこともなく、エリーゼが言った。
「私も、一度帰るわ」
フラワーゴーレムに持ち上げられ、エリーゼが肩に腰掛ける。歩き出すのに身を任せながら、
「遅れるんじゃないわよ」
とロウェルに念を押す。
「おう、わかってるって。……気をつけて帰れよー!」
ロウェルは笑って答え、一応、という感じに忠告をした。フラワーゴーレムがそばにいれば、問題ないとは思いながら。
「っと、俺も急がねえと。うし、あと九十九回だ……!」
勢い込んで、ロウェルは困り人を再び探し始めた。