ゼーレンヴァイス   作:朽木 堕葉

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アンド・ヴァイス・ヴァーサ 善意と悪意は似て非なれどもⅠ
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蝕天秤(エクリプス・リーブラ)〉は施設の内外問わず、歓声が湧いて留まるところを知らない。

 そこかしこにごちそうと酒が用意され、組員同士で卓上の酒を互いに引っ掛け合う。

 玄関前では、街灯の明りのなかで腕相撲に熱中する光景も見られた。勝負が決すると、野次馬になっていた連中が、不満声交じりに無造作に銀貨を放る。一方で、嬉々として酒を呷ったり、ガッツポーズをする者もいた。賭け事の対象だったのだろう。

 数百の組員が一堂に会しての大騒ぎ。

 苦情の一つや二つ、近隣住民から言われても仕方ない有り様だが、事前に伝えてはあるので、今のところ問題はなさそうだ。今回は多めにみよう、と考えてくれたのかもしれない。

 これは祝宴(しゅくえん)だった。

 各地で頻発していた事件に、大方の片がついたことを祝しての。

 不意に寒風(かんぷう)が激しく吹いていったが、多くの者は気に留めないほど、盛り上がりをみせる――

 

 

 ……くしゅんっ。

 不意にリザが小さなくしゃみをした。彼女は自室の窓辺から、白熱する腕相撲の決着に拍手を送っている最中で、口元を押さえる余裕がなかった。

「ごめんなさい」鼻先を少し赤くして、リザは顔を上げる。

「もう寒い季節だからね」

 自分のデニムジャケットをそっとリザに羽織らせたアズランドの口元には、微笑が浮いて出ていた。

「ありがとう、アズ」

 頬までほんのり赤く染めて、リザはデニムジャケット越しに両肩を抱いた。体をさすっていたかと思えば、アズランドの胸板に頭を押しつけてきた。

 アズランドは変わらず、微笑を保ったまま、困惑顔になる。そして、壊れ物を扱うような手つきで、リザを抱いた。

「……あったかい」リザが心底、安堵したように目を細める。

 アズランドも目を細めていた。過去と現在のリザを、見比べている。

 服装は、どちらもあのとき買った浅葱色のワンピースだ。

 青みがかった短い銀髪のリザ。

 その髪を伸ばして結び、ポニーテールとなったリザ。

 時々でいいから(・・・・・・)、と言ったはずだったが、カトレアの一件以来、常日頃からそうしてくれている。

 アズランドとしては嬉しい限りだ。しかし、それでは不公平な気がして、それとなく要求みたいなものを聞き出そうとしたことがある。

『やっぱり――一緒にいてくれること、かな? もちろん、ずっととは言わないよ。でも、できるだけ――それがアタシからのお願い』

 かなわないな、とアズランドは苦笑したものだった。無論、二つ返事で了承した。今のアズランドとしても、それは心から望むところだ。

 と、弾ける音がアズランドのむず痒い物思いを中断させた。

 視線を向ければ、夜空で花火が輝いている。

「綺麗……」うっとりとして、リザが言った。

「初めて見るのかい?」

「うん」

「そっか。一年前の建国記念式典のときは、地下にいたんだったね」

 花火まで用意するとは、お姫様も粋な計らいをするもんだ。アズランドは感心した。

「そう滅多に見れるもんじゃないからね。目に焼きつけておくといい」

「初めての花火がアズと見れて、ちょっと嬉しい」

「俺は違うな」

「えっ」

 リザが傷ついたような表情になった。クスッと笑い、アズランドは言い添えた。

「初めてだろうと、何百回目だろうとね。キミとならなんだって、そう感じるさ」

 リザは面食らったように、目をぱちくりさせる。それから、瞳を輝かせて笑った。

「うん、アタシもだよ!」

 直後、リザの体がアズランドに寄りかかり、眩暈を覚えたように、目元を押さえた。

「大丈夫かい?」アズランドは目を見開いて訊いた。

「ううん、なんでもないの。……前にね、こんなふうに話をしている恋人さんたちの夢を見ただけ」

 思い詰めたような表情で、リザは説明した。

「夢?」

「うん。きっと、これのせい。一度や二度じゃないもの」

 リザは両手で、胸の妖精宝珠(スプライトジェム)に触れる。

「力を使っていないときでも、影響を受けるのか。……うなされることは?」

「たくさんあるけれど、もう慣れちゃった」

 えへへ、と照れたような笑み。それが強がってみせるときのリザだと、今のアズランドならわかった。

「ずっと考えていたことがあるんだ。その、安全に妖精宝珠を取り外すのは――」

「無理だよ」即座にリザは首を横に振る。

「これを創ったあの人は、もういないし」

「そう、だよな……」

 リーズィヒット・クノッヘンを倒したことは後悔していない。だが、アズランドはリザから妖精宝珠を取り外せるならそうすべきだと考えている。それについては、エリーゼも同意した。

「アタシね、ときどき不安でたまらなくなるんだ」

 リザの瞳には、妖精宝珠のように色とりどりに光り輝く花火が映っていた。

「アタシはあの(・・)人に造られた。予備の器として」

 リザはぎゅっと自らの肩を抱いてつづけた。

「この一年近くで、たくさんのモンスターを見たでしょう? なかには人そっくりのだって……」

 次の言葉を口にするまで、しばし間があった。

「アタシも、本当は人によく似たばけ――」

 アズランドは強くリザを抱き寄せることで、そこから先の言を阻んだ。

「アズ?」

「俺は構わない」

「え?」

「万が一、リザが化け物だろうと天使だろうと、俺の想いは変わらないさ」

 アズランドは力強く断言した。かつて前者として責めたてたことは、後悔してもしきれないが、すべて噓偽りはない。

 リザは涙を目に溜めて、微笑した。

「ありがとう、アズ」

 自然と互いに顔を寄せ合う。が、リザがバッと身を離した。拍子にずり落ちたデニムジャケットを拾い上げ、アズランドは不審がる。

「どうした、リザ?」

「アタシ、行かなくちゃ」

「行くって、どこに――」

 アズランドはそこで気づいた。リザの瞳から、光が消えていることに。また同時に、かつてリザの姉が同様の状態に陥っていたことも、思い出している。

 並々ならぬ魔力を感じ取り、アズランドは咄嗟に退いた。リザが妖精宝珠の力を解放し、虹の翼を背に広げてゆくのを、愕然と目の当たりする。

「どうしたんだリザ!? 今、その力を使う必要なんてないだろう!」

 アズランドの叫び声と、遠くから響いてきた悲鳴が重なった。

 次の瞬間には、窓からリザが飛び立っていった。

 

 

 この祝宴の準備はエリーゼが整え、受付嬢のサラが抜かりなく手続きをこなした。

 しかし、人数の規模がやや問題ではあった。

 〈蝕天秤(エクリプス・リーブラ)〉はやや北側(ノースサイド)寄りではあるが、王都の中央に位置する場所に建っている。

 この付近には更地が多く、一夜だけ祝宴会場として借りることができた。といって、長椅子を設置しただけの簡易的ものではあったが。

 ちょうど今エリーゼは、その更地の長椅子に座っていた。傍の

フラワーゴーレムが、なんの気もなさそうに満月を仰いでいる。つられるように、見上げたとき、冷え冷えする風が吹いた。

 エリーゼは髪を押さえて嘆息した。

「あれから一年。早いものね」

 感慨深げにつぶやいてみれど、反応はない。エリーゼは横目で隣を見た。

 夢中で骨付き肉に夢中でがっつくロウェルの顔を。まるで聞こえていない様子でいる。会場からいくつか持ち出してきたものだ。

 そういうやつよね(・・・・・・)。怒りではなく、エリーゼは呆れて笑っていた。もっと前の私なら、怒鳴っていたかしら? と疑問とともに、グラスに口をつけた。今日のために大量に取り寄せた安酒だ。

 あまり良い酒ではないと、エリーゼにはわかった。が、ささやかな祝宴のために、あまり予算は出せず、これくらいが妥当といったところ――と思うとエリーゼは苦笑した。

 舌が安酒も高級酒も、すっかり覚えてしまっていることが、滑稽に感じられた。

 成人して半年。〈蝕天秤〉のシンパとなってくれている貴族たちとの関係を築く過程で、自然に(たしな)むようになってしまった。

 もう、子供じゃない。

 その想いが湧いた。思考が渦を巻きはじめたそのとき、

「あのさ」

 喰らいつくして骨だけになったものを弄びながら、ロウェルが言った。珍しく神妙な顔つきで。

「なによ? まだ足りないのなら、取ってくればいいでしょう?」

 エリーゼが真面目に告げると、ロウェルは片手で頭をカシガシと掻く。

「いや、さ」

「だからなによ? はっきりしなさいよ。あんたらしくないわよ」

 それでもなお、ロウェルはうーん、と渋ったうえで、こう言った。

「おまえさ。もうじき結婚すんのか? えと、名前忘れたけど、新王様ってのと」

 エリーゼの目がまん丸になった。満月さながらである。

 食い意地しかないと思っていたのに――たしかに、ここに連れ出したのはロウェルだったけれど。

「そうね。各地の騒動で、先延ばしになっていたけれど、収拾がついたら、そういうわけにはいかないでしょうね」

「……そっか、そうだよな。お姫様だもんな」

「どうして、そんなこと訊いたのよ?」

「べつに……」

 エリーゼは眉根を寄せる。だんだん、むかっ腹が立ってきた。今のロウェルは歯切れが悪いことこのうえない。視線をろくに合わそうともしない。

 それでつい、口走ってしまった。夜空に瞬く花火と同時に。

「ロウェルは嫌なの? 私がそうなったら?」

 ようやくロウェルと視線が交わり、その口が動いた。

 だが、花火の音でよく聞こえなかった。

「なによ! もっと大きな声で――」

 エリーゼはハッとして言い()した。ロウェルが怪訝そうになる。

「お、おまえこそ、どうしたんだよ?」

「花火なんて、段取りになかったはずよ」

 打ち上げ花火は思いのほか莫大な費用が必要になる。今日は祝宴だ。演出としては相応しいが、予算の面から端から考えていない。

「だれかのサプライズじゃねえの?」ロウェルが真顔で言った。

 まさしく、思いがけない悲鳴が、二人の耳をつんざいた。

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