一息入れてから、アズランドは再びサロース
「今度こそ、教えてください。まぐれ勝ちでも、俺はあなたに勝った」
「
サロース塔長は、ふっと笑いをこぼした。決まりが悪そうな表情を浮かべている。アズランドは当惑して言った。
「だって、あなたが病んでいなければ、俺なんて――」
「例え万全であっても、結果は変わらんよ」
サロース塔長は断言した。やはり小馬鹿にされているのか? とアズランドは、少々ムキになって言って返す。
「俺は半端者だ。俺がこの塔の門をくぐった理由にしたってそうだ」
「そうだな。そして、おまえは臆病者だ」
「はっきり言う」アズランドは仏頂面でその言葉を受け止める。
脳裏では幼少期の小石のざらつきを想起しつつ、サロース塔長の咳の発作が落ち着くのを待った。
可笑しそうにサロース塔長は笑んだが、アズランドはますますわけがわからない。
「最大の賞賛だぞ」
「はっ……?」
「数年前のおまえは、なにかに固執するあまり――死への恐怖が希薄でもあった。命を投げ出してでも目的を果たそうとするような、そんな眼をしていた」
「否定はしませんけど、ね」
すぅっとサロース塔長の目が細くなった。値踏みするような視線とアズランドの懐疑的な視線が交わる。
「だが、今のおまえの眼は……」
「なんですか?」
「いや、詮索はせんよ。“死ねない”理由が今のおまえにあるのなら、それでいい」
「……」
「死地に於いて、
「つまり俺は――」
「呆れるくらい臆病で、愚かしいほどに勇猛、ということだの」
「やっぱり、小馬鹿にされているようにしか聞こえないんですが……?」
「誇っていいことだぞ。長く信仰をつづけて、恐怖を克服しないでいられる者は、稀なのだ。慣れというものは、恐怖すら希薄にする。そうなれば、我らが神の恩恵も、真価を発揮せん」
「理屈はわかりますけど」
とても褒められている気にはなれない。アズランドは苦笑を顔に表すことしかできずにいる。
「おまえはだれよりも、フォルティス・ヴェル・ヘルモーズ様の真理に純然たる者ということだ」
顔に深い影を刻むと、サロース塔長はつづけた。重々しい口ぶりで。
「フォティア=ウェルテックス――あの娘もまた同じく、な」
ピクッとアズランドの眉が跳ねた。
「どうしてそこで、その名前が出てくるんですっ?」
サロース塔長は瞑目した。ややあって、
「あの娘はアヤツの秘蔵っ子だった」
「それはツォーン・ジ・オーズルの塔長ですか?」
サロース塔長はただ頷いた。
「あの娘にとって、怒りこそが歓喜であるようだった」
「それが、ツォーン・ジ・オーズルの教義――ということですか?」
「あの娘の強さの秘訣はそこにあるのだろう。……敵わぬわけだ」
「フォティアと戦ったんですか!?」
我知らず、アズランドは叫んでいた。
「さっきも言ったであろう。三人の塔長を殺めた、と。万全であれば、こんな老いぼれとの戦闘を避けはせんよ」
「彼女はそれほどの実力者だと……?」
俄かには信じ難く、アズランドは問う。
「逸材であろうな。そして今、その力を遺憾なく発揮する機が訪れた」
アズランドの脳裏で、先ほど見た倒壊していた四つの塔が浮かんだ。
騎士団のなかからも、裏切り者は多数いたという。火種はずっとくすぶっていたのかもしれない。統一国家と称して、一つの国となったときから。
「だが、おまえなら……負けることはないだろう」
サロース塔長はアズランドの顔を見遣った。それこそ、アズランドは狼狽えた。
「あなたが勝てなかった相手に、どうして俺が勝てるというんですっ?」
「古来からの受け継がれてきたものがある。代々、塔長が継承してきたものだ」
「俺にあなたの跡を継げと? 無理だ。俺には荷が勝ちすぎるっ」
「渡すのは、
「能力って、いったい……」
「ワシは
言動に自嘲じみたものを帯びた。サロース塔長が手を伸ばし、得体の知れない恐怖から、アズランドは一歩うしろに逃れた。壁に背がぶつかった。
「恐れるな、とは言わん。それでいい。すぐに終わる」
口調こそ、これまでで一番穏やかであったが、アズランドはサロース塔長からこれまで以上の恐怖を感じていた。やがて、シワだらけの手がアズランドの額に触れる。熱があるかどうかたしかめるときのように。だが、熱を発したのはシワだらけの手のほうで、光を帯びはじめる。
「やめ――」
跳ね除けようとしたアズランドの手は空を切った。
頭のなかに自分の記憶ではないものが流れ込み、引っ掻き回される感覚――かつてカトレアに同様のことをされたが、それは比にならなかった。
代を重ねて蓄積された膨大な情報量に、アズランドは絶叫をしつづけた。意識を失うことすら許されず、ときおりサロース塔長の激励を聞いたような気もするが、気休めにもならない。
どれだけ経った頃だろうか。
アズランドの絶叫が途絶えた。そのまま事切れたように、横倒れになる寸前、
――
声なき言葉を聴いた。
「どうしたんだよ。こんなところで、へたり込んで」
似たり寄ったりの浮かない表情で、ロウェルが訊くと、デジールは顔を上げる。釣られてロウェルもそちらに視線を向けた。
そこには、金ぴかの屋敷――が端の一部だけ残して建っていた。一室が丸見えで、浴槽が傾いでいるのがわかる。
それ以外はすべて、焼け崩れていた。木造りの屋敷が黒々と。
「これって……」
「俺の家だよ。いや、だった場所だ。金庫も破壊されて、金貸しならぬ金無しってな」
デジールは力なく、乾いた笑い声を上げた。
王宮の裏手に存在する
軽度。たしかに、ほかの場所に比べればそうに違いない。
「なにも金庫ごと持ってくことないだろ……」
「あいつらに?」
「いんや。そのへんのゴロツキにだ。反乱なんて大層な思想がないぶん、容赦ないもんだ。悪意なんてのはな、廃棄区画の瓦礫同然に、そこらへんに散らかってんだ」
ロウェルは握り拳をつくっていた。やりきれず。口が勝手に動いた。
「ごめんな、デジール」
なぜか、すべてが自分がのせいに思えてならないでいた。
デジールはまじまじと、ロウェルに面妖な眼差しを注いだ。
「いつもの物騒な代物はどうしたんだ?」
ロウェルは言い淀んだが、素直に打ち明けた。
「壊されたんだ。“おっさん”に」
「おっさん?」
「なんていうか――俺の師匠、みたいなもんでさ。
そのとき、ロウェルは額に軽い衝撃を感じて、言い
「だあああああっ! 辛気臭いんだよ! おまえらしくないんだよ! つーか、ぼやきたいのはこっちだっつーの‼」
デジールが大声を発しながら両手で頭をめちゃくちゃに搔きむしるさまに、ロウェルは「ご、ごめん」と謝るしかできなかった。
憤慨してデジールがまくし立ててきた。
「おまえはロウェル・コールフォールなんだろ⁉」
「う、うん」
「一日百
「お、おう」
「んで、よくわからんが。その師匠と仲違いして、落ち込んでるって⁉」
「ま、まあ」
デジールはそこまで叫ぶと、息を切らしていた。そうして、すっと憎たらしい呆れ顔になった。
「アホくさ」
「……なんか、ごめん」
「悪いと思うなら、くよくよすんな。おまえの仲間もそう思ってることだろうよ」
「え?」
「おまえは、ゴミみたいな悪意を
自分のこれまでの行いを、そう表現されたのは初めてだっだ。
「んで、これからもそうすんだろ?」
ロウェルは落差についていけず、ぽかんとなった。デジールは派手なスーツのポケットから一枚の金貨を取り出して、みせつける。
「いいか、よく見ろ。こっちが表で、こっちが裏だ」
デジールは金貨を数度、ロウェルの鼻先近くで動かした。表面にはふんぞり返った前王ペーターソンが掘られ、裏面には王宮の姿が掘られている。
「なんだよ。これがどうしたって言うんだ?」
ロウェルはまだ金貨くらい持っているぞ、と威張りたいのかと思った。だが、デジールはいつになく真面目くさって告げた。
「おまえの師匠ってのは、いろいろぶっ壊してこうしたいわけだ」
「だがな、まだ今は表にも裏にもなっちゃいない。……こうだ」
金貨の側面を路に押し付け、立たせた。
「えと、わるい。つまり、どういうことなんだ?」
ロウェルは腕を組んで、疑問符を次々と宙に浮かばせる。
デジールのこめかみに血管が浮き彫りになった。ロウェルの胸倉を掴み引っ張り寄せて、
「ああ、もう、はっきり言ってやるよ。なよなよしてるおまえを見てるとな、気色わりぃんだ! いつもみたいに、バカ
迫真と言い放った。さらに胸倉から手を放し、突き放すとこう命令するように言った。
「さっさと、ぜーんぶ終わらせてこい! いいな⁉」
駄目押しというふうにビシッと指を差すなり、金ぴかゴーレムの頭部を脇に抱え、デジールはロウェルの横を通り過ぎていった。
ロウェルはその背が見えなくなるまで、視線を離せないでいた。やがて、道端に置き去りにされた金貨を手にして、思わず「ハハッ」と笑った。
「……あんがと」
ロウェルは金貨を親指で弾いた。そして、宙で掴んだ。
手のなかの金貨には表も裏もない。
この街を、表にも裏にもさせまいと、ひっそり誓った。今までが、裏だったのか表だったのか、わかりはしないが――“おっさん”のやり方は間違っていると確信を手にしていた。