ゼーレンヴァイス   作:朽木 堕葉

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アンド・ヴァイス・ヴァーサ 善意と悪意は似て非なれどもⅢ
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 空が白みはじめた。

 夜明け間近の色を仰ぎ見て、次いでデジールの屋敷の残骸に目を向ける。約束をしていたわけではないし、また会えるとしたらここしか思いつかなかった。時間かな、とロウェルは残念に思いながら踵を返す。その目が丸くなった。

 歩いてやってくる人影が、派手なスーツを着ているのがわかった。夜明け前の薄暗いままでも。

「デジール……」ロウェルは近くでその名を呼んだ。

「またおまえか、錆ついた鋼鉄(ラスティー・スチール)

 デジールはいつものように揶揄(やゆ)の名前で言い表したが、これといって小馬鹿にする雰囲気はない。

「あのさ、デジール……。おまえに――ってなにしてんだ?」

 言い出しにくそうにロウェルは口を開いたものの、呆然となった。デジールが庭にある犬小屋のなかに上半身を突っ込んだからだ。

「忘れ物を取りに、な」

 とお尻で返事をされたようで、少し面白かった。デジールは、犬小屋から抜け出すと立ち上がる。手には、鞄があった。そこそこ大きめで、遠出の旅をするのにちょうどよさそうだ。

 忘れ物、の一言でロウェルは「あっ」と声を漏らした。

「そうだ、これ。返しとこうと思ってさ」

 尻ポケットから取り出した金貨を差し出す。しかし、デジールは「ああ、それか」と一目見て、「餞別(せんべつ)代わりにくれてやるよ」

「えっ? だっておまえ……ほとんど金なくなったんじゃ? それに餞別って?」

 そこでようやく、デジールが見慣れた顔を寄越してくれた。意地悪そうな表情に呆れを加えて。

「預金を引き出してきたんだよ」

「預金って……こんなときでも銀行って開いてるもんなのか?」

「預金先は銀行じゃねえよ。ギャング相手に預けてたんだ。名前は教えられんけど」

「はっ? ギャングだって?」

「ギャングと聞くなり怖い顔すんなって。銀行に預けるより、融通が利くんだよ。いろいろ、ちょろまかせるのもデカいが、こんなときでも営業(・・)してるしな」

「営業って……」

「アイツらはアイツの仁義で行動するだろうさ。おいたした悪餓鬼(わるがき)どもの(しつけ)とかな」

「デジール、おまえはどうすんだよ?」

「この残った金で、再起するさ。そうだな……」

 腕を組んでちょっと考え混んでから、デジールは告げた。ロウェルが初めて見る、面映ゆそうな顔だった。

「王都を離れて、ボロい牧場でも買い取って、悠々自適(ゆうゆうじてき)に暮らすのも悪くないかもな」

「へぇ」ロウェルは憧れと興味から唸った。

「いいな、それ。いつか、俺も遊びに行ってもいいか?」

「ああ、いいぜ。だから――」

 デジールはくつくつと笑った。それが引っ込んでから、

「すべてにちゃっかりしっかりケリをつけてこい」

 トン、とロウェルの肩を叩き、立ち去っていった。

 

 

 夜明けが迫るほどに、ミスルトウの面持ちは緊張を帯びていった。

 昨夜の玉座の()で出来事が、まざまざと思い返される。ケートネス王の憤慨っぷりは凄まじいものだった。

 南側(サウスサイド)の住人ならず、敵兵をも魔術によって治療したことについて、“逆賊”“売国奴”などなど、思いつく限りの侮蔑(ぶべつ)をこの若き王は並び立てていった。

 ミスルトウは、かえって冷静になって釈明してみせた。

 慈愛を司る地母神(ちぼしん)――リーベ・ルチェ・エイルの塔長(とうおさ)として、逸脱した行為はなにひとつ、してはいないことを。そして、前王の時代から、それは認可されてきたことも併せて強調した。

 災害時に於いては、金銭の発生しない負傷者(・・・)への治療が、ミスルトウの裁量で認められていると。

 ケートネスがそれらの反論に耐え切れなくなり――和平について口出ししたところで、地団駄を踏む音が広間に響いた。間を置かず、退出するように命じられ、ようやく解放された。玉座の間を出る間際、改正してやると吐き捨てる声を耳が拾い、ミスルトウは憂いの種を胸に抱えた気持ちになった。

 ふと小鳥の(さえず)りが強くなり、頭を振った。

 開戦はいつとも知れない。ミスルトウは今、下された若き王の厳命に抗えず、王宮を背後に魔術式を展開して備えていた。

「そんなに張り詰めなくてもいいと思いますけど」

 出し抜けの声に内心、ミスルトウは度肝を抜かれた。

「だれだ、貴様っ」

 魔術式の外枠を担う者が詰問した。優男ふうの青年は、魔術式の外から、肩をすくめてみせる。敵意はないと示したいのだろう。

 だが、一人、手が空いていたものが詰め寄り――ハッとした。

「おまえ、アズか?」

「アイディール孤児院で、数少ない玩具をいつも独占していたカールによく似ているな」

 相手の顔を見返す青年の表情には、一抹の郷愁(きょうしゅう)が滲んでいるように、ミスルトウは遠目ながら思えた。

 それから、アイディール孤児院が古くから支援をつづけている施設であることも気づいていた。

 昔馴染み同士にありがちな思い出し笑いの直後、青年は表情を引き締めてこちらに視線を送って来た。

「誤解していた」

「誤解、ですか?」ミスルトウは理由がわからず首を傾ける。

「あなたたちが、業突(ごうつく)張りで、金に目がないものだと――思っていた」

 青年の旧友らしき若者が、きつく睨んだ。先ほどのやり取りが嘘のように、握り拳が青年の頬を強く叩く。

「それが邪推(じゃすい)だったと、ようやく理解できたような気がする」

 青年の口の端から血が滲んだ。彼の旧友のばつが悪そうな素振りに対して、青年は手をひらひらさせてみせる。平気さ、というふうに。

「もう時期、夜明けだ。あなたたちの負担が少なくなるよう、試みることにしたよ」

「戦いに行くのですか」

 青年の右腰の蒼々とした二つの武装を一瞥して、ミスルトウは問う。

「止めに行くんですよ」

 背中越しに青年は答えた。口調に迷いは感じられない。ミスルトウはそれ以上はなにも言わず、深く頷いた。

 

 

 約束通りの丁字路に、ロウェルはアズランドを見つけた。腕を組んで家の壁に寄りかかっていたが、すぐにこちらに気づいたらしい。気さくな調子で手を振った。

「やあ、ロウェル。おはよう」

「おはようございます、アズさんっ。早いッスね」

「なんなら、お互い少し遅れてるんだけれど」

 アズランドは苦笑したあとで、ロウェルの全身に目を走らせた。特に素手である両腕に着目している。

「いつ見ても、物騒な腕だ」

 言い終えた直後、面白そうに少し吹きだし気味になった。

「どうかしたんスか?」

「いや、なに。ちょっとした思い出し笑いさ。その拳で死ぬかと思ったことを、ね」

「……あっ!」

 すっかり失念していて、ロウェルは思い出すのに時間を要した。そんなこともあったなぁ、という感覚である。もう一度、謝っておこう。

「あのときは、すみませんでした……」

「腑抜けてた俺には効果覿面(こうかてきめん)だったんだ。キミのお師匠さんにも、届くはずだ」

 軽く頭を下げるロウェルに笑って返し、アズランドは周囲を見渡すとつづけた。

「ここが俺たち四人が、出会った場所だ」

「え、あっ。そういえば――」

 またもやロウェルは思い出した。カチコチの黒いゴーレムがいて、それで――記憶を遡っていく。

 リザがクノッヘンの配下に襲われていたところを、ロウェルとアズランド、そしてエリーゼが従えるフラワーゴーレムが協力し、撃退したのだった。

 ここから左右に行った先に、大きな通りがある。

 南側(サウスサイド)から東側(イーストサイド)を抜けて王宮に繋がるもの。

 南側から西側(ウエストサイド)を抜けて王宮に繋がるもの。

 どちらも王都の要路(ようろ)であり、空の玉座(エンプティ・スローン)の軍勢が進軍するとすれば、ここを選択するとアズランドが目星をつけ、エリーゼも同意していた。

 前回の無差別的攻撃は王都へ侵入し、陣地の確保が必須だったがゆえ、容赦がなく被害は拡散したが、それをすでに果たした今はどうだろうか。

 民の心証を考慮すれば、むやみに街を破壊するのは避けたいはず――というのが、みなが出した結論だ。ロウェルはなるほど、と頷いての賛同したのだが。いずれにしても、主力部隊が通るならこの二つの大通りしか考えられない。

 アズランドはロウェルに視線を向けて、ふっと目を細めた。不意にこんなことを言った。

「俺、キミにちょっと憧れてたんだ」

「はい?」いきなりのことにロウェルは目を丸くした。

「なんでも一心不乱で、真っ直ぐで――どうしてそうできるのかってね」

「はあ」話が呑み込めず、ロウェルは頭を描くしかない。

「同時に、憐れんでもいた」

 アズランドの表情からは、やるせなさを感じさせた。

「叶いっこない理想を追いかけているなんて、馬鹿みたいだって思っていた。でも今は、そう思っていた俺自身が、もっと愚かしい奴だ言い切れる」

「どうなのかな……。俺も今は、おっさんと話してみないとはっきりしない気持ちがあるんスよ」

 ロウェルが悄気(しょげ)顔になりかけたとき、

「以前、言っただろう? “可能な限りそうであろうとすることはできる”とね。今までもこれからも、キミはそう在りつづけるだろうさ」

 吹っ切れた調子で、アズランドは爽やかに笑んだ。時おりみせる素顔。その顔を朝陽が照らしはじめた。

「キミにはお姫様だっている。彼女の想いを無下にはしてはいけない。エリーゼはだれよりも、キミの途方もない夢について真摯(しんし)に思いを馳せているんだから」

 アズランドはロウェルの胸を握り拳で軽く小突いた。急にエリーゼの話になって少し混乱したが、意味はわかる気がした。

 ロウェルだって、ずっとアズランドに憧れを抱いてきた。思慮深く気配り上手で、さりげなく行動に移して支えてくれる。兄がいるなら、きっとこんな感じなのかな、と勝手に思っていたりしたものだ。

 それは恥ずかしくて口にはできず、「オッス!」とロウェルの大声量の返事が、朝焼けの王都に響いていった。

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