太陽が
「来るぞっ‼」
覇気に満ちたオネスト騎士団長の声が、兵たちの緩みかけた緊張の糸を引っ張り上げる。
つづいて、背負っていた大剣を力強く抜いてみせると、ほかの騎士も続々と
背後で二列に並ぶ
対面側の軍勢――空の玉座軍もほぼ同様の布陣だった。
オネストは片手で、一時的待機の合図を示すと、一人だけで前に進み出る。
あちら側からも――一人が歩み出た。歳はほぼオネストと変わらないであろう胴着姿の男。レグナシオンが口を開くと同時に立ち止まる。
「このあいだも思ったが、老いたな」
「お互いさまだろう」
オネストも応じて足を止めていた。
両者ともに親しみの
オネストがつぶやくように言った。
「平和の世とは、長くはつづかないものだな」
「この二十五年が平和だったと?」
レグナシオンは眉を寄せて、疑問を口にした。オネストの表情が、
「たしかに
「ワシにはとても
レグナシオンは旧友に
「だからおまえは、数度にわたって王政に異を唱えつづけた。果敢にも、無謀にも。そして、戦術師範の地位を剥奪され、王宮からの追放を余儀なくされた……」
「そうだ」
レグナシオンは頷いた。これまでの己の半生を噛みしめるように。その様子にオネストは主張した。あわよくば、賛同を得られると願って。
「おまえの言い分も、わかる。しかし、それでも、
レグナシオンの顔に、失意の影が色濃くなった。
「いつとも知れない変革を待っていられるほど、ワシは気が長くないのだよ……」
「だからといって、こんな紛争になんの意味がある!」
オネストは大剣を両手で勇ましく構えるや、機敏に後方の部隊が戦闘態勢に入る。
「前々からくすぶっていた火種に、火がついただけのこと。燃え尽きさせてやるしかないのだ」
レグナシオンは微動だにしない。だが、彼の後方でも、俄かに戦意が立ち昇る気配がしていた。
「なるほど。そういうことだったのか」
不意のだれとも知れない声に、オネストは警戒を強めた。のほほんとしたものだったゆえに、調子まで狂い気味になる。
レグナシオンはいち早く、声の正体に気づいたようだ。苦笑じみた表情に変わっている。
横合いの家屋の屋根から飛び降りてきたその姿を認めて、
「ロウェル」
ボソッとつぶやいた。
国軍とも
「アンタ、どういうつもりなの?」
フォティアは周囲を見回してから、
「少し誤算でね」
イクトスは目を閉じたまま悠然と微笑んだ。返り血で汚したローブが風に
「もっと派手にやりあってもらわないといけないのに、どっちも及び腰でね」
そこで目を開けて、フォティアを見た。水色と緑色の眼で。視線を交えたフォティアには、不思議と猫のように、細く長い瞳孔をしているように見えた。
「前々から、得体の知れない薄気味悪い奴だとは思っていたんだ」
フォティアはむかっ腹に従い、
イクトスが掲げる優美な杖。その先端で輝く宝玉から放たれる鋭い水の刃と。フォティアは宝玉内部に、黄金色に光る一連の
上等よ、と宙で身を翻すようにして退き、フォティアは口早に魔術の呪文を唱えてゆく。
イクトスも新たに宝玉に呪文を浮かび上がらせている。ついで、という感じに訊いてきた。
「キミの親父さんは果たして、信託を聞いていただろうか?」
「……アイツは親父なんかじゃないわ。それに、信託ってなによ?」
「神のみぞ知るさ」イクトスはただ肩をすくめた。
魔術を完成させ、フォティアが先に斧槍越しに火炎を放出させたが、杖の柄の先端で石畳を突いた刹那、水源でも掘り起こしたかのように、水柱が勢いよく立ち昇る。
ジュウウッ。激突した二つの魔術は、水蒸気となって辺り一面を白く包む結果となった。
やがて、視界が晴れた頃には、イクトスの姿は影も形なかった。
フォティアは眉を寄せて唇を噛んだ。けれども、すぐに血の味を感じながら、笑った。こちらへ進軍する国軍の部隊を目に留めて。
憂さ晴らしにはもってこいだ。フォティアは
国軍の部隊をあの手この手で、
ケートネスはご満悦で城内を歩いていた。だれとも会うことなく、執務室に入った。机上に目を向け、相好を崩す。
そこに置いてある封筒には、降伏勧告書が詰まっているのだ。然るべきタイミングで、これを連中にばら撒く腹積もりでいる。そのとき、僕は笑い声がしばらく抑えられないだろう、と思った。
それから、隣の無色透明な結晶を見た。握り拳ほどの大きさをしている。
アリアンが資料として置いていった
途端、まだ年端もいかないメイドが、なにやら革袋を抱え上げて小走りやってきて、あわやぶつかるところだった。
「申し訳ございません」
メイドは肩をすぼめながら、何度も頭を下げた。
「次は気をつけることだ」
不遜な笑みで許せるくらい、今のケートネスには余裕があった。尻込みするメイドとすれ違い、廊下を歩みながら、つぶやいた。
「今日この日、僕は――」
鼻を高くして言いかけた刹那、通り過ぎた窓ガラスがけたたましい音をたてて砕け散った。
「な、なんだ⁉」
仰天して振り返ってみれば、仮面をした少女が廊下に転がっている。アリアンが、ペッカードールと呼ぶ
「どうしたんだ? なぜ、人形たちが前線にいない!」
ケートネスはがなった。あの人形たちが、すべて蹴散らしてくれることを期待していたというのに。
これはいったい、どういうことだ?
ケートネスは居ても立っても居られず、王宮の四隅にある見張り台の一つへと躍り出る。
「あの小娘……!」
そこで、反対側の見張り台からヒステリックに喚き散らすアリアンの声が耳に届いた。
十体のペッカードールはプエッラと戦闘中だった。より正しく言うならば――プエッラ一人と九つのプエッラの影とである。
まるでプエッラの影をそのまま写し取ったというに相応しく、彼女が有する力に至るまで同様だった。
ペッカードールとプエッラの影たちは、空中戦を展開していた。
影の胸には丸い模様が存在する。それは赤色文字で
かれこれ、小一時間にわたって、プエッラはペッカードールたちを封殺しつづけている。
プエッラ本人は王宮の城門前で、ペッカードールと向かい合っていた。
影たちと戦う個体と異なり、胸元の妖精宝珠を魔力で七色に光らせたまま、微動だにしない。アリアンが手にする球体は赤く輝き、撃滅を促しているにもかかわらず。まるでプエッラに対して、畏怖や警戒を覚えたように立ち
妖精宝珠のリスクを無くすべく、アリアンが徹底的に心を
「そう、あなたたちも一緒なのね」
プエッラが納得したように、透明な声でつぶやいた。
長いあいだ一言も発せずにいたけれど、やっとわかったという感じに。
「からっぽのままで、それでも生かされてる」
「逝きましょう。あの子なら、あなたたちを拒んだりしないと思うから」
プエッラが向かい合っている最中、ずっと食べつづけていたチョコレートの最後の一口を
「“虚無こそ我なり”」
「“ゆえに虚無に
唱えた刹那、プエッラの影たちがぐにゃりと歪んだ。宙にいたペッカードールと重なり、交わり、消えた。陽光に溶けるみたいいに。
プエッラ本体も、ペッカードールを一人抱いて、溶け合う。完全に消え去る前に、残した声には、動揺が滲んでいた。
「巨人が目覚める……」