ゼーレンヴァイス   作:朽木 堕葉

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アンド・ヴァイス・ヴァーサ 善意と悪意は似て非なれども-エピローグ-
     ※


 執務室の前で、エリーゼはドアを叩くことに躊躇(ちゅうちょ)していた。深呼吸をして、胸の中心に手を当てる。そこに決定的なものがあるのを確認すると、覚悟を決めた。

 ノック音が響き、「入ってくれ」ケートネスが無愛想な声で応じた。

 エリーゼはなかに入った。慎重を期していたが、恐れは抱かなかった。ケートネスの表情を見て、むしろ安心した。

 戦争に勝った――内乱を鎮めた王の顔にしては、敗者の如く打ちひしがれた様子だったからだ。

「騒乱は終わったようで、なによりだわ」

 エリーゼは近寄り机越しに言った。上辺だけの謝辞に、椅子にもたれかかっていたケートネスの眉がピクッと上がった。

「なにより、だって?」

 姿勢を正して机で手を組み、

「こんな勝利を僕は望んでいなかった」

 険しい顔をした。が、エリーゼは内心でご愁傷様とつぶやくに留めた。それをかすかにでも悟ったのか、ケートネスは苛立ったように口にする。

「ロウェルが空の玉座(エンプティ・スローン)の首謀者を倒した――と国民たちは騒いでいる。またもや、英雄みたいにだ」

「そうみたいね」気のない返事でエリーゼ。

「僕は圧倒的勝利を飾るつもりだった! 戦力を浪費せず、すみやかに!」

「民から見れば、どう見ても辛勝(しんしょう)に映るでしょうね。だからロウェルが希望に見えるのよ」

 エリーゼの発言に、虫唾が走った様子で、ケートネスは机を叩いて立ち上がった。机上の結晶――妖精宝珠(スプライトジェム)を掴み取り見せつける。

「戦力はこの力があれば、立て直せる」

「……そんなものに頼って、あなたは」

 軽蔑の眼差しをエリーゼはケートネスに向けた。それの正体も由縁も知らず、頼ろうとする王様に。

「アリアン・フランベージュはあのクノッヘン卿の後継者で天才だ! 今も彼女はこれを新たに造りに向かった。これを備えたあの人形たちが強大なのは自明だろうっ」

「あなたにすべてを話しても、きっと無駄なのでしょうね」

 エリーゼは呆れて言った。最初から、話にならないのはわかってここに来た。

「キミのほうこそ、無駄話で時間を稼ぐのもこれまでだっ。脅威が去った今こそ、平和な世をみなに示すための婚儀を拒む理由なんて皆無だ!」

 ケートネスは息巻きながらエリーゼに詰め寄ってきた。自然と壁際に下がりながら、胸元に手が伸びていた。エリーゼの谷間から現れたナイフに、ケートネスは息を呑み――鞘を引き抜く所作で唖然と硬直した。

 かと思えば、憤慨して叫んだ。

「僕を殺すつもりか⁉ そうまでも僕を裏切り――」

「いいえ。違うわ」エリーゼは迷いなく告げた。

 そして、ナイフを両手で逆手持ちにすると、ケートネスは一瞬、理解が及ばないというふうにぽかんとなった。頭を振って怒鳴り声を上げる。

「なにが不満なんだ。そんなことをして、なんになるっ」

「あなたに国民たちからの信頼はないわ。もちろん、私にも」

 自身の首元にナイフを寄せつつ、言葉を繋いだ。

「それでも、私が死ぬことで、あなたの支持者に波紋を残すことができる」

 エリーゼはささやかな笑みを浮かべた。せめてもの抵抗。苦し紛れ。わかっていた。私のやり口では、上手くいかない。

 クスッと笑った。裏切りには間違いないけれど、これならまだマシかな……。

「キミはこの僕を利用してばかりで……!」

 勢いついたエリーゼの両手を、寸前のところで憤激のケートネスが押し込んだ。拍子に片手持ちになった手首をそのまま壁に抑えつけ、刃部分には持っていた妖精宝珠をあてがう。

 取っ組み合いながら、問答をぶつけ合った。

「あんなガキの遊びにばかり付き合って‼ あんなごっこ遊びの施設まで用意させておいて‼」

「……そんなだから、あなたには相応しくないのよ」

 あなたが私には――という意味合いでエリーゼは伝えた。だが、ケートネスはべつの捉え方をしたらしい。

 鬼気迫る剣幕に変じ、グッと手の力が激しくなる

「僕は正真正銘の国王だ‼」 

 おそらくこの(フロア)中に響いたのではと思わせる迫力があった。エリーゼの細腕は圧倒され、諦念が顔を覗かせかけたそのときだった。

「だれだ!」

 不意にケートネスが叫び、周囲を見回す。エリーゼも何事かと視線を一周させたが、執務室には二人だけだ。

 だが、ケートネスの異変はつづいた。

「どこにいる! なにをわけのわからないことを言っているんだ!」

 何者かに対して反応している。エリーゼに理解できるのはそれくらいで、ケートネスが苦悶(くもん)の表情で喚き散らすのを、未だ強く壁に抑え込まれたまま見ていた。

 そのあともしばらく、怒鳴り声は途絶えなかった。それもやがて、

「僕の頭のなかで話すな!」

 もう耐え切れないといった具合に喚いたのを最後に、静かになった。ケートネスが忽然(こつぜん)と消えたのだ。

 いきなり解放されたエリーゼは、前につんのめり、たたらを踏んだ。

 床に転がった妖精宝珠が、綺麗な音色を響かせるのを耳に聞きながら、

「なにが起こったというの?」

 エリーゼは茫然とつぶやいていた。

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