ゼーレンヴァイス   作:朽木 堕葉

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 リザはゆっくりと瞳を開いた。

 ベッドのうえから視線を部屋中に移しても、咄嗟には、そこがどこなのかわからなかった。まだ、頭がぼんやりしていた。

 それから、「あっ」と声を出して思い出した。以前、アズランドと訪れたアピス農村の村長宅だった。ソファーを見て、アズランドの腕に絡みつくカトレアの幻が見え、すっと消えた。

「アズと一緒に綺麗な花火を見ていたはずなのに」

 リザは苦笑してつぶやいた。混濁する記憶のなかでも、それは明瞭(めいりょう)だった。今までずっと――目覚めるまで、そうしていたような気もする。楽しかったし、アズランドの胸のぬくもりも、幻ではないと思いたかった。

 遠方に離れてなお、アリアンの魔力が影響を及ぼし、夢遊病のように歩き回るため、村長親子がやむを得ず眠り薬を処方していたことを、リザは知らないでいた。

 そして、なにやら周囲が騒然となっている気配を感じ取り、リザはベッドから起き上がり、外に出た。

 村人たちの大半は、大慌てで荷造りに躍起になっているようで、だれもリザに意識を向けなかった。なかには、口をあんぐりとさせたまま、愕然と立ち尽くしている者が数人いて――リザもそちらを見遣った。

「なに、アレ……」

 リザも同じようにぽかんとなった。

 ゴーレムに似た物体が近づいてきていた。とてつもなく巨体ゆえ、距離感がつかめない。鈍重な感じがするのはその錯覚で――想像より速く移動しているのは、見ているあいだにわかった。

 もうじき、ここにやって来るということも。

「リザさん!」

 と、突然ジグがあわあわとリザのもとに駆け寄った。村長の息子である。

「ジグさん!? ねえ、あれはなんなの……!」

「わ、私にもわかりませんよっ。で、でも、どんどんこっちに――ああ、と、とにかくみんな避難させないと。リザさんも早く逃げてくださいね!」

 急いで伝えると、ジグは通りかかった村人へ避難を()かしていた。

 リザは周囲を見渡した。

 荷物をまとめるのにもたついている人や、杖を突きながら逃げる人の姿。そして、傾いた太陽が沈みつつある街道の先には、王都〈ウォルスタンド〉がある。

「ジグさん」

 驚天動地(ぎょうてんどうち)のなか、リザはジグを呼んだ。ジグはあたふたと振り返った。

「な、なんです? 早く逃げないと……」

「アタシが、足止めしてみます」

「そう、あしど……えっ?」

 シグは耳を疑った様子で、リザを見つめた

「どれだけ食い止めておけるかは、わからないけれど……」

 不安が込み上げてきて、リザの表情が怯えたものになる。強いて、リザはみんなの顔を脳裏に描いた。ロウェルとエリーゼ、そしてアズランドを。みなが今、どうしているかはわからない。

 けれども、こういうとき、どうするかは疑いようもないことだ。

「そのあいだに、みんな逃げて」

 リザは微笑してみせた。ジグを安心させるためでもあり、自身の気休めのために。

 

 

「もうすぐだ」

 夕陽を目に留め、馬に(またが)り街道を()くアズランドはつぶやいた。

 前に見た周辺の景色から判断すれば、まもなくアピス農村に到着するはずだった。

 それはまた、あの巨躯(きょく)も同様で、距離が近くなるほどに、威圧感に襲われる。

 ――恐れを受け入れよ。されど焦燥(しょうそう)は捨てよ。(うしな)う恐れが、おまえを奈落へ(いざな)う。

 また、声が聞こえた。道中、何度も警告するように耳にしてきた。もはや訝ることもなくなっている。

 サロース塔長(とうおさ)から継承したときに流れ込んできたものの正体。歴々の塔長が、これまでに聴いた神の声の数々だとアズランドは理解できた。

 すなわち、この声は――フォルティス・ヴェル・ヘルモーズ本人であるのだと。

 初めてアズランドは神の声に応じた。

「ご忠告、痛み入るよっ。だけど、もう、まっぴらなんだよ! (まも)れないで後悔するなんてのは!」

 歯噛みして、手綱を握りしめる。間に合え、と胸中で繰り返し。

 

 

「ごめんね。また、力を貸して」

 リザはそっと胸の妖精宝珠(スプライトジェム)に触れた。自分の意志だけでは、禁じられた力。それを今、指先で人撫でし、解き放ってゆく。

 無色透明だった妖精宝珠がさまざまな色に踊り――リザの両手の甲から生え出た穂先状の結晶もまた同じく。次いで、背から七色の光の翼を展開させると、飛び立った。

 拍子に、積み上げられた(わら)が崩れ落ちた。が、荷造りを終えた村人は逃げ出すのに必死で、だれも気に留めない。

 リザは巨人の頭部らしき部位の高さまで飛んだ。まるで山の頂上と変わらないように思える。

「待って! お願い、これ以上はもう進まないで!」

 精一杯、リザは叫んだ。言葉が通じるのかどうかも定かではないが、そう願うしかなかった。

 すぐさま、巨人は前進を止めた。リザの顔に少しだけ歓喜の色が帯びた。それも束の間だった。

 頭部にあるゴーグルに似た横長の部位のなかで、巨眼が動いてリザを見たかと思えば、

「敵対行動者を確認。戦力を簡易推定」

 図体に適した大声量に、リザは両耳を反射的に押さえながら、離れた。

「対象から(くだん)の妖精宝珠なる物品を感知。内包する妖精を魔力源とすることから主武装と認定。……しかしながら魔力量は、(われ)ザド・キルエの十パーセントほどと推察。脅威に非ず」

 リザは眉をひそめた。相手が名乗った名前を交えて訊いてみた。

「ザド・キルエ――あなた妖精宝珠のことを知っているの?」

 その疑問にザド・キルエは答えなかった。

「迎撃に移行」

「やっぱり、話しても無駄なのね」

 失望を顔に表し、敵意を感じたリザは最大限に警戒した。まずは、ザド・キルエの各所を観察することに努めた。

 全体が重厚な装甲で覆われていることから、並大抵の攻撃では歯が立ちそうにない。ただ、一つ、気になる箇所がある。

 胴体のちょうど胸部に位置するところから、青い光が溢れて出していることだった。

 もしかして――と考えが及んだ。自分自身も弱点が同じ場所にあるからという単純な理由ではあるものの、狙いを定めるならそこしか思い当たらなかった。

 それから武器にも意識を向けた。これらについては、深く考えなかった。

 右腕は大砲。

 左腕は拳。

 避けることに専念すれば、難しいことではないと、強いて捉える。ほかには、足首に車輪が備わっているのがわかり、高速で移動できる理由が判明した程度。

「これなら、時間を稼げそう」

 ちょっとした安堵を、即座にザド・キルエは打ち砕いた。

「各部の射出口を開放。対象に波状攻撃を開始」

 ゴゴッ、という音が幾重に響いた。ザド・キルエの全身の装甲が、無数に穴を開く音が。人がそのまま入りこめそうなほどの大きさはあった。

 一斉にそこから勢いよくなにかが放たれる。リザはハッとなって空を急速に飛び回った。

 最初はなんだかわからなかったが、魔力が飛び散っているのだと悟る。視認するのは少し難解だが――太陽光を弾丸に仕立てたようなものだった。

 空を上下左右に動き回り避け、リザは旋回し巧みに攪乱(かくらん)しつづける。また、虹の膜に身を包んでもいるので、一発の被弾なら防げるという安心の気持ちもあった。

 突如、リザは悲鳴を耳にして、はたと気づいた。

 ザド・キルエの無作為の攻撃は、そこら一帯に被害を及ぼしていた。聞こえた悲鳴は、杖を突きながらアピス農村を出たばかりの老夫婦たちのものであるのが、遠目にわかった。

 仮にザド・キルエの背後に回り込んでも、背面にも穴は無数にあるため、意味がない。全方位に魔力の弾丸を放っているのだ。

 被害はアピス農村外――街道沿いの古民家や、遠方の山に火の手を上げるなど留まることを知らない。

「このままじゃいけない……。でも、どうすれば」

 リザは飛び交う魔力の弾丸を避けながら、一生懸命に思案した。持久戦をつづけても、先ほどザド・キルエが言っていたことが本当ならば、限界を迎えるのはリザのほうが早いことになる。

「アズ、勇気を少しだけアタシにちょうだい」

 アズランドに想いを馳せて、リザは決断した。

 

 

「くそっ!」

 アズランドは悪態をついた。

 不意に飛んできた魔力の塊が目の前で炸裂し、乗っていた馬が横転して逃げ出したのだ。

 アズランドは自らの足で全力で走った。逃げ出す村人とすれ違っても、声をかける余裕はない。一直線上にアピス農村が見えていた。

 あの巨躯は足を止めて、攻撃している。それがだれに対してななのかは、自明に過ぎた。

「リザ! キミが相手をする必要はないんだ‼」

 強烈な胸騒ぎがしていた。

 嫌なジンクスはもう、やめてくれ。今回ばかりは、頼むから……!

 

 

 リザは宙に浮いたまま、そこから動くのをやめた。

 すかさず、ザド・キルエが放つ魔力弾が殺到したが、虹の膜から殻に変化させた七色に波打つ防壁が防ぎきる。リザの姿が外からは見えないほど、厚いものではあるが、被弾するたび徐々に削られつつある。

 そのあいだに、リザは祈るように両手を重ねると、妖精宝珠(スプライトジェム)に干渉した。記憶・思いの濁流に心を溶け込ませる。一か八かの行為でもあった。

 しかし、リザはもう一つの可能性に賭けた。

 それは以前、カトレアと戦った際に、感じたこと。

 妖精たちと想いが同調することで、より強大な力を発揮したことがある。

 それは偶然だったかもしれない。

 運が良かっただけかもしれない。

 それでも、一縷(いちる)の望みに(すが)った。

 みんなを助けたい(・・・・・・・)――と、切実に願う。

 妖精たちが呼応したのか、胸の妖精宝珠がさまざまな色で満ち輝いた。だれにだって、あったはずだ。人生に於いてそんな瞬間が。動機や理由は異なるにしても、必ず。

 それが今、一緒くたになった。

 瞬く間に、両手の甲の先で、一対の結晶が燦然(さんぜん)と輝きを増幅させる。途端、虹の殻が魔力の弾丸によって砕け――リザは正面のザド・キルエへ狙いを定めた。

 想いをより激しくさせて、急所と(おぼ)しき青い輝きが漏れ出す胸部へと。

魂の輝き(ブリリアンス・オブ・ソウル)

 リザが囁くや、結晶から虹の魔力が放出された。一点に収束されて。さながら一筋の木漏れ日のように。

 それはザド・キルエの胸部に直撃した。装甲の表面がぐにゃりと溶けて歪んだ――が、十秒ほどの照射でもそれが限界だった。

 威力を物語る一方で、装甲の厚さもまた尋常ではなかったのだ。

 くらっとなってリザは頭を押さえる。力を貸してくれた妖精たちの助けたい(・・・・)という光景が遅れて、脳裏を駆け回ってきた。

「損傷軽微。……撃滅」

 ザド・キルエは事もなげに状況を言い表し、巨大な左腕を振りかぶった。

 そこでリザの意識がもとに戻り、目を見張った。

 拳が振りかかる直前、余力を振り絞って虹の膜を形成させ――衝撃の緩和には成功したが。

 無情にも、叩き上げられたリザの身体が宙を舞う。アピス農村上空にて。

 アズランドの絶叫が強く長く響き渡った。

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