ゼーレンヴァイス   作:朽木 堕葉

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 戦況は有り体に表現するならば、“ジリ貧”だった。

 レグナシオンやオネスト、サロースも決定打を与えることが叶わないでいるも、過激な攻防を演じて奮闘していた。

 しかし、ザド・キルエ本体を相手にしているフォティアとイクトスが、徐々に押され始めた。

 戦斧(ハルバード)を手にフォティアが前方で仕掛け、イクトスが後方から魔術による援護を行い、互いを補う戦闘をつづけていたが――あるとき、ザド・キルエ本体は、右腕の大砲を撃った。

 フォティアに対してでも、イクトスに向けてでもない。

 二人の中間点とでも呼ぶべき場所に、撃ったのだ。土くれが激しく捲れ上がり、(つぶて)を伴い二人を襲った。

 イクトスは咄嗟に魔術で水の壁を正面に展開したが、防ぎきれず泥まみれになって転倒した。フォティアは回避こそすれど、砂埃が目に入り、いっとき視界を奪われた。

「くっ、目が……!」

「万事休す、ですかね」

 窮地(きゅうち)(おちい)った二人の耳に――声が届いた。

()よ――勇猛(ゆうもう)であれと謳う戦士よ……」

 その声に、ザド・キルエ本体が動きを止めた。警戒してだろうか。

「我は挑む」

「我は臨む」

「幾千の矛先を突きつけられようとも」

 イクトスが背後を振り返り、目を丸くした。

「あの人はたしか……」

 フォティアも視力を取り戻し、アピス農村から出て歩み来るアズランドの姿を意外そうに見た。

「アイツ、もう大丈夫なのかよ」

 そこに、サロース塔長の声が割り込んだ。交戦しながら、虹色に輝く妖精宝珠(スプライトジェム)を掲げ、呪文(スペル)を唱えるアズランドを一瞥して驚愕する。

「魔術式も宝具もなしにあれだけの魔力を体内に留めておけるはずが――」

 理解が及んだのか、言葉が途切れた。アズランドの右手の革製のグローブが千切れ、白く発光する花の痣を目にして。

「“花の祝福”……。亡国の王女の加護まで――つくづく、数奇(すうき)な宿命を背負っておるらしいな」

 感嘆とも同情ともとれる物言いだった。

「新たな敵性に対し――」

 ザド・キルエ本体の眼が、アズランドの方を見た瞬間だった。水を浴びせられ、直後に火炎が放射されたことで、水蒸気が視界を遮断していた。

 イクトスとフォティアの仕業である。

「頼みますよ」

「やれるなら、やってしまいなよ」

 アズランドは歩みながら、一つ頷いた。顔には決意だけしかなかった。

「此処に武勇を示さんと試みる者なり」

「此処に畏怖を晒すこと(かえり)みぬ者なり」

「恐れ(おのの)くが必定(ひつじょう)であれど」

「一切の躊躇は非ず」

 ゆっくりアズランドは、右手をかざした。手の甲に宿る白い“花の祝福”が根を生やすように伸び、すべての呪文を絡め取っているのが、見なくともアズランドは感じていた。

「下れ……試練の雷(フェアズーヘン・ブリッツェン)

 最後の一節で――魔術を発現させた。

 宙から蒼雷が苛烈(かれつ)に放たれ、ザド・キルエ本体を襲った。リザが残した損傷個所へと。数拍遅れて轟々と鳴り響くなか、交戦中のみなの視線が、そこへ集中した。

 ザド・キルエ本体の胸部は、赤みを帯びて光り、損傷具合を深めているのは見て取れるが、それだけだった。

「中程度の損傷を確認。行動に支障なし」

 ザド・キルエ本体の自己判断に、全員の顔に失意の影が差しかけ――

()よ――勇猛(ゆうもう)であれと謳う戦士よ……」

 間髪入れず、アズランドが呪文を唱え始めたことで、多くの者はぎょっとなった。

 それは手の甲に宿る彼女も同様でいた。

『ちょっと、あなた……! これ以上、上級魔術を唱えるのはよしなさいっ。わたくしの加護だって、残滓でしかないのよ?』

 カトレアの声が右手から響いて、アズランドは決意の顔を崩さぬまま、微笑した。

 わかっている。無茶だってことは。どうなるかも、わかっているつもりだよ。

 なぜかアズランドにはうっすらと、カトレアの姿が見えた。白く美しい長い髪をしたカトレアが。

「我は挑む」

「我は臨む」

 幻影に近しいカトレアは、蒼然と顔を引き攣らせた。が、すぐに悟ったようで、()ねたように笑った。本当に仕方のない人というふうに。

『隙あらば、またあなたを支配下に置こうと企んでたのに。……いいわ。付き合ってあげる。どうせ私は燃え屑のような存在――あなたの役に立てるのなら、本望だもの』

 力を貸してくれて、ありがとう。感謝を二人に述べた。

 右手の甲に意識を向けて――カトレア。

 左手の妖精宝珠を握って――リザ。

「幾千の矛先を突きつけられようとも」

「此処に武勇を示さんと試みる者なり」

「此処に畏怖を晒すこと(かえり)みぬ者なり」

「恐れ(おのの)くが必定(ひつじょう)であれど」

「されど、誓う――決して目を(そむ)けぬと現在(いま)

「なれど、誓う――断じて目を閉じぬと現在(いま)

 アズランドはカッと目を剥いて、右手を高く伸ばした。最後の一節を叫んだ。

「下り穿て……双・試練の雷(ツヴァイ・フェアズーヘン・ブリッツェン)

 またもイクトスとフォティアに翻弄(ほんろう)されていたザド・キルエ本体は、ようやくアズランドを見た。

 虚空を双つに引き裂き、蒼雷は獣の(あぎと)が如く、一対の牙となって、凄絶に損傷個所へまともに嚙みついた。

 先ほどの一撃の熱が残ったまま、装甲を電熱が焼いた。損傷していた部位を溶かし広げてゆく。

「損傷の拡大を確認。行動に支障が生じる可能性――」

まだだ(・・・)!」

 退きつつあるザド・キルエ本体の(げん)を遮り、アズランドは叫んだ。

 ここが勝負どころだ、と確固たる意志が湧き上がった。

『私もきっと、次で限界。……最後まで、見届けさせて』

 頷いて口を開き、アズランドは迅速に詠唱を開始した。

()よ――勇猛(ゆうもう)であれと謳う戦士よ……」

「我が(みち)が、どれほどの危難(きなん)に満ちていようとも」

「果てを目指して進むであろう」

「我が豪勇が賞賛に値するならば」

「偉大なる剣と成せ」

「我が蛮勇が嘲笑に値するならば」

「至高なる剣と化せ」

「生死の(さかい)を斬り裂く力を」

()の両の手に」

「断罪せよ――境界の雷剣(クレンツェ=ドナー・シュヴァート)

 刹那――アズランドは右手に、巨大な雷を握っていた。剣を(かたど)る雷を。雷鳴がしきりに鳴っていた。事を遂げよと(はや)すように。

 唸り声を上げながら、アズランドは跳んだ。

 青い輝きを漏らすザド・キルエ本体の胸部へ、激突した。

 壮絶な光が爆ぜ、惨たらしい轟音が鳴り響いた。

 

 

 沈鬱(ちんうつ)な顔で、エリーゼは馬車の荷台で揺られていた。うつむいて、胸元の胸飾りを見るでもなく、振動するさまにだけ意識が向いている。脳裏では、巨人の進路上に存在する町々の懸念が尽きない。常駐する魔導士越しに避難通告は伝わっているはずだけれど――

 幌に包まれた内部は、ほとんどエリーゼと表情は似たり寄ったりだ。〈蝕天秤(エクリプス・リーブラ)〉の()りすぐりの組員が数名。ミスルトウと彼女に付き従う数名。

 鬱屈とした空気が満ちている。

 ただ一人を除いて。そのロウェルが、きょとんとして声をかけてきた。

「どうした、エリーゼ? 腹でも痛いのか?」

 エリーゼは顔を上げた。眉間にシワを寄せて、左腕の杭打ち機に視線を注いだ。サラが短時間で仕上げた、わずかな勝算を秘めた武器。

「ロウェル、本当に大丈夫なの?」

 つい、訊いてしまった。言葉にすれば、決心が鈍るのではないかと思っていたことを。

「なにが?」

「なにがって……。あなた、これから――これから……」

 決心が鈍ったのはエリーゼ自身のほうだった。これからロウェルがどうするのか――どうなるのか、考えるのが怖くて、何も言えなくなった。

「大丈夫だよ。心配すんなって」

 ロウェルが元気に笑ってみせた。

 いつか見た笑顔。

 初めて見た笑顔。

 そう、こんなときだからこそ、ロウェルは笑うのだ。それがロウェルの強さだと、エリーゼは信じて疑わない。

「……心配くらいさせないよ、バカ」

 どうにか泣いてしまうのだけは避け、口荒く言ってエリーゼは目を閉じて両手を組んだ。「なんだよー」と、ロウェルのぶつくさ不満声を聞きながら、祈った。奇跡を願った。

「神を信じましょう」

 ミスルトウが告げた。二人のやり取りに、少し和んだのか、柔らかく微笑していた。

 そのときだった。みなの肩が反射的にびくっとなり、幌のなかは一転、緊張が満ちる。みなが轟音を聞いていた。

「この音……落雷ですか」

 ミスルトウが音の正体を判断した。それが、今や目と鼻の先の

アピス農村からであるのは、間違いなかった。

 エリーゼは居ても立っても居られず、御者に大声で伝えた。

「もっと、早く。急いで!」

 

 

 ロウェルたちが馬車から降りたとき、アピス農村は静まり返っていた。火の手があちこちで上がっている。

「なんで四体になっているんだ?」

「図体は小さくなっているようだが――それでも鉄の(アイアン)ゴーレムの二倍以上あるじゃねえか……」

 組員たちが村外に(そび)え立つ巨人たちに、畏怖や困惑を示した。

 と、エリーゼがヒッと短い悲鳴を上げた。

「う、噓でしょう……」

 エリーゼは青ざめて、両手を胸に組んで眠るリザを見詰めていた。ロウェルたちが入って来た反対側の出入口近く――火の手から遠ざけるように。

 ロウェルが思ったのは、なんでこんなところで寝ているんだ? ということだ。

「彼女はもう……」ミスルトウが首を横に振る。つらそうに。

 ロウェルにも理解が及んだ。もしかして――という発想は抱いていた。ただ、そんなことあるわけがないと信じていた。それも、両手を組んだ胸部が血に濡れているのを目にして、確信に変わった。両手の下にあるはずの、妖精宝珠(スプライトジェム)が、なくなっている。

「なんで――どうしてだよ……」

 ロウェルが握り拳をつくり、戦慄いた瞬間。けたたましい光が――遅れて、轟然たる音が村外から生じた。

 

 

 数名の〈蝕天秤(エクリプス・リーブラ)〉組員に消火活動と、リザのことを託し、ロウェルたちはアピス農村から出た。巨人たちの前へと駆けてゆくと、見知った背中を見つけた。

「アズさん!」

 ロウェルは歓喜して呼んだ。そして、アズランドの眼前に立つ巨人が、分厚い装甲に風穴が開いているのを見遣った。それはまだ、赤熱に光っている。

 そして、穴の先にある巨大なサファイアにそっくりな(コア)が、明滅しているのが丸見えだ。

 アズさんすげえ! とロウェルは叫ぼうと口を開きかけたが、なにか違和感があった。虫の知らせ、のような胸騒ぎが。

「アズ、さん?」

 おそるおそる、今一度、呼びかける。

「ロウェル」

 ややあって、アズランドは応じた。ひどく優しい声音だった。

「……悪いけど、あとは頼んでいいかな?」

 振り返り、いつものように爽やかに微笑んだ。かと思えば。

 左手に(つか)むリザの妖精宝珠が、澄んだ音を立てて砕け散った。ほぼ同時に、右手の甲から、白い痣がすぅっと消えてゆく。

 瞬間、風船をつづけざま針でつついたみたいに――アズランドの四肢が破裂し、胴体までも血肉となって散った。

「アズさん⁉」

 ロウェルの悲痛な叫びが虚しく響いた。

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