手持ち
シックなベスト。控えめな色彩のトレンチコート。薔薇色が際立つドレス――ああ、これなんか、お姫様好みだろうな、と唇を曲げた。
しかし、流行の移り変わりが激しいな、なんて思ったりしていると、ひそひそと話す声が聞こえてきた。
主に女性モノの服を取り扱っている店内の、比較的、端のほうに立ち、女性客の視線を
話し込む女性客たちが、こちらを見て
彼女たちが話題にしているのは、一緒に連れていた少女であるリザとの関係性について、ああだこうだとお喋りに花を咲かせているらしい。たまに耳が拾う言葉の切れ端で、それがわかる。
あの
「お待たせいたしました!」
勢い込んだ店員のご満悦な顔に阻まれた。
少しぎょっとなりつつ、アズランドは言った。
「あ、ああ……どんな感じに――」
店員がさっと横に退いて両手で示し、言葉を失った。
華やかな
「……いいの?」
気恥ずかしげで申し訳なさそうに、リザが訊いた。
この格好は変じゃない? 本当に買ってもらっていいの? 両方の意を含んだ問いだった。
アズランドは、そのことを咄嗟に理解できなかった自分に、はっとなった。そして、気づいた。目を奪われていたことに。
いや、まさか。そんなはずは。わかっていたはずだろうに。
今は不必要な
「よく似合っているよ。これなら、お姫様からお叱りを受けずに済みそうだ」
それは本心だった。後ろ暗い想いが鳴りを潜めている間くらいは、心のままに接することができると思いたかった。
「当店にて、こちらがお客様にお召しいただくための、至高の一品でございますわ」
「ああ、そうだね。同感だ」
「それでは、お値段はこのようになりますが、よろしいでしょうか」
店員がほくほく顔の営業スマイルで、ペンを走らせ、その紙を手渡された。アズランドはそれを眺め遣り、崩れかけた笑顔で店員に向き直る。
「金貨三枚と銀貨五枚、か。思いのほか、するものだね」
「勝手ながら、下着のほうも整えさせて頂きました」
店員が声を潜めて言うので、アズランドも同じくらいの声量で応じた。
「ああ、そっか。まあ、それなら……そんなもんかな」
最初は、メロンの入れ物にオレンジが入っていた――そんな絵が頭に浮かんだ。比較としては、それなりに妥当かな、とぼんやり考える。
そして、ジャケットの内側から財布を取り出して開き、提示されたぶんを店員の両手に置いていった。
「毎度ありがとうございます」
うやうやしく受け取って歩き、店員がカウンター下の引き出しに鍵を差し入れたところまで見守ると、アズランドは
「ねえ、アズ」
リザが急いで隣に並んだ。
「本当に、よかったの?」
「お金には、使いどころってものがあるんだよ。今がそのときだったってことさ」
「でも、もっと安いのだって……」
尻込みするリザの頭からつま先まで、アズランドは視線を流した。
「動きにくいとか、違和感あるかい?」
「ううん。全然ないよ。すごく
「じゃあ、いいじゃないか。格好なんてもんは、なるだけお洒落で機能的であるべきさ」
アズランドは信条を言って聞かせるみたく、指を一本立てた。つと、同意を促す笑みを付け加える。
「うん、ありがとう。大事に、着させてもらうね……!」
リザが強く頷いた。つられてか、笑っていた。それはこれまでアズランドが見たなかで、いちばん上出来な気がした。案外、笑う子なのかもしれない。
不意に微笑ましげな視線が湧いた。
うっ、とアズランドは呻いて顔をしかめる。
女性客の――殊更、奥様方が、実態はどうあれ、笑い合う若い男女としてこっちを見ていた。
いや平気、だけども。できるなら、勘弁してほしいものだ。
事実無根の交際疑惑の拡散で、
どのような噂話も、ときに人を炊き付ける魔力を秘めていると心掛けていた。こういうときにすべきことは、一つしかない。
一人ぎくしゃくして、足早に退店するアズランドのあとを、リザが大慌てで追いかけていった。
情報の寄り集まる場所を優先的に、街の
東側でもっとも大きな酒場で聞き込み、人でごった返す市場を覗いてみた。つぎに巨大な工房を有する
説明そのものは簡単でいた。
アズランドが事情を話し、リザを示して見覚えの有無を尋ねる。
しかし、どこにいっても、首を横に振られるだけで、見たという者は未だに現れない。
だんだん、リザのうつむき加減が増してきたような気がする。落胆するのも無理はないか……。
アズランドが励ましの声を掛けようと、リザの肩に手を乗せかけたとき、ぐうと鳴った。
考えてみれば、エリーゼはリザと朝食を済ませたと言っていたが、どれだけ喉を通ったのかは不明だ。
「そういえば、この近くの広場で美味いクレープ屋があるんだった」
不意に思い出した、という口ぶりでアズランドは言った。うっかりしてたな、と苦笑いで装う。
「え?」
「そこのおじさんがさ、けっこう情報通なんだ。ちょっと、寄っていこう」
「そう、なの?」
「ああ、なにかわかるかもしれない」
噓も方便だ、とアズランドは胸中で唱えた。
我ながら、平然と嘘をつけるものだと思う。
いや、でも、美味いというのは真実だ。ちょっと言い訳がましく、良心の支えにあてがう。
アズランドはクレープ屋の店主に、リザを紹介した。
「うーん、記憶にはないねえ……」
申し訳なさそうに返されると、リザには広場の道脇に設置された長椅子で、休んでいるように伝えた。とぼとぼ歩いていくその背をしばし目にしたのち、
「ほかに、なんか変わったことは、なかったかな?」
てきぱきと焼き上がったクレープを紙で包む店主に訊いた。
「ロウェルの坊主が、犬に吠えられてた
「変わったこと、って訊いたんだよ」
アズランドは、少し憮然となった。先に代金の銀貨二枚を、軒先に吊り下げられた受け皿に落とす。
「ははっ。まあ、注意して見ておくからよ。また来てくれや」
店主は朗々と笑い、クレープをアズランドに手渡した。
アズランドが美味いと認めるクレープ二つを両手に、リザの座っているはずの長椅子に目を向けると、そこに姿がなかった。
視線を移すと、すぐに見つけられた。
長椅子の真向かいに、リザはいた。
敷き布の上の商品を、前かがみになってじっと見ている。
近づいてみれば、どうやら小物のアクセサリーを商品としている出店らしい。大半が銀細工で、蝶や花などの
リザが興味深そうな視線を注いでいたのは、銀細工の羽に若草色のリボンをあしらった髪飾りだった。
なんだ。ちゃんと女の子らしい趣味してるんじゃないか。
「おじさん、それ欲しいんだけど」
いきなり聞こえたアズランドの声に、リザがビクッとした。
「ち、違うの。ちょっと見てただけで……かわいいなって思ってただけだから――」
立ち上がり、ひどく慌てて弁解するリザの手にクレープの一つを押し付けると、アズランドは空いた手で懐から財布をつかみ取る。
「あれが気に入ったんだろう? たしかに、小物でワンポイントあったほうが、もっと映える気がするし、ね」
ほう、とアクセサリー屋の男が感心したような声をこぼした。
「おっ。彼氏の兄ちゃん、男気あるねえ。よし、ちょいとだけ安くしとくよ」
「か、彼氏……⁉」
リザが常態の澄まし顔を決壊させて、仰天した。
そんなんじゃないよ――と喉元まで出かかって、アズランドはその言葉を飲み込んだ。
朝から今まで、行く先々でそう捉えられてきた。そういうふうに見えるなら、いっそのこと、そうしておいてくれ、と投げやりな心持ちになる。
この先どうなったとしても、その資格はもうないのだから。
右手がわずかに震えた。落としかけた代金をアクセサリー屋に支払い、髪飾りを受け取ったときには、平気になっていた。
さすがに見慣れてきた感じのする、頬を紅潮させるリザの頭に、それを飾り付けた。気持ち、右のこめかみのあたりに。そこにあるのが、いちばん絵になる気がした。
「うん、いいと思う。とてもね」
アズランドは満足げに言うと、クレープが冷めてしまうのを理由に、率先して長椅子に座った。そして、一拍遅れで隣に座るリザを横目に、クレープを食べてみせる。
何事も先に示してあげるべきだ、とリザと接するうちにアズランドは理解するようになっていた。
リザがアズランドに
「美味しい……!」
「ここも俺のおすすめの店のひとつなんだ」
「おすすめのお店、たくさんあるね」
意外と勢いよくパクパクとし、きちんと口のなかのものを空にしてから、リザがくすっとして言った。
「ん、まあ」
と曖昧にアズランドは返事をする。道中、いくつかの店を解説した覚えはある。
ちょっと
アズランドがなにごとかと目を向けてみれば、どこからやってきたのか、子犬がリザの足のまわりではしゃいでいる。
リザが怖がっているので、追っ払おうかと思ったが、やめておいた。危害はないだろうし――見ておきたかった。リザがどうするのか。
リザも、アズランドに助けを求めはしなかった。次第に慣れてきたようで、いつしか手で耳に触れ、その手を舐められると、くすぐったそうに笑んだ。
「お腹すいてるの? 食べてみる?」
リザがクレープの切れ端を手のひらに乗せて差し出すと、子犬は一瞬で平らげてしまった。
アズランドがじゃれ合うさまを眺めていると、
「街って、こんな子もいるんだね」
リザが嬉しそうに訊いてきた。
「キミはこの街を出歩いたことないのかい?」
「うん。いつも、あそこにいたから」
リザが指し示すのは、北の丘のなかほどにある王宮だった。
「へえ、すごいな。お姫様ですら、あそこで暮らしているわけではないのに」
「ねえ、街の話を聞かせてくれる? もっと知りたいな。いろんなこと」
「ん……いざ、そう言われると迷うな」
この広場がもとはフザン森林の一部であった名残りで、春には綺麗に花が咲き誇ってなかなか絶景であることとか。
街の北から南西に流れる
東のはずれにある
思いつく限りに、アズランドは言ってみた。
やがて、食いつくようだったリザの反応がしなくなっていたことに、子犬が目の前を横切っていったことで、察した。
ふと見れば、リザは穏やかな寝息を立てている。
「昨日、あんなことがあったばかりだっけな」
疲れていても、無理はないか。納得して、苦笑する。
そして俄かに、納得できない部分が、脳裏をよぎった。見るも美しい力を解き放つ、リザの姿が。
「あの、力……
目の前の少女の謎を、アズランドは探ろうとしていた。ずっと前から、心当たりがあった。
それは、思い込みかもしれない。
とんでもない、間違いなのかもしれない。
だから、確かめる必要があった。
アズランドは躊躇いがちに、リザの無防備な頬に、手を伸ばしていった。
そっと――というよりは、おそるおそるという具合に。ひどく勇気が必要な行為をするみたいに、やっとのことで、手のひらが触れた。
手に広がるぬくもりに、アズランドは安堵したような息をこぼした。それでいて、どこか、裏切られたような表情をかたちづくっている。そんな、苦々しい笑みだった。
「やっぱりキミは変わらないんだな、人間と。……いや、本当に、人間なのかもしれないけれど」
返事など期待していなかったアズランドは、静かな寝息を繰り返すリザの口が、少しだけ動いたのに、意表を突かれた。
か細い声で、「お姉ちゃん……」と言葉にするのが、かろうじて聞こえた。
切実に乞い願う響きの寝言。
やや弾かれるように、アズランドはリザから手を離した。その手のひらを見つめ、愚痴っぽく、小声で言った。
「ますます、わからなくなった気がするよ……」
「変わらないわね、いつ見てもこのあたりは」
エリーゼが言った。当たり前よね、とひっそり心の内で
ろくに舗装もされてない道々。
老朽化の
無気力であることに慣れ切った人々。
街の棲み分けの構造は、市民が自発的に成したもの――と、
狸爺筆頭の
子供の戯言。そう、
たしかに、戯言だ。そうでないなら、そのとき、言い返すことができている。
「平たく、上も下も無くすこと――」
ぼそりと、エリーゼがつぶやく。子供ではないエリーゼが、時おり胸に抱く言葉。
果てにあるものは思い描ける。過程は、未だにあやふやだ。それでも、選択肢はあった。たしかなものが、選べないだけで。
「今、なんか言ったか?」
エリーゼの他愛ない独り言に反応し、一歩先を行くロウェルが振り返ってきた。
エリーゼに、そのような概念を抱かせるようになった張本人が。
「べつに、なんでもないわよ」
そっぽを向いた先で、エリーゼは視線を感じた。
五、六人ほどが小汚い通りの
荒くれ者たちで、みな、武装していた。拳銃を含めた小型の銃器の売買が認可されて数年。南側で銃声は、小鳥のさえずりくらい、当たり前に聞くようになっていた。
彼らの邪険にするような目。なんで、こんなところにいるんだ、とエリーゼに語りかけてくる。
殊更、そういうとき――いっそ、ひっくり返してしまえばいいじゃない、なんて
下が上に。上が下に。
それでは、意味がない、と即座に否定もしてみせる。
ロウェルが望むものは、そういうことではないのだ。
「ロウェル。あんたが、目指してるのってさ……」
エリーゼはふと言い
それに、おそらくロウェル自身も、解答を持ち合わせていない気がしていた。
それでいいと思えた。
ロウェルには、思い悩むことなく、ただ前を見ていてほしい。
思った途端、エリーゼを歓迎していない荒くれ者たちへ、
「なあ、お前らさ。このへんで、女の子を見なかったか? 青い髪で、なんつーか、人形みたいな子なんだけど」
ロウェルが構わず聞き込みに行っていた。最初は戸惑いがちな荒くれ者たちと、次第に打ち解けつつある様子を見守る。
エリーゼは可笑しくなって、笑った。そういうやつよね、としみじみと。
それから、遠くを見る目をした。
ロウェル。荒くれ者たち。広がる荒んだ街並み。
こんな、距離感でちょうどいい。ロウェルの見る先を描くには。
エリーゼは一つ、頷いた。
その視線のなかに、もう一人が潜んでいることに、エリーゼは気づかなかった。
暗い細道へとつづく民家の陰に、黒衣の男がいた。
エリーゼとロウェルを窺うように、太陽の面をした顔を、わずかに覗かせて。
不意に、男が裏道へ振り返った。まるで、誰かに、声をかけられたふうに。
しかし、そこには誰もいない。転がっている腐乱死体が喋りだすはずもなかった。にもかかわらず、たしかな声音で、応じていた。
「わかった。そちらからだ……」