ゼーレンヴァイス   作:朽木 堕葉

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 手持ち無沙汰(ぶさた)な様子で、アズランドはトルソーに飾られた衣服を見回していった。

 シックなベスト。控えめな色彩のトレンチコート。薔薇色が際立つドレス――ああ、これなんか、お姫様好みだろうな、と唇を曲げた。

 しかし、流行の移り変わりが激しいな、なんて思ったりしていると、ひそひそと話す声が聞こえてきた。

 主に女性モノの服を取り扱っている店内の、比較的、端のほうに立ち、女性客の視線を(かわ)すことにアズランドは努めていた。

 話し込む女性客たちが、こちらを見て(いぶか)しんでいるわけではないのは、アズランドもわかっている。そうでなかったら、とても困るのだが。

 彼女たちが話題にしているのは、一緒に連れていた少女であるリザとの関係性について、ああだこうだとお喋りに花を咲かせているらしい。たまに耳が拾う言葉の切れ端で、それがわかる。

 あの等身大(とうしんだい)着せ替え人形の姿で来店したリザを出迎えた店員は、唖然としたものだ。ある種の使命感に燃えた店員に、一任してからしばらく経つ。たしか、振り子時計がカウンター脇にあったな、とアズランドが目を向けたところを、

「お待たせいたしました!」

 勢い込んだ店員のご満悦な顔に阻まれた。

 少しぎょっとなりつつ、アズランドは言った。

「あ、ああ……どんな感じに――」

 店員がさっと横に退いて両手で示し、言葉を失った。

 華やかな浅葱色(あさぎいろ)のワンピースに身を包んだリザが、そこにいた。例によって、紅潮し、もじもじと両手の指を絡ませながら。落ち着かない様子で足首を回して、ヒールブーツの感触に慣れようとしていた。

「……いいの?」

 気恥ずかしげで申し訳なさそうに、リザが訊いた。

 この格好は変じゃない? 本当に買ってもらっていいの? 両方の意を含んだ問いだった。

 アズランドは、そのことを咄嗟に理解できなかった自分に、はっとなった。そして、気づいた。目を奪われていたことに。

 いや、まさか。そんなはずは。わかっていたはずだろうに。

 作り物(・・・)みたいな美貌であることなんて、とっくに知っていたはずだ。確証が持てないだけで。

 今は不必要な(わずら)いの種を胸中深くに押しやり、アズランドはにこやかに言った。

「よく似合っているよ。これなら、お姫様からお叱りを受けずに済みそうだ」

 それは本心だった。後ろ暗い想いが鳴りを潜めている間くらいは、心のままに接することができると思いたかった。

「当店にて、こちらがお客様にお召しいただくための、至高の一品でございますわ」

「ああ、そうだね。同感だ」

「それでは、お値段はこのようになりますが、よろしいでしょうか」

 店員がほくほく顔の営業スマイルで、ペンを走らせ、その紙を手渡された。アズランドはそれを眺め遣り、崩れかけた笑顔で店員に向き直る。

「金貨三枚と銀貨五枚、か。思いのほか、するものだね」

「勝手ながら、下着のほうも整えさせて頂きました」

 店員が声を潜めて言うので、アズランドも同じくらいの声量で応じた。

「ああ、そっか。まあ、それなら……そんなもんかな」

 最初は、メロンの入れ物にオレンジが入っていた――そんな絵が頭に浮かんだ。比較としては、それなりに妥当かな、とぼんやり考える。

 そして、ジャケットの内側から財布を取り出して開き、提示されたぶんを店員の両手に置いていった。

「毎度ありがとうございます」

 うやうやしく受け取って歩き、店員がカウンター下の引き出しに鍵を差し入れたところまで見守ると、アズランドは(きびす)を返した。

「ねえ、アズ」

 リザが急いで隣に並んだ。

「本当に、よかったの?」

「お金には、使いどころってものがあるんだよ。今がそのときだったってことさ」

「でも、もっと安いのだって……」

 尻込みするリザの頭からつま先まで、アズランドは視線を流した。

「動きにくいとか、違和感あるかい?」

「ううん。全然ないよ。すごく(らく)に、歩けてる」

「じゃあ、いいじゃないか。格好なんてもんは、なるだけお洒落で機能的であるべきさ」

 アズランドは信条を言って聞かせるみたく、指を一本立てた。つと、同意を促す笑みを付け加える。

「うん、ありがとう。大事に、着させてもらうね……!」

 リザが強く頷いた。つられてか、笑っていた。それはこれまでアズランドが見たなかで、いちばん上出来な気がした。案外、笑う子なのかもしれない。

 不意に微笑ましげな視線が湧いた。

 うっ、とアズランドは呻いて顔をしかめる。

 女性客の――殊更、奥様方が、実態はどうあれ、笑い合う若い男女としてこっちを見ていた。

 いや平気、だけども。できるなら、勘弁してほしいものだ。

 事実無根の交際疑惑の拡散で、贔屓(ひいき)にしていた店の看板娘に、その気になられた経験が脳裏に蘇る。それはもう、釈明(しゃくめい)にかなり骨が折れたものだった。

 どのような噂話も、ときに人を炊き付ける魔力を秘めていると心掛けていた。こういうときにすべきことは、一つしかない。

 一人ぎくしゃくして、足早に退店するアズランドのあとを、リザが大慌てで追いかけていった。

 

 

 情報の寄り集まる場所を優先的に、街の東側(イーストサイド)を巡った。

 東側でもっとも大きな酒場で聞き込み、人でごった返す市場を覗いてみた。つぎに巨大な工房を有する自立稼働型人形(オートマタ)の技師長のもとを訪れたが、成果はなかった。

 説明そのものは簡単でいた。

 アズランドが事情を話し、リザを示して見覚えの有無を尋ねる。

 しかし、どこにいっても、首を横に振られるだけで、見たという者は未だに現れない。

 だんだん、リザのうつむき加減が増してきたような気がする。落胆するのも無理はないか……。

 アズランドが励ましの声を掛けようと、リザの肩に手を乗せかけたとき、ぐうと鳴った。

 出所(でどころ)を探す前にリザの真っ赤な顔色を見て取り、アズランドは空を仰いだ。太陽は傾きつつある。聞き込みに熱が入っていたのと、遅めの朝食だったこともあり、昼食のことなど忘却していたのだ。

 考えてみれば、エリーゼはリザと朝食を済ませたと言っていたが、どれだけ喉を通ったのかは不明だ。

「そういえば、この近くの広場で美味いクレープ屋があるんだった」

 不意に思い出した、という口ぶりでアズランドは言った。うっかりしてたな、と苦笑いで装う。

「え?」

「そこのおじさんがさ、けっこう情報通なんだ。ちょっと、寄っていこう」

「そう、なの?」

「ああ、なにかわかるかもしれない」

 噓も方便だ、とアズランドは胸中で唱えた。

 我ながら、平然と嘘をつけるものだと思う。

 いや、でも、美味いというのは真実だ。ちょっと言い訳がましく、良心の支えにあてがう。

 

 

 アズランドはクレープ屋の店主に、リザを紹介した。

「うーん、記憶にはないねえ……」

 申し訳なさそうに返されると、リザには広場の道脇に設置された長椅子で、休んでいるように伝えた。とぼとぼ歩いていくその背をしばし目にしたのち、

「ほかに、なんか変わったことは、なかったかな?」

 てきぱきと焼き上がったクレープを紙で包む店主に訊いた。

「ロウェルの坊主が、犬に吠えられてた自立稼働型人形(オートマタ)を助けてたのなら見たがな。長いこと、吠え合っていたぜ」

「変わったこと、って訊いたんだよ」

 アズランドは、少し憮然となった。先に代金の銀貨二枚を、軒先に吊り下げられた受け皿に落とす。

「ははっ。まあ、注意して見ておくからよ。また来てくれや」

 店主は朗々と笑い、クレープをアズランドに手渡した。

 アズランドが美味いと認めるクレープ二つを両手に、リザの座っているはずの長椅子に目を向けると、そこに姿がなかった。

 視線を移すと、すぐに見つけられた。

 長椅子の真向かいに、リザはいた。

 敷き布の上の商品を、前かがみになってじっと見ている。

 近づいてみれば、どうやら小物のアクセサリーを商品としている出店らしい。大半が銀細工で、蝶や花などの意匠(いしょう)が施されたものなどがある。

 リザが興味深そうな視線を注いでいたのは、銀細工の羽に若草色のリボンをあしらった髪飾りだった。

 なんだ。ちゃんと女の子らしい趣味してるんじゃないか。

「おじさん、それ欲しいんだけど」

 いきなり聞こえたアズランドの声に、リザがビクッとした。

「ち、違うの。ちょっと見てただけで……かわいいなって思ってただけだから――」

 立ち上がり、ひどく慌てて弁解するリザの手にクレープの一つを押し付けると、アズランドは空いた手で懐から財布をつかみ取る。

「あれが気に入ったんだろう? たしかに、小物でワンポイントあったほうが、もっと映える気がするし、ね」

 ほう、とアクセサリー屋の男が感心したような声をこぼした。

「おっ。彼氏の兄ちゃん、男気あるねえ。よし、ちょいとだけ安くしとくよ」

「か、彼氏……⁉」

 リザが常態の澄まし顔を決壊させて、仰天した。

 そんなんじゃないよ――と喉元まで出かかって、アズランドはその言葉を飲み込んだ。

 朝から今まで、行く先々でそう捉えられてきた。そういうふうに見えるなら、いっそのこと、そうしておいてくれ、と投げやりな心持ちになる。

 この先どうなったとしても、その資格はもうないのだから。

 右手がわずかに震えた。落としかけた代金をアクセサリー屋に支払い、髪飾りを受け取ったときには、平気になっていた。

 さすがに見慣れてきた感じのする、頬を紅潮させるリザの頭に、それを飾り付けた。気持ち、右のこめかみのあたりに。そこにあるのが、いちばん絵になる気がした。

「うん、いいと思う。とてもね」

 アズランドは満足げに言うと、クレープが冷めてしまうのを理由に、率先して長椅子に座った。そして、一拍遅れで隣に座るリザを横目に、クレープを食べてみせる。

 何事も先に示してあげるべきだ、とリザと接するうちにアズランドは理解するようになっていた。

 リザがアズランドに(なら)い、クレープを口に運んだ。瞬間、口元を押さえて感嘆を表した。

「美味しい……!」

「ここも俺のおすすめの店のひとつなんだ」

「おすすめのお店、たくさんあるね」

 意外と勢いよくパクパクとし、きちんと口のなかのものを空にしてから、リザがくすっとして言った。

「ん、まあ」

 と曖昧にアズランドは返事をする。道中、いくつかの店を解説した覚えはある。

 ちょっと饒舌(じょうぜつ)になりすぎているな、などと考えていると、リザが「キャッ!」と悲鳴を上げた。

 アズランドがなにごとかと目を向けてみれば、どこからやってきたのか、子犬がリザの足のまわりではしゃいでいる。

 リザが怖がっているので、追っ払おうかと思ったが、やめておいた。危害はないだろうし――見ておきたかった。リザがどうするのか。

 リザも、アズランドに助けを求めはしなかった。次第に慣れてきたようで、いつしか手で耳に触れ、その手を舐められると、くすぐったそうに笑んだ。

「お腹すいてるの? 食べてみる?」

 リザがクレープの切れ端を手のひらに乗せて差し出すと、子犬は一瞬で平らげてしまった。

 アズランドがじゃれ合うさまを眺めていると、

「街って、こんな子もいるんだね」

 リザが嬉しそうに訊いてきた。

「キミはこの街を出歩いたことないのかい?」

「うん。いつも、あそこにいたから」

 リザが指し示すのは、北の丘のなかほどにある王宮だった。

「へえ、すごいな。お姫様ですら、あそこで暮らしているわけではないのに」

「ねえ、街の話を聞かせてくれる? もっと知りたいな。いろんなこと」

「ん……いざ、そう言われると迷うな」

 この広場がもとはフザン森林の一部であった名残りで、春には綺麗に花が咲き誇ってなかなか絶景であることとか。

 街の北から南西に流れる駱駝(カメール)河の由来は、背中のコブみたいな形状からきているやら。

 東のはずれにある古書屋(こしょや)の主は眠りこけていることが多いので、立ち読みするにはおすすめだよ、など。

 思いつく限りに、アズランドは言ってみた。

 やがて、食いつくようだったリザの反応がしなくなっていたことに、子犬が目の前を横切っていったことで、察した。

 ふと見れば、リザは穏やかな寝息を立てている。

「昨日、あんなことがあったばかりだっけな」

 疲れていても、無理はないか。納得して、苦笑する。

 そして俄かに、納得できない部分が、脳裏をよぎった。見るも美しい力を解き放つ、リザの姿が。

「あの、力……あんな(・・・)――力を、持つ女の子」

 目の前の少女の謎を、アズランドは探ろうとしていた。ずっと前から、心当たりがあった。

 それは、思い込みかもしれない。

 とんでもない、間違いなのかもしれない。

 だから、確かめる必要があった。

 アズランドは躊躇いがちに、リザの無防備な頬に、手を伸ばしていった。

 そっと――というよりは、おそるおそるという具合に。ひどく勇気が必要な行為をするみたいに、やっとのことで、手のひらが触れた。

 手に広がるぬくもりに、アズランドは安堵したような息をこぼした。それでいて、どこか、裏切られたような表情をかたちづくっている。そんな、苦々しい笑みだった。

「やっぱりキミは変わらないんだな、人間と。……いや、本当に、人間なのかもしれないけれど」

 返事など期待していなかったアズランドは、静かな寝息を繰り返すリザの口が、少しだけ動いたのに、意表を突かれた。

 か細い声で、「お姉ちゃん……」と言葉にするのが、かろうじて聞こえた。

 切実に乞い願う響きの寝言。

 やや弾かれるように、アズランドはリザから手を離した。その手のひらを見つめ、愚痴っぽく、小声で言った。

「ますます、わからなくなった気がするよ……」

 

 

「変わらないわね、いつ見てもこのあたりは」

 エリーゼが言った。当たり前よね、とひっそり心の内で(なじ)る。

 ろくに舗装もされてない道々。

 老朽化の(いちじる)しい家々。

 無気力であることに慣れ切った人々。

 南側(サウスサイド)は、国が半ば統制を投げ出した場所と言える。財政的にそれができないということはないはずだ。ただ、都合がいいから、放置しているだけにすぎない。

 街の棲み分けの構造は、市民が自発的に成したもの――と、狸爺(たぬきじじい)たちは、エリーゼに言って聞かせてきた。そのように、線を引いておきながら。

 狸爺筆頭の伯祖父(おおおじ)に――現国王であるペーターソンに、それに異を唱えたとき、エリーゼは大いに笑われたものだ。

 子供の戯言。そう、一蹴(いっしゅう)された。

 たしかに、戯言だ。そうでないなら、そのとき、言い返すことができている。

「平たく、上も下も無くすこと――」

 ぼそりと、エリーゼがつぶやく。子供ではないエリーゼが、時おり胸に抱く言葉。

 果てにあるものは思い描ける。過程は、未だにあやふやだ。それでも、選択肢はあった。たしかなものが、選べないだけで。

「今、なんか言ったか?」

 エリーゼの他愛ない独り言に反応し、一歩先を行くロウェルが振り返ってきた。

 エリーゼに、そのような概念を抱かせるようになった張本人が。

「べつに、なんでもないわよ」

 そっぽを向いた先で、エリーゼは視線を感じた。

 五、六人ほどが小汚い通りの(すみ)で寄り集まっている。

 荒くれ者たちで、みな、武装していた。拳銃を含めた小型の銃器の売買が認可されて数年。南側で銃声は、小鳥のさえずりくらい、当たり前に聞くようになっていた。

 彼らの邪険にするような目。なんで、こんなところにいるんだ、とエリーゼに語りかけてくる。

 殊更、そういうとき――いっそ、ひっくり返してしまえばいいじゃない、なんて突飛(とっぴ)な声が頭のなかでする。

 下が上に。上が下に。

 それでは、意味がない、と即座に否定もしてみせる。

 ロウェルが望むものは、そういうことではないのだ。

「ロウェル。あんたが、目指してるのってさ……」

 エリーゼはふと言い()した。それは問うべきことではない。エリーゼ自身が、考え出すべきことだった。

 それに、おそらくロウェル自身も、解答を持ち合わせていない気がしていた。

 それでいいと思えた。

 ロウェルには、思い悩むことなく、ただ前を見ていてほしい。

 思った途端、エリーゼを歓迎していない荒くれ者たちへ、

「なあ、お前らさ。このへんで、女の子を見なかったか? 青い髪で、なんつーか、人形みたいな子なんだけど」

 ロウェルが構わず聞き込みに行っていた。最初は戸惑いがちな荒くれ者たちと、次第に打ち解けつつある様子を見守る。

 エリーゼは可笑しくなって、笑った。そういうやつよね、としみじみと。

 それから、遠くを見る目をした。

 ロウェル。荒くれ者たち。広がる荒んだ街並み。

 こんな、距離感でちょうどいい。ロウェルの見る先を描くには。

 エリーゼは一つ、頷いた。

 その視線のなかに、もう一人が潜んでいることに、エリーゼは気づかなかった。

 暗い細道へとつづく民家の陰に、黒衣の男がいた。

 エリーゼとロウェルを窺うように、太陽の面をした顔を、わずかに覗かせて。

 不意に、男が裏道へ振り返った。まるで、誰かに、声をかけられたふうに。

 しかし、そこには誰もいない。転がっている腐乱死体が喋りだすはずもなかった。にもかかわらず、たしかな声音で、応じていた。

「わかった。そちらからだ……」

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