どうも、初めまして。河村録六くんの友達の庭鳥です。たまには挨拶しよかなと思います。読んでくれてありがとうございます。見ればわかる、と録六くんはいっとりますが、あんまり彼のいうことをまじめに受け取りすぎてはいけません。完全一話完結とかも嘘ですので。嘘かどうかは知りませんが間違いであることは確かですので……。あんまりこの作品に入れ込みすぎてはいけません。……まあほとんどの人にはあてはまらないでしょうから、良いのですが……。それでは失礼いたします……。僕はもう出ません。
「悪夢障害ですねェ。」
と彼女が言った。読者の皆々様のために彼女は美人の女医、巨乳の精神科医としておくが実際には、彼は陰気な医者だ(読者諸君は多分きっと巨乳が好きだろう)。身長は180cmほどだが、瘦せ型で体重が適正にあるようには見えない。
「悪夢障害、ですか?」
「エエ。」
先生が、ああと……美人の女医先生がそのように、僕のカルテから顔も離さずに言った。
「しかし僕はずっと悪夢を見ています。それ以外の夢を見ることなんてありません。」
「ふーむ……。」
相槌がナカナカ冷たい……。僕は絞り出すように、背もたれもない冷たい椅子に体重を預けながら言った(この椅子が体重を預かってくれなければ僕のはどこに行くのだろう?)。
「治りますか?」
「はてさて……。」
彼女が言った。いや実際には言わなかったのだ。医者はともかく、死にかけのガン患者にさえ「きっと良くなりますよ。」と嘯くものだ。言われた気がしたのだ。いやあの目はきっとそう思っていたはずだ。
* * * * * * *
はて、この病院はどこだろうか? 僕の通っている精神科ではない。こんな大病院ではない。田舎の、木に囲まれたような、サナトリウムのような寂しく優しい場所なのだ、あそこは。
今日はここか。というのは最近の僕の夢に慣れ始めていたのを表している。時々見る、夢と自覚した夢、明晰夢というやつだ。夢の世界は素晴らしいですか、君。なんでもできると思ってはいませんか。想像力の働く限り何でもできると。あるいはそうであるかもしれません。何でもできます、怪物に腕を食われて、頭から喰われて、その胃酸を浴びて溶けて消えることだって出来るのです。それでも夢は素晴らしいですか?まあ現実よりは幾分いいかもしれませんね。
ともかくは、顔面、顔面だ。あの巨大な、表情の読めない怪物がずるり、ずるりと受付の裏から……何の香りだろう。ホルマリンだろうか、薬品の、脳みその香りを振りまきながら彼女がその姿を現した。……今日はずいぶん調子がいい。彼女の表情がよく見える。恐ろしい、真っすぐ、見つめている。視線が刺さる。恐ろしい、オソロシイ、これを愛だのなんだの感情に結び付ける者たちは大馬鹿だ。奴は、ただ、僕を見ている。それだけだ。それ以上の意味はない。それがたまらなくオソロシイことだというのがわからないのですか。
僕は階段に逃げた──階段は嫌いだ、だがエレベーターはもっと嫌いだ。エスカレーターがあればよかったのだが──後ろからは脳みその香りが迫る、追われるのだ。早く登らなければならない。
……ところが、ところが、である。ヒヒヒ、奴が前から来たのには流石の僕もぶったまげた。後ろを振り向いた、奴がいた。前を見た。階段の上からずりずりと降りてくる奴がいた……。つまり? つまり? 賢明なら読者諸君、答えてくれ給えよ。
……なぜ答えない? だから君は、僕のような狂人なんぞに馬鹿にされるのだ。ただ、思ったことを言えばいいだけだったのに……。なぜチャンスをものにできない?だから君は、或いは僕は、駄目なのだ。
はてさて、あの二人……いや二匹?と表現するべきだろうか。 あの顔面は二匹になっていたのだ。そうなると挟み撃ちにされて恐怖は二倍? 或いは倍の速さで喰われて四倍? 八倍かもしれない、十六倍かも……三十二、六十四、百二十八……オソロシイ、恐ろしい……。
階段をあきらめなければならないというのは一瞬の喜びを与えてくれた。だが知っての通り、その病院の構造なんぞ僕はシラナイ。まるっきり初めての場所なのであった。一階に逃げたが、場所に迷った僕は、しょうがなく、階段を通って二階に進むしかなかった。
追われる、走り続ける……僕は塹壕で這いまわりながら砲弾が当たりませんようにと願う兵士のように、懇願しながら必死に逃げ続けたことを説明する必要はないだろう。そんなことはわかってもらえるはずだ。走った、躱した、これを数度繰り返した。で、この記述に意味はあるか?あるとするならば、こんな説明を求める読者のためのものだ。見ていればわかるだろう、そんなこと……。
走り続けると……いや実際には走っていないのだが……夢の中では、走れない。走っても、泥に足をとられたように、その場所で走り続ける脳内なのだ。僕のイメージは、なので読者諸君は違うかもしれない。その時浮かぶのはマラソンリレーの光景だ、バトンが渡る僕の番で、しかし僕は走れない。その場で足踏みするばかりだ。必死に足を動かしても、どんどん抜かれていく。大衆の面前。怒号が飛ぶ、いっそ殺してくれと願う。……殺されもしない。走れない!!……それが夢の中の走行だ。
なんと醜く美しいことか……っ!大衆は下品な口上でみんなが僕をののしる!これこそ自然な世界だ!
どこか隠れる場所が必要であった。歩くだけの移動では奴らから逃れられない。このまま悪夢にさいなまれるというのなら、その対処方法の発明が必要であった。暗い薄明りの廊下は、不気味だ。四階だろうか。400番台の部屋番号が並ぶ……嫌だなぁ。病院は注射薬剤と、アルコールと、吸入の香り。そして閉塞した病の香りが、換気の風に乗って流れてくるのである。それが嫌だった。さらに、その中に香る脳みその匂い。奴が近くにいる。ずるり、ずるりと、である。
まるで袋小路のようだ。そこにはトイレがあった。順番が違った。真っすぐな道だ、そこは、手すりで囲まれた一本道で、他に非常階段としかつながっていないトイレの空間だった。非常階段から逃げようもないというのは、もちろん読者諸君も理解していると思う。まあ、そうなのだ。僕の夢のルールとして、非常階段は駄目なのだ。
嫌だ、嫌だと、しかし後ろから迫る脳みその香りに押されて僕はそこに入らざるを得なかった。
暗くて多いトイレが実に嫌だった。想像してもらいたい、やたらと多い小便器に、これまたやたらと多い個室。薄暗い照明が実にまた不気味である。個室が多い……隠れ場所が多いというのは、ナカナカいいが、結局は順番に全部調べられたら終わりなのだ。しゃあしゃあとなる水気の多いシャワーの音も不快である。誰かが止め忘れたのだ。
右奥の一番奥の部屋に隠れることにした。大きな浴槽のついた部屋である。……あの中身は、なんだろう。洗濯物? それとも何かの薬剤? 風呂であればいいのだが……。
「やあぁ。」
横の男が、個室に隠れた僕の方に話しかけてくるのが嫌だった。僕は知らないふりをしてシャワーを浴び続けた。
「君もこの世界の人かい。何て名前なの?」
同性のくせに、なれなれしくナンパみたいな声掛けをする。この軽薄そうな男は、なんだろう。チャラチャラした、いかにもまあ世間から嫌われている……と、僕は思うタイプの人間なのだが、案外そうでもないタイプの人間たちだ。婉曲な表現だが、つまり僕は彼らみたいな人間が嫌いだ。特に、何でもないくせに群れて強いと思い込むことが、或いはそんな風に人間としての真の強さ(なんとくだらないっ!)を手に入れている点などで。
「……うるさい。」
「ええ?」
「黙ってくれ。」
僕がそう言うと、その男は浴槽の中に沈んで消えていった。うるさいのが消えて、息を潜める時間が増やすことができた。……アァ!そうだ!シャワーの音でばれてしまう!
シャワーを捻るが、お湯の流れが止まらない……。まずい、これはまずい……。脳みその香りが近づいてくる。ドアの開閉音が聞こえる(壊す音、だろうか?まあそんなに運命としては変わらないだろう)。
しょうがなく僕は湯船の中に飛び込んだ。がぼがぼごぼごぼ……と溺れる。溺れ続ける。息が苦しい、息ができない……開閉音が近づく。しかし後から考えてみれば、夢の中で溺れるとはどういうわけだろう。現実では何に口をふさがれていたのだろうか。逃げ場を失った僕は湯船の奥に奥に潜り始めた。どこにつながっているかもわからないが、進むしかない。泳いで、スイミング……スイミー、ダイビング……ブクブクブク。そうして僕は水面に顔を出してようやく息ができた。
「ハァ、ハァ、ハァ……。」
と息をしてみる。夢の中ではあるが、本当に苦しかったのだ。どうやらそこに脳みその香りはしない。ひとまず危機は脱したようであった。そこは手術室のようであった。心電図に繋がった機械仕掛けのメスが、丸い地球を解剖している。どうやら彼が患者であるようであった。
ここに怪物はいないようだ。ならば手術の見学くらいはいいだろう。清潔度とかどーなのって突っ込みをしたいかい?ここは夢の中なのだよ! 気にするものも、ウイルス感染も実際にはないんだ。余談だが細菌とウイルスというのはずいぶん違うらしい。それはそうだろう。僕も知っている。コンピューターは細菌性の病気を受け付けないからだ。やはりウイルスというのは恐ろしい……オソロシイ……きっと精神病もウイルス性だ。少なくとも細菌性ではないだろう。
と、手術が始まった。ウイン、ウインとメスが容赦なく地球に──いやよく見れば軸と固定具がある。これは地球儀だ。それはそうだ、わざわざ地球を手術する必要などない。代替性のコピーで済ませればいいのだ。──突き刺さっていく。一定まで掘り進んだ時(この表現が正しいか?地球だし。)、噴き出してきた。血だ。迂闊にも近くに寄っていた僕は丸っきり血の噴射を浴びた。
「うわっ!!」
手術なんて生で見るのは初めてだからとよらなければよかった。そりゃあそうだ、メスで切ってるんだから血くらい出る……あまりにうっかりしていた。全く、僕は血を何とかぬぐい取ろうと服でこする……取れない、粘着性の色素のついた液体だ。こんなのでは取れない。
ふと、見えた。地球の中身が。血を吹き出し切ったドロドロの体内の中に何かがあった。なんだろう?地球の中身とは何だろう? ただの好奇心から顔を寄せてみた。よせばよかったのに。
「やあぁ。」
声が聞こえた。地球儀の中から。ああ、どうやらこれは、出産のための手術だったようだ。……そのように悟った。
「やあぁ。」
「……うるさい。」
中身から、半分ほど割れた地球儀の中に奴はいた。チャラチャラとした顔、うざったらしい癖に人から好かれる顔。(無論僕は嫌いな顔だ。)それが、隙間からギリギリ見えるくらいの、歪に小さい体とともに収まっていた。激しい悪寒、しかし吐き気はしなかった、赤子だからだ。
奴の口がガムでも噛むみたいにくちゃくちゃ動いた。
「君もこの世界の住人なんだね。友達になろうよ……。」
「黙ってくれ。」
「やあぁ。」
チャラチャラした男(多分男だろう)の胎児の手が伸びてくる。顔だけはあの男だというのに、体は生まれ落ちたばかりの、いや生成途中の赤ん坊のように未熟だ。神秘?生命の神秘だと? 本気で、幸せな常人たちは、こんなものをそんな祝い言で呼ぶのか? 狂っている、狂っている、まともな人間とはまっこと狂っている……。これは、いよいよあの陰気な医者も信用できないな……。ああ、間違えた。設定では巨乳の美人医師ということにしていてそんな場合ではない。
「ふふふ。」
「……黙ってくれ!」
顔をかきむしる、むしる、痛い……覚めろ。夢よ覚めろ!これ以上は……本当にまずい……。背中が無常にも壁に当たる。逃げ場はない。走れない、歩いては逃げれない……。
冷たく温かい、血が滴っている……胎児の腕が、僕の顔に触れた。
「つーかーまーえーた……やあぁ。」
「……。」
* * * * * * *
「……ハァっ!?」
目が覚めた。危機は脱した……ようであった。……危なかった。僕としたことが明晰夢であると油断したのである。まさかあの顔面怪物以外にも脅威が存在しようとは思わなかった。これは完全に僕の誤算で、読者諸君の落ち度はない。そのためどうか、気を落ち着けてほしい。まずは深呼吸するといいだろう。眠っていてもそれは出来るものなのだ。試してみるとよろしい、出来るから。
……と、そんな読者諸君のくだらない話はどうでもいいのだ。まだ外は暗い、つまりいつもの目覚めなのだ。朝、つまり水を飲みに行こうとした。……コップが唇に触れた瞬間、どこかヒリヒリとした痛みが襲う。頬に触れてみると、鈍い光の中で、右手に赤いものが付着しているものが見えた。べっとりと、生暖かな血液。手は冷たく、血は温かった。